第49話:アストの副業-1
翌日、4月第2青の日。
朝食を摂った俺とクロは、クロに革と木で作られた立派な鞄を持たせて局員寮を出た。
向かう先は第七局……ではない。
「副業、ですか」
「ああ、前々から今日はその予定だったんだ。だから、今日はそちらに向かう」
「事件の捜査の方はいいのですか?」
「よくはない。ただ、副業の方も世間に色々と影響を与える仕事でな。こっちの仕事を抜くのも、それはそれで問題があるんだ。だから、総合的に判断して今日は副業の方に向かう」
『ヨル・キート調査局』の局員は自分が所属している局の局長の許可があれば、局員としての仕事以外の仕事……所謂、副業を持つことを許されている。
勿論、優先されるべきは本業である局員としての仕事であり、副業をする以上は本業で得た情報は漏らさないのは当然の事、副業で得た情報を本業で生かすくらいの気持ちは必須であると言ってもいい。
「なるほど。総合的にですか」
「総合的にだ。社会情勢に情報収集、金銭、それとクロの魔糸の訓練にも役立つ話がある。まあ、俺の趣味と言うか個人的に必要としている物が得られる場でもあるな」
「私の魔糸の訓練に役立つですか?」
「ああそうだ」
俺とクロはヨリート河を左手に眺めながら、石畳の敷かれたしっかりとした道をゆっくりと歩く。
「そもそもの話として。魔糸による強化や操作と言うのは、何も考えずに無制限にやるものではなく、可能な限り物理法則に則り、対象の構造や組成を理解した上で行うべきものなんだ。効率が目に見えてよくなるから」
「物理法則?」
「物が地面に落ちる、勢いよく転がった球が中々止まらない。もっと簡単に言ってしまえば、この世の物の動き方を決めているルールだと思ってくれればいい」
「えーと、分かったような、分からないような……」
「うんまあ、物理法則そのものについてはその内別に教える」
物理法則の話は……流石に厳しいか。
まあ、俺自身の理解度も低い領分だからな。
その内、実例に基づいて説明する形で、少しずつ教えよう。
「とりあえず今は、魔糸を使って物を動かすなら、魔糸なしでもそう言う風に動く方が自然な動きにした方が効率良く動かせる事。そして、魔糸を繋げる物がどんな物であるか正しく認識している方が、何をするにしても効率がいいと言う事を覚えておいてくれればいい」
「どんな物であるか……ですか?」
「そうだなぁ……」
俺はヨリート河の水を見る。
そのまま飲む事は出来ないが、前世の知識でドブ川と呼ぶような水でもない水だ。
うん、例としてはちょうどいいか。
「例えばだが、クロの目の前に正体不明の液体があるとしよう。色も臭いも分からないぞ。ただ、液体であると言う情報しかないんだ」
「はい」
「さて、液体と言われてクロはどれだけの種類を思い浮かぶ?」
「……。水は当然ありますよね。血も液体ですし、油もそうですよね。インクに酒、酢なんかもありますか? あ、酒は酒ですけど、エール、ビール、果実酒だと全くの別物ですし、果実酒でもワインがあって、白ワインと赤ワインがありますよね。って、もしかしてご主人様……」
「そうだ。液体と言う情報だけだと、そんなに種類があるんだ。そして、水を動かすつもりで油を動かそうとしたら……目に見えて効率が悪くなる。普段なら自由自在に動かせるのに、殆ど持ち上げる事も出来なくなったりするんだ。その逆もまた然りだな」
まあ、当然の話だろう。
水にしか適性のない魔糸で、疎水性の物質である油を動かそうとして動かせるわけがない。
そもそも液体と言うだけなら、クロが挙げた以外にも水銀、酸、溶融した鉄等々、何でもありと言っても過言ではないしな。
「そんなにですか……あ、もしかしてご主人様は……」
と、クロが何かに気付いた様子で俺の方を見る。
どうやら、俺が普段この知識をどう生かしているのかに気付いたらしい。
「そうだ。俺の身体強化は、強化する先の構造を正しく理解しているからこそ、適性がないにも関わらず、強力なものになっているんだ。それこそ感覚器系の強化なら、身体強化に適性を持っている綿爵よりも遥かに強力なレベルだな」
「そんなに効率が良くなるんですか」
「なるんだ」
実際、俺の事をよく知らない人間からは、俺の魔糸の適性は金属と身体強化の二種類であると思われているらしい。
つまり、そんな誤解を受ける程度には知識の有無による効率化の影響は大きいと言う事だ。
「この事って貴族の間では……」
「感覚的に把握している奴は居る。王家なんかは理論的に把握しているだろう。学園の教授たちは……半々? いや、もしかしたら半分も居ないかもな……あいつら別に学究の徒じゃねえし」
「とりあえず黙っておきます」
「まあ、そうしておいた方が無難だな。広めるなら上から順々に広げた方がいい知識。下手に話したらヨリート河に浮かばされかねない」
「……。絶対に黙っておきます」
なお、魔糸使いにとっては極めて重要な知識のはずなのだが、どうしてか知らない貴族は多い。
恐らくだが、魔糸は現状でも十分な火力を発揮できるから研究が進まないのと、魔糸の量がそのまま実力になると言う階級構造を崩したくない思惑などが複雑に絡み合っている話なのだろう。
とりあえず俺としては身内以外に教える気はない。
「でもご主人様。そうなるとご主人様は何処かで人の体についてとても詳しくなったと言う事になりますけど……」
さて、そろそろ目的地か。
「あ、はい。それでご主人様は『死体屋』で、ネーメリア様とお知り合いで、副業に繋がるんですね」
「そう言う事だ」
俺とクロの前にそびえるのは、コンクリートのようなもので固められた強固な石の壁で四方を囲われるだけでなく、ヨリート河からの水を引き込んで堀のようにした砦のような建物。
建物の前の広場には木で出来たお立ち台のようなものが置かれていて、処刑と言う名のショーを見に来た群衆で既に賑わってきている。
「此処の正式名称は『エクスキュー収容所』。エクスキュー麻爵家が管理する死刑囚の収容する場であると同時に、処刑を行う場所だ。さあ、行くぞ」
「……。はい」
そして俺は群衆に背を向けて、『エクスキュー収容所』の中にクロと共に入っていった。