第91話 天幕に雨音を聞きながら
私、マティ・マーシュは考える。何故自分がこんな業務についているのかと。
英雄一行が去って以来、彼女の日々は平穏なものに戻っていた。それは日々やってくるコレクタへの受付業務という、非常に落ち着いた物であったはず。
「なんだよー、雨ってなんだよー」
だというのに、目の前ではしたなく足をばたつかせる危険存在は、その日常を一撃の下で破壊していた。
応接用に建てられている個別の天幕にあって、真っ赤な髪を振り乱す少女は見てくれこそ可愛いものの、帝国に居ながら彼女のことを知らない者など居ない有名人である。
彼女のことを人は畏敬の念を込めて、業火の少女とあだ名する。戦場を駆ける紅蓮の炎は、帝国軍における序列第一位の将だった。
それと対等な立場となれば支配人をおいて他になく、一山いくらの受付嬢ではあまりに荷が重い仕事であろう。自分が彼女の相手をするようにと指示を受けてから今日で4日目。しかし時間で緊張が解れることはなく、腹部が常に痛みを訴えてきて私は顔を青ざめさせていた。
挙句その緊張感を、エリネラの隣に控える顔見知りが増幅させてくれるのだから気が気ではない。
「はしたないですよ将軍。もうちょっと行儀というものを考えていただきたい」
小言と共にため息をつくのは、相変わらず生真面目なセクストンだ。
前はイルバノの下で働いていたというのに、いつの間にか大きく昇進したらしくエリネラの秘書のようになっていた。だからといって稀代の将軍相手に一切物怖じしない物言いは、私の胃を押しつぶすのに十分すぎる威力を持っている。
「じゃあセクストン晴れさせてよ」
「できるならとっくにやっています。阿呆なことを言ってないで、しゃんとしてください」
「今アホって言った!? セクストン騎士補、君は軍隊をなんだと思ってるんだ!」
暴言には敏感なのか、小さな体を勢いよく起こせば指を突きつけて顔を真っ赤に染めるエリネラ。対するセクストンは涼しい顔をしたままで、歯に衣着せぬ言葉を淡々と吐き出した。
「仕える将を諫めるのも部下の務めだと心得ております」
「ぐぅ……そんな風に理屈ばっかりコネコネコネコネしてたら、パン釜に入れてこんがり焼き上げてやる」
「パンの作り方をご存知だったとは驚きました」
「むがぁー! 馬鹿にするのも大概にしろぉ! マティも知り合いなんでしょ!? このカタブツに何とか言ってやってよ!」
こっちに振らないでほしいと切に願うのに、エリネラはそんなこちらの心境などお構いなしだ。
セクストンは怖くないのだろうか。この小柄な少女はオン・ダ・ノーラ神国との大会戦において、単身で敵兵を屍の山に変え神国の悪名高い上級審問官の首を持ち帰った化物だ。物量が五分五分の戦いだったというのに一方的な勝利を得た帝国は補給線の限界まで前線を押し進めている。何なら神国からは一生遊んで暮らせるような賞金までかけられているというのに。
「わ、私に仰られましても……セクストン?」
引き攣った笑顔でセクストンへと視線を流せば、それなりに長い付き合いになる騎士補は眉間を揉む。
「マーシュさんが困っているでしょう。大体誰がカタブツですか」
胃痛の原因でもあるはずのセクストンがやけに頼もしい。
長い付き合いになる彼は元来目立つタイプではなく、何事も至って真面目に着々とこなす男という印象だった。しかし大将軍エリネラ様相手には一切の容赦がなく、普通ならばその場で不敬と首を飛ばされそうな言葉をポンポンと投げてみせる。あまりの変わりように、私は中身が別人と言われても信じてしまえそうだった。
しかし彼に諫められて、エリネラはブーと頬を膨らませる。
「バックサイドサークルに来ればアマミの情報が増えると思ったんだけど、まさか天気に足止めされるなんてツイてないよねぇ」
「確証も得られたことですし、これはこれでよかったのでは?」
2人がここに来た理由。それこそまさにキメラリア・キムンを倒し、ミクスチャを殺し、帝国を敵に回した男の話によるものである。
ロンゲンが敗北して捉えられ、身代金によって解放された時点で、帝国はアマミに惨敗している。更に後日もたらされた情報では、青いリビングメイルが王国軍との戦闘に介入して帝国側に甚大な被害をもたらしたとも聞かされ、既に大国としてのプライドはズタズタだった。
だが挽回のためとはいえ、まさか組織コレクタ1つに対してエリネラという切札を投入してくるなど、常軌を逸した対応であろう。その上彼女は敵対したはずのグランマに対し、一切の躊躇いなく情報を求めてくる始末である。
「青いリビングメイルはアマミ・キョウイチの所有物。一党は5人で鋼のウォーワゴンに乗って移動し、その戦力は小国を凌駕する、と――あたしも散々化物扱いされてたけど、ここまでじゃないわ」
「実際、うちの百卒長がやられた時は一瞬でしたからね。歩兵が追いつくまでの僅かな間に死屍累々ですよ」
「筋肉が勝てない相手じゃその百卒長――イル……イル何とか?」
すかさずセクストンがイルバノです、と訂正を入れるが、エリネラからしてみれば死んだ百卒長になど興味がないらしい。そうそれ、と覚える気の欠片もない返事をした。
「そんなん相手にならなくて当り前じゃん。大体鎮護の百卒隊で対応できるような奴なら、あたしは興味ないしさ」
うぅむと騎士補が渋い顔をする。元々自分が所属した部隊を貶されて面白いわけもないが、彼が生き残っているのもただの幸運に過ぎず、燃えるようなツインテールの少女が言ったことが紛れもない事実だからだ。
エリネラはその場で左右にゴロゴロと寝返りを打ち、ピタリと仰向け状態で固まったかと思うと顔を天地逆さにしてこちらを見た。さもなにか思いついたと言わんばかりの表情に自分の咽がヒュッと鳴る。
「ねぇ、マティはアマミの専属だったんでしょ? どんな奴だったのさ」
「そ、そうですね……放浪者とは思えない、コレクタにしても不思議な人という感じです」
曖昧な物言いに2人の顔が疑問で埋め尽くされ、私は慌てて言葉を重ねた。
「何と言えばいいでしょう。理知的なのか非常識なのかわからない人なんですよ。説明すれば飲み込みは早いんですけど文字の読み書きはできないみたいで、なのに頭は切れるんです。それにリベレイタの不当な扱いを躊躇いなく糾弾するくらいに、キメラリアを大切にしています」
「むぅ……その、マーシュさんの言葉を否定するわけではありませんが、それは重度のキメラリア・コンプレックスだったといわけではないのですか?」
訝し気にセクストンが呟くこともよく分かる。バックサイドサークルにはキメラリアと人間で子を成す者も多い。何なら専門の娼館や奴隷商があったりするくらいなので、余裕のある組織コレクタのリーダーなら借金を肩代わりする、というのも聞かない話ではなかった。
しかしそれはいずれの場合でも所有物としての好意に過ぎず、特にリベレイタから買い取られたような者はよければ愛玩動物、悪ければ性的奴隷として扱われるのが普通である。
無論アマミも男であり、綺麗事をのたまうだけでリベレイタ・ファティマをそういう目で見ていたのではないかと疑ったが、命を賭け金にキムンと対峙した時点で疑いようがなくなってしまった。
だから私はセクストンの疑問に対し、ハッキリと首を横に振った。
「あの人はキメラリアを人と対等に扱っています。それも命を賭けて守ろうとするほどには」
「変人、ですな」
「面白いじゃん。あたしもキメラリアは強い奴多いから、別に嫌いじゃないけどねー」
処置無しと肩を落とすセクストンと、愉快そうに笑うエリネラは対照的だ。
真面目な騎士補の反応こそが普通の人々のそれであり、むしろこれを面白いと言えるエリネラはやはり常人とは違うものが見えているらしい。おかげで私は振り回されており、咄嗟にその心情が口から小さく転がり出た。
「ほんと変な人なんですよ。ミクスチャとやりあったのだって、リベレイタの借金を肩代わりするためでしたし? 銀貨20枚くらいの任務ならもっと地道に稼げるでしょうに……それにグランマがバッジを渡したんだから、組織コレクタ認定でリベレイタを自分の所属にすれば、借金の肩代わりなんて要らなかったじゃないですか」
すぐにブレインワーカーがバッジに気づいて戻ってくると思っていた私の考えは外れ、結局英雄一行が戻ってきたのはミクスチャを片付けてからのことだ。
無事だったからよかったものの、私は懇意にしていたコレクタ2人を同時に失いかけたのだから、愚痴くらい許されてしかるべきだと思う。
ただこんな情報がエリネラ達に伝わっているはずもなく、彼女は勢い良く跳び起きて真っ赤な瞳を見開いた。
「う、嘘ぉ!? アマミはたかがキメラリア1人のためにミクスチャと戦ったっての!?」
「さ、作戦の趣旨が狂った気が……」
稀代の大将軍とはいえ彼の奇行にはあんぐりと口を開けている。セクストンに至ってはこめかみを押さえて頭痛を堪えていた。
自分たちの追っていたのは帝国の仇敵だったはずで、それが振り切ったキメラリア・コンプレックスの狂人だったとなれば、頭痛くらい当然であろう。それもエリネラまで出張ってきていて、万一討ち取った相手がただの変態だったなどとなれば、どう転んでも帝国はプライドの復権を果たせない。
「ねぇマティ、それホントなの? ホントにホントなの?」
「表で調査が進む死体を見ましたよね……現実です」
「はー、何かとビックリが尽きない奴だよアマミ。変わり者だとは思ってたけど本気でヤバい奴じゃん」
「皇帝陛下にどう説明すればいいんでしょうか」
エリネラには英雄の奇抜さが面白いのだろう。だが常識人たるセクストンの心労は、情報が増えるごとに増している様子だった。
■
「お前が生きているとは思わなかったぞヘンメ。糞虫の腹の中に落ちたと聞いて清々していたものを」
「うるせぇクソババア。お前こそさっさと天に召されちまえ」
煙草と長煙管の煙が混ざり合うのはグランマの天幕である。紫煙を照らす蝋燭の火と天幕を打つ雨音とが、見事なまでに不気味な雰囲気を醸し出していた。
互いに顔を見せるつもりなど無かったが、死者が帰ってきたという特別な状況が、こんな空間を生み出している。
貴族だろうが将軍だろうが平等に無礼を貫くヘンメは、クソババアことグランマに対しても同じ姿勢で臨む。しかし面倒くささなら、この老婆に敵う者などなかっただろう。
だが1つだけ笑えることがあった。それは今までに見たことのない、グランマの失敗についてである。
「まったくアマミって野郎はとんでもねぇな。妖怪の手でも操れねえのか?」
「ハッ! あれを御せる奴なんてそう居るもんかい」
「手駒に欲しくてマッファイを当てたんだろうが。それこそキムンとやれるなら喉から手が出るほど欲しかったはずだぜ?」
「マッファイだけなら別によかったさ。もちろんキムンと戦える豪傑なんてその辺に転がってるわけじゃないんだから、どうにでもして手勢に加えるつもりだったよ。ミクスチャから逃げ帰ってきた時に、迎え入れてやる準備だって整えてたさ」
グランマは鬱陶しそうに長煙管から灰を落とし、鋭い視線でヘンメを睨む。
「だが、あいつはミクスチャを倒しちまった。どうすれば御せる? あれほどの化物に首輪をつけられる方法なんてありゃしない。あたしゃこういう時に欲をかいて、あっけなく死んだ奴を沢山見て来たのさ。なんならそういう罠に嵌めた奴も、両の手指じゃ足りないよ」
「相変わらず権力欲の権化だな」
「なんとでも言いな。この世は結局持ってる奴が強いのさ。それでもアイツは別だね。悔しいけどバッジを外させないのが精一杯だったさ」
「バッジねぇ……?」
そう言ってヘンメは自分の胸を見る。
以前は光っていた組織コレクタの証は既にない。彼は指揮すべき組織を全て失い、ケジメとしてそのバッジをコレクタユニオンに返却していた。
本来ならば組織を再編すべく動くべきなのだろうが、手足を片方ずつ失った男にコレクタリーダーは務まらない。それが理由の全てではないが、ヘンメは組織を作りなおそうという気が、まったくなくなっていた。
だがコレクタリーダーという立場を失ったおかげで、彼はグランマと対峙する気にもなったのだ。
「帝国とやりあおうってのは諦めたのか?」
「あたしがぁ?なんでそんなことしなきゃならないって―――」
「コレクタ国家の成立、それがアンタの野望だ。そのためにわざわざユライアシティの支部からこっちに移ってきたんだろうが」
言葉を被せるようにヘンメが言えば、グランマはぎろりと彼を睨みつける。
コレクタの職員であればほぼ死刑宣告に近い老婆の鋭い視線だが、それでもヘンメは白い煙を吐きだし、へっと軽く笑うだけだ。
「帝国は二面作戦で振り上げた拳を下ろせなくなってる。エリが押し進めた前線は確かに有利に見えるが、結局は伸び切った補給線を維持できなくて早晩崩壊するだろう。せめて対王国戦を一気に片付けようと隠れて橋を作り、スヴェンソンを第二軍から回したまではよかったが、決戦を前にしてリビングメイルなんていう横槍が入ってまた大敗を喫した。クロウドンで見てきたが帝国はほぼ死に体だぜ?」
短くなった煙草を突きつけてにやりとヘンメは頬を歪めた。
「わからねぇのはここだ。千載一遇のチャンスに、かの有名なボルドゥ・グランマ・リロイストンは何故引きこもってる?」
まるで確信したように無頼漢は問う。
だがそれを聞いていたグランマは長煙管に再び葉を詰めなおし、火をつけて大きく煙を吐いた。表情は先ほどの険しいものから打って変わって、凪いだ海ように穏やかである。ただし、眼光だけは相変わらずギラギラと輝いていたが。
「簡単な事さ。決め手に欠けるんだよ」
「博打に絶対はねえだろ? ただでさえ帝国を相手取ってんだ」
訝し気なヘンメに対し、グランマは咽の奥でグググと笑う。
「勘働きはいい癖に堪え性がない。だから博打に勝てず、お前みたいなのがコレクタに落ちぶれたんだろう?」
これにヘンメは一瞬呆気にとられた表情をしたが、直ぐに派手な舌打ちを1つすると頭を掻き上げた。
「……やーっぱり知ってやがったか。いや、隠せてるとは思ってなかったんだがな」
「家名を棄てても人間はそう簡単に変わらないもんだよ。元近衛隊長殿?」
食えねえババアだとヘンメが毒づけば、老婆もそれはお互い様だと煙を吹く。
「それこそアマミの手綱を握れているなら、あたしは躊躇わなかったさ。今頃あの糞袋共を纏めて吊るしてやったさね。だが……帝国の動きは少々妙だ」
今に始まった事ではないが、と付け加えると、グランマは鍵のかかった引き出しから数枚の書類を取り出した。
ヘンメは煙草を口に咥えたままで渡されたそれに目を通す。表題は団結する者についての調査報告と書かれている。おかげで彼の口は危うく煙草を口から落としそうになった。
「なんだこれは……」
「奴を腑分けさせた結果だよ。まったく恐ろしいじゃないか、あたしもこんな世界に身を置いて長いが、人間もここまで腐れるとは思わなかったね」
ギリっと奥歯が鳴った。
自身の出自がどこであれ、その書類に記された内容が事実ならば愛国心など何の役にも立たないゴミだ。ヘンメは現実味がないと首を振ったが、グランマの書類という重みが嘘と断ずることを頑なに拒む。
「……確証は、ねえんだろ?」
勢いを失ったヘンメの抵抗は些細なもので、そんなことは百も承知だと老婆は肩を揺らした。
「しかしほとんど確信さ。お前が言うように帝国は無茶な戦争を仕掛けてるんだからね。ここまでの劣勢は予想外かもしれないが、むしろ新兵器でひっくり返すにはちょうどいい機会じゃないか」
グランマはそう言って葡萄酒の注がれた盃を煽る。
対するヘンメは絶望と称してもよい感情に支配されていた。靄がかかったような思考に、手から書類が零れ落ちる。
そこには、帝国軍の鎧を着たキメラリアの亡骸が見つかったという旨の内容が、ハッキリと刻まれていたのだった。