第6話:フルグール孤児院-1
翌朝。
4月第1黄の日。
俺は目覚めると直ぐに食堂に向かい、二人分の食事を用意してもらう。
俺一人だけで現れて、二人分の食事を頼んだことから、予定通りの視線を受けることになったが……まあ、問題は無いだろう。
そう思わせておいた方がちょっかいをかけてくる連中は減る。
面倒くさい揶揄は増えるだろうが。
「お、おはようございます。アストロイアス様。その、侍女になると言った矢先に先に眠ってしまった挙句、起きるのも遅くて、ベッドも使っていて……」
「問題ない。昨日はまだお客様だからな。侍女としての立ち振る舞いは少しずつ覚えて行けばいい。糸の扱い方に比べれば優先度も低いしな」
「あ、ありがとうございます!」
暫く待ってクロエリアが目覚めたところで、昨日とは違い、椅子に座って、机の上に乗せた朝食を一緒に食べる。
本来ならば侍女と主人が一緒に食事をするのもあってはならない事なのだが、その辺は全部後回しでいい。
今の第一は今後クロエリアを俺の手元に置いておくために必要な処置を取る事で、第二も魔糸の扱い方を覚えさせる事。
侍女としての立ち振る舞いはその後や合間の時間に支障を来たさない程度に教えて、クロエリアの身に災いが降りかからない程度に学んでくれれば、それで十分だ。
「さて……子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。どれも問題ないな」
食事を終えた俺は身支度を整え始める。
衣服を身に着けた上から特製ホルスターを着用、12本のサイズが違う金属製のナイフを手入れに問題がないことを確かめた後に定位置へと収めていく。
そして、その上から金属片の付けられた革製のコート、帽子、靴、財布、仕事に必要な道具を身に着けていく。
で、最後に右手人差し指に黄金色の鱗が敷き詰められたような指輪が填まっている事を確認して、準備完了である。
「その……アストロイアス様はどうしてそんなに沢山のナイフを?」
「んー、簡単に言ってしまえば、これが一番俺と相性のいい武器だからだな」
クロエリアは……昨日、俺が連れ帰った時の服装だ。
出来れば今日中には買い替えてあげたいところではあるな。
「さて行くぞ。まずはフルグール孤児院だ」
「……。はい」
覚悟を決めたように発せられたクロエリアの言葉を聞いた俺は局員寮を後にすると、王都の端、スラムの中に存在しているフルグール孤児院へと向かう。
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「クロエリア。先に言っておくが、お前はこの先出来るだけ口を開くな」
「どうしてですか?」
スラムは王都の端、平民街と城壁の間に存在している。
当然ながら治安は悪く、土が剥き出しの道を行き交う人々の身なりもそれ相応の物。
石造りの建物の壁にはひび割れや破損が目立ち、違法建築感丸出しの木造家屋も多いし、倒壊したままの建物も見かける。
道路には平然とゴミと糞尿が転がっていて、朝っぱらから酒に溺れた大人が道で横になっていたりもするし、物乞いの類は俺の方へと慈悲を欲するような目を向けている。
だが、これでも今はまだ表の方だからマシな方で、裏の方に行けばもっと治安も身なりも悪くなるだろう。
そして、そんなスラムの中では俺の整った姿はかなり目立っていると言えた。
「お前も知っているだろうが、フルグール孤児院の院長には、色々と碌でもない繋がりがある。その中にはお前が魔糸を使える可能性があると知れば、大枚をはたいて……いや、麻爵の三男坊程度を消す程度の手間ならいとわずに、お前を手に入れようとする者も居るだろう。で、そう言う連中の下に行ってマトモな生活が送れると思うか?」
「思えません」
「だから黙っていてくれ。奇矯な貴族が適当な孤児をいちゃもんを付けて安く買いに来た。ぐらいに思わせておきたい。今後の俺とお前の安全の為に」
「分かりました」
まあ、目立っても問題は無い。
馬鹿な貴族が奴隷のように使える孤児を買いに来たと思ってもらえた方が好都合なのだから。
そして、そんな馬鹿な貴族が相手であっても、貴族と言うだけで喧嘩を売る奴は居ない。
糸を使えない人間がダース単位で突っ込んできても、返り討ちにあうだけだからだ。
「ああそれと、フルグール孤児院で回収しておきたいクロエリア個人の物や、話をしておきたい友達は居るか?」
「物は……何も無いです。あの孤児院に私の物としてあったのは、今身に付けているものぐらいですから。友達は……友達と言うよりは仕事仲間だったので。お互いの為にも会わない方がいいと思います」
「そうか」
どうやらフルグール孤児院の状況は俺が聞いていたよりも更に悪いらしい。
クロエリアの表情は明らかに暗くて硬い。
ただ、孤児院含めて街のアレコレは『ヨル・キート調査局』の中でも第六局の管轄、貴族関係は第一局で、財務関係は第二局だ。
直接の関係を持つことにならない限り、俺には手出しできない領分である。
だから、関わる事は出来ないだろう。
「此処だな」
「はい」
そうしてしばらく歩いていると、周囲を妙に堅固な石の塀に囲まれた、石造りの大きな建物が俺たちの前に現れる。
この世界の常として表札の類は無いが、此処がフルグール孤児院だ。
「さて、院長は何処に……」
俺は院の敷地内に足を踏み入れようとした。
しかし、そこで気づく。
孤児院の正面扉である木製の扉が微かに開いていると共に、微かではあるが鉄臭い臭いが混ざっている事に。
朝早い時刻であるにも関わらず、声一つ聞こえてこない事に。
「アストロイアス様?」
無意識に俺はクロエリアの前に手を出して、それ以上進まないように抑えていた。
意識は糸を使って、自分の感覚を強化する事に専念していた。
「クロエリア。最悪の形で交渉相手が居なくなったかもしれない」
「……」
孤児院の中から生きている人の気配がしない。
全てのものが止まっている感覚しかしない。
「ツラい物を見るかもしれないが、お前を一人にしておくわけにもいかない。付いてきてくれるか?」
「分かり……ました」
俺は左手でクロエリアの右手を握りつつ、何時でも逃げ出せるように気を付けながらフルグール孤児院の半開きの扉に手をかけ、開ける。
そして扉の先で見たのは……
「本当に最悪の形だ」
「そんな……」
首に大きな傷を負って事切れている老人の死体であり、血で染め上げられた室内であり、様々な方法で殺された子供たちの死体の山だった。