第7話:フルグール孤児院-2
「い……」
死体の山、血の海、臓物の装飾、俺の想定を超えた猟奇的な現場を前にやるべき事は多々あった。
だが、俺の左手を握るクロエリアから伝わってきた気配に、俺の体は反射的に動き出し、クロエリアの姿を視界に収めていた。
「いやあああぁぁぁぁぁ!」
クロエリアが叫び声を上げるのと同時に、クロエリアの全身から黒い何かが……魔糸が溢れ出ようとしていた。
いや、魔糸が溢れ出ようとする事、それ自体はクロエリアが受けた精神的ショックを考えれば別に何もおかしくはない。
問題は魔糸の量。
どれほど少なく見積もっても、30巻き以上……俺の10倍以上の魔糸であり、大量の魔糸を保有する王族すら鼻で笑えてしまう量の魔糸が現時点でも体外に出ようとしていた。
これほどの量の魔糸が力を発揮し始めれば、どうなるのかは学者にだって分からない。
最悪、この場一帯を吹き飛ばす可能性だってある。
「クロエリア!」
「またっ! またなの!?」
そして、魔糸の量はそのまま扱える力の量であり、他の糸使いからの干渉を退ける力でもある。
扱い方を知らなくとも、今のように暴走を始めている状態ならば、関係はない。
つまり、昨日のようにクロエリアに直接糸を放って、動きを止める様な真似は出来ない。
「なんで私の!? 皆が!! っつ!?」
「悪い……」
だから俺は別の手を使った。
クロエリアを抱き寄せ、コートに付いている幾つかの金属片とクロエリアの体を接触させた上で、俺の糸を使う。
するとクロエリアの体が雷に打たれたように仰け反り、二度三度と痙攣する内にクロエリアの魔糸は体内に戻っていき……気絶して崩れ落ちようとするクロエリアの体を俺は抱きとめて支える。
「ふう……何とかなったか」
クロエリアの状態が落ち着いたところで、俺は一度大きく息を吐く。
もしも、あのままの状態で放置されて、暴走が始まっていたらどうなっていた事か……考えるだけでも恐ろしい。
俺が被害に巻き込まれるのは仕方が無いにしても、クロエリアと周囲の人々が被害に遭う事を考えたら、ぞっとするほかない。
「……」
俺は改めてフルグール孤児院の中を観察する。
量が量だけに床に広がった血は乾き切っていない。
だが、天井や傷口の血は既に乾いている。
生きている人の気配はなく、心音に絞っても周囲の建物からしか聞こえてこない。
「犯行は昨晩の内、生存者は無し。動機、人数を探るより先に人を呼んで封鎖するべきだな」
俺は孤児院の扉を閉めると、懐から『ヨル・キート調査局』第七局の管轄である事を示すコインと茶色の紐を取り出して、扉を封鎖。
続けてフルグール孤児院と道の境界部分にも同様の紐とコインを付ける。
これで、第七局の局員である俺の許可なしに敷地内に入ったものは問答無用で捕らえることが許される。
スラムの住民相手にどの程度有効かは分からないが、死体漁りを考える馬鹿は減るだろう。
「よいしょっと」
そうして封鎖が終わったら、俺は一度コートを脱いでからクロエリアを背負い、腰の辺りを軽く紐で結ぶ事で落ちないようにしてから、もう一度コートを着る。
これで俺が全力で走ってもクロエリアにダメージが行くようなことは無い。
「全身強化からの脚部筋肉の集中強化……っと」
俺は自分の体に魔糸による強化を施すと、フルグール孤児院の前から走り出す。
速さは前世における人間の最高速に近い速さ……100メートル10秒ほどの速さだが、魔糸を正しく用いれば何と言う事でもない速さである。
そして、その速さを用いて駆け込んだのは、平時のトラブル解決と治安維持に努める平民集団である衛視隊の詰所。
「はぁはぁ……『ヨル・キート調査局』第七局所属のアストロイアス=スロースだ」
「き、貴族……!?」
「なんでこんなところに……」
「だ、誰か隊長を呼んで……」
衛視隊の詰所には10人ほどの革の鎧を身に着けた衛視が居た。
俺の名乗りと身なりから、俺が貴族だと認識し、見るからに動揺している。
まあ、衛視隊は基本的に平民であるから、これについては当然の反応だ。
「緊急事態だ。スラム街のフルグール孤児院で大量殺人事件があった。院長と思しき男性に子供たちが殺されていて、生存者は居ない。犯人は逃走済みだ」
「「「っ!?」」」
俺の言葉に衛視たちは驚きつつも背筋を正し、目に真剣みを帯びさせ始める。
「この詰所の隊長は?」
「私がそうです。アストロイアス様」
壮年の不精髭を生やした男性が俺の前に出てくる。
「よろしい。ならばまずは現場の封鎖を貴方と他3名ほどで行ってほしい。私がフルグール孤児院に戻るまで、敷地内に平民を入れないでほしい。フルグール孤児院の場所は分かるか?」
「かしこまりました。場所についても分かっていますのでご安心を。付いてこい、お前たち」
「「「はっ!」」」
手慣れた動きで武装した隊長と部下たちが詰所の外へと飛び出していく。
これで現場の保全は大丈夫だろう。
「次に羊皮紙を二枚と、書くための道具を此処に」
「こ、こちらになります」
年若い衛視が俺の前に筆記用具一式を持ってきてくれたので、俺は急いで伝達事項を書きこんでいく。
内容は単純。
『フルグール孤児院にて大量殺人事件が発生。院長、孤児たちが皆殺し。犯人は逃走済みだが、複数かつ糸使いの可能性がある。『ヨル・キート調査局』第七局局員アストロイアス=スロース』
と言うもので、片方は末尾に『至急、調査官の派遣をお願いしたい。』と言う文言を加えておく。
そうして書き上げたところで丸めて、茶色の紐でとじ、表から見える部分に『緊急』の文字を記しておく。
「残ったものの中で足が速い者を二人」
「自分がそうであります」
「は、はいっ!」
「よし、ならば二人一緒に行動して、この羊皮紙を『ヨル・キート調査局』第六局と第七局、それぞれに届けてほしい」
「「かしこまりました!!」」
俺から羊皮紙を受け取った年若い衛視たちが詰所の外に駆け出していく。
これで俺の上司にも、本来の担当になるであろう第六局にも情報は伝わった……はずである。
うん、俺が第七局であっても、流石に緊急の要請なら大丈夫なはずだ。
「残りの者は詰所で待機。普段通りの業務をしていて構わないが、こちらからの呼び出しがあった場合には迅速に対応してもらえると助かる」
「「「受け賜わりました!」」」
そうして指示を出し終えた俺は詰所の外に出ると再び駆け出し、フルグール孤児院へと戻っていった。