第27話:二つ目の事件-4
「さて、分かってはいたが、やっぱり相手はプロだな。それも、こう言う事に慣れた糸使いだ」
チットウケ商会の入り口、両開きの木製の扉に残された傷跡を見た俺は思わずそう呟いていた。
「えと? この傷跡だけで分かるんですか? ご主人様」
「ああ、分かるぞ。なにせ、最低限で目的を達成しているからな」
木製の扉に残された傷跡は、両開きのドア同士をつなぐ部分、言い換えれば金属製の錠の部分だけを切断するように刻まれている。
傷口の幅は5センチほど、薄い刃を振るのではなく刺す形で切られている。
ほぼ間違いなく、フルグール孤児院の孤児院長の首を切ったのと同じ刃物が使われているだろう。
「しかし、金属の錠を切ったって事は、適性は金属じゃないな。焦げ跡が無いから火でもないし、錠の構造からして風なら切る必要は無い。身体強化で無理やりって感じでもないし……となると水か」
問題はその刃物がどんな物であるかだが……金属の錠を切断できる時点で魔糸による強化は行われているとして、刃物に使われた物はそのまま犯人である糸使いにとって適性がある物になるだろう。
しかし、この世界の普通の糸使いだと、衝撃で壊すことは得意だが、切断は苦手だ。
切るなら、普通は刃物自体を強化するか、自分の体を強化するかの二択である。
「いや、そもそも風で切るのは無理でしょ。学園で散々無理だって言われたじゃない」
「そうだったな。忘れてた」
なお、ファンタジーでよくある風の刃と言う物はこの世界では基本的に存在しない。
仮にやるなら高周波で振動する空気の領域を作り出し、そこに固い粒を持った砂を含ませて振るうと言うところだが……俺が知る限りではそんな事を出来る風の糸使いは居ない。
「あの、ご主人様、ネーメリア様。水で鉄が切れるのですか?」
「理論的には切れる」
「恐ろしいことに切れるのよ」
魔糸で操った水によって鉄を切断する事は可能だ。
「方法は幾つかあってな。水の温度を下げて氷に変え、それを剣にし、強化を重ねて振るうのが一番普通の方法だな」
「氷の剣ですか……」
俺は一般的な方法を口にする。
だが、錠を切ったのは別の方法だろう。
この方法ならもっと傷跡は大きくなるし、そもそも隙間から扉の向こうへと水を浸入させ、浸入させた先で水を操って錠を回させればいい。
「後は、水に固い粒子を含ませておいて、超高速で射出する。なんて方法もあるな。孤児院長の件も考えるとこっちの方がありそうか」
「それでも切れるんですか?」
「切れる。下手をすれば魔糸で強化した金属でもな」
「ゴクッ……」
それをしなかったと言う事は……犯人の糸使いは適性、特性、訓練、その他諸々の積み重ねとして、これしか出来ないのかもしれない。
尤もだ。
「孤児院長の件から考えて、有効射程が10メートルはあると見積もるべきだな。未強化の金属なら壁にもならない。消音性、速度も高いと見るべきか。こりゃあ、実際に捕らえるとなったら、相応の手練れを向かわせないと返り討ちに遭うぞ」
「後で連絡をしておくわ。それと、このレベルの糸使いなら貴族局で把握しているかもしれないし、ディックにも伝えておくわ」
「頼んだ。油断してなくとも危険なレベルだからな」
このレベルの攻撃力があるなら、これしか出来なくても何も問題は無いだろう。
下手をすれば音速の数倍で、金属の鎧ごと急所を貫ける攻撃が飛んでくるのだし。
「ただ、確定情報でない事も合わせて伝えておいてくれよ。外した時が怖い」
「きちんと理屈を説明できる時のアンタの予測が外れた事って数える程の数も無かった気がするけどね」
さて、扉の傷から得られる情報はこれくらいか。
そろそろチットウケ商会の中に入るとしよう。
「ご主人様は凄いですね。扉の傷一つでここまで……」
「これくらいなら、ただの観察と知識の積み重ねだよ。たぶん、第六局のある程度手慣れた局員なら、同じ結論に達すると思う」
俺は扉を開けてチットウケ商会の建物内に踏み込む。
「ん?」
「ご主人様?」
「次は何かしら? アスト」
そうして部屋を順番に見ていく中で鼻を突いたのは血の臭いと……微かに香るワインの臭い。
血の臭いは此処が殺人現場なので臭っていて当然だが、ワインの臭いとは……ただ、香りの濃さからして飲酒して数時間経った後に呼気として漏れたのが残っていたと言うところか。
「チットウケ商会で扱っていた酒ってのはワインか? ネーメ」
「いいえ、殆どはビールよ。一部はワインだったようだけど……いずれも水で薄めた物ね」
「なるほど。ワインの方をちょっと見てみるか」
俺は念のためにチットウケ商会で扱っていたと言うワインを見て、臭いを嗅いでみる。
「お酒の臭いから分かる事があるんですか? ご主人様」
「勿論あるぞ。特にワインは分かり易い。産地の差がモロに出るからな」
結論から言ってしまえば、俺が嗅ぎ取ったワインの臭いとチットウケ商会にあったワインの臭いは全くの別物だった。
チットウケ商会で扱っているのは王都近郊で作られたワインであり、俺が嗅ぎ取ったワインの臭いは……王国北部の物に近いように感じる。
混ぜ物もあるようで、断言はできないが。
「お酒の……臭い?」
「犬なの。アンタは……」
なお、この事を二人に告げたら、クロは理解できないと言う顔で首を傾げ、ネーメは明らかに呆れていた。
「いや、そんなに難しい身体強化じゃないぞ。嗅覚を強化するだけ……」
「鼻を……」
俺が詳細を飛ばして、概略だけを言った時だった。
クロが掌から糸を出して、自分の鼻に押し当てていた。
「待て! クロ!」
俺は慌てて待つように言ったが、一足遅かった。
クロは既に自分の嗅覚だけを強化してしまっていた。
「ーーーーー!?」
結果、鼻の中に飛び込んできた多種多様の刺激臭によって、その場で悶絶しながら倒れた。
「やったか……」
「糸使いあるあるね……」
俺は直ぐにクロに駆け寄ると、糸による強化を強制解除した上で、背中をさすってやる。
「い、今のは……」
「クロ、お前はまだ魔糸を使えるようになっただけで、扱えるようになったわけじゃない。ちゃんと基礎から教えるから、それまでは勝手な事はしないように慎んでくれ」
「はい……」
クロは力なく、涙目になって返事をする。
まあ、今回は強化したのが嗅覚でまだよかった。
これで視覚を強化して太陽を見たりしたら、大惨事である。
「さて、大体見るべきものは見たし、一度引き上げておくか」
「分かりました」
「そうね。第六局への報告はこっちでやっておくわ」
その後は特に新しいものが見つかることは無かった。
なので俺とクロは局員寮に帰り、ネーメは第六局へと戻っていった。