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第92話 鍛錬

 王都に落ち着いてから10日が過ぎた。

 やること自体は日々変わらず、シューニャ達が都市のあちこちを巡っては情報を集めて戻り、僕はひたすら勉強と訓練を繰り返す。

 唯一異なる動きをしたのはダマルで、3日前にやっておきたいことがあると言い出し、1人玉匣に戻っていた。酒場巡りに飽きたのか、それともずっと兜を被ったままなのが息苦しかったのかもしれない。

 シューニャも僕が現代都市での動きに慣れてきたことと、アポロニアがボロを出さないのを確認できたとして、それぞれに近距離での単独行動を許可していた。必ず行先と帰宅時間を伝えることが条件とされたが、おかげで僕もたまに外をふらついている。

 だがやっていることの大半は何かにつけての訓練だ。特にアポロニアは銃の基礎から教えなければならず、やるべきことは非常に多かった。


「えっと……弾が切れたらリロード……マガジンを外して入れ替えて、なんとかレバーを引いて」


「コッキングレバーね」


「うぅ、狙って撃つだけなら簡単だと思ったのにぃ」


 覚えられないと頭が痛そうに唸るも、アポロニアは必死で空マガジンを装着した状態から何度も何度も繰り返した。

 リリースボタンを押してマガジンを外し、素早く入れ替えてコッキングレバーを引いて構える。その度にリリースにてこずったり、マガジンの取りつけが甘くて落下したりしていたが、それでも少しずつ手際がよくなっていく。

 そして慣れてくれば、自然と疑問も生まれてくるものだ。


「ジドーショージュウのリロードはわかったッスけど、他も全部同じなんスか?」


「いい質問だ。ダマルの使う機関拳銃サブマシンガンはほとんど同じ構造だけど、拳銃はグリップにマガジンがあるし、玉匣の上に搭載された機関銃だと根本的に給弾方法が違う。わかりやすい例で言えばこれだ」


 僕はそう言ってダマルから借りた回転式拳銃オートリボルバーを手渡すと、アポロニアはそれをぐるぐると回してつぶさに観察する。

 今まで触っていた小銃と比較すれば、大きさも形も全く違うため、初見で理解しろというのは難しかったに違いない。弾丸らしき部品は見えていても、構造が全く理解できなかったのようで、彼女は大きく首を傾げた。


「わかんないッス。でも多分マガジンはこれッスよね?」


「それがわかれば十分だ。こうだよ」


 シリンダーのロックを解除して横に押し出せば、6発の弾丸が埋まった後方が見え、ほぇー、とアポロニアは間の抜けた声を出した。


「こんなのもあるんスねぇ……でもこれ、えっと――りろぉど? の手間が凄くないッスか?」


「そうだね。スピードローダーがあればまとめてリロードできるが、無い時は1発ずつ込めるしかない」


「なんでわざわざこんな面倒な方法を……ご主人のケンジュウでいいじゃ無いッスか」


 この意見は尤もだと思う。

 企業連合軍が正式採用していた自動拳銃は、15発の装弾数を持つ複列式(ダブルカラム)マガジン仕様だ。軽量構造で扱いやすく射撃精度も高いとなれば、正式採用されるのも頷ける。

 しかしそれだけで全てにおいてリボルバーが劣っているわけではない。特に現代という環境においてなら、強い利点も存在している。


「回転式拳銃の強みは弾詰まり(ジャム)を起こさないことだ。構造も堅牢で故障しにくく、暴発事故の可能性も低い。だから軍用に適さなくても、護身用とかには向いてるんだよ」


「護身用……ってことは、シューニャとかに持たせるべきッスね」


「む――それもそう、かな」


 アポロニアの提案に、言われてみればと僕は考えこんだ。

 シューニャが武器を抜くような状況を作らないのは自分の務めだろうが、いざとなれば下手に短剣を振るよりいいかもしれない。何せ彼女が短剣を携えている意味は、武装しているというだけのポーズに過ぎず、それは人種相手にしか効果がない。

 一応ポインティ・エイトに対して牽制くらいはできていたが、シューニャの力では致命傷を与えられないのだ。加えて彼女は生き物を殺めること自体に慣れていないため、剣や槍といった武器との相性が悪い。

 そういう意味において、弓やクロスボウより扱いやすい拳銃というのは有効だろう。無論、扱いへの習熟訓練には長い時間がかかるだろうが、それさえクリアしてしまえば大きな自衛力となる。

 あとでダマルと相談してみるか、と考えていれば、前向きな思考は自然と表情に出ていたらしい。にんまりとした笑みを浮かべたアポロニアが、いつの間にか自分の顔を下から覗き込んでいた。


「シューニャにも教えるッスか?」


「そ、そうだね。まぁアポロほどしっかり教える必要はないだろうが、やっておいて損はないだろうし」


 彼女の顔が思った以上に近かったため、僕は反射的に身を引いて苦笑する。

 こちらの反応をアポロニアは悪戯っぽく笑ってみていたが、何故か自分にはその表情が少し落ち込んでいるように見えてしまい、咳払いで余計な思考を振り払った。


「――よし、そろそろ射撃訓練に行こう。撃たずに上手くなるものでもないからね」


「了解ッスよー」


 僕が何かを誤魔化すように小銃を担いで立ち上がれば、アポロニアは特に何かを気にした様子もなく自分に続いた。

 市壁の外における射撃訓練は昨日から始めたものだが、彼女は元々射撃の筋がいいため、銃の扱いに慣れることが最大の目的である。教本も設備もない中ではあるが、アポロニアは真面目に取り組み、僕も同じように走り回った。

 そうして忙しく動いている間だけは、自分も余計なことを考えずに済んだからかもしれない。

 


 ■



 昼を過ぎればファティマの訓練だ。

 素晴らしい剣技を持つマオリィネから指導を受けはじめて以来、僕にできることなどなにもない、と思っていた。

 しかしファティマはマオリィネの剣に対抗するためか、僕の動きを見様見真似で覚えたらしく、剣を振りながらも時折拳を突き出したり、蹴りを放ったりと積極的に打撃を取り入れる方向にシフトしていた。

 僕は剣など振るえないが、近接格闘術であれば多少教えることもできる。そのためこれも数日前から、彼女と組手での指導を始めていた。

 ケットという種族が猫に似ているからなのか、彼女の身体は非常に柔軟であり、体術への順応が驚くほど早い。特にファティマは派手な技がお気に入りらしく、打撃に始まり投げたり飛びついたりと、3次元的な動きを軽々とやってのけるのだから恐れ入る。

 だが彼女は技を説明しても理解できないらしく、組手で技を受けて覚えるという、あまりにも体当たりな方式をとっていた。


「しゃぁっ!!」


 無手で迫るファティマの打撃を受け流し、顎目掛けて右で掌底を打てば身体を逸らせて躱される。圧倒的に関節が柔軟な彼女は、そのまま派手なサマーソルトキックをかけてくるが、これは悪手だった。

 バック転に近い動きは素早いものだが、流石にバランスが崩れやすい。真っ直ぐ蹴り上げてこようとするそれを残った左腕で叩けば、瞬く間に軸がぶれて斜めによろめいた。


「おとと……あっ」


 ブレたバック転からの着地は流石といえる。しかし無理に姿勢を戻そうとすれば動きは単純になり、単純な動きは容易に予想できてしまう。そこで着地してすぐの頭に掴みかかって体重をかければ、如何にバランス感覚と膂力に優れたファティマも地面を背に押し倒せる。

 そのまま首元に拳を突きつければ、彼女はふにゃりと力を抜いた。


「降参です。やっぱり勝てませんね……」


「昨日も言ったけど、まだまだ派手な動きが多いかな。当たれば強力だろうが、あれでは捨て身技だ。正直ファティは力が強いんだから、もっと細かい攻撃でも十分相手を昏倒させられるし、剣でも隙が小さくできるんじゃないか?」


「むー……小さく、ですか」


 大きく頭を振って髪に絡まった雑草を振り払い、ファティマは座った姿勢から跳んで立ち上がると小さく拳を振って見せる。感覚型の彼女らしい振舞いだ。

 しかしこのまま技術が上がって隙がなくなれば、自分ではまともに打ち合えなくなるだろう。なんといっても根本的な身体能力が違いすぎるのだ。

 一度振れるか思ってファティマの斧剣を構えさせてもらったが、保持するので精一杯で動くこともままならなかった。正直握力だけで維持できた自分を褒めてやりたい。

 だというのに彼女はこれを最近は片手で振っていることもある。拳を振るうためと言われればそれもそうなのだろうが、超重量の鉄塊を両手片手と切り替えながら振り回すのは脅威的である。片手じゃ威力が出ません、などとと彼女は笑うが、そもそも振り回されるだけでとんでもない攻撃力なので、僕は苦笑する事しかできそうもない。

 挙句、片手で扱うようになってからというもの、重さに慣れたからか、あるいは筋力が上がったのか、両手で斧剣を振るう速度まで目に見えて上がっていた。


「やってるわね」


「こんにちはぁ」


 その大きな要因といえば、ファティマが目標とする剣の達人が、毎日訓練に付き合ってくれているからかもしれない。どうも貴族という生物は、暇を持て余しているようだった。

 何を気に入ったのかはわからないが、マオリィネは決まって訓練の時間に現れては、ファティマと刃を交えている。

 彼女らは一応にも公人、一応にも部隊指揮官であり、僕は流石に少し心配になって問うた。


「せっかく付き合っていただいていて失礼だとは思うんですが、いいんですか? 毎日毎日昼間からぶらついていて……」


「気にしないで、ただの息抜きよ」


 マオリィネが長い黒髪を払いながら、さも当然と言い張れば、ジークルーンも隣でうんうん頷いて同意を示す。もしかすると彼女らは見かけや言動によらず、案外不真面目なのかもしれない。

 とはいえファティマの能力がめきめきと上がるのはいいことなので、僕は彼女らに何かを言うつもりはさらさらない。ただ御貴族様が護衛もなしに町の外れにやってきて、放浪者の面倒を見るというのが不思議だっただけなのだから。


「今日こそは負けませんからね」


「昨日の今日で私に勝てると思わないことよ」


 血気盛んなのはキメラリアの血が故か。

 ファティマが飄々とした表情のままで斧剣を構えれば、マオリィネはとても楽しそうにサーベルの柄に手をかける。そして誰が声をかける間もなく、彼女たちは刃をぶつけた。

 天上人たる貴族と卑賎と蔑まれるキメラリアが、一切の垣根なく剣を交わし火花を散らせる。

 それはマオリィネがデミであり、ジークルーンが彼女を慕っているから成り立つ状況なのだろう。誰しもがこうあればもっとキメラリアは生きやすく、社会にも大きな恩恵があるだろうにと考えてしまうが、800年前であっても人種や性別をはじめとして様々な差別は存在したのだ。

 人権や人道が叫ばれる中でも人々は団結にほど遠く、如何にその方が素晴らしい世界になると分かっていても、人間は誰しもの平穏より一握りの幸福を目指してしまうのが常らしい。現代においてはキメラリアという絶対的な低い立場を生み出すことで、人間の優位性を守ろうとするのも当然と言えた。


「とぉっ!」


「ふふっ、昨日よりいいわよ! もっときなさい!」


 刃が擦りあわされて火花を散らす。ファティマがあらゆる手を尽くしてマオリィネに向かっていけば、数日前までは完全に一方的だった戦いも徐々に崩れ始めていた。

 彼女は興味のないことには徹底して無関心だが、本人も言うように好きな物にはとてもしつこいらしい。そのしつこさが昇華し、ファティマはすさまじい集中力を発揮していた。ついさっき細かく打てと教えたことさえ、早くも飲み込んで小さく小さく斧剣を振って隙を見せないのだ。

 今までのような力任せに振り回される攻撃を控えているからか、あれほど抉った地面が今日は土塊1つ飛ばさない。ただ緩急織り交ぜることは難しいらしく、細かい斬撃に始終し過ぎて長大な斧剣という武器の利点を殺してしまっている。この判断が素早く確実にできるようになれば、彼女は大きく化けるだろう。


「ファティマさんは日に日に強くなるね」


「武器ありの組手なんてした日には、僕では相手になりませんよ」


「マオには勝てるのに?」


「相性がありますから」


「そっかぁ」


 ジークルーンは分かったか分からないのか、曖昧な返事を返してくる。

 ややあって今日もファティマは彼女に敗北した。袈裟懸けに降りかかってきたサーベルの刃が首筋ギリギリで止まっている。対する斧剣は振り上げようと構えられてこそいたが間に合わなかったらしい。

 それでもマオリィネの額にも汗が浮かぶようになったのだから、数日という短期間で大した進歩であり、僕は彼女らに称賛の拍手を送っていた。

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