第31話:身体強化-4
「だいたいこんなところか」
「ありがとうございます。ご主人様」
午後、部屋の修理依頼を出した俺は、ここ数日の生活で必要だと感じた物の買い出しを行った。
「その……私の身体強化がもっと正確に操れるようになれば、ご主人様が今持っているくらいの荷物は持てるんですよね」
「持てるな。目立つことを考えなければ、俺の10倍は余裕で持てるはずだ。ただ、クロの魔糸の量は隠しておきたいし……緊急時以外は俺が今持っているぐらいに抑えておいた方がいいぞ」
「分かりました」
なお、午前中の作業でクロの全身強化はある程度調整が利くようになったが、それでもまだまだ危険な部分があるため、今は全身強化は切ってもらっている。
なので、ここまでに買った物は俺が両手で抱えて持つ形になっている。
「とりあえず一度、そこの喫茶店に入ろうか」
「はい、ご主人様」
さて、今日は4月第2白の日。
ヨル・キート王国の年度替わりが4月で、その第1週は新しく仕事が始まった週であり、今日が新しい仕事が始まってから最初の休日である白の日である事。
殆どの週払いの職場が昨日の紫の日に給料を出している事。
そう言った要因が重なった結果、俺たちが今居る平民街の比較的大きな通りは、午後のおやつ時ぐらいであるにも関わらず、多くの人々で賑わっている。
この先、夕食を料理店や酒場で摂ろうとする人間や、それに関係する諸々の人間が動く事を考えると、もう少し混み合うだろう。
「紅茶を二つにパンケーキも二つを頼む」
「かしこまりました」
俺たちは喫茶店に入ると、窓沿いの席に座って、注文を出す。
まだ貴重品で凹凸が目立つ板ガラスの向こうは、個人が識別できる程度には像がぼやけている。
「この後夕食がありますよ?」
「この店のパンケーキくらいなら大丈夫だよ。これは頑張ったご褒美と言う奴だしな」
少しすると俺たちの前に紅茶とパンケーキが運ばれてくる。
紅茶は芳しい良い香りを放っていて、パンケーキははちみつとバターが上にかかっている。
うん、実に美味しそうだ。
と言う訳で、ナイフとフォークの使い方をクロに教えつつ、俺はパンケーキを頬張る。
「うん、美味いな」
良質な小麦に卵、それに貴重な砂糖を使われたパンケーキの味は前世で食べたそれとも遜色はないだろう。
甘いものを食べた俺は思わず笑顔になる。
そしてクロと言えば……
「~~~~~!?」
もはや、未知の何かに出会ったような顔をしているな。
「美味しいか? クロ」
「はい、とても美味しいです! 甘くて、ふわふわで……幾らでも食べられそうです!」
「そうか、それは良かったな」
俺の言葉にとても嬉しそうな返事をする。
その笑顔は見る者全てを幸せにするようなもので、こちらまで嬉しくなるぐらいだ。
「さて……」
俺は紅茶を口に含んで、舌の甘さを流すと、喫茶店の外を眺める。
先程と変わらず人々で賑わっているように見えるが……。
「ご主人様?」
「クロ、折角だからちょっとした知識を教えておこう」
「知識ですか」
俺は窓の外を指差す。
「クロも知っているだろうが、この国では身分によって身につける物が異なる。それは法によって定められたものではなく、各家の財政状況や衣服を取り扱う店との縁によって自然に定まるものだ」
「そうですね。私もですけど、スラムだと服は盗んでくるのが普通でした。お店とか、墓場とか……」
「それは流石に極端だと思うが……まあ、繕って繕ってで一枚の服を10年以上、家族や親戚で使い回すくらいは普通だろうな。と、話がずれそうだから戻すぞ」
「あ、はい」
窓の外では様々な衣服を身に着けた人々が行き交っている。
大まかに見て言語化してしまえばそれで終いだが……。
「そんなわけだから、服を見れば、相手の身分はだいたい察する事が出来る。平民でもお金を持っている人間なら自然としっかりと作られ、洗濯もされている服になるからな」
「だから、着ている服で入店させていいかを決めているお店があるんですね」
「そうだ。そして衣服で身分が分かるからこそ、身分を誤魔化したい時には相応の服装に着替える必要がある。でないと身分が誤魔化せないからな」
装飾の無い服、ある服、あるの中でも更に細かい装飾が施された服。
汚れた服、汚れが目立たない服、綺麗な服、綺麗でしかも袖口にほつれの一つも見えないし手入れもされている服。
使われている素材が上質な絹や羊毛と言った服、麻の中でも質があまり良くない物を使った服、俺の服のように革と金属を主体にした服も……まあ、それなりにはある。
今の話では敢えて省いたが、職人が身に着ける服、従者が身に着ける服、衛視が身に着ける服、貴族が身に着ける服、主婦が身に付け服と言った区分もあるだろう。
また、晴れ着と呼ばれる服や、全身鎧のように特別な行事や目的が窺える服と言うのもある。
「で、上手くいってない例が窓の外に居る。一瞬だけ見てみると良い」
「窓の外?」
クロの視線が一瞬だけ窓の外に向かう。
そして直ぐに戻され……渋い顔になる。
「ディック様の従者の方……ですよね」
「そうだな。俺も名前を知らないが、その通りだ」
そこに居たのはディックの従者の一人、確かフルグール孤児院で死体を運ぶときに吐いたり、ディックが第七局に来た時に付き従っていた男性だ。
服装は基本的には平民のものだが……少々綺麗すぎて、悪目立ちしてしまっている。
囮としてワザとなら問題は無いが……ワザとでなかったら叱責物だな。
「何をしていらっしゃるんでしょうか?」
「監視と警戒。張り込みだな。たぶんだが、不審者が居ないか探しているんだろう」
「不審者ですか」
「ああ、不審者だ。フルグール孤児院の件の犯人はプロだ。だからこそ、犯行の前には必ず下見を行っているはず。次の目標が何処なのかは分からないが、それだけは確かだ。だから、今はそれを見つけようとしているんだろう」
「なるほど」
まあ、囮として見ておくとしよう。
現に彼が悪目立ちしているおかげで、目端の利く者が彼に気付いて僅かに動揺し、その動揺から怪しい人間を何人か見つける事が出来ている。
そして、その怪しい人間を別に追っている人間もだ。
「あれ? あの方って調査局の方ですよね。それならご主人様も手伝った方が……」
「何もしないのが俺たちの出来る手伝いだよ。クロも俺も目立つし、相手がやっているのが、部外者が手伝ってはいけない任務の可能性もあるからな」
「なるほど……難しいんですね……」
「そうだな。手伝うなら、きちんと状況を見定めてからだ」
誰がどういうふうに繋がっているか分からないのが貴族社会。
手伝うのも、状況がきちんと読めてからが正解だ。
同時に、俺たちの姿を目撃した誰かが黒幕に情報を流し、そこから相手の油断を誘える可能性もある。
俺とクロの目立ちやすさなら、こちらの方が手伝いになる可能性は高い。
「そういう訳で今は紅茶とパンケーキを楽しもう。何も起きない可能性の方が高いしな」
「分かりましたご主人様」
結局、その後本当に何事もなく時間は過ぎて、俺たちは喫茶店を後にした。
俺たちはディックの従者に気付いたそぶりは見せても、他のに気付いたそぶりは見せなかった。
さて、これで上手くいってくれれば美味しい話だが……まあ、上手くいかなくても問題は無いし、クロが喜ぶ姿が見れただけでも儲け物と言うところだろう。