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第95話 猫娘が見つけた道理

 砥石がジャリジャリと音を立てて回れば、添えられた刃から小さく火花が飛び散っていく。

 ボクはこの音と光景が好きだ。どういう仕組みかは全くわからないが、木のペダルを踏み踏みするだけで一定のリズムで回り続け、基本的に大きな自分の武器をしっかりと研いでくれるのだから。

 記憶にある幼い自分が、奴隷商の下で真っ先に覚えさせられたのがこの研磨である。先輩戦奴たちの武器を研ぐことこそ、自分に与えられた人生最初の仕事であり、怒鳴られ蹴られながら必死でこなして身体に覚え込ませた。それも自らが剣を握って戦うようになると、虐められたことも忘れるほどにその重要性が身に染みた。

 研がずに錆びた剣はすぐに刃毀れし、鎧にぶつけでもすれば簡単に折れ曲がる。それも力自慢を主とするキメラリアが打ち合えば、あっという間に鉄屑のできあがりだ。

 あーあ壊れた、だけで済むなら気にしないでもいいだろう。だが、戦いの最中にそんなことが起これば、間違いなく自分が痛い目にあう。となれば、どんなに面倒でも手抜きをするわけにはいかない。

 それでもリベレイタとして拾われてからは多少楽ができた。武器の質が随分マシになったこともそうだが、何よりこの回転砥石なる不思議グッズが使えるようになったからである。

 どこかしらのコレクタに所属していれば、借金のあるリベレイタでも小遣い程度のお金は自由に使えた。それを同僚たちの多くはお酒や嗜好品に使ったが、ボクは食べて寝られれば幸せだったので、その自由にできるお金が徐々に溜まって銀貨1枚くらいは持っていたのだ。

 そんな自分が唯一本気でお金をかけたことこそ、この回転砥石の貸し出しだった。バックサイドサークルの鍛冶屋で初めて使わせてもらった時、毛が逆立つほどに感動したのをよく覚えている。

 だからボクは火花の散る光景もジャリジャリうるさい音も、なんなら鋼の焼ける臭いさえ気に入っていて、鼻歌を歌いながら大きな斧剣を研いでいられるのだ。


「随分変わった剣だな。リベレイタが持つには高そうだが」


 その様子を熱された炉の前に座って眺めているのは、爆発したような髪型の男だった。筋肉質な体はこんがりと焼けており、黒いエプロンをした姿はいかにも鍛冶師と言った風貌をしている。

 キメラリアが入れる店は少ないものの、貧民街に近い地域はお金さえ払えば意外と寛容だ。流石に毛無の小娘が1人で店を訪れたことには、この鍛冶師も怪訝な顔をしていたが、ジャラジャラと革袋を鳴らしてやれば快く受け入れてくれた。


「ボクの雇い主さんが買ってくれたんですよー」


「そいつは随分と気前のいいご主人様だな。しっかしこりゃ戦うための剣じゃねぇぞ……いや、剣っていうより斧か? 刀身は分厚すぎるわ装飾は入ってるわ重てぇわ」


 鍛冶師は腕組みをしてうーんと唸る。

 だがボクは何が不思議なのかまったくわからず、男に対して、はぁ、と気の抜けた声を出すことしかできなかった。


「十分戦えますよ? ほとんど刃毀れしないですし、研磨しても減った感じがしません。ちょっと重いのも、上から落とすだけであいてをぺしゃんこにできて便利です。模様も見慣れれば結構可愛くないですか?」


「そ、そうか……まぁケットやらキムンやらはとんでもねえ力で、武器をぶっ壊す代表格だから、そういう連中には向いてるかもしれんなぁ……」


 僅かに顔を引き攣らせる男。少しバカにされたように感じたが、別に気にするほどでもないので研磨を続けていく。

 誰が何と言おうと、ボクはこの剣を気に入っているのだ。模様が可愛いこともそうだが、何より乱暴に振り回しても曲がったり潰れたりしないのが素晴らしい。このところマオリィネとの鍛錬で、やたらに地面や木々などの障害物にぶつけないように気を付けてはいるが、実戦ともなれば多少力任せでも敵を薙ぎ払う必要も出てくるだろう。だが自分の力任せな振りにも、この鉄塊はきちんと応えてくれるのだ。


「ボクが岩を砕いても、ちょっと刃が零れただけだったんですから」


 おかげでボクはこの斧剣を自慢に思っており、ふふんと鼻を鳴らして見せれば、鍛冶師はげんなりとした表情を作った。


「お前さんはハンマーとかの方が向いてそうだな」


「ウォーハンマーは使った事ありますけど、手ごたえが好きじゃないんですよ」


 自分が振るってきた板剣やら斧剣やらは、剣と名前がついてこそいるものの切断には向かない。マオリィネが使うようなサーベルが技で敵を斬るのだとすれば、自分の使うあれは重さと威力で叩き斬る、ないしは叩き潰すものであろう。

 その戦い方は確かにハンマーやメイスに近いものだが、斬るという感覚が全く得られない鈍器とはどうしても異なるのだ。


「武器に注文つけるリベレイタが居るとはなぁ……お前さんとこのコレクタはそんなに裕福なのか?」


「今はそーですね。お金に困ることはなくなりました」


「おいおい本気かよ。そいつは心底羨ましい話だ」


 俺もあやかりたい、と鍛冶師は湯冷ましを飲みながら笑う。

 今となっては少しばかりの食料を買うのに、シューニャからお金を借りていたことなど嘘のようだ。だからこそ、男の一言は最底辺から一気に駆け上がった雇い主のことを褒められたように感じられ、少しだけ誇らしい気持ちになった。


「ボクの雇い主は凄い人ですから」


「へぇ? どんな奴なんだ?」


「1人でミクスチャを倒しちゃった人ですよ」


 そう言った途端、鍛冶師が湯冷ましを吹き出した。ついでに変なところに水が入ったのか派手にむせかえっている。


「お、おま――っ! それってまさか、英雄アマミのことか!?」


「おぉ、ついにおにーさんの名前が王国にまで」


 まさか貴族のマオリィネが吹聴して回ったということもないだろうし、さりとて閑古鳥の夜鳴鳥亭から発したとも考えづらいので、可能性があるとすれば犬が街道酒場で作り上げた英雄譚が原因だろう。噂で飯を食う吟遊詩人がそんな面白ネタに食いつかないわけもなく、それは1週間と立たないうちに王都まで伝播していたようだ。

 おにーさんは嫌がるかもしれないが、自分の主が人々に英雄と呼ばれて尊敬されることは悪い気がしない。

 自分は身内の話であるためその程度の感想だが、英雄譚を聞き齧っただけの鍛冶師はそうもいかないらしく、目を剥いてぐいと詰め寄ってきた。


「あ、あの話は本当なのか!? 光る剣で化物を斬り伏せ、見返りを求めずキメラリアを救ったってぇ奴だ!」


「本当ですよー、救われたキメラリアってボクのことですし」


「ななななななんだとぉ!? い、いやそうか! キメラリアが仕立服着てるなんてちょっとヤベェ奴かと思ってたんだが、それならその身なりにも納得だ」


 しきりに鍛冶師はうんうんと頷き、やがて何か思いついたらしく店のカウンターに飛びついたかと思えば、質の悪そうな紙束を抱えて勇み足に戻ってくる。

 いきなりのことでボクは首を傾げる事しかできなかったが、男はこちらの様子を気にせずどっかと椅子に座って、挙句勢いよく頭を下げてきた。


「アマミについて教えてくれ! 吟遊詩人に売れば金になるんだ!」


「すっごい欲まみれですね。そういうの普通隠すんじゃないですか?」


「こんな機会滅多にありゃしねぇんだよ! 俺だって美味い酒が飲みてぇし、可愛いねーちゃんを抱きてぇ! 砥石の利用料なんて全部返してもいいんだ!」


 鍛冶師は目を血走らせて必死だった。

 街中では耳にしなかったが、どうやら英雄譚は随分と人気を博しているらしい。それの新ネタを持っていれば確かに金になるかもしれない。

 ただそれを恥ずかしげもなく願い出てこられるとなれば、流石のボクも全力で引いてしまったが。


「とっても気持ち悪いですね」


「なんとでも言ってくれ! 何なら手に入れた金の半分はそっちに渡すから、どうか頼む!」


 砥石を回す足を止めてボクは考えた。

 別にお金には困っていない。むしろ借金がなくなったうえに、おにーさんからは仕事の量と比べて明らかに多すぎる額を貰っている。

 正直なところ、他人の栄光のおこぼれで女の人とイチャイチャしたい、とあまりに潔く言い放ったこの男に関しては、つい先ほど口にした通り()()()()()()()()()。おかげで速やかに帰ろうかとも本気で思った。

 しかし、キメラリアである自分が人間相手に優位に立つ状況は珍しい。だからボクはそれを利用してみることに決めた。


「お金はいいんで、ちょっと聞きたいことがあります」


「おうとも! 俺に答えられることならなんでも答えてやるぞ! その代わり、そっちもちゃんと教えてくれ!」


「はい」


 互いに言質は取ったと頷きあえば、持っているのはそちらだと鍛冶師は掌を差し出してくる。ならば最早遠慮する必要もなく、ボクは一言目から本題に入った。


「男の人に好いてもらうには、どーすればいいですか?」


 あんぐりと男が口を開けたのは言うまでもない。まさかキメラリアにそんなことを聞かれるとは思いもよらなかったのだろう。

 しばらくその姿勢のまま硬直していたが、こちらの視線に気づいてか1つ咳払いをしてそうだなと顎髭を掻いた。


「あくまで俺の場合だが、そりゃ色気だろうな」


「ほぉ」


「こう、顔が可愛いだとか胸がでけぇとか尻がいいとか、そういうのが印象としてはすげー重要だ」


 印象と言われると、寝食を共にしてそこそこ長くなる相手に対し、どうにも今更な気がしてならない。しかし一般的な男性論を知っておいて損はないと思い、ボクは聞き逃さないようしっかりと耳を立てた。

 その真剣さが伝わったのか、鍛冶師は腕を組んで更に言葉を重ねる。


「無論それは取っ掛かりだ。それこそ娼婦やらとなれば結構重要なんだろうが、恋人とか夫婦になるとそれだけじゃキツいぜ。やっぱりこう、一緒に居て安心できる相手ってのが大事じゃねえか?」


「ほぉほぉ」


「あと俺個人としてなら、甘えられるのには弱ぇな。蕩けるような声で来られるとついなんでも聞いちまうし、それで料理が上手いとかだと一発で惚れる自信があるぜ」


「甘える――ですか」


 ふと数日前に言われた言葉が思い出される。


『そりゃまた、随分甘えん坊になったねぇ』


 撫でて欲しいと思って膝の上に転がったことを、おにーさんは甘えん坊と称した。この変態鍛冶師の言を一切合切信じるなら、つまりその辺りが重要ということになる。

 だがそれだけでもいけねぇ、と目の前の男は硬く拳を握って見せた。


「俺は恥じらいってのが大事だと思うな! 奔放な女のエロさも嫌いじゃねぇんだが、恥じらうっていう行為そのものが男心をくすぐって――」


「あ、もういいです、ありがとうございます」


 なんとなく言っていることがダマルに似てきたため、ボクは速やかに会話を打ち切った。

 骸骨か人間かに関わらず、男性はこういう変態思考を持ち合わせるらしい。そうでないなら、ダマルとこの男は奇跡的に似通った趣味を持っていることになる。

 しかし、変態骸骨エロトマニアンデッドの存在など知るはずもない鍛冶師は、唐突に言葉を切られたのが気になったのか、髭を撫でつけながら首を傾げた。


「あんまり人の恋路を詮索するつもりはねえんだが、なぁんでこんなことを聞くんだ? そんなもん真正面から好きだって言うだけで、簡単に白黒つけれるだろ。まぁ黒になるのが怖ぇのもよくわかるがよぉ」


 今までの弾けた声色とは打って変わって、鍛冶師は何かを心配するような様子を見せる。これであの変態性がなければと思ってしまったが、一応にも気をかけてくれたらしい初対面の相手であるため、流石に口にはしなかった。

 その代わりに口から転がり出たのは、かなり省略されたあの日の会話だ。


「ボクの好きな人は、昔恋人ができたその日に、お相手を殺されたんだそうです。それが苦しくて苦しくて、誰かを好きになることが怖くなっちゃったみたいなんですよ」


「そりゃあ……確かに悲惨な体験だな」


「ボクも気持ちはわかるんです。でもずっとそのままっていうのも、すっごく悲しいことじゃないですか」


 自分の気持ちはハッキリしている。何が何でも諦めてなんてやるものかと。

 だが、人間にもキメラリアにも寿命があり、果たして自分がどれだけ生きるのかもわからない。そんな中、何年何十年と相手を想い続けるだけで、果たして恋は実るものだろうか。

 最悪は一方通行の恋でもいいとは思う。しかし壮絶な過去を抱えて苦しむ彼を、ただ遠くから眺めいるだけという冷酷さは、どうしても持てないのだ。

 鍛冶師はボクの言葉にしばらく何かを考えていたが、やがて鋼を鍛えるハンマーを片手に持ち上げるとこちらへ向きなおって目を細めた。


「俺には学もねぇし不器用だから他人の気持ちなんて汲めやしねぇが、曲がった剣は熱して叩けば直せるし、錆びた刃も磨けば輝きが戻ることは知ってる」


 小さくハンマーが金床を叩けば、鈍いくせにカーンと高い音が長く響きわたる。


「逆に熱を与えずに剣を叩けば折れちまうし、磨きが行き過ぎりゃ刃がチビてなくなっちまう。これは道理だが、人も同じなんじゃねえかって思うな」


 よくわからないと首を振れば、鍛冶師は簡単だとインゴットを1つ金床の上に置いた。


「人間の心を温めるのは幸せだって感じる瞬間だろ。お前がそいつを温められりゃ、自ずと向こうが振り向いてくれるんじゃねえか?」


「……幸せを、感じる瞬間」


 今まで砥石の横で斧剣の柄を握っていた自分の手を握って開いてみる。

 自分は所詮一山いくらのキメラリアであり、それが英雄たる彼に幸せを感じさせることなどできるのか。そんな不安が小さく心をよぎったが、直ぐに大きく首を左右に振って暗い思考をかき消した。

 できるかどうかではない。それが手段だというのならばやるしかないのだ。諦めに走ろうとする犬に対して啖呵を切った手前、ここで尻込みするわけにはいかない。


「ありがとうございます。ボク、やってみますね!」


「お、おぅ……」


 グッと拳を握った姿に気圧されたのか、鍛冶師はハンマーを握ったまま僅かに後退した。

 砥ぎ終えた斧剣を綿で拭い、油を刀身に塗って馴染ませれば、このところの鍛錬で小さなダメージを負っていた刃は美しく輝く。

 これでも砥ぎなおすことは得意なのだ。炉の炎を反射する刀身に向かい、ボクは決意を固めたのである。

 なおこの後、鍛冶師に英雄譚の補足情報を自分なりに語ったのだが、ボクに犬のような吟遊詩人的な語りができるはずもない。お礼も兼ねて真剣に取り組みはしたものの、支離滅裂な説明に男は匙を投げたのだった。

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