第41話:嗅ぎ分ける-2
「そこをどけええぇぇ!」
物取りと思しき男は、大きな麻袋を左脇に抱え、右手に短剣を持った状態でこちらに走ってきている。
男の足の速さは中々のもので、衛視たちが追い付くにはもう暫くかかるだろう。
また短剣を持っている事もあって、道を行き交う人々は慌てた様子で左右に飛び退くと共に、男の逃走を見る事しか出来ないでいる。
「ご主人様!」
クロが叫ぶ。
その目は俺に男を止めろと言っている。
ただ、男は俺たちから多少離れ場所を横切るため、向こうから寄ってこない限りは目に見える動作をする必要があるだろう。
それは今の俺たちの目的からすると良くない動きだ。
「おっと、危ないな」
「ひゃっ!?」
だから俺はクロを掴むと、男から逃げるようにその場から引く。
そして引いた先で足裏から地面の中へと魔糸を伸ばし、地中を進ませ、男の次の一歩が置かれる地面に魔糸の先端を僅かに出す。
それこそ魔糸使いであっても俺が魔糸を使っているとは分からないように。
「邪魔をす……ぎぃあ!?」
直後、俺の魔糸を男は踏みつけ、それと同時に俺の魔糸と男の血液が繋がり、男の全身に電撃が走る。
すると男はまるで足がつったか、あるいは地面の凹凸か小石にでも躓いたかのようにその場に倒れる。
「捕まえろ!」
「確保ぉ!!」
当然、衛視たちも住民たちもそれを見逃すようなことは無く、即座に男は取り押さえられ、抵抗する気力がなくなるまで容赦なく殴られるし蹴られる。
「ははは、あんなところですっ転ぶだなんて間抜けな奴だ。行くぞ、クロ」
「あ、はい……」
こうなってしまえば後は平民同士の揉め事。
わざわざ第七局の局員である俺が出向く意味は無いと言うか、出向く方がトラブルの種になる。
と言う訳で、俺はクロを連れて、笑い声を上げながら再び歩き始める。
「ご主人様。今のはご主人様の仕業ですよね。いいんですか? 自分の手柄にしなくて」
「問題ない。てか、それよりも重要な事がある。見つけたぞ」
クロは捕らえられた男の方を何度か見つつも俺に付いて来て、質問をしてくる。
だが俺は今の騒ぎの中で一人違和感のある人間を見つけていた。
「え? 何処に……」
「場所は教えない。相手に気取られるからな。だが、こいつは間違いなく当たりだ」
そいつは今の騒ぎの中で、他の住民たちと同じように道の脇へと飛び退いていた。
しかし、その時の身のこなしが明らかに戦い慣れたものだった。
加えて、懐には物音が鳴らないように工夫を施した短剣を忍ばせていて、何時でも引き抜けるように手を向かわせていた。
物取りが自分に興味がないことが分かった時点で、普通の平民のような動きに変わったが、俺の目は誤魔化し切れなかったようだ。
「本当ですか?」
「ああ、間違いない」
勿論、これだけならば、たまたま休日を謳歌していた衛視や傭兵、そうでなくとも偶然巻き込まれた湿地方面の人間であり、バグラカッツの部下でない可能性の方が高い。
けれど、そいつ……ごく普通の平民の格好をした男とすれ違った瞬間に嗅いだ臭いはチットウケ家、ノマーキナイ家で嗅いだ覚えのある臭いであり、僅かにだが血の臭いとワインの臭いも混ざっていた。
極めつけにその男は俺とすれ違った直後に何件かの建物の様子を窺った後に路地裏へと静かに消え、路地裏に消えた後は周囲に対して異常な警戒感を示しつつ移動を続けている。
「とまあ、こんなところだな」
と、そんな説明を男が路地裏に消えた時点からクロに対して始めたわけだが……。
先程もされた理屈は分かるが理解は出来ないの顔である。
そんなに訳の分からない事をしている覚えはないのだが、酷い話である。
「……。それでご主人様。その男の跡は追えていますか?」
「今のところは。だが、これ以上は追わない方が良さそうだな。これは」
「と言いますと?」
「相手の尾行警戒がかなり手慣れていて、今は下水道に入ったところだ。これ以上となると目視で追うしかないが、目視で追ったら確実に追跡がバレる。そうなったら……」
「逃げられる、ですか」
「そう言う事だな」
尾行……と言うか音による追跡は振り切られた。
俺程度の身体強化では追える範囲は限られているので、これについては仕方が無い。
しかし、相手を探る糸が切れたわけではない。
「だったら、何処で何をしていたのかを臭いで遡るだけなんだけどな」
「なるほど」
俺は男の今日の行動を振り返るように臭いを辿っていく。
そうやって辿っていくと……
「この店の前を時間を分けて、別の進路から何度も通ってるな」
「ジヤスキナイ商会……ですか」
一つの高そうな店の近くに辿り着く。
店の屋号はジヤスキナイ、マトウニク羊爵領の商品を中心に取り扱っているようだ。
それと昨晩噂で聞いた通り、連続強盗対策なのか傭兵を雇って周囲を固めさせている様子も見える。
「行くぞ、クロ」
「警告の類とかはしなくていいんですか?」
「これだけしっかりと警備をしているなら、確証がない状態での警告は無用だ。それよりも裏を取ってから、襲われる可能性があるかをきちんと探った方がいい」
俺とクロはジヤスキナイ家の前を通り過ぎると、そのまま男の道のりを遡っていく。
だがしかしだ。
「駄目だな。俺の鼻だとこの辺りが限界だ」
平民街とスラム街の境界あたりで俺が辿れる臭いの濃さではなくなってしまった。
どうやらここまでらしい。
「なら私が……~~~!?」
そしてクロは再び悶絶した。
まあ、嗅覚強化なしでも臭いと感じ始める頃だしな、この辺は。
「止めておけ。って遅かったか。知識なしで感覚系の強化は危ないから止めておくように。まずは全身の強度維持と調整が出来るようになってからだ」
「はい……」
俺はクロを抱えると、第六局に移動。
そうして第六局にジヤスキナイ家とマトウニク羊爵、その二つとスレブミト羊爵の関係性について尋ねた後に、局員寮に帰った。
で、第六局によれば……マトウニク羊爵とスレブミト羊爵は特産品の都合上、仲が極めて険悪であるとの事だった。