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第87話 凱旋

 部屋に運んでもらった朝食をダマルが口に放り込む。

 相変わらずその食料がどこへ消えているのかは一切謎だが、胃もないのに腹は減ると言う以上活動には必要なのだろう。


「でぇ? 今日はどーすんだよ」


「情報収集」


 横でやけに豆の多いサラダをちみちみと食べていたシューニャは、骨の疑問を一言にまとめて放り投げる。それ以外に何があるとでも言いたげだが、問題は内容が一切伝わらないことだ。

 多分シューニャの頭の中では予定が組みあがっているのだろうが、残念ながらエスパーでない僕には読み取ることができない。それは身体構造が大きく異なるダマルも同じらしく、いやいやとガントレット付きの手を振った。

 それを見たシューニャが小さくため息をついたような気がするが、僕以外には見えなかったようなので勘違いだろう。


「私はファティとまたコレクタユニオンに出向く。アポロニアとダマルは酒場での聞き込み。キョウイチはお留守番」


「えっ?今日も僕が留守番かい?」


 これには驚いた。昨日はやんごとなき事情があったことくらいわかったが、今日もとなればその理由は全く掴めない。異論があるわけではなくともつい声を上げれば、頬張った豆を飲み下してから翠玉の視線がこちらへちらりと向けられる。


「勉強していて」


「あ、あぁ、そうか」


 書き取りを続けるのが本日の仕事らしい。

 昨日も散々書いた気がするが初めて目にした字体には中々馴染まず、結果的にシューニャからは子供の方がマシと酷評を頂いている。せめて鉛筆がないものかと嘆いても、現代の筆記具代表はあくまでつけペンか羽ペンであり、それを使いこなせないようでは生きていけないとまで怒られたのだ。そして道具に慣れるためにはとにかく使って使って使いまくり、文字に慣れるには書いて書いて書きまくる他ないとも言われてしまえば僕に反論の余地はない。

 しかし、自分がひたすらな単純作業に少々辟易していることに、シューニャは感づいたのだろう。今度はしっかり聞こえるように、大きなため息をつく。



「宿を離れないなら、別に何をしていたって私は何も言わないし、それ以上に何かを強制するつもりもない。ただ勉強は積み重ねというだけ」


「はい」


 ちゃんとやっとけよ、と釘を刺されてしまった。

 最初は現代社会専攻と思っていたが外国語も含んできて、かつ教師っぽさが大幅に強化された気がする。できれば鉛のような重い思考に支配されないように体を動かしておきたいところだったが、これで出された宿題をやっていませんでしたなんて言った日には本気で愛想を尽かされかねない。

 だが勉強には甘い誘惑もまた付き物らしい。


「ちょっと、いいッスか?」


 おずおずと挙手したアポロニアに全員の視線が集まる。


「酒場回りなら午前中は自分自由ッスよね?」


「ん」


 小さくシューニャが頷けば、犬娘が小さくガッツポーズを作る。これには全員が首を傾げたが、その様子を見て不敵に笑う。


「ご主人、約束してたこと、お願いしていいッスか?」


 ぴたりとシューニャとファティマの動きが止まった。ダマルはガントレットを鳴らしながら肘をついて聞く姿勢に入る。多分面白がっているのだろう。

 約束と言われるとなんだったか一瞬わからなかったが、アポロニアにお願いされるようなことは逆に1つしか思い当たらない。


「ああ、いいよ」


 と肯定すれば、硬直していた2人が素早くその場で立ち上がった。そしてゼンマイ仕掛けの人形のような動きでアポロニアの両脇を掴むと、ずるずると廊下へ連れ出していく。閉まる扉を僕とダマルは阿呆面を晒しながら眺めているほかなかった。


「おい、お前何約束したんだ?」


「いや……銃の扱いと戦闘術の稽古をつけてほしいって言われただけなんだけど」


「お前主語抜いたよな」


「言ってなかったね」


 食器の音が聞こえたと思って視線を戻せば、ダマルは興味を失ったように食事を再開していた。歯が剥き出しなこともあって、その隙間からクレソンのような葉が飛び出している。

 彼女らには彼女らなりの何か事情があるのだろうと考えるのをやめ、パンを口に運ぼうとすれば、ダマルが面倒くさそうに呟いた。


「連中と普段通りに会話ができてるのには驚いたぜ」


「それは僕も驚いてるよ」


「なんだ、双方納得の上でってわけじゃねえのか。朝から外で銃剣訓練なんてしてるもんだから、その辺はお前がうまく纏めたのかと思ってたぜ?」


「……正直言えば、いつ決別を言い出されるかと思って気が気じゃないんだけどね」


 僕が心中を吐露すれば、ダマルはそれを阿呆かと一言で切り捨てた。


「まぁそれとは別に、後で犬っコロに謝っとけよ」


「それはどういうこと――」


 と僕が質問するより早く、状況は開いた扉が教えてくれた。

 床に打ち捨てられるアポロニアの亡骸。いや僅かに痙攣しているので死んではいないのだろうが、四肢から完全に力が抜けきっており、太い尻尾もだらりと垂らされていた。

 だというのにシューニャは平然と自分の食事を再開する。いつも通りのすまし顔は何もなかったと語っていた。

 この短時間で彼女の身に一体何が起きたのか、とアポロニアに手を伸ばそうとすれば僕の腕に影が落ちる。慌てて見上げてみれば、煌々と光る猫目がこちらをしっかりと捉えていた。


「おにーさん……ボクとは組手してくれないって言ったのに」


 どうやら約束の内容は誤解無くしっかり伝わったらしい。正確な情報伝達は余計な混乱を回避する最善策だと軍隊では教えられてきた。

 しかし情報とは常に伝えるべき相手を選ばなければならないこともまた事実だ


「いや僕は別にアポロを贔屓したとかじゃなくて、ファティとまともにやったら僕が潰されると言いたかっただけであって」


「ふーん」


 情報は伝わっても思いは伝わらなかったらしい。鼻から出ているのではないかと思うような返事に、僕は生命の危機を感じた。


「聞くんだファティ! あの斧剣じゃなくても、君が振り回せば大体の物は人を殺し得る! 訓練用の木刀でもダマルが着てる鎧くらいならペシャンコにしかねないんだ!」


「もしかしておにーさん、ボクのこと化物だと思ってます?」


 もしかしなくてもただの人間からすれば化物なんです、とは流石に言えなかった。この状況でそんなことを言えば火に油であり、またも歯型か爪痕をつけられるのは避けられない。

 だがそんな状況にダマルはふいに水を差した。


「おい、何か騒がしくねぇか?」


 真面目な口調だったこともありファティマも怒気を沈めると、耳をレーダーのようにぐるりと回す。


「……確かに聞こえますね。なんでしょーか?」


 骸骨が居ることもあってかシューニャは僅かに鎧戸を押し開き、隙間から外を覗き見る。すると自分の耳にも何かざわめきが聞こえてきた。


「目抜き通りに人だかりができている」


「歓声みたいなんで、お祭りとかじゃないですか?」


「祭り、か」


 そう言われると少し興味が湧いた。

 この時代の祭りとやらがどういった物かはわからないが、人が多く集まっているとすれば、何らかの噂でも流れている可能性は否定できない。


「見に行ってみよう」


 僕の言葉でシューニャの立てたプランは立ち枯れたものの、ぐったりしたままのアポロニアを除いて全員が同意したため、特に文句は上がらなかった。





 見知らぬ模様の旗が広い通りを進んでいく。

 旗手を先頭に4列縦隊を組んだ槍兵が長槍を空に向け、陽光に輝くラメラ―アーマーに顔全体を覆うバシネットを被った重装歩兵、更に一角獣アンヴに跨る騎兵と続く。皆一様に人々からの喝采を浴びており、人々の声は何やら戦勝に沸いていた。


「こりゃ完全に祭りだな」


「大きな会戦に勝てばどこでもこんな感じッスよ。それで戦争の雌雄が決することだって多いッスから」


 元とはいえ自分の属した国家が敗北したというのに、特に何も感じない様子で平然とアポロニアは言ってのける。内心を隠しているとすれば見事な物だが、実際思うところなんてないのだろう。

 そんな犬娘の様子に兜の奥からダマルはくぐもった笑いを漏らす。


「愛国心のねぇ兵士だな」


「飯のために働いてただけッスもん。それに自分たちを家畜以下としか見ないような連中を愛せるなら、キメラリアだって流浪の民になったり、細々と種族だけで群れたりしないッスよ」


「飢えるくらいなら恥辱に耐えてってか、世も末だぜ」


 肩を竦めるダマルに、僕もまったくだと頷く。

 少なくとも軍隊に居ればリベレイタのような借金を負わされて戦わせられることはないのではと思っていたが、キメラリアとはどこに居ても割を食う立場らしい。そんな集団に情など沸くはずもないだろう。

 しかし直後に金音を響かせながらやってきた一団には、そんなアポロニアでさえムッと顔をしかめた。僕に至っては大きく舌打ちをしてしまったほどだ。


「捕虜か……あれじゃ企業連合国法だけじゃなく、ユングリーン陸戦条約違反だな」


「条約批准国じゃねぇだろ。それでもここまで大っぴらに見せられて気持ちのいいもんでもねぇが」


 捕えられた帝国の兵士たちは鉄鎖に繋がれて群衆の間を歩かされる。人々の侮蔑と嘲りに晒されながらひたすら俯いて足を引きずる姿には、国家に人道という言葉が存在しないことをハッキリと証明していた。

 企業連合も共和国も戦争中は非人道的行為や戦争犯罪が取りざたされることもあって、一概に王国を含む現代国家だけを悪とは断じられない。しかし、こうして目にしてみれば何とも胸糞悪いもので、鎖を掴む兵士がニヤニヤとしている姿を見れば殴りつけてやりたいとも思った。


「彼らはこの後どうなる?」


「貴族出身者は身代金によって解放されるけど、兵士の全てを解放するには余程の大金が必要だし、解放されない者は大体が奴隷にされると思う」


「奴隷になれるだけマシですよね。お金にならなかったら、キメラリアなんてすぐ殺されちゃいますし」


 シューニャの言葉に胃が締まり、ファティマの言葉には奥歯が軋んだ。

 それをさも当然と語る2人を見る限り常識的な対応なのだろう。だがそれは常識の方が狂っているというべきだ。

 自分も散々人を殺してきた以上は何かを言える立場にない。それでも絶望した顔で連れていかれる兵たちの原因を作ったのもまた自分であり、そこに責任を感じるなというのは無理があった。

 自分は王国の人間ではなく、かといって帝国の民でもない。コレクタユニオンからバッジを押し付けられているとはいえ、今一度放浪者という立場に立ち返るべきだと感じた。


「お? 凄いのが来ましたよ」


 やがてその虜囚たちが過ぎ去ると、続いて現れたのは軍獣にまで鎧が施された装甲騎兵に守られるチャリオットだ。それを牽引する2頭のアンヴも金銀の装飾鎧を着せられ、車上には金色に縁どられた赤い座面のソファが置かれている。

 ファティマはその煌びやかな装飾に声を上げたようだが、一切の戦術的有用性を持たないそれに僕は呆れてしまった。


「ありゃまるで御神輿だね」


「あれならむしろ、神輿の方が防御力あるんじゃねぇか?」


 一応チャリオットと表現したものの、乗員を守るような装甲は一切施されておらず、狙って下さいと言っているようなものだった。それもチャリオットの上で拳を掲げて群衆に笑顔を振りまくのは、明らかに()()()()()といった雰囲気をぷんぷんと漂わせる恰好をした男だ。

 アップハングショートの金髪とがっしりした体格を美しい板金鎧が覆い、その上に羽織られた紫と金で彩られるシクラスが揺れている。その指揮官らしき将が豪快に笑って見せれば、周囲から一層の歓声が沸き起こった。


「すごい人気だな」


「エデュアルト・チェサピーク。チェサピーク伯爵家の長男で、次期当主のはず」


「伯爵……か」


 耳慣れない単語に唸る。

 軍隊に兵卒から将まで階級があるように貴族にも爵位という物がある。しかし伯爵というのがどれくらい偉いのかはイマイチつかめなかった。

 だが大軍を指揮する以上はそれなり以上には高位の人物なのだろう。


「しかしシューニャは本当に何でも知ってるな。他国の貴族の名前や家柄なんて普通覚えないだろう?」


 全く恐れ入ると褒めれば、不思議そうに彼女は首を傾げた。


「他の貴族に関しては知らない。でもチェサピーク家には知り合いがいる」


「貴族に?」


 まさかと僕は驚いた。貴族と言われればどうにも鼻持ちならない雰囲気で、庶民に対して差別的な思想を持っているという貧相なイメージだが、そのチェサピーク家というのは自国民ではないコレクタの人間と交流を持つような変わり者なのか。


「ん? キョウイチも会っている。なんならここに居る全員」


「僕が貴族と関わった……?」


 顎に手を当てて考えてみる。

 王国に入ってからそういう人物と会ったか言われれば、答えはノーだ。比較的地位の高そうな人物と言えば橋頭堡の戦いで会ったクールビューティと体液娘か、あるいはこちらを買収しようとしてきたコレクタユニオンの支配人くらいである。

 しかしシューニャはあの橋頭堡で出会った2人は知らないと語る。それにかの支配人は自らをフリードリヒ・デポールと名乗っており、チェサピークという家名と聞き間違えるのは無理がある。それ以外でとなれば夜鳴鳥亭のコッペル一家とウィラミット、後はそれぞれボコボコにした古着屋や仕立て屋の店員たち程度であり、結局それらしい人物は思いつかなかった。

 お手上げだとシューニャに視線を戻せば、彼女はこともなげにあれと視線を右へ向けた。それを追いかけて顔を向けた先には、なるほど確かに見覚えのあるピッチリ固められた銀髪があった。


「受付の、だよね? 貴族だとは思わなかったが」


 現代的ビジネスマンライクな恰好をした男など、早々見間違えるはずもない。

 しかし思い返してみれば彼は名乗っておらず、それでいて謎の忠告をくれただけだ。面倒くさそうなので今後関わるつもりもなかったが、シューニャは彼のことを見知っているらしい。


「クローゼ・チェサピーク副支配人。チェサピーク伯爵家の次男。私が以前王国で活動していた時、担当してくれていたから間違いない」


「副支配人? あの不愛想な男が?」


「クローゼは誰に対してもあんな感じ。でも確かに……自己紹介すらしないというのは少し不可解」


 合理人間とでも言えばいいだろうか。雰囲気も行動も仕事ができそうなお堅い人物なのだが、あの一方的な忠告を聞けば誰でも不審は募る。

 王都を離れろ。敵となるなら、それなりに覚悟をしておけ。そんな言葉から感じ取れたのは敵意しかなく、面倒くさい奴に絡まれた程度の認識でしかない。

 その面倒くさい副支配人とやらは、少し目を離した隙に雑踏の中へ消えていた。パレードも知らぬ間に随分進んでいたことから、親族の雄姿でも見に来ていたのだろう。


――まぁ、どうでもいいか。


 避けたい人間のことを考えていても仕方がないと、僕が思考を切り替えれば、タイミングよく陽気な骸骨が嬉しそうな声を上げた。


「おっ! あん時のクールビューティじゃねぇか!」


 一際目立つ黒い髪と吊り上がった琥珀色の目、そしてモデルかと見紛うようなスタイル。動きやすそうな黒いドレスと白銀のラメラーアーマーは、あの日と同じ出で立ちだった。

 彼女は軍獣に跨った見知らぬ老将に先導され、後ろに体液娘を従えて凛々しく進む。

 だが僕はその周囲に、僅かな違和感も覚えた。


「周りの兵士の雰囲気が違うな。重装歩兵の姿がない」


「言われてみれば確かに――ほとんど見えないッスけど」


 玉匣のモニターから戦いを眺めていたらしいアポロニアは、背伸びをして人垣の隙間からパレード列を見回す。

 別にだからなんだという話に過ぎないのだが、僕はそれが妙に気になってクールビューティに視線を投げかける。

 そんな時、ふと琥珀色の瞳がこちらを捉えたように見えた。僅かに浮かんだ驚愕の表情に、まさか気付かれたかと思ってしまったが、よく考えてみればマキナ姿と生身の自分が一致するはずもない。

 パレードの最中である。視線は群衆に向けられたものに過ぎず、僕は自意識過剰だと苦笑した。


「もういい?」


 パレードの大半が過ぎ去ったところでシューニャは飽きてきたらしく、こちらを見上げてそう告げる。

 別に王宮までパレードを追いかけるつもりもなかった僕らは、特に情報も得られなさそうなので、彼女の意見に同意して速やかに雑踏を後にしたのだった。

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