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第2話:出会い-1

 ヨル・キート歴382年、4月第1橙の日。

 この日、俺ことアストロイアス=スロースは、ヨル・キート王国王都ヨル・キート・シャトルの平民街を歩いていた。

 目的はパトロールと訓練。

 と言うのも、俺は『ヨル・キート調査局』第七局の職員として、王都の治安維持の仕事に各種案件の調査を任されているからである。

 そう、仕事である。


「物価に異常はなし。妙な物品の類も見つからず。変な噂も流れていない、と。実に平和でいいことだ」

 何の異常も起きておらず、それこそ六段階中の下から二番目の爵位である麻爵の三男坊ではなく、適当に雇った平民や衛視に任せてしまっても問題の無い仕事であっても、仕事ではある。

 それに俺は平民街を歩くのは嫌いではなかった。


「一杯、5ヨル小銅貨だ。どうだい?」

「ようやく冬の名残も消えてきたって感じだなぁ……」

「西の方で大規模な盗賊の討伐があったって話だ」

「おいおい、もう夕方なんだ。もう少し安くしてくれよ」

「4ヨル小銅貨だ。これ以上は安く出来ないよ」

 綺麗に整い過ぎている貴族街と違って、平民街は雑多だ。

 様々な店が開かれる市場となっている石畳の広場では、夕方になっても人で混雑していて、物と金のやり取りで騒がしく、行き交う人々は何処か忙しない。

 だが、同時に活力に満ちていて、見ていて非常に清々しい。


「今晩の宿はウチでどうだい?」

「あ!? 財布がない!?」

「可愛い子が居るよ。お兄さんどうだ?」

「おらぁ! 酒に呑まれてんじゃねえぞ!!」

「通報を聞いてきました。現場は?」

 五階建ての石造りの建物に挟まれた大通りでは、一階部分に作られた飲食店あるいは近くの宿場や酒場へ誘う客引きの威勢のいい声が響いていて、中には怒号や喧騒の類も混ざっている。

 だが、それらも含めて、実に平民らしい、この場が活発な状態にある事を窺える姿であり、今世の生まれはともかく前世は普通の平民でしかない俺としては好ましい姿だった。


「19年か……前世と合わせればもう40年以上生きているはずなんだが、実感は湧かないな……」

 そう、前世だ。

 俺は7歳頃、どうしてか自分の前世と言う物を認識した。

 ただ、既にしっかりとした自我があった事と、その前世の記憶と思わしきものが知識記憶に偏った物であったことから、前世を認識しても人格が変わるようなことは無かった。

 しかし、知識記憶の中にあった知識の種類や方向性に偏りがあった事と、今世の社会情勢や環境などから、前世の記憶を生かせた部分は個人的な範囲に収まっている。

 まあ、下手に知識を曝け出して、妙な神輿として祭り上げられたり、誰かの目に留まって監禁謀殺コースに進んだりしなくて済んだのだから、これについては結果オーライと言うものだろう。

 前世の知識のおかげで命が助かった事だって多々あったのだし、感謝はすれど煙たがる必要は無い。

 デメリットなど異分子を嫌う傾向にある貴族の側に少々馴染みづらくなった程度なのだから。


「ま、平穏無事に、程々に仕事をして過ごせれば万々歳ってもんだし、そんな実感はどうでもいいか」

 そんな訳で今世の俺の目標は平穏無事に生涯を過ごす事。

 衣食住に満ち足りた生活が送れるなら、平民に落ちたって何の問題もない。

 雷に打たれて死ぬなど以ての外である。


「さて、今晩の飯は寮に戻った後に適当につまさせてもらうとして……」

 俺は肩と肩をすり合ってと言うほどではないが、気を付けないと誰かにぶつかりそうな人込みの中に混ざると、『ヨル・キート調査局』の局員寮に向けて歩き始める。

 仕事の終わりが日暮れと同時である以上、局長へ調査結果を提出するのも明日以降で、今日はもう第七局に顔を出す必要もないからだ。


「あははははっ!」

「きゃはははっ!」

「うおっと」

 そうして人混みの中を歩いていると、俺の目の前を横切るように突如としてみすぼらしい格好をした子供が駆け出し、俺は思わず足を止めてしまう。

 格好からして今の子供たちがスラムに住んでいる子供なのは間違いない。

 では、何故こんなところで突如として走り出したのか。

 そこまで俺が考えた時だった。


「きゃあっ!?」

 バチリと言う破裂音と共に少女の悲鳴が俺の背後、それも財布を下げてある腰の辺りから聞こえてきた。


「ああなるほど。仲間が足止めして、その隙にって作戦か」

 俺が振り返ると、そこには麻のフードを目深に被った子供が倒れていた。

 どうやら、訓練を兼ねた俺のスリ対策に引っ掛かったらしい。

 意識はあるが、全身が痺れて立てないと言う状態のようだ。


「え、何があったんだい?」

「ありゃあ、スラム街のガキだ」

「おい、誰か衛視を呼んで来いよ。ドジったスリが居るってな」

「へいへーい、っと」

 周囲の人々がざわつき始める。

 衛視もこの状況に気付いたようで、近寄り始めてくる。

 俺は人々の目線に少しだけ気まずくなって、被っている帽子を少しだけ目深に直す。

 倒れた子供は……おっと、立ち上がって逃げ出そうとしているか。


「狙った相手が悪かったな」

 俺は右手の指から金色の糸を出すと、それを子供の四肢に突き刺す。

 するとそれだけで立ち上がろうとしていた子供は再びその場に倒れ込む。


「な、何よ!? この変な糸は!」

「……」

 子供は声の高さからして少女であるらしい。

 だがそれよりも問題なのは……いや、今はそれどころではないか。

 革の鎧を身に着け、鉄製の剣を腰に提げた衛視が来た。


「すみません。スリが出たと聞いたのですが……」

「お勤め御苦労。だが、君たちは仕事に戻ってくれて構わない」

「は? ですが……っ!?」

 俺は駆け寄った衛視に対して、付属の布を掴んで懐から取り出した『ヨル・キート調査局』の局員章として使える特別製のコインを見せる。

 すると、衛視は局員章の事を知っていて、俺の立場が分かったのだろう。

 少しだけ顔を青くする。


「私は『ヨル・キート調査局』の者だ。この少女は私の財布に手を出そうとした結果、私が財布に仕掛けておいた罠にかかり、こうして倒れている。つまり、この少女は貴族の財布に手を出そうとしたわけだ」

 俺はそれを分かっていて、この場に居る全員に聞こえるように、自分が貴族だと宣言する。

 それだけで、周囲の人々は多少ざわめきつつも、少女に向けて批判的な視線を向ける。

 そう、この世界において貴族の地位と特権と戦闘能力が絶対的なものだと言うのは良く知られている話。

 同時に一部の貴族がちょっとしたことで癇癪を起し、民衆を虐げる暴君である事も良く知られている話。

 故に触らぬ神に祟りなし、周囲の人々は俺の怒りが自分に向かないように祈るばかりとなる。


「心配しなくても、君たちに害を為そうなどと言う考えは私には無い。ただ……この愚か者を持ち帰るのは邪魔しないでもらいたい」

 俺は身動きを取れなくした上に、追加の糸で喋れなくもした少女を片手で持ち上げると、肩に担ぐ。

 そして、財布から銀貨を二枚取り出した上で、周囲の人々に目配せをし、最後に樽から酒をすくって売っている商人の男性へと目を向ける。


「と、折角の酒と賑わいを邪魔してしまったな。詫びと言う訳ではないが……この酒を呑んで、この場であったことなど忘れて、楽しくやってもらえると助かる。では」

 所詮、少女はスラムの人間であり、市場に居る平民に対してもスリを働いていた人間。

 それを不可思議な術でもって捕まえた貴族。

 どちらも平民にとっては、叶うならば関わりたくはない相手であり、去ってくれるならばそれで文句はないだろう。

 酒を置いていってくれるならば、喜びはしても批判などするわけもない。


「ーーー!」

 そうして俺は誰に咎められることもなく、少女をこの場から連れ去る事に成功した。

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