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第36話:貴族名鑑-3

「バグラカッツ=ハイプアク……この男が皆を……」

 クロの目に剣呑な輝きが宿り、感情に合わせるようにほんの僅かにだが黒紫色の魔糸が身体から漏れ出る。


「落ち着け、クロ。まだコイツだと確定したわけじゃない」

「でも……」

「今はまだ、コイツなら、スレブミト羊爵と繋がりを持っていて、俺が想定した魔糸の使い方を出来ると言うだけだ。それで犯人とするのは無理があるのを通り越して、ただの横暴。冤罪を生むことにしかならない」

「……」

「そして、もしも本当に冤罪だったのなら、真犯人は高笑いする事だろう。もう自分は捕まらない、無能な連中のおかげで気兼ねすることなく次の犯罪に移れるってな」

「くっ……」

 だから俺はクロを抑えるような言葉を発した。

 クロが暴走すれば犯人を捕まえるどころではないし、犯罪内容と捕まえた後の刑罰を考えたら冤罪は絶対に許すわけにはいかないからだ。


「よう親友。調子はどうだ?」

「ディックか」

 と、ここで何時の間に資料室に入ってきたのか、ディックが数人の従者を連れて俺たちの下にやってくる。

 なので俺はバグラカッツについて記された巻物をディックに見せる。


「怪しいのは見つけた。名前はバグラカッツ=ハイプアク。元麻爵。爵位を失う前からスレブミト羊爵に仕えていて、今もスレブミト羊爵領の田舎を居留地として指定されている」

「ほう……」

「性別は男。年齢は42。身長は177センチ。茶色の髪に青い目で、魔糸の色は青。魔糸の適性は水で、射程は1メートルほどだが、対象とした水に高圧力をかける事で、水球内の物体を圧壊させる使い方を得意としている書いてあるな」

「ふむふむ」

 ディックは感心した様子で俺の言葉を聞いている。

 恐らくだが、自分の持っている知識や情報とすり合わせて、俺の言葉が正しいかどうかを判断しているのだろう。


「あの、すみません。質問をよろしいですか?」

 と、ここでディックの従者の一人、先日平民街で平民に変装できていなかった人物が片手を上げて、発言許可を求める。


「どうした? グルボミット。疑問があるなら言ってみろ」

「いえ、単純な疑問なのですが、麻爵如きに金属の錠を水で切断する事が可能なのですか? 第五局の友人に今回の件が可能か試算をしてもらったところ、羊爵か絹爵相当の力が必要と言われたのですが」

「ああ、その事か。どうなんだ? 親友」

「え、どうなんですか? ご主人様」

 グルボミットと言う名前の従者の言葉は正しい。

 真っ当な方法で水によって金属の錠を切断しようと考えたら、それぐらいの力は必要だろう。

 そして、その方法では錠は破壊できるだけで、あんな綺麗な切断痕にはならない。


「可能か否かで言えば、バグラカッツには可能だよ」

 俺は右手から数本の魔糸を出すと、掌の上に球を作り出す。


「研磨剤……そうだな、硬い水晶の粉末なんかを混ぜ込んだ水を球形にまとめた上で、全方位から圧力をかけるんだ」

 魔糸の球が周囲の空気を球の中へと取り込んでいき、風船のような状態になる。


「そして、球の一点だけ圧力を下げる。すると、こんな感じに勢いよく球の中の物が噴き出すんだ。球から噴き出した後の速さが十分なら、これ以上の操作は必要ない」

「うわっ」

「風が……」

「なるほど。分かり易いな」

 俺は球を形成している魔糸の一点だけを緩める。

 すると球の中に集められた空気はその一点から勢いよく抜けていき、資料室の空気を僅かにだが乱す。


「バグラカッツの適性は水。しかも資料を見る限りでは元からこういう使い方を得意としている。思いつきさえすれば、十分に可能だろう」

「「「……」」」

 これでもしも俺の球の中にあったのが研磨剤入りの水だったら、もしもかけている圧力がもっと強ければ……まあ、水圧カッターのような使い方は出来る事だろう。


「ちなみにどれくらいの速さと射程を持っていると親友は考えている?」

「……。最大限に想定するなら、速さは音の数倍、射程は10メートルは最低でもあると見るべきだと思う。フルグール孤児院の孤児院長を殺したのもこれだろう。正確な値は分からないが、警戒はするべきだな」

 ディックの従者たちが顔を見合わせている。

 どうしたのかと思ったのだが……。


「なんでこんなの思いつくんだ……」

「そりゃあ『死体屋』だからだろ。『死体屋』と言えば……」

「ああそうか、死体の解剖で禁忌の知識を……」

 俺に関する話の一つを囁き合っていた。


「親友よ」

「事実だから問題は無いだろ。止める必要もない。それよりも話を進めていいか」

「まあ、親友がそう言うのなら俺は止めないが」

 ま、死体の解剖で知識を得て、魔糸のより効率のいい使い方を見出しているのは事実だから、的外れな話ではないな。

 得ているのは禁忌の知識でもなんでもないし、今回の水圧カッターの基は前世の知識からだが。


「さっきも言ったが、爵位を失う前からバグラカッツはスレブミト羊爵に仕えていて、爵位を失った後もスレブミト羊爵領に住んでいる。スレブミト羊爵との接触は容易だろう。従軍経験に盗賊の討伐経験なんかもあるから、人も問題なく殺せるはずだ」

「そして、元爵位持ちだから、スレブミト羊爵にしてみれば、簡単なエサで釣れると言う事か?」

「いや、そもそもの爵位を失った理由が、スレブミト羊爵領から勝手に糧食を持ち出して第二王子に売却し、利益をむさぼっていたから、だぞ。たぶん元からいざとなれば簡単に切り捨てられる子飼いの駒なんだろう。そう言う関係なら、爵位を失った程度で切れる関係じゃない」

「なるほど。そうなるとフルグール孤児院、チットウケ商会、ノマーキナイ商会、いずれの襲撃もスレブミト羊爵様のご要望、と言う風に考えるのが筋か」

 俺はバグラカッツの資料を読み進めて、状況から判断すれば、やはりこの男が一番怪しいと言うのを確認する。


「しかしこうなると……仮にバグラカッツを捕まえる事が出来ても、スレブミト羊爵はしらばっくれるか?」

「だろうな。部下が勝手にやった事……いや、部下ですらなく、居留地から勝手に逃げ出した犯罪者が金目当てにやった事だと言い切ってくるか。まあ、その辺の調査は第一局に任せるしかないな。流石に俺とクロでそっちは無理だ」

 しかし、何処まで行っても資料から読み取れるのは怪しい止まりだ。

 資料を読んでいるだけでは実行犯も黒幕も傷一つ付かない。


「まあ、スレブミト羊爵については俺の方で調べておこう。元から色々ときな臭い所だからな」

「頼んだ。俺は実行犯であるバグラカッツを捕らえる方に専念する。クロもそれでいいか?」

「はい、構いません。絶対にバグラカッツは私たちの手で……」

 だから、それぞれが動ける範囲で動いて、相手を追い詰めなければいけない。

 それが此処から先で必要な事だ。


「さて、俺とクロはノマーキナイ商会の方に行ってこようと思う。何か追加で証拠が見つかるかもしれないからな」

「そうか。期待しているぞ。親友」

「期待しないでくれ。俺の現場検証なんてたかが知れている」

 そうして俺とクロは第一局を後にした。

 で、ノマーキナイ商会の方と言えば……特に目新しい物は無かった。

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