第89話 黒髪貴族
何故ここにクールビューティが居るのだろう。
彼女は鎧だけを脱いだ黒いバトルドレス姿で、口元を手で覆い琥珀色の目を大きく見開いて驚いた様子である。むしろ驚きたいのはこちらなのだが。
「えーと……自分らに何か御用ですかね?」
言っておきながら心臓の鼓動が早くなる。
まさかマキナに乗っていたことに気付かれているはずもないが、世の中には万が一ということもあり得るものだ。そうなれば全力でしらばっくれようと、僅かに身構える。
しかし声をかけてきたクールビューティの方も混乱していたのか、返事をした途端、慌てた様子で両手を振った。
「あっ、ち、違うのよ。黒い髪が珍しくて、つい声をかけちゃっただけで」
「珍しい――ですか?」
とりあえずマキナ云々の話がでなかったことで、僕は密かに胸をなでおろす。
しかし彼女の言う通り、ここへ来るまで染め抜いたような真っ黒の髪というのは見たことがない。
不思議なこともあるものだと僕が髪を弄ると、クールビューティは何か警戒するように周囲へ視線を回しながらこちらへ歩み寄り、僕の耳に手をかざして小声で呟いた。
「……貴方はクシュ・レーヴァンとのデミかしら?」
美人の耳打ちに一瞬緊張したが、果たして何が言いたいのかがさっぱりわからず、僕ははてと首を傾げるしかない。
クシュ・レーヴァンとデミ。どちらも聞いたことがない単語である。流石に知ったかぶりをするわけにもいかずにガリガリと頭を掻けば、クールビューティはパッと表情が明るくして身体を離した。
「安心してちょうだい! 私は貴方の味方だから」
任せろとでも言いたげに彼女は堂々と胸を張るが、味方と言われても僕には状況が全く掴めない。明確な敵対者が居ないにもかかわらず、見ず知らずの貴族が味方する理由とは一体何なのか。
無論帝国では自分の手配書が回っているかもしれないし、王国内でも暴行罪を問われる可能性はあるが、どちらも彼女が助ける理由にはならないだろう。
だがクールビューティには味方発言に余程自信があるらしく、僕の手を両手を強く握ると、うんうんと頷いて優しい視線を送ってくる。
とはいえ、流石に出会って早々勘違いや誤解で話を進められるのも厄介なので、きちんと話を聞こうと僕が考えを巡らせ始めた時、足元から声が聞こえた。
「……ご主人は人間ッスよ、貴族様」
近接格闘術の餌食になっていたアポロニアは、イテテと右腕をさすりながら小さな体を起こすと、面倒くさそうにクールビューティへ向き直る。
逆にクールビューティの方は、それこそ落雷が直撃したかのような顔をしていた。嘘でしょうと言いながら2、3歩と後ずさればその動揺は誰にでも理解できる。
「あ、あり得ないわ! 帝国の北方諸族にもこんなに綺麗な黒髪なんて居ないし、貴方もデミであることを隠してるんでしょう!?」
彼女にとって相当な衝撃だったのだろう。おかげで単語の意味は分からずとも、どうやらクールビューティ自身が、クシュ・レーヴァンとのデミ、という存在に当たるらしい。
振り乱される黒髪は最早そうだと言ってくれと懇願するようだったが、僕は苦笑いを浮かべることしかできず、アポロニアはため息とともに止めを刺した。
「デミなら特有の匂いがするッスよ。人間にはわからないらしいッスけど、鼻のいいキメラリアは理解できるッス。貴族様みたいにやたらと沐浴ができて、その上からお高い香水を使えるなら、流石にわかんないッスけどね」
マキナを前にしても気丈に振舞っていたというのに、どうやらあれを超える衝撃を受けたらしい。クールビューティがその場で音もなく崩れ落ちると、虚ろな目をして何か呪詛をブツブツと呟き始めてしまった。
そう簡単に復帰しそうにもないため、僕は気になる単語は先に処理しておこうとアポロニアに向き直れば、だろうなと彼女は肩を竦めてみせる。
「まずクシュっていうのはキメラリア・クシュの事ッスよ。体から羽毛が生えるのが特徴の鳥っぽい連中ッス。その中でもクシュ・レーヴァンは黒い髪と瞳が特徴で、比較的頭いい奴が多い印象ッスね。キメラリアの中では結構珍しいッス」
「鳥系――ってことは、もしかして飛べるのかい?」
だとすれば、かなり画期的な戦力である。バリスタや弓以外にまともな対空兵器がなく、航空機も存在しない世界では空を飛べるだけでも十分な脅威だ。
しかしアポロニアは、まさかぁ、と呆れたように手を振った。
「鳥系なんて呼ばれるのは単に似てるからで、空を飛ぶなんて人間種には不可能ッスよ。連中が凄いのは目の良さッスかねぇ、だから弓やらクロスボウを扱う連中が多いッス。骨が脆いだの、夜目が効かないだの苦手分野も多いッスけど」
「そりゃ中々尖った能力だな」
「まぁキメラリアにも色々弱点があるッスよ。自分たちアステリオンは非力ッスし、ケットは水を嫌うことと持久力が無いッス。カラは暑さに極端に弱い、キムンは目が悪くて食料の消費が大きい、アラネアは毒に苦労するって聞くッスね」
「キメラリアにも色々あるんだねぇ……しかしアラネアが毒に弱いっていうのは意外だが」
知り合いはウィラミットくらいだが、蜘蛛と言われるとむしろ毒を武器として扱うイメージが強い。だが現代では常識らしく、アポロニアは何かを思い出す素振りをしてから、朗々と語りだした。
「その昔、世界には蜘蛛人の大国があった。しかしそれを恐れた人間たちは井戸に毒撒いた。すると朔の月が望となる頃、その大国は影も形も見えなくなった――有名な昔語りッス」
蜘蛛人の大国がどれほどの規模だったのかはわからない。しかし敢えて大国と呼ばれるからには、相当な人口を抱える国家だったのだろう。
非人道的ながら国力を弱らせる上で、水源を汚染するというのは有効な手段である。しかしそれだけで国が亡ぶかと言われれば、これには疑問が残る。それも新月から満月までという短期間に、という条件付きだ。
だが唸る僕に対し、アポロニアは軽い口調でもう1つ情報を追加した。
「それに病気を治そうと薬飲ませたら、それが原因で死んだなんて話も聞いたことがあるッス」
「それはまた……とんでもないな」
薬すら毒になるのなら、大国が滅ぶのも頷ける。ならばアラネアという種族は、食生活にすら相当の気を遣っていることだろう。
あくまで人間基準で考えてという話ではあるが、現代は人間の方が権力を握っている以上、キメラリアたちの弱点に対する苦労は中々に根深いに違いない。
「とりあえずクシュについてはわかった。それで、デミっていう方は?」
「デミは混血って意味ッスよ。人間とキメラリアの間に生まれた子は一様に、デミになるッス」
「なるほど」
いわゆるハーフという奴らしい。しかしそれを踏まえてクールビューティを見れば、キメラリアらしい特徴は全く見られなかった。
その視線に気づいたらしくアポロニアはああと微妙な顔をする。
「デミはキメラリアの特徴をほとんど失うのが基本ッス。そこの貴族様みたいに髪の色だけでも特徴が残れば珍しい方ッスから、大概の場合デミじゃないって言い張れば、普通の人間には判断できないッスね」
それを判別するのがキメラリア特有の鼻だということらしい。
「じゃあ、キメラリアの親はキメラリアだということかい?」
「そッス。夫婦で種族が違うと、生まれてくる子の種族は両親どちらかの種族になるッスよ。ただデミの親から生まれた子は、絶対デミか人間にしかならないッス」
どうやらキメラリアの遺伝子は潜性であるらしい。生命の神秘に、僕は感心しながら話を聞いていた。
「そういうことよ……これ、ほんっとヤバい秘密なんだから」
突然響いた声に驚いて振り返ると、酷く疲れた表情で残念美人が立ち上がっていた。流石にその理由には察しがつく。
なにせ貴族と言えば、キメラリアを法的に差別するような連中である。デミだとは言っても、その血が不浄だなどと叫ぶ阿呆は多いに違いない。彼女が秘密にしたがるのも当然だった。
「安心してくださいよ、別に言いふらす気はありませんし」
「……どこかから話が漏れたら、真っ先に貴方たちを吊るすからね」
初対面だと思っている彼女が信じきれないのも無理はないが、いきなり絞首台と告げられて咽から変な音が出る。しかし流石に冗談だろうと、アポロニアと揃って苦笑を浮かべれば、据わった瞳からは明らかな本気が伝わってきて背筋が凍った。
「そこは信じていただく他ありませんが、その、お約束しますので」
隣でアポロニアも千切れんばかりに首を縦に振る。
すると残念ビューティは長い髪をかき上げながら、はぁと大きくため息をついた。
「わかったわ……とりあえず信じてあげる。貴方たち名前は?」
「天海恭一と言います」
「アポロニアッス」
「アマミとアポロニアね。私はトリシュナー子爵の娘、マオリィネよ。私の秘密を知ったのだから、貴方達の身の上話くらいは聞かせてくれるわよね?」
面倒くさいのに捕まった。この認識は僕もアポロニアも同じだっただろう。
こんな状況から、腰を落ち着けて話しましょう、と言われて断れるわけもなく、僕らは各々武器を抱えて渋々マオリィネに追従したのである。
■
「と、言う感じッスね」
得意げなアポロニアは、件の英雄譚を語り終えて席へ着く。
それをマオリィネは真剣な様子で、隣の体液娘ことジークルーン・ヴィンターツールはヤスミンを膝に抱きながら聞き入っていたが、彼女が話し終わるや否や興奮を隠そうともせずに紅潮した頬と小さな拍手を送った。
その当事者たる自分は、秘密を守るためとはいえやけに誇張された言い回しがむず痒く、何か理由をつけて逃げ出したいのを必死で堪えていたのだが。
そんな胸中など彼女らにわかるはずもなく、マオリィネは興奮冷めやらぬ様子でこちらへ向き直ると感嘆の息を漏らした。
「変わり者だとは思っていたけれど、アマミは凄い修羅場をくぐってきたのね」
この修羅場という表現に、ミクスチャ討伐は含まれていないのだから恐れ入る。というのも、ミクスチャを倒すというのが常識はずれすぎるため、ヤスミンに語った時も含めて基本的に割愛するようにしていたのだ。
なので僕は3人を同時にバックサイドサークル付近で助け、キムンの戦士と決闘して勝ったことでコレクタユニオンに認められ、帝国軍を打ち破って亡命を試みた男として語られている。
その比較的マイルドな話でもマオリィネは真っ直ぐな尊敬をこちらへ向け、隣でジークルーンはヤスミンと共に涙を溜めていた。カウンターの向こうから嗚咽が聞こえたのは、流石に気のせいだと思いたいが。
「ね、ジークルーン様! アマミさんは凄い人でしょ?」
「そう、だね……」
「お恥ずかしい限りで、ジークルーンさんの思う程大した人間ではありませんよ」
あまり美化されても困るので、ハハハと乾いた笑顔を送っておいた。
だがそんなことはないとマオリィネは僕の肩に手を置いて首を振る。
「いいえ、貴方は十分に人格者よ。自分が記憶喪失に陥っていながら、キメラリアに対価も求めず救いの手を差し伸べるなんて、誰にでもできることじゃないもの」
自分自身がデミだからか彼女の視線は驚くほどに優しい。
だが僕は種族など意識しておらず、ファティマが人間であってもキムンと戦っただろうし、アポロニアが人間であっても彼女を撃つのは躊躇したはずで、結局は過大評価だった。
だというのに、彼女らの中では相当に美化された姿が固定化してしまったらしく、僕は訂正を諦めて素直に恐縮ですと頭を下げた。
「貴方の他の仲間にも会ってみたいものだわ」
「そうだよねぇ、そうだよねぇ」
どこか夢を見ているような表情で語る女子2人。シューニャとファティマはまだ帰っておらず、会えるとすれば1人だけなのだが、あれを呼ぶべきかは非常に悩みどころだった。
アポロニアも同じ意見なのか微妙な表情をしていたが、偶然とは大体悪い方向に進む。それは階段の踏み板が軋む音で僕にも十分伝わってきた。
「おーい訓練は終わったかぁ? そろそろ俺たちも動き出す――ぞ?」
全身鎧姿のダマルは普段の調子で階段を下りてきたが、まさかクールビューティが居るなどと夢にも思わず、驚愕からかピタリと硬直する。
それにマオリィネとジークルーンが反応しないはずもない。瞬く間に棒立ちの骸骨騎士は取り囲まれた。
「貴方がダマルさんね! お話は伺ったわ!」
「記憶喪失のアマミさんと旅をする、呪われた騎士様ですよね!?」
迫りくる女性2人には普段ならば喜んで対応しただろうが、流石に意味の分からない初期設定が付け加えられた状態ではそうもいかないのか、骨は見事にたじろいていた。その姿にアポロニアが口を押えて笑いを堪えている。
助けを求めてか兜が僕の方へ向くが、何とも言えず小さく肩を竦めてみればダマルは再び眼前の2人へ向き直った。魔物のような見た目をしているダマルでも、たまにはキラキラ輝く視線に囲まれるのもいいだろう。
「お、おう。確かに俺ぁダマルだが――お嬢さんらは?」
「私はマオリィネ・トリシュナーよ。さっき貴方の活躍もアポロニアから聞いたわ」
「じ、ジークルーン・ヴィンターツールです。その、呪いを受けたって……その兜ですか?」
まさかダマルが女性に気圧される姿を見ることができるとは思わなかった。
活躍と言われても何の話かわからず、呪いの件に関しては完全に創作なので答えに窮したのだろう。だからと言ってうら若い女性に迫られて無下にすることもできず、しどろもどろになっていた。
「こ、これが呪いの紋章……」
「なんて禍々しいのかしら。これほどはっきりと見えるなんて」
そりゃホロステッカーですから、と伝えられればどれほど楽だっただろう。ダマルは今必死で経緯を考えているらしく、全ての返事が短い。
しかしそこに手を貸したのはアポロニアだった。十分に笑ったからか、援護してやる気になったのだろう。必死で呼吸を落ち着けて涙を拭い、ダマルの簡単な設定を素早く組み上げて見せた。
「ロックピラーの遺跡で受けたって言ってましたよねぇ? ご主人と出会ったのもその時だとか」
「お、おう! そーだ! 倒れてたそいつを助けようと近づいたら、いきなり光に包まれてよぉ。そんとき相棒は何も被ってなかったから記憶が焼かれ、俺は被ってた兜が外れなくなっちまったんだ。まぁそれ以降、呪いの解き方を探して各地の遺跡を巡ってるってわけよ!」
一気にピースがはまったとばかりにダマルが捲し立てれば、2人はほぉと実にいい表情をしてみせた。
これもあながち嘘ではない。遺跡を巡れば武装の補給等も可能だろうし、何より翡翠の交換部品が見つかるかもしれないのだ。
しかしここでジークルーンが苦しい質問を投げかけた。
「アマミさんと出会われる前は、ダマルさんは何をされていたのですか?」
「あ、あー……それは、だな」
兵器の整備をしてました。装甲マキナ支援車を修復し、翡翠を稼働状態に持っていくことを大体1年くらい。
嘘をつく後ろめたさと、話の整合性を確保する難しさの二重苦に咳払いをひとつ。それでも嘘と見抜かれるわけにもいかないため、ダマルはしばし悩んでから必死で取り繕った内容を口にした。
「も、元は職人だったんだ。あちこち寒村を回って何かと修理して回っててな」
「騎士様が職人を?」
「おうよ。旅職人だったんだが、み、身を守れねえと一人旅も難しいからこんな格好してるわけだ!」
「変わったことをしていたのね」
まさか通るとはと思っていたが、どうにもうまくかみ合ったらしい。
その無茶苦茶な内容に、アポロニアは再び腹を抱えて身体を震わせていた。
旅職人兼騎士という意味の分からないジョブチェンジを果たしたダマルは、これ以上話しているとボロが出ると思ったのか、素早く笑いを堪えるアポロニアを小脇に抱え、店の出口へ向かって駆けだした。
「じゃ、じゃあ、ちょっと仕事してくるわ!」
建付けの悪い扉を力一杯の体当たりで開くと、誰の返事も待たずに外へと飛び出していく。
残された僕はなんとか乗り切ったと肩の力を抜き、貴族様2人は慌ただしい様子にポカンとしていた。
まさか反動で閉まりゆく扉に、別の手がかけられるとは思わなかったが。
「ただいま」
「何かダマルさんが凄い勢いで走っていきましたけど、何かあったんですかー?」
――ガッデム。
このタイミングで帰ってくるとは貴様ら策士か、と僕は1人頭を抱えた。シューニャは眉を顰めファティマが首を傾げる姿は珍しくもないのだが、ただでさえ膨らみ続けた嘘を共有するのがわかっていれば、誰でもこうなるだろう。
無論この後、貴族コンビからの質問攻めが再開したことは言うまでもない。