第59話:バグラカッツ捜索-4
「ご主人様」
バグラカッツを追って走り始めてから十数秒後。
クロが追い付いて、俺の背後から声をかけてくる。
「バグラカッツの仲間たちは?」
クロの体に傷一つないどころか、身に付けている衣服にほつれ一つ見当たらない事と、戦闘中に聞こえていた音からだいたいの事は察せるが、それでも万が一はあり得るので、俺はクロに状況を尋ねる。
「第六局の皆さんと衛視の方々が応援に来てくださって、捕まえる事が出来ました」
「クロ自身は?」
「ご主人様に言われた通り、全身強化を欠かさなかったので、傷一つありません。ただ……」
「ただ?」
クロが少しだけ俯く。
その動きに俺は、クロがアチラで手加減を間違えてしまったのかと思った。
だから、言いたくなければ言わなくていいと告げようとしたが……それよりも早くクロが口を開く。
「私の全身強化を見て、第六局の方々が口々に言ってました。『アストがまたやらかした』『アストの奴がまた常識を蔑ろにした』『アストいい加減にしろ』とか、そんな感じの事を。割と諦めた感じで」
「何だいつもの事か」
どうやらいつもの事だったらしい。
「いいんですか、それで」
「いいんだよ、それで。有り得ない事だと思って考える事を止めた奴に言う事は何も無い。きちんと正面から質問されたら答える気はあるしな」
「そうですか……」
俺の魔糸の使い方は前世の知識に基づいて、物の構造をきちんと理解し、物理法則に可能な限り従って動かす事で効率を上げているに過ぎない。
つまり、もっときちんとこの世の事を学べば、誰だって俺と同じ……とまではいかなくとも、もっと魔糸を扱えるようになるのは確かなのだ。
だが、俺の魔糸の使い方が広まるのは……俺自身の平穏を危ぶめる結果に繋がるのが目に見えている。
だから、学ぶ気が無いものは放置する、それでいいのだ。
「それでご主人様は?」
「見ての通りだ。バグラカッツを逃がして、いまは臭いで追跡してる……と、建物の上を移動し始めたな」
俺は素早く建物の窓などを利用して、屋上まで跳び上がる。
クロは……一足飛びで上がってきたか、魔糸の量の差がモロに出ているな。
「バグラカッツは身体強化持ちなんですか?」
「いや、自分の魔糸の適性の応用だな。体内の水を操る事で高速移動しているようだ」
「そんな事が……」
「出来る。人間の体の6割は水だって言われているからな。あの感じだと、相手の体に直接魔糸を繋げる事が出来れば、そのまま相手の体を押し潰す事も出来るだろう。近接戦闘に限れば、普通の羊爵と同等かそれ以上の実力者だと思っていいレベルだった」
「つまりスレブミト羊爵よりも……」
「直接戦闘能力に限れば上だろうな。俺だって二度も虚を突かれた上に肋骨を数本、真正面から折られたからな」
姿は……ようやく見え始めたか。
視力強化をしていてもかなり小さいが。
と、こっちの存在に気付いたのか、建物の下に降りやがったな。
「肋骨!? あのご主人様……傷の方は……」
クロが驚いた声を上げる。
どうやら、俺の走り方から、大きな怪我の類は無いと思っていたらしい。
「心配しなくてももう治した」
「治したって……」
「骨の位置を調整して、自己修復能力を高める形で強化を施せば、治療自体は案外簡単なんだよ」
「痛みとかは……」
「そんなの自分の状態確認が終わった時点で抑制済みだ。治療中は致命傷に繋がりかねない痛み以外は消しておかないと、手元が狂うからな」
「ええっ……」
俺もクロも建物の下に飛び降りると、そのまま後を追い続ける。
だいぶ大きな通りなので、夜なのに人がかなり多い。
と、酒か何かを被って臭いを誤魔化し始めたか?
だが甘い、識別能を上げている俺の鼻を相手に、臭いの種類を増やす方法は通用しない。
「何と言うか、ネーメリア様の言っていたご主人様は魔糸に関しては魔物以上に理不尽。と言う言葉の正しさが分かった気がします」
「そうか?」
「そうですって……」
もうじき平民街を抜けて、貴族街に入るな。
一体どこへ……いや、まさか、その選択肢を此処で選ぶのか?
確かに、自分のアジトや下水道に逃げるよりも更に逃げ切れる可能性は高いかもしれないが……。
「ご主人様?」
「急ぐぞ。乱戦になると、どうしても取り逃がす可能性は高くなる」
「乱戦ってどういう……」
俺とクロは貴族街に入る。
そして、俺とクロが向かう先にある屋敷からは……微かであるが喧騒が聞こえ始めていた。
「ご主人様!」
「バグラカッツめ。スレブミト羊爵の屋敷に逃げ込んだな」
「でも、その屋敷って今は……」
「そうだ。ディックたちが夜会に合わせてスレブミト羊爵を捕らえようとしている場だ」
スレブミト羊爵の屋敷前に辿り着く。
そこでは調査局の局員と思しき男性が二人、太ももの辺りを抑えて倒れている。
「うぐっ……お前は……」
「アストロイアスか……」
「すみません。バグラカッツを取り逃がしました。奴は?」
俺は素早く魔糸による止血を行う。
同時に男性は二人とも屋敷の中を指差す。
「ありがとうございます。行くぞ、クロ」
「はい」
そして俺とクロはスレブミト羊爵の屋敷の中へと駆け込んだ。