73話
数日後。自分はアリア大尉に内密の話があると呼び出されました。
「……来たか、トウリ。あまり時間が取れないので、質問などは手短にな」
「あ、その」
「では、さっそく手順を説明する」
部屋に入ると、アリア大尉は口早に『自分の亡命の算段』を説明し始めました。
簡単にまとめると、見張りの交代のタイミングで自分がアルノマさんを連れだす手順のようです。
しかし、自分はそんな彼女の言葉を遮るように、
「アリア大尉殿。やはり自分は、軍に残りたいです」
「……」
「孤児である自分にとって、大事な人はこの軍にしかいません。アリア大尉殿も含め、戦友たちは家族のように思っています」
自分は彼女の目を見据え、そう宣言しました。
「……そうか」
「自分の死に場所はここです」
アリアさんの勧め通り、他国に亡命するのが正解だったでしょう。
殺されるのはとても怖いですし、これ以上戦争に関わりたくなんてありません。
全てを忘れ、平和な他国で生を謳歌できるのであればどれだけ幸せでしょうか。
しかし実行に移そうとすると、……罪悪感に胸を押しつぶされそうになるのです。
今までお世話になった、多くの人の顔が頭に浮かんで離れません。
今までずっと、自分の相談に乗り続けてくださった頼れるアレン先輩。
真っすぐで優しく、少しだけ天然なヴェルディさん。
年上の目線で自分を支えつつ、立ててくれる部下のケイルさん。
南軍でお世話になった、レイターリュさんやザーフクァ曹長。
……そして、いつも自分を助けてくれるロドリー君。
彼らを見捨てて逃げてしまえば、自分は今後一生、重たすぎる罪悪感に苛まれ続けることになります。
自分の命と彼らへの感情を天秤にかけたら、どう考えても彼らの方が大事だったのです。
「アリアさん。自分をどうか、ここに置いてください。自分は死ぬ直前まで戦友の負傷を癒し続けます」
「……」
彼らを見捨て生き残るだなんて、死ぬより辛い事でした。
だから自分は、ここで彼らとともに死ぬことを選びました。
「死ぬぞ」
「分かっています」
「ここを生き延びても、次はフラメール人と殺し合いだ。戦争はいつまでも終わらない」
「……悲しい事です」
「私は、トウリに生きてほしい」
「……ごめんなさい」
そう謝ると、アリア大尉はふぅとため息をつきました。
彼女の厚意を無下にしてしまった罪悪感はありますが、それでも後悔はありませんでした。
「……ただアルノマさんは、何とか逃がしてあげたいです」
「まぁ、そっちも手は回しているんだが。だが、本人が頑として脱走を良しとしないらしい」
「そうですか」
「フラメール侵攻の事実を伝えるわけにもいかないし、対応に困っているんだ。あの男は、いずれ自分の潔白が証明されると信じている。……まぁ、あの男はスパイじゃないわな」
あとの心残りは、アルノマさんでした。
自分が脱走を介助する計画でしたが、本人が真面目過ぎて上手く行きそうにないのです。
フラメールが攻めてきたことを知れば流石に脱走を決意するでしょうが、檻の見張りをしている兵士にフラメールが攻めてきたという情報を知られるわけにもいきません。
なので、手詰まりの状況なのです。
「とりあえず、これ以上拷問などはしないよう通告はしている。まずはサバトを打ち破って、その後考えよう」
「はい」
「お前は、自分の意思で残るといったんだ。最期の瞬間まで、国に尽くしてもらうぞ」
「了解です、アリア大尉殿」
自分はアリア大尉の前で敬礼を行い、
「死の瞬間まで、自分は貴女に尽くします」
「……。そうか」
悲しそうに目を背ける彼女に、元気よく返答しました。
「では、自分はこれにて。アリア大尉殿」
「ああ、無理はするなよ」
そして自分は、アリア大尉に敬礼しテントから立ち去りました。
「……さて。先に死ぬのは、どちらだろうな」
別れ際。
その、呟くようなアリア大尉の声を、自分は聞き取れませんでした。
決戦の日。
オースティンはありったけの魔石を、アリア大尉の部隊へ託しました。
「準備していた船はどうなっている」
「無事に輸送を終えています」
「よし」
当初よりベルンの思い描いていた策は、水路からの奇襲です。
オースティンの戦力的に正面から何層もの塹壕を突破していくなんて不可能で、それ以外の橋へのアプローチ方法なんて最初から水路しかありませんでした。
橋を落として大混乱に陥ったサバト軍を、塹壕ごと包囲してジワジワ嬲り殺しにする。
これが、人殺しの天才ベルンが作り上げたかったシチュエーションでした。
命懸けの水路による特攻は、サバト側も想定していました。
もう一人の天才シルフが、父親にその危険性を何度も何度も進言していましたので。
だから、我らがアリア魔導中隊が北橋とサバト本陣の中間─────タール川沿いのサバト拠点へ奇襲を仕掛けた時、彼らはほくそ笑んだでしょう。
サバトの反応は、待ってましたと言わんばかりでした。
奇襲を受けた地点にすぐさま、予備戦力を送るドクトリンを形成していました。
彼らの対応は、実に迅速でした。
サバトの川岸の塹壕が妙に薄かったのは、ここを攻めさせて返り討ちにする罠だったのです。
薄そうに見える川岸の塹壕は、しかしその実、非常に強固でした。
塹壕は波のようにクネクネと形成されていて、薄いところにこそ火力が集中するような形だったのです。
突撃兵が迂闊に攻めれば、集中砲火を浴びて即座に蒸発したでしょう。
しかし、
『進軍路に、大量の設置罠が!』
『兵が配置できません!』
もともと、度重なるベルンの奇襲の影響で両橋の間の哨戒サバト兵士が減ってしまっていました。
そんな折に、塹壕内に仕掛けられていた罠が一斉に起動して、サバト兵士の移動を阻んだのです。
ここで、哨戒兵士を減らし工作兵が侵入する隙を作らせた悪魔ベルンの下準備が生きました。
「今こそ、オースティン兵の誇りを見せる時よ!」
塹壕の攻略も、スピード勝負です。
アリアさんやザーフクァさんのようなエース部隊を、ベルンは惜しみなく投入しました。
「塹壕を確保しろォ!」
「味方の進軍を援護しな!」
その一番槍、オースティンに残っていた『ライデルト小隊』というエース突撃部隊の成果で、
『オースティン軍が川岸の塹壕を、陥落させました!』
奇襲開始1時間で、オースティンは川岸の確保に成功しました。
『塹壕を再奪還しろ、オースティンに船を運ばせるな』
『駄目です、敵の守りが異様に硬くて……』
塹壕を確保した後は、防衛に特化したエース「ザーフクァ」中隊がアリア大尉の部隊が船を運ぶまで鉄壁の守りを見せます。
砲撃すらも防ぐという前評判は本当だったようで、彼の守っている間アリア大尉の部隊に銃弾一つ飛んでこなかったそうです。
『やばい、川に出られるぞ』
『橋が、橋が壊される!』
サバト軍は罠を張っていたつもりが、逆に罠に嵌ってしまいました。
絶対に防がなければならなかった水路を囮に釣りをして、見事に餌だけ食い取られてしまったのです。
「大尉殿、良い景色ですな」
「ああ、視界良好。良い船旅になるだろう」
後で聞いた話によると、アリアさんの部隊は全員、軍服ではなく礼服を着て船に乗り込んだそうです。
……この世界の、死に装束は礼服です。
一生に一度の晴れ舞台、小汚い軍服ではなく華美な服装で迎えたいというアリア大尉の要望に、レンヴェル少佐が応えたそうです。
川岸にはズラリ、と敵の歩兵が並んでいて。
敵の魔導師部隊は躍起になって、陸からアリア中隊の船団を砲撃しました。
敵の必死の抵抗に逢い、オースティン船も無傷とはいきませんでした。
サバトの砲撃により幾つもの軍船が、川底に沈んでしまいました。
しかし、この時代の砲撃は動く船を捉えられるほど正確ではありません。
この砲撃で橋を射程に捉えるまで撃沈した軍船は、僅か数隻にとどまりました。
「さあ、パーティ会場に着いたぞ」
「盛り上げていきましょう、アリア中隊長殿」
……こんな自爆特攻作戦にアリア大尉の部隊が選ばれたのは、理由があります。
フラメールとの戦争も控えているのに、貴重なエースであるアリア中隊を捨て駒に使った理由。
それは彼女の魔導部隊はオースティンでも群を抜いて優秀だったからで、何より────
「およそ1km先に、橋を確認」
「うむ、第一射」
アリア大尉の部隊の、遠距離狙撃能力が両軍合わせても頭一つ抜けていたからです。
「第一射、南西32度に130m強の後逸しました」
「第二射まで、30秒。その間に予想される船の移動距離は、80m程です」
「分かった。仰角3度上げて、魔石を1割減らせ」
砲兵に求められるのは、咄嗟で精密な計算速度と、細やかな仰角管理を行える器用さです。
この世界において精密な観測砲撃なんて技術は発展しておらず、魔法砲撃の有効射程は目視できる距離────数百メートルが限界でした。
導火線の長さも統一されておらず、発射までの時間もコンマ数秒ズレるのが当たり前の技術レベルです。
そんな状態で、どうやって遠距離砲撃なんて実行していたかといえば……。
それぞれ砲兵の指揮官が「経験」に基づき、魔石の量や砲撃角度を調整していたのです。
だから砲撃の射程距離、精密性は、その指揮官の技量により大きく左右されました。
「次は当たる」
もしその特攻に成功しても、生還は難しい事はわかっていました。
本音を言えば、アリア大尉を失う様な作戦は実行したくなかったでしょう。
しかし、移動し続ける不安定な船を土台として遠距離砲撃を行える部隊は、オースティンの全軍を見渡しても彼女の部隊しかいなかったのです。
今までアリア大尉が実戦で決めた、長距離砲撃の最大射程は1083mでした。
つまり、彼女は安定した足場なら1㎞先の兵士すら屠れるのです。
これは、当時の魔導師部隊の人からすればホラとしか思えない距離でした。
しかしこの時も、アリア大尉は─────
「第二射、撃て」
「……命中、確認しました」
「よし」
およそ870mの遠距離砲撃を成功させ、見事にサバトの守る橋に命中させて見せたのです。
この一撃で橋の一部は損壊し、10mほどの範囲が崩れ落ちました。
「あの程度の崩壊なら、簡単に修復できる。第三射、用意!」
「了解」
橋はしっかりとした造りで、一撃で全てを破壊できませんでした。
しかしアリア大尉は、前もって予想していたのか取り乱す様子もなく第三射を命じます。
「アリア大尉殿、機嫌良さそうですな」
「ああ、最高の気分だ」
徐々に激しく、強くなっていく敵からの妨害を意に介さぬその胆力。それは、まさにエースの証左でありました。
アリア大尉は仲間の船が次から次へと水没していく中、敵に沈められるまで合計八射の魔法砲撃を実行しました。
そのうち三射が見事に命中し、その結果───
「……ウェディングドレスは用意できなかったが、彼に会いに行くには十分な装いだろう」
「美しゅう思います、大尉殿。まったくあの男も、果報者です」
サバトが大事に守り続けていた橋はアリア大尉の奇襲からほんの数十分で崩落し、同時にアリア大尉を乗せた船は川底に沈みました。
タール川の水流は速く、泳ぐことは出来ません。
彼女たちが流されていく先には崩壊した橋の欠片が鋭利にむき出されています。
アリア大尉の育て上げた、全軍でも屈指の魔導兵部隊はこの偉業を成し遂げた直後、その指揮官と共に川へと投げ出されました。
兵士たちは水流に抗う事は出来ず、その殆どが自ら破壊した橋の瓦礫に激突し、その命を落としました。
しかし、その部隊の誰一人として、後悔の表情を浮かべるものはいませんでした。
その遺体の中の、一際美しいドレスを着た女性将校は────
薬指に真新しい指輪を嵌めて、幸せの絶頂といった顔だったそうです。
こうして本来の予定とは大きく狂いましたが、それでもなおオースティン軍は勝利を手にしました。
大橋の崩落は、事実上のサバトの敗北です。
元来ベルン大尉はもう少し時間をかけ、アリア大尉を犠牲にしないプランを立てていたそうです。
しかし時間と資源が限られてしまったので、身内大好きレンヴェル将軍のご息女を捨て駒にするというとんでも作戦を実行に移してしまいました。
ただ大橋の陥落は、その大きな代償に見合う成果と言えました。
「さて、突然の奇襲で撤退路を失ったサバト兵はどうすると思います?」
「……北の橋に殺到するだろうな」
魔法のように大橋を陥落せしめたオースティン軍。後は逃げ惑うサバト兵を蹂躙していくのみ。
「既に北の橋へ向かう撤退路の大半を封鎖しました。赤子の手を捻るより容易く、敵を皆殺しに出来るでしょう」
「……北橋を守っていた連中はどうする? そいつらを逃がさないようにする手はあるのか」
「そいつらに逃げられるのはしょうがないでしょう。流石に欲張りすぎです」
ただ、この作戦ですと北橋を守っている兵士は自由に動けます。
そのまま撤退される可能性も、我々の敷いた敵の撤退路を塞ぐ布陣を裏から襲撃する可能性もありました。
「まぁこの状況なら十中八九逃げるとは思いますが……、万が一に背後を突いてきても対策はしてますのでご安心ください」
「……そうか。では我々は、勝ったんだな」
「ええ、もう勝利は揺るぎません」
ベルン大尉は自信満々に、自らの成果を断言しました。
彼の言葉を聞いて参謀達は頬を緩め、ずっと黙り込んでいたレンヴェル少佐すら小さく吐息をこぼしました。
「……報告します、北の橋を守っていた兵が消えているようです」
「ああ、やっぱり逃げたんだな」
「見事な献策だった、ベルン大尉」
そして、レンヴェル少佐は低い声でベルン大尉の功績を表しました。
手塩にかけて育ててきた、大事な愛娘を勝利のために死なせてしまう。
少佐の心中は推し量れないモノがあったでしょうが、ひとまず指揮官として誉めることを選んだようです。
しかし。
「は? 兵が消えた?」
「どうした、ベルン大尉」
その報告を聞いて初めて、ベルン・ヴァロウが狼狽した表情になりました。
「ちょっと待て、どういう事だ。裏を突いて、奇襲してきたとかじゃなくてか?」
「ええ、忽然と橋の周囲から消え去ったようです」
南軍指令、アンリ中佐はそんなベルンの表情を見たのは初めてでした。
今迄の彼は、ずっと飄々と余裕を崩さず「すべて想定通りですよ」といった態度を見せ続けていたのです。
そんな男が狼狽した声を出すなど、想像だにしていませんでした。
「どうしたね。君の想定した通り、撤退したのだろう」
「……北の橋の防衛兵力は、推定して数万です。あんな細い橋を使って、この短期間で渡り切れるはずがありません」
この時、ベルン・ヴァロウは敵が想定外の行動に出たことを悟りました。
もし大橋を落とされてしまった場合、北の橋の指揮官が優秀ならまず撤退を開始するでしょう。
何故ならサバト軍が撤退するとなった際、橋を通過するのにかなりの時間を要する事になるからです。
なので、少しでも多くのサバト兵を生存させるためにすぐ撤退を開始するべきなのです。
あるいは、味方の撤退を支援する目的で南下して撤退路を確保する可能性も十分にありました。
これは、兵士を逃がすというより指揮官級の将校の撤退を優先する作戦です。
自ら犠牲となりサバト軍の有力将校を保護すべくオースティン軍を叩く事は、十分に考えられました。
しかし、そのどちらをも選択しない場合。
第3の選択肢として、サバトはどんな作戦を取ってくるでしょうか。
同時刻、タール川北部。
『あれほど、水路からの奇襲に気を付けろと提言しておいたのに。父上は、何を考えている……っ』
彼女は、北の橋を保持すべきと参謀本部で声を上げました。
それは、この水路を使った奇襲を警戒していたからに他なりません。
そんな彼女────シルフ・ノーヴァは、『そこまで言ったからには、自分で守って見せろ』とブルスタフ司令官の指示で北橋に参謀として派遣されていたのです。
『負けだな。サバト軍はもう、川岸を確保する戦略的意義を失った。もう何をしても勝ち目はない』
『おいシルフ参謀、そんな無責任な事を言わず逆転の策を考えろ』
『勝ち目がないものをどう逆転するんだ』
北橋の指揮官に怒鳴られてなお、煩そうな表情を崩さなかったシルフは。
『ただまぁ、出来るとしたら引き分け狙いだな』
『……引き分け?』
『ああ、今までの我らの戦果を思い出してみろ。敵の国土は焼け野原、オースティン軍が今使っている資源は搾りカスしか残っていないハズ』
ベルンが想定しつつも「ケアする余裕がない」と可能性を切り捨てていた、オースティンが取られて最も嫌な動きを提案したのです。
『オースティンの連中の立場になってみろ。こんな大規模な攻勢を行い、防衛部隊の要も前線に出張ってきていると来た』
『……』
『そんなザマで、果たして守りにどれだけ兵士を割いているかね』
そう。
腐っても「天才」と称された少女シルフはサバトの敗北を悟った瞬間。
『今から敵資源を破壊・強奪し尽くせば、オースティンに戦争継続能力はなくなる。さすれば我々の国土も安泰というものだ』
『おお、成程』
自らを危険に晒しながらも、オースティン軍の資源倉庫へ奇襲を提案しました。
『祖国の為だ、やってやろうじゃないか』
『奴らに一泡吹かせてやる!』
まっとうな指揮官なら、撤退路の保持を放棄して橋から離れる事がまずあり得ません。
それは、唯一の退路となった北橋へ撤退開始したサバト主力軍に対する裏切りでしかないからです。
勝手な行動をとるにしろ、せめて味方の支援か即時撤退でしょう。
橋を失うことは、サバト軍に唯一残された安全な渡河手段を喪失することを意味します。
それがどれだけ、兵士の士気を下げ心を砕くか想像もつきません。
しかしシルフは安全も味方支援も投げ捨てて、敵後方への突撃を立案しました。
『さあ、敗戦を痛み分けに変えてやろう』
これが彼女の特性というか、悪癖でした。
シルフは参謀として味方の都合なんてものは無視し、いかに敵に被害を与えるかに特化した戦略をよく好んだのです。
彼女は自分の父親すら含む主力軍を見捨て、地獄絵図を築き上げる事を選びました。
そんなシルフもまた、ベルンと同じくどこか頭のネジが歪んだ戦争狂だったのかもしれません。