第15話:クロの服-3
「手直し、終わりました」
これと言った成果もなく窓の外を眺めていた俺は、女性従業員の言葉に合わせて振り返る。
するとそこには、この店に入った時の粗末な衣服を身に着けていた少女とは同一人物とは思えないほどに身なりが整った立派な侍女が立っていた。
「ど、どうでしょうか。ご主人様?」
黒を基調とした長袖ロングスカートのメイド服に、金色の飾りがワンポイントで付けられたヘッドドレス、袖口や襟元から覗く白のレースと、機能性と清潔感を両立したデザインは非常に素晴らしいものであり、身に着けているクロの色ともよく合っている。
「とてもよく似合っている。可愛いぞ。クロ」
「あ、ありがとうございます!」
だから俺は素直に称賛して、微笑む。
するとクロも素直に嬉しそうにしてくれて……非常に微笑ましい。
おまけにこれからクロには成長期が来ると踏んでの事だろう、よく見ればメイド服の目立たない場所にはそうだとは分からないように布地を余らせて、必要に応じて丈を伸ばせるようにしてくれている。
うん、こんな素晴らしい仕事をしてくれた女性従業員にも素直に称賛を述べたい。
「ところでアストロイアス様。もしもアストロイアス様がお求めになられるのであれば、靴やハンカチ、ポーチと言った他にも必要な物を用意できますが……」
「いえ、そちらは私の方に心当たりがありますので大丈夫です」
「そうですか。では、致し方ありませんな」
「今後も衣服についてはお世話になりますけどね。その時は是非彼女に」
「分かりました」
と言う訳で、俺はヤールガキルトさんと握手をすると共にヨル銀貨一枚を渡して、彼女に対するチップとする。
良い仕事をしたものには称賛を。
これは世界が変わっても変わらない共通認識である。
「では、私たちはこれで失礼します」
「またのご来店をお待ちしております」
「あ、ありがとうございました!」
そうして侍女らしい装いとなったクロと共に、俺はディスガーシャ服屋を後にする。
「さて、それじゃあ次は靴屋、その次は女性向けの下着店、その後は……まあ、順々に回っていくか」
「は、はい」
着ている物が変わった事でクロに向けられる人々の視線も変わる。
薄汚い物を見る目から、珍しい物を見る目にだ。
正直なところ、後者の視線も微妙な気がするが、こればかりはクロの纏う色がヨル・キート王国内に存在していないものだから止めきれない。
だから、前者の視線を向けられるよりはマシだと思ってもらうしかないか。
「それにしてもその……ご主人様は凄いですね」
「ん? 何がだ?」
その後、俺たちは順々に必要な店を回っていき、クロの身なりを整え、今後の生活に必要な物を揃えていく。
すると当然のように買った物を入れていく袋も膨れ上がっていく。
今はまだ従者だからと張り切っているクロでも持てるサイズだが、直に俺が持つことを考えた方がいいかもしれない。
「持っているお金の量がです。この服もそうですけど、とてもお高いですよね」
「まあ、安くはないな。貴族に仕える侍女が使う日用品である以上、普通の平民が使う物よりは質をよくしないといけないし」
「私が分かるだけでも、ヨル銀貨を15枚はもう使っていますよね」
「使ってるな。お金の心配か? それならしなくていいと言っただろう」
「心配しなくていいと言われても、気にはなります。だって、ヨル銀貨一枚あれば、普通の平民は一ヶ月食べて行けるって聞いてますよ。つまり、ご主人様はもう普通の平民が一年生活できる分以上のお金を使っているじゃないですか」
「半分死蔵されていたお金だし、問題は無い。ちゃんと備蓄は残してあるしな」
お金については本当に問題ない。
第七局とは言え、俺は『ヨル・キート調査局』の調査官であり、毎週給料は出ている。
副収入もあるし、学生時代からの貯えもある。
「それに、平民にとっては一年分以上だが、俺にとっては三ヶ月分の給料ぐらいだ。去年一年間の給料は碌に使っていなかったし、むしろ使わないと余計な面倒事を招く頃合いだったと思うぞ」
「そう言うものですか……?」
「そう言うものだ」
「後、ご主人様の給料って、月にヨル銀貨5枚もあるんですね」
「貴族の生活水準だと5枚しか、なのがツラいところだな」
クロの言葉に、俺は少しだけ笑みを浮かべる。
少し試したくなったからだ。
「クロ、これは幾つだ?」
と言う訳で、俺は魔糸を指から出すと、クロの顔の前の空間にこの世界の数字で簡単な数式を出す。
「7です」
「これは?」
「25です」
「次」
「えーと、1287です」
「ほうほう、じゃあ、これを実際の貨幣に換算してくれ」
「銀貨1枚、大銅貨5枚、小銅貨37枚です」
どうやら、クロの計算能力は低くないようだ。
教育と言う物が疎かであり、貴族でも時折躓く人間が居るこの世界で、四則演算をきちんと出来るのは貴重である。
ヨル小銅貨1000枚をヨル銀貨1枚に出来るだけでなく、ほぼ淀みなくヨル小銅貨50枚をヨル大銅貨1枚に変換出来る点など特に素晴らしい。
割り算掛け算が必要な部分だからだ。
「正解だ。どこで計算を習ったんだ?」
「フドーノム孤児院……えっと、三番目の孤児院で教えてもらいました。将来役に立つだろうから、って」
「なるほどなぁ」
三番目の孤児院……疫病でクロ以外が死んだ孤児院だったか。
計算の重要性を理解している辺り、本当に良い孤児院だったようだ。
惜しい孤児院を失ったものである。
「さて、クロ。正解したご褒美だ。果物でも買ってやろう」
「へ? いいんですか?」
「勿論だとも」
まあ、これ以上深く掘り下げるのは良くないだろう。
と言う訳で、俺は話を逸らすように手近な露店で適当な果物を購入すると、クロにそれを渡す。
するとクロは少し躊躇いがちに果物に齧りつき……とても良い笑顔を浮かべてくれた。
その笑顔はもしかしなくても、この日一番のものであったかもしれない。