51話
「ファリス准尉殿。トウリ衛生兵長です、要請に応じ参上いたしました」
ファリス准尉から呼び出しを受けた自分は、まっすぐ彼に指示された場所へ向かいました。
一応、以前にラキャさんが迷惑をかけた相手ですので、丁寧な対応をした方が良いでしょう。
「ご苦労、呼び出してすまんな」
「いえ、お気遣いなく」
ファリス准尉率いる歩兵小隊は、正門よりの大通りにキャンプを設営していました。
彼の小隊の規模は少し大きく、人数にして20名程。
いわゆる、増強歩兵小隊の様でした。
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何、個人的な頼みだ。あまり硬くなる必要はない」
自分が敬礼をして要件をうかがうと、ファリス准尉は曖昧な笑みを浮かべて「まぁ座れ」とジェスチャーしました。
あまり、急ぎの要件ではないのでしょうか。
「どうだ、トウリ衛生兵長。コイツはうちの隊の支給品だ、好きなのをつまんでいけ」
「……。いえ、自分は」
「そう遠慮するな」
小隊長格であり准尉の位である彼のテントには、いくつか茶菓子が支給されておりました。
それはファリス准尉の部隊の物であり、自分が勧められたからと言って手を付けて良いものではありません。
そう言って固辞しようとしたのですが、彼は半ば強引に自分の手にクッキーを握らせました。
これは、どういった話をされるのでしょうか。
「……その、ファリス准尉殿?」
「ん、まぁ要件というのはコレなのだ」
「コレ、と申しますと」
「本日は、全軍が休養を貰ったからな。部隊間の親睦を深めておこうと、貴小隊を我がファリス小隊の宴席に招待したい」
ファリス准尉はそういうと、背後の歩兵たちを指して話を続けました。
彼の部下の歩兵たちは、何とも言えない顔で自分を見ています。
何となく、彼の言いたいことが分かってきました。
「宴席ですか」
「まぁつまり。息を抜いて楽しまんか、衛生兵長」
「……」
この人は自分の小隊に女性が多いのを見越して、飲み会に誘ってきたみたいです。
まさかそんな用件で、衛生兵長を呼び出すとは……。
「そんな顔をするな。まぁぶっちゃけると、新米共のメンタルケアだよ」
「と、申しますと」
「途中の村の惨状を見て、何人かが使い物にならなくなっちまった」
「ああ、成程」
ファリス准尉の話によると、彼の部隊の新米もかなりショックを受けたようで。
特に、ラキャさんの友人二人が実家に帰りたいと泣き叫んだ日もあったのだとか。
「お前のところの少女衛生兵が、あいつらと仲良かったのを思い出してな。聞けば親友同士らしい」
「そうなのですね」
「だから奴等に飲ませて愚痴らせて、ガス抜き出来たらなと思って呼び出させてもらった。貴様んところのあの女も、それなりにショック受けたんじゃないか?」
その話を聞いて、自分は少し納得しました。
そう言えば、ファリス小隊はラキャさんのご友人が所属していた部隊でしたね。
それで、仲良し同士で話をさせてストレスを解消しようという腹ですか。
「確かに。当小隊のラキャも、かなり取り乱しておりました」
「なら決まりだ。どうだ、今からでも───」
「ですが申し訳ありません、当小隊はこれから仕事です。既にいくつか負傷兵が搬入されてくる情報が入っており、しばらくその対応に追われることになります。飲み会をする暇は恐らくないでしょう」
「……そうか」
そういう旨であれば、確かに一考の余地はあるのですが。
残念ながら休暇となれば、今からも軽傷の診察依頼が殺到してくることが予想されます。
おそらく、夜までずっと治療に追われることになるでしょう。
軽傷の方に関してはラキャさんやアルノマさんに投げてみようと思いますので、彼らに抜けてもらうのも困ります。
「夕方からでも、何とかならんか」
「厳しいでしょうね。深夜になれば時間が出来ると思いますが、そうなれば部下も流石に睡眠を取りたいでしょう」
「……」
ファリス准尉は当てが外れた、といった表情になりました。
彼は、衛生小隊の労働量をかなり少なく見積もっていたみたいです。
出陣前に、お伝えしたはずなのですが……。
衛生兵の数が少なすぎてヤバいので暴力行為を控えてくださいと。
「うーむ、あの小童どもに女をあてがって元気づけてやりたかったが」
「ボランティアで衛生小隊の手伝いをしてくれるなら歓迎しますよ。列の整理や物資運搬、清掃の補助など仕事は山盛りです」
「ふん、何で休養日にまで働かなきゃならん。戦闘行為の無い貴様らと違って、我々は疲労がそのまま生存率に直結する。それは小隊長として許可できん」
「そうですか」
宴席に参加する気が無いことを悟ったのか、ファリス准尉はプイとそっぽを向きました。
そして不機嫌そうにため息をついた後、
「時間を取らせて悪かった、仕事に戻れトウリ衛生兵長」
「ご希望に添えず申し訳ありませんでした」
「そのクッキーはやるから、道中で腹に詰めておきな」
そう、自分に退席を促しました。
「ファリス准尉は、女遊びが激しいので有名だ。断って正解だぞ、その誘い」
「そうだったんですか」
その後自分は、当初の予定通りマシュデール中央病院に向かいました。
マシュデール中央病院は、この都市の基幹病院の一つです。
その規模は大きく、3階建ての入院病床までついた大病院でした。
「今後もその手の誘いは山ほど来ると思うが、基本乗らなくていい。小隊長の命令で参加させられる宴会など、楽しいはずもない」
「というと」
「部下に息抜きさせたい場合は、休養を与えろ。個人で勝手に飲みに行かせた方が良い」
「成程」
そのマシュデール中央病院に、アリア大尉が視察に来ておりました。
彼女は、自分の様子を見に来てくれたみたいでした。
以前、自分を
「というかファリスは理由を付けて、衛生部隊の女と仲良くなりたかっただけだろう」
「……」
「マシュデールで重傷者が見捨てられるのを見て、兵士の連中はこう考えたわけだ。衛生兵とねんごろになれば、優先して救ってもらえると」
「……。私情は挟まず、重症度でトリアージを行っていたつもりですが」
「まぁ人間だからな、情に流されることもあろう。少なくとも、兵士はそれを信じている」
成程、その思考は確かに理解できます。
いざ自分が死にそうな目に遭った時、衛生兵と恋仲であれば生存率が上がる。
確かに、現実味のありそうな話です。
「まぁ、衛生兵はただでさえ『戦場の天使』だの言われてモテる立場だ。悪い男に騙されんよう注意しておけ」
「はい、大尉殿」
ですがまぁ、少なくとも自分がトリアージする場合は冷静に対応するつもりです。
……ロドリー君やアレンさんが運ばれてきた時なども、なるべく冷静に。
「あと、私情を挟まぬような対策としては、可能な限り知り合いのトリアージはするな。どうしても情がよぎる」
「成程」
「自分の顔見知りが運ばれてきた場合は、他のトリアージ者に判別してもらえ。その方が冷静な判断ができるだろう」
確かに、それが正解かもしれません。
少しでもロドリー君が助かる可能性があれば、普段は見捨てるような重傷でも手当てをしてしまう気がします。
旧ガーバック小隊の面々が運ばれてきた場合は、ケイルさんに判断を任せましょう。
「それと、ここからが本題だが」
そんなことを考えていたら、ふとアリア大尉が顔を近づけてきて、自分の耳元で囁きました。
どうやら、今のは話の枕の様です。
「何でしょう」
「サバト軍が、まだ割と近い位置にいた痕跡が見つかった」
アリア大尉はそう言うと、静かに目を伏せました。
「おそらく撤退中のサバト軍だと思われる、近日中に接敵するかもしれん。心の準備をしておけ」
「……」
自分は、もう敵はマシュデールを放棄して、もっと遠くに撤退していると思いました。
意外にも、敵はすぐ近くに潜んでいたらしいです。
「他言無用だ、今の話は部下の誰にも話すな」
「了解です」
「マシュデールで休養を取ったのも、実のところ周囲の索敵に時間をかけたかったからだ」
まだマシュデール付近に潜伏していたなんて、敵の目的は何でしょうか。
追撃部隊である我々の偵察とかでしょうか。
「父上は、奇襲を警戒しておられる。戦闘開始になる可能性、十分に考慮しておけ」
「はい、アリア大尉」
あるいは、レンヴェル少佐が警戒している通り奇襲を受ける可能性もあるのでしょうか。
自分達は、先行部隊が安全を確保した後を進みます。
おそらく、戦闘となっても我々にまで戦火は届かないと思われます。
しかし、負傷兵が山の様に運ばれてきてしまえば、衛生部隊が疲労でパンクしてしまうかもしれません。
本日から、しっかりケイルさんや若手に休養を取ってもらう必要がありますね。
「ではな、トウリ。しっかりやれ」
「ありがとうございます、大尉殿」
となると、患者が少ない時間の間は交代制を導入してみますか。
患者の診察速度は落ちますが、その代わりに休憩者が数時間眠れるようになります。
今後接敵する可能性があるなら、体力を蓄えておかないと。
トウリ衛生小隊としての、初の接敵。
この時の自分はまだ指揮能力など身に着けておらず、小隊長という立場はただ部隊を取りまとめる者という認識しか持っていませんでした。
前もって戦闘に巻き込まれた際のシミュレーションを行い、的確な指示を下せるように訓練を受けておくべきだったと、今でも後悔しています。
初めての実戦で、いきなり何もかもうまくできる人は稀です。
殆どの人は何かしら行き届かないところがあって、それを反省し後悔し、少しづつ成長していくのです。
それは自分が新米であった時でもそうでしたし、小隊長となった今でも変わりません。
だからせめて、訓練と言う形で前もって備えておくべきだったのです。
初めての小隊長、初めての指揮。
軍人として自分は責任を負うべき立場になったというのに、その自覚を欠いていました。
後方で、ただ治療をしていればよい。
何時間も続けて治療し、目の前の患者さんを治して、戦線に復帰させることだけを考えていればいい。
当時の自分は、本気でそんな程度の職務であると信じていました。
それは、末端衛生兵の考えです。指揮される側の甘えです。
指揮官とは、部隊全員の命を預かる責任者です。
自分はソレを、この最初の戦いで思い知らされることになりました。
それと同時に実は、これはとある人物にとっても初陣でありました。
この時のオースティン軍の殆どが、指揮経験の浅い小隊長で溢れていたのですが。
それと同じように、サバト軍でも初めて前線に出て指揮をふるう人間が1人いたのです。
『そんな作戦は聞いたことがないが』
『そうか、それは良い。なら、敵も想像だにしない作戦だろう』
その人物は若干15歳にして、サバト軍に歴史上でもまれな大勝利をもたらした人物で。
オースティン軍の若き新星『ベルン』率いる南部軍に苦戦していたサバト軍が、駄目元で指揮官に抜擢してしまった「もう一人の天才」。
『南部軍に相対する前哨戦として、まずは老害レンヴェルの首を取っておこう』
後世に史上最低の愚将と揶揄されたシルフ・ノーヴァの、初陣でもあったのです。
この時の彼女は自分達、オースティン中央軍残党に対する迎撃を命じられておりました。
かくして、気温が下がり冬に差し掛かろうとしているこの週に、自分達は久方ぶりに敵兵サバトと相対することになります。
そして。
当時は知る由もありませんでしたが、これが自分とシルフ・ノーヴァの最初の邂逅で。
長きにわたる因縁の、その序章でもありました。