第53話:アストの副業-5
「さて、クロ。先に言っておくが、気分が悪くなったら直ぐに部屋の外に出るように。間違っても我慢はするな」
「大丈夫です。もう見慣れましたから」
食後、俺とクロは『エクスキュー収容所』の一角に存在している遺体安置所の前にやってきた。
普段ならば獄死した死刑囚の死体を一時的に置いておき、何故死んでしまったのかを探るなど、色々とやる部屋である。
が、現在部屋の中にあるのは先程俺が処刑した死刑囚の死体である。
「いいや、クロは慣れていない。クロが慣れたと思っているのは殺人事件の現場であって、死体解剖の場じゃないからな。だから改めて言うぞ。気分が悪くなったら直ぐに部屋の外に出て、我慢はするな」
「……。分かりました」
クロにしてみれば、どちらも人間の死体であって大差などないと言う認識なのだろう。
確かにどちらも人間の死体と言う点に変わりはないが……殺人現場は何処かの誰かによって人が殺された場であるのに対して、解剖現場と言うのは己の欲求を満たすために死体を切り刻む場。
穿った見方ではあるが、全くの別物である。
まあ、こればかりは経験しなければ分からないか。
「では行くぞ」
俺は扉を開ける。
明かりがなく、採光の為に設けられた細い窓にも虫よけの木戸が張られているため、部屋の中は非常に暗い。
部屋の中にこもった臭いはまだ清らかな物。
部屋の中心に立てられた木製の台の上にはシーツが敷かれ、その上には首が切り離された死体が置かれている。
「遺体を俺の手に委ねてくれたことに感謝を。お前の次の生が……あー、多少はマシなものになる事を祈っている」
俺は死体の横に立つと、祈りを捧げる。
「祈るんですか? あんな大罪を犯した犯罪者なのに」
「犯罪者か……」
するとクロが俺の事を咎めるように口を出す。
まあ、確かにコイツは強盗強姦殺人の犯人である上に、それを反省している様子も見られなかった。
死刑になるべくしてなったような男ではある。
だがしかしだ。
「生前のコイツは確かに犯罪者だな。だが、犯した罪の代償として死刑が言い渡され、刑は執行された。その時点で罪は濯がれている。被害者に縁がある者が恨み言を言うならばまだしも、刑を執行した当人である俺が恨み言を言い、生前の約束を違えて祈らないのは筋が通らないだろう」
それは筋を通さない理由にはならない。
「約束ですか」
「ああそうだ。遺体を解剖して調べるのを許してもらう代わりに、きちんとした弔いを行う事を約束している。大抵の死刑囚は墓にすら入れないからな」
「約束なんて守る必要があるんですか? もうこの人は死んでいるんですよ?」
「あるさ。己の欲を満たすために許しもなく死体を刻んでいたら、ただの獣か墓荒らし。俺はそんなものにはなりたくない。ま、傍目には綺麗事を言っているように見えても、詰まる所はそう言う事なんだよ」
「……」
俺は部屋に明かりを灯し、木戸を開けると、解剖前の死体の様子を出来る限り詳細に書き記していく。
当然、年齢、身長、体重、と言った個人情報に加えて、生前に抱えていた持病があればその辺もだ。
「そろそろ始めるぞ」
「はい」
普段から身に付けている12本のナイフに魔糸を繋げて宙に浮かせる。
「さて、今回の解剖の目的だが、俺にとっては半分くらいおさらいだ。だが、それでも自分の知識や記憶に間違いが無いかを確かめるためにやる。クロは横で見て、見れる範囲で学んでくれればそれでいい」
「分かりました」
12本の長さが異なるナイフの内、中間ぐらいの長さのナイフを死体の首に当てる。
さて、解剖と言ったが……実のところ、これもまたその道のプロに言わせれば、真似事の範囲だろう。
魔糸による強化もあって、人の骨くらいは難なく断てるし、刃を深く入れ過ぎて内臓を傷つけるような真似はしなくなったが、正しい手順の類は知らないからな。
「人の体内には様々な臓器がある。これらはそれぞれに異なる役目を持っている」
「っつ……」
俺は死体の胸から腹までを切り裂き、首と股間の辺りに切れ込みを入れる事で、身体の前面を開けるようにする。
そして、何本かのナイフを操って内臓を露わにする。
すると殺人現場ほどではないが血の匂いが辺りに立ち込め、クロが僅かにだがえづく。
「順番に説明しよう。胃、食べたものを胃酸によって消化する場所だ」
五臓六腑を簡単な説明を加えつつ、順番に説明していく。
胃、小腸、大腸、肝臓、肺に心臓……コイツは男なので存在しないが、女性ならば子宮がある事もきちんと説明する。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。その……思ったよりは血が出ていないのもあって」
「まあ、そこは色々と細工をしているからな。なんにせよ、大丈夫そうなら続けるぞ」
ちなみに、解剖を行う前に魔糸を利用して心臓を動かし、死体からは可能な限り血を抜いてある。
それと、俺のナイフが電気を纏っている関係なのか、ゆっくり切ると切った部分の細胞が焼けて血が出づらいようだった。
「そうそう、分かっているとは思うが、内臓の部分強化はまだやるなよ。知識もなしにやった場合は、感覚器の部分強化以上に危険だからな」
「と言いますと?」
俺は胃袋に魔糸を繋げて、胃酸の消化作用だけを強める。
すると胃酸は胃を瞬く間に溶かし、死体の胃を見るも無残な姿に変える。
「人体は案外適当な部分もあるが、それと同じくらい繊細な部分もある。かなり危ういバランスの上で成り立っているんだ」
「……」
「特定の部位、特定の機能だけを強化するのは、そのバランスを崩す行為だ。そして、バランスが致命的に崩れれば……人はあっけなく死ぬ」
「だから何に付けてもまずは全身強化、なんですね。バランスが崩れないようにするために」
「そう言う事だ」
俺は胃の形を出来る限り整えると、死体の内臓を元在った場所に帰していき、その後に腹の傷も塞ぐ。
「じゃあこれで……」
と、何故かクロが扉の方へと移動しようとする。
「何を言ってる? まだ解剖は終わってないぞ?」
「えっ?」
なので俺はクロを引き留めると、死体の頭と腕を掴む。
それと蓋を付けられた鉄製のバケツもナイフで小突いて存在を示す。
「あのご主人様? その……終わっていないと言うのはどういう……」
「まだ、目も耳もやっていなければ、人の腕の断面だって見せていない。ついでに血液と言う物の正体だってな」
「ちなみに時間は……」
「んー、あー、埋葬もあるしな。まあ、とりあえず明日の朝はエクスキュー麻爵家から直接第七局に向かう感じにはなるな」
「……」
「あ、気分が悪くなったら素直に部屋の外に出るように。無理は良くないからな」
「わ、分かりましたー……」
俺はその後も死体の解剖を続け、その姿を自分の脳裏に焼きつけていく。
そして、すっかり日が暮れて、ネーメが止めに入ったところで諦めたのだった。
なお、クロは気が付けばネーメに介抱されていた。
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