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第17話:糸の適性-2

「さて、魔糸(インテフィルム)による攻撃から逃れるにあたって、注意するべき点が幾つかある」

 俺は空になった皿を左手で持って縦に構えると、右手から糸を出して羊の姿にまとめる。

 そして羊の形となった魔糸は皿に向かって飛び込み……


「一つは魔糸が結びつく先は、糸使いが自由に選べると言う事だ」

「すり抜けた」

 何事もなかったように皿の向こう側に移動した。

 そう、魔糸は糸使いにしか見えないが、物理的な実態を有しているものではない。

 だから、俺が魔糸を皿に繋げようと考えない限りは、魔糸にとっては皿はあってないものなのである。


「出来る奴は少ないが、石の厚い壁をすり抜けて、糸による干渉を出来る奴も居る。だから、基本的には糸使いから逃げるにあたっては、身動きが難しいほど物が込み入った場所よりも、ある程度開けた場所の方が安全にはなる」

「なるほど」

 これが糸使いと戦う、あるいは逃げる上で注意するべき点の一つだ。

 視界が切れたと油断して足を止めているいると、壁の向こうから魔糸だけ飛んできて、部屋の中にある何か……それこそ空気辺りに干渉して攻撃される場合もある。

 こう言う事があるからこそ、逃げるなら距離を取るべきだし、ある程度開けていた方が安全になるのである。


「もう一つの注意点は、クロの知りたい適性だな」

「はい」

 俺は皿を置いて魔糸を体の中に戻すと、中にお金の入った財布を持ってくる。

 重量は……銀貨が何枚か入っている事もあって、1キログラムくらいにはなるか。

 外見については革製の袋に金属片が何枚か縫い留められていると言う独特な見た目をしている。

 で、クロにとっては触れた瞬間に動けなくなり、俺に捕らえられる原因となった、ある意味因縁の財布である。


「魔糸には一人一人、糸を繋げやすい物、繋げづらい物と言うのがある」

 財布に付いている金属片の一つに俺は糸を繋げる。

 そして、財布を持っている方の手を放す。

 が、財布は重力に従って床に落ちる事もなく、宙に留まり続ける。

 俺の魔糸によって財布が浮かされているからだ。


「繋げやすい物なら、見ての通り、自由自在に動かす事が出来る」

 俺の魔糸によって操られた財布は中身をぶちまけることなく、部屋の中を飛び回り、やがて俺の手元へと戻ってくる。

 当然、俺には疲労感の一つもない。


「ただ、繋げづらいものになるとだ」

 俺は再び魔糸を伸ばす。

 今度は財布に付けられた金属片ではなく、財布の革の部分へ。

 そして、金属片に付けた魔糸を外した。


「っつ……くっ……」

 ただそれだけ、ただそれだけなのに、俺の体感的には財布の重量が数倍になったように感じられた。

 一本の魔糸では支え切れず、二本三本と数を増やすことで財布を宙に浮かせ続ける事になった。


「み、見るからに大変そうですね。ご主人様……」

「まあ……な……」

 そうしてクロが無事に理解できたところで俺は糸を外す。

 すると物理法則に従って財布は床に落ちた。


「まあ、これが適性だ。俺の場合は金属に対する適性があって、金属を操るのなら結構な事が出来る。が、金属でない物を操ろうとすると見ての通りだ。俺の場合、数字で表すと……10分の1くらいの力も出せればいい方だな」

「そんなにですか」

「そんなにだ」

 俺は軽くかいた汗をぬぐいつつ、財布を元の場所に戻す。

 やはり、適性外の物をマトモな知識もなく物理法則に真正面から抗う形で操るのは止めた方がいいな。


「だからこそ逃げるにあたっては相手の魔糸が何に対して適性を持っているのかを見極める事も重要になる。逃げ込んだ先が相手が得意な物で溢れていたりしたら、それこそ孤児院長の首の傷みたいな傷を全身に付けられて一瞬で全身が蜂の巣。なんてことも有り得る」

「……」

 フルグール孤児院の院長の死体の状況を思い出してくれたのだろう。

 クロが唾を飲み込んで、何処か緊張した面持ちを見せてくれる。


「なんだか、ご主人様が戦わずに逃げろと言った理由が分かった気がします」

「そうか?」

「はい。ご主人様の話の通りなら、魔糸の扱い方はとても複雑で、奥深い物のように感じます。だから、仮に私が今魔糸を使えるようになっても、孤児院を襲った犯人の糸使いには敵わない。それどころか手も足も出ない。そう言う風に感じます」

「そうだな。それは間違っていない」

 クロの判断は正しい。

 熟練した糸使い同士の戦いは熾烈を極める。

 そこにちょっと魔糸を使えるようになっただけの初心者が踏み込んでしまったら、どうなるかは火を見るより明らかだろう。

 相手が人を殺すことに慣れているなら、尚更だ。


「それでご主人様。ご主人様の適性が金属であるように、私の魔糸にも適性があるんですよね」

「ああ、当然ある」

 だから、糸使いへの対処の第一は逃げろ、なのだ。

 戦うのは、それ以外に方法が無い時だけでいい。


「私の魔糸の適性はどんなものなのですか?」

 と、ここでクロが期待がこもった視線を俺に向けてくる。

 まあ、此処までの話を聞いて、こうならない方が不思議ではあるか。

 クロ自身に魔糸への適性がある事は既に分かっている事なのだから。

 だが申し訳ない。


「分からない」

「へ?」

「こればかりは本人にしか分からない。体から魔糸を出せるようになって、色んなものに繋げてみて、そうしていく内に自分なりに判断するしかない」

「そう……ですか……」

 クロの意気が分かり易くしぼんでいく。

 いやまあ、実を言えば糸の色からある程度の推測も出来るのだが……アレは血液型占い程度の信用性しかないからな、その手のは教えない方がいいだろう。


「まあ、明日以降少しずつ進めていこう。俺も魔糸に目覚めたのは7歳の頃で、マトモに扱えるようになったのは10歳頃の話だが、これでべらぼうに早いと言われたんだ。少しずつ地道にやっていこう」

「分かりました。ご主人様」

 余談だが、糸が見えるかどうかは生まれた時点で分かる。

 また、糸が扱えるようになるのは10歳頃が普通だ。

 そう考えると、無意識の事とは言え、火事や疫病から身を守れるほどの力を扱えているクロの力は……あの糸の量も相まって、やはり破格の物になるのだろう。

 となれば、クロの教育は慎重に進めるべきだ。

 気を付けなければ……最悪、誰にも止める事が出来ない、『魔王』としか称しようのない糸使いが生まれてしまうのだから。

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