第29話:身体強化-2
「クロ、お前が保有している魔糸の量は桁違いに多い。俺の魔糸の量が王国の基準で3巻き程度なのに対して……クロ、お前の魔糸は推定で200巻き以上ある」
「にひゃ……え、あの、ご主人様、それは幾ら何でも……」
俺の言葉にクロは唖然とした表情を浮かべる。
まあ、当然の反応と言えるだろう。
クロは貴族がどの程度の量の魔糸を持っているか知らないだろうが、それでも俺の70倍以上の魔糸を持っていると言うのはおかしいと感じるのが正しい。
だが事実だ。
事実だが……順に話すとするか。
「計算間違いでもなんでもない。昨日、クロの魔糸を引き出す時にだいたいの量は確認した。それとクロのこれまでも、この魔糸の量ならば容易に説明がつくんだ。例え適性外であっても、この魔糸の量なら大抵の無理は押し通せる。炎や疫病から身を守るぐらいなら何ともない」
「私の……これまで……」
俺の妙に真剣な顔にクロの緊張と困惑が強まる。
「これに合わせて話がある。まず前提として二つ。ヨル・キート王国の爵位は保有している魔糸の量が密接に関係している。それと平民含めて普通の人間と言うか、あらゆる生物は魔糸を保有している」
「えーと、はい」
俺はクロの困惑をよそにするような形で話を進める。
「普通の平民が保有する魔糸の量がおおよそ1巻きで、この量がそのまま基準になっている」
俺は右手の掌の上に自分の魔糸で作った金色の球体を一つ生み出す。
ちなみに、平民や普通の生物も魔糸を持っているのは、この世界の生物の生命維持には魔糸が関わっていて、1巻きの魔糸も持っていない場合には良くて虚弱体質、たいていの場合は体の何処かに致命的な疾患を生じさせて死んでしまう。
「石麻爵、これが2巻き。糸使いの素養を見出された平民がだいたいここだ」
俺の掌の上にある球体が二つに増える。
なお、石麻とは石綿……前世の知識で言うところのアスベストであり、麻に似ているが麻ではないものとして平民上がりの貴族の爵位として用いられるようになった物だ。
「麻爵、3巻き。一般的に貴族として扱われるのは此処からで、俺やネーメは此処だ」
球体が三つに増える。
まあ、麻爵は所謂下級貴族であり、ネーメのエクスキュー麻爵家のような特殊な役職を代々継いでいる家でもなければ、幾らでも取り換えが効く家でもある。
「綿爵、5巻き。ディックのヨリート綿爵家なんかは6巻きくらいあるかもしれないが、殆どは5巻きだ。そして4巻きしかない人間が爵位を継ぐと、容赦なく麻爵に落とされる」
球体が5つになる。
麻爵と綿爵の境界は割と曖昧でもある。
だがそれでも家督を持つ者の魔糸の量が減れば、容赦なく爵位を下げられる辺り、ヨル・キート王国で如何に魔糸の量が重要視されているかが窺える。
「羊爵、7巻き。所謂領地持ちで、王国内に20家しか存在していない。第七局の局長がここだ」
7つの球体が浮かぶ。
この辺まで来ると、俺にとっては殆ど雲上の人と言ってもいい。
ギリギリで関わりがあるのが第七局の局長であるレジンスア様の兄上であるエンシェト羊爵ぐらいだろうか。
それと……捜査の方向性によってはスレブミト羊爵もか。
「そして、絹爵と王家、10巻き。絹爵は各地方と国内重要領地の統治を任されていて、全部で6家しかない。王家は言わずもがなで、この国一番の家だ」
「王家で10巻き……」
10個の球体が等間隔を保ったまま、ゆっくりと円軌道を描いて回る。
なお、言うまでもなく遠すぎて、俺や俺の実家であるスロース麻爵家にとっては仕える主以上の感想は持てない。
同い年の現王太子の顔すら俺は知らないしな。
「あの、ご主人様、やっぱり私の魔糸の量は……」
「残念だが、俺の見間違いや勘違いではない。そして、王政であるこの国にとって、王家を鼻で笑える量の魔糸を持った人間の存在と言うのは、極めて厄介な物になる。クロも既に察していると思うけどな」
「はい……」
フルグール孤児院の件で、貴族が理由さえあれば……いや、下手をすれば理由もなく平民を傷つける存在であると理解しているためだろう、クロは自分の魔糸の量がもたらすであろう災いを既に察している。
「だから、今後はどれほど親しい友人であっても、自分の魔糸の量は明かさない方がいい。幸いにしてクロの魔糸はその特性上、表には出づらいから、クロと俺が黙ってさえいれば、明るみに出ることは無いだろう」
「分かりました。絶対に喋りません。でも……」
「クロの思っている通り、魔糸の量は出力に影響する。が、その点については心配がいらないな」
「そうなんですか?」
「アストロイアス=スロースがクロに魔糸の使い方を教えた。これだけで俺の事を調べた奴はクロの実力についても納得するよ。昼間にネーメが言っていた通り、魔糸に関しては俺は魔物以上に理不尽な存在として見られることが何故か多いからな」
だから誰に対しても黙っておくことを勧める。
出力から疑われるのも、俺に教わったの一言で済むだろう。
同時に、仮に何処からかクロの魔糸の量が漏れたとしても、そいつがマトモならば俺に任せておくことを選択する可能性は高い。
「あの、ご主人様。そう言えば魔物と言うのは……」
「簡単に言えば、突然変異で大量の魔糸を保有し、魔糸を使えるようになった生物の事だ。数字で言えば……最低でも100巻き以上の魔糸を持っている」
「それって……」
「クロも含まれるだろうな。人間だって生物の一種だ」
「私が……」
なにせだ。
「安心しろ。さっきも言った通り、俺は魔物以上に理不尽だ。その証拠に学生時代、俺は魔物を一人で討伐しているぐらいだからな。だから、魔糸周りでクロが疑われることは無いはずだ。俺の所に居れば、あー、それがクロにとって良いか悪いかはともかくとして、とりあえず身の安全は保障出来る。それだけは確かだ」
俺の方がクロ以上に理不尽で手を出したい相手だとは思えない存在だからだ。
「ご主人様……」
「だから、俺の目の届くところに居てくれ。居てさえくれれば大体の事はなんとかできるからな」
「はい、ご主人様」
「そして、自分の魔糸を完璧にコントロールできるように、よく学んでほしい」
「分かりました。必ずご主人様の下で、操れるように学ばせていただきます」
だからクロがどれほどの魔糸を持っていても問題は無い。
俺がクロを指導している限り、この辺りは誤魔化す事が出来る。
「とりあえず今日はもう遅いし寝るとするか」
「はい、ご主人様。ご一緒させていただきますね」
なお、クロにはそう言う面を見せたくないので黙っている話だが……俺にとっても今のクロが何処かに行くと言うのは、絶対に勘弁してもらいたい事柄である。
今のクロは言うなれば、制御できるかどうかも分からない巨大で強大な何かだ。
そんな物を見つけたのに放っておくなど、俺の胃が死ぬ。
俺の平穏の為にも、クロの魔糸の量を漏らすことなく、魔糸の制御を身に着けてもらいたい。
暴走しても対処できる自信はあるが、暴走などしない方が誰にとってもいいに決まっているのだから。
「……」
「今日からは寝る時の強化の具合を一段上げておくべきかもな……」
もう一つ言っておくと、現状俺の部屋にベッドは一つしかなく、俺の思考にはどちらかを床で眠らせると言う物はない。
なので……現状では寝ている時が一番危険だった。
物理的な意味合いで。