第81話 ストリ①
リッゲンバッハ教授禁酒違反事件から暫く後、僕は小隊の解散と大隊の再編成に伴い中尉へと昇進。
これが機甲歩兵特殊部隊の新設、夜光中隊の産声だったのだが、おかげで大隊の編成組み換えには多大な時間を要することとなった。
その時である。手持無沙汰の僕に対し、軍令部から直々に、マキナの新たな制御系プログラムを設計するための任務につけ、という何とも曖昧な命令が下されたのは。
笹倉大隊長が言うには、以前の格闘戦が玉泉重工から高く評価され、マキナの制御系更新に関する試験に是非協力してほしいという強い打診があったそうだ。
無論、自分はただの新米中尉に過ぎないため、命令とあらば否やはない。大隊が一度後方に下がったタイミングで、1人玉泉重工が保有するマキナ研究施設に着任することとなったのである。
そこでは驚くほどにこやかな顔をして、あのリッゲンバッハ教授が待ち構えていた。
「というわけで、よろしく頼むぞ恭一君」
教授の分厚い手と握手を交わせば、任務内容が嘘ではなかったことが身に染みる。士官として戦うことしか考えていなかった自分が、まさかマキナの設計に関わるなど夢にも思わなかった。激化する戦争の中で前線から下がれたのはある意味幸運だったのだろうが、その癖自分の表情は緊張に引き攣っていただろう。
「まさか配属まで教授の下とは思いませんでしたよ。ただその、それ以上に――」
視線を左にずらせば、フンスと鼻を広げて堂々と仁王立ちする少女の姿。自信満々なのは結構だが、美貌という物を大事にした方がいいのではないかと心配になる。
「なんでここにストリが居るんです?」
「私がお爺ちゃんの補佐だからよ。どう? 見直した?」
まさかと目を見開いても、教授に重々しく首を縦に振られてしまえば否定のしようもない。
果たして、まだ14歳だという少女に何ができるのだろうか。確かに教授の腎臓肝臓の数値や尿酸値は心配だろうが、それだけで機密だらけの研究施設に常駐させるというのは、あまりにも妙な話である。
そんな思考が顔に出ていたのか、ストリは掴みかかってきそうな勢い僕に近づくと、青い瞳を半眼にしてこちらを見上げてきた。
「ちゃーんと仕事はしますぅー、これでも黒鋼の制御系プログラムは私が組んだんだからね」
「――ハハハ、嘘をつくにも限度というものがだな」
「信じなさいよ! ねぇお爺ちゃん」
疑われているとわかるや、証人として呼び出される飲兵衛爺。
一方で僕の方も、冗談でしょう? という視線教授に流したものの、なんと老爺は申し訳ないと前置きをしてから、ハッキリ事実だと認めてしまった。その様子はこれ以上ないほどに、渋々といった様子だったが。
「まぁなんだ、この孫娘はOSに関しては天才的なのだよ……OSに関してだけな」
「お、じ、い、ちゃ、ん? それどういう意味!? もうちょっと素直に褒めればいいじゃんか!」
やけに引っ掛かる言い方にストリは激しく抗議するが、その様子を見ていればなんとなく、こういうところなのだろうと納得できてしまう。
とはいえ、自分がどう思ったところで計画が変わるはずもないため、僕はよろしく頼むとにこやかに告げて、挨拶を終えることにしたのだった。
そんな先が思いやられる状況で始まった仕事の日々。しかし、いざやってみれば存外に新鮮で、これが中々面白い。
黒鋼のフレームを用いて格闘戦の動きをやれと言われ、模擬目標に対して普段通りの動きを取ればそれが数値化されていく。毎日のように試験用フレームは部品を入れ替えられるため、動きも反応もその日毎にまちまちで、どこかが良くなったと思えば故障が頻発したり、これでは駄目だと動きに文句を言ったパーツが、慣れてみれば扱いやすかったりと千差万別。まったく飽きない日常である。
そんな中で僕が何より楽しいと感じたのは、徐々に自分の身体の動きにシステムが馴染んでくることだった。
マキナには自己学習プログラムが走っており、どんな機体でも使い続ければ多少はパイロットの癖を覚えていく。しかし、そのシステムが玩具に思えるほどの速度でOSは進化していったのである。それこそがストリの才能であり、彼女は自らの仕事に対し、一切の妥協を許さなかった。
『高速移動開始、3、2、1、跳躍と共に膝蹴り。反動を利用して後退、着地……うーん、もう1回お願い』
「……これで15回目だけど?」
『だって! さっきとグラフパターンが違うんだもん! データは多い方がいいの! ほーらーはーやーくー!』
「はいはい……了解」
毎度こんな具合であり、僕は彼女が納得するまで何度も何度も同じ動きを繰り返す。多少愚痴を吐きながらではあったものの、相手が全く同じ動きをした場合、どう動けばより効率的かを見つめなおすいい機会となっていた。
ただし、その自分なりの修正がグラフの変化として現れたことで、100回近く同じ動きばかりを繰り返すことにもなってしまったのだが。
その日も、激しい動作を繰り返しすぎて、身体が悲鳴を上げ始めた頃、ようやくストリがOKと強化ガラス越しに大きくサインを出し、僕は無罪放免となった。
素体を放り捨てて汗だくの身体をタオルで拭いていれば、彼女がタブレット端末片手にやってくる。これもいつものパターンだ。
「いいデータはとれたかい?」
「んー……動きのパターンに関するデータはいいんだけど、黒鋼の弱点も見えちゃった感じ。第一世代型と比べてダウンサイジングが進んで、ああいう極端な動きができちゃうようになったのはいいけど、どうしてもフレームの弱い部分に大きい負荷がかかって――なんて言えばいいかなぁ」
ストリは口をへの字に曲げながら、暫く言葉を探すようにこめかみをペンで叩くと、やがて頭の上に電球でも輝かせそうに手を打った。
「そう! ぎっくり腰みたいになる!」
「ハッハッハ! そりゃあ大変だ」
どんな例えだ、とついつい笑ってしまった。多分リッゲンバッハ教授がやらかしたことがあるのだろう。
しかし、フレームの損傷となればそれは致命的な問題である。戦場で格闘戦をやった結果、マキナがぎっくり腰になって動けません、では笑い話にすらならない。
だからといって今すぐに黒鋼のフレーム全てを対策品に入れ替えることは難しく、下手に強化改良など行えば、重量増による機動性低下やバランスの悪化は避けられない。現状満足に使えている道具なのに、リコールによって性能が落とされた、ではあまりにも間抜けな話であろう。
とはいえ、所詮ただの兵士である自分が、軽く頭を捻ったところで解決策が浮くはずもない。それでも真剣に悩んでいる姿が余程滑稽に映ったのか、ストリは堪えきれないように吹き出すと、腹を抱えて笑いだした。
「アハハハハ! 何よその変顔! キョーイチが変顔したってどうしようもないじゃない!」
「変顔とは失礼な。僕ぁ真面目に考えているんだ」
「兵隊さんは戦えればいいんだから、そっちは任せてってば! あとその変な顔やめてよ、笑い死んじゃう! ぶふっ……アッハハハハハ! あいったぁ!?」
言っている事自体は至って正論であろう。しかし、その失礼極まる言動はなんとかならないものかと、抗議と躾を兼ねて軽く手刀を脳天に落とせば、彼女は両手で金色に包まれる頭を押さえた。
「背が縮んだらどーするの!」
「人の顔を変だなんだと言っときながら、身長を心配しろってのは無理があるだろう」
「あ、もしかしてキョーイチってばロリコンだったりする? 背がちっちゃい方が好きとか? 待って、ウソ、冗談! だからその手を――あにゃーッ!?」
こめかみを拳でグリグリとしてやれば両手をばたつかせて抵抗する。とはいえ、少女の細腕程度に対抗できるような軟な鍛え方はしていない。しばらく痛みに悶えさせた後に開放してやれば、ストリはおおぉぉぉぉと奇妙な叫びをあげて蹲り、ギッと両目に涙を溜めてこっちを睨んだ。
とはいえ、僕としては彼女が背丈を気にしていることに配慮し、わざわざ横方向から圧をかけたのだから、感謝されこそすれど睨まれるいわれはなく、ピーピーと口笛を吹いて視線を受け流したのだった。
■
実験を繰り返す中、僕とストリの接する回数は当然の如く日毎に増えていた。普通、多感な年齢の少女であれば、自分のように微妙な大人と関わり続けなければならないというのは、鬱陶しく感じられても不思議ではない。
だというのにストリはそんな雰囲気を一切見せず、ことあるごとに僕が生活していた兵舎へやってきては何かと付きまとっていた。曰く、被検体のデータをOSに反映させるため、だそうだ。
それもややストーカーじみていたので、僕の方が辟易させられることになったのだが。
「キョーイチ! お菓子きれたー!」
僕が自室の扉を開けた途端、そんな戯けたことをぬかしながら、人のベッドの上でゴロゴロと転がる小娘には、どれほどの美少女であれ流石にため息が出る。
元々自分は、菓子などほとんど保管していない。ただ先日少し気が向いて、珍しくチョコレート菓子を買っておいただけなのだが、その僅かな備蓄が両足をパタパタと遊ばせる子ども怪獣に見つかり、ちょうど枯渇したところだった。
「君は……はぁ、なんで僕の部屋に居るかな」
「データ取りのためだもーん」
カードキー方式で自分のプライベート空間となっているはずなのに、どうしてかストリは僕の部屋に侵入している。それも一度や二度でなくほぼ毎日だ。
僕の仮住まいには、まともな娯楽などほとんどない。携帯ゲーム機を持ち込んだり、携帯通信端末で遊んでいる職員はよく見かけたが、僕はそのどちらも娯楽として持っておらず、彼女が不法侵入してまで入浸るに足る理由など1つもなかった。
だというのにストリは部屋に居る。それも暇があれば消灯時間近くまで、何をするでもなくゴロゴロしていた。
「データねぇ……なんの役に立つんだか」
「そんなこと兵隊さんは気にしなくていーの。だからお菓子追加で」
「人にたかるんじゃない。そしてベッドの上で菓子を食うんじゃない、粉だらけになる」
僕の小言など彼女は聞くはずもなく、ひらひらと手を振りながら転げまわる。
それも実際、日に日にOSの精度は高まっているのだから、全否定するのも難しい。ただでさえ柔軟なマキナが、本当に自分の手足のように動くのだからこれは脅威と言うべきだろう。ただ不法侵入との因果関係はあまりに疑わしいのだが。
「じゃあ真面目にデータ取りするから、お話しましょ?」
「君は僕が何時間も話せる話題を、ポンポン出せるような奴に見えるのかい……」
毎日繰り返していれば薄っぺらい話のネタなどすぐに尽きる。何度もそう言って聞かせたのだが、これがまた断固と食い下がってきて手に負えない。
「あーるーでーしょー! まだほら、恋バナとか聞いてないし?」
「色気づいてるんじゃないよ。10年早い」
「女の子ならフツーよ。というか、キョーイチって彼女とか居ないの? 衛生兵さんとか、噂聞いたことあるけど」
Tシャツにホットパンツというラフな格好で胡坐をかいて向き合ってくるストリに、僕は頭が痛くなってきた。
「一体誰だ、そんな根も葉もない噂を流布した奴は……」
ガックリと肩を落とせば、違うの? と少女は首を傾げてみせる。
「僕に恋人は居ない。それに明日死ぬかもしれない最前線の兵士と恋仲になるって、不幸に近づくだけじゃないか」
「む、そうかなぁ?」
彼女は僕なりの持論に対し、何か納得いかないと腕組みして唸りだす。
だが、伴侶や恋人が死んでしまえば幸福とは程遠い。ましてそれが他国との戦火を理由にするならば、その恨みは底知れぬものとなるだろうし、いずれ戦争が終わった後にも禍根を残しかねない。それに僕ならば、自分が死んだ所為で愛する人に復讐や悔恨の人生を歩んでほしいとはとても思えなかった。
だが、思春期真っ盛りのストリにしてみれば、これは受け入れがたかったらしい。ジト目をこちらに向けてくる。
「でも好きな人と一緒になれないのって、結局不幸じゃない?」
「どうせ失うなら最初から手に入れない方がいいだろう」
「えぇー……キョーイチ、モテないからそう言って逃げてるんじゃないの?」
自分の胸に何かが突き刺さった気がする。口から血が出なかったのは物理的衝撃がなかったからだろうか。
確かに産まれてこの方、女性にモテたことはない。それも青春時代を軍学校で過ごしており、高い割合の男所帯だったのだ。女性との関わりそのものが少ないことを考えれば、ストリの言葉はあまりにも重かった。
「そ、想像にお任せします」
「うっわ、図星だよ!」
バンバンと布団を叩きながら笑うストリに返す言葉もない。確かに女性に言い寄られたこともない男が、兵士は云々と御託を述べたところで何になるだろう。
「もしかして、キョーイチ童貞?」
「そういうことを女の子が言うんじゃないよ……名誉のために言っておくが、流石に卒業してる」
上官に連れていかれた風俗店で、という情報は流石に伏せた。これは名誉云々ではなく、未成年者への配慮からだ。
しかし、我ながらなんと些細な抵抗だろう。今すぐ布団を被って眠ってしまいたいが、ベッドを占領した小悪魔によって逃げ道は塞がれている。
だというのに、当のストリはそれを聞くとムッと顔を顰めた。
「モテてない癖に、彼女居たんじゃん」
「……大人には色々あるんだ」
僕の苦しい言い訳に彼女は何も答えない。年頃の娘とは厄介な物と理解したのはこの時だっただろう。
何故かその日は口を利いてもらえなくなった。だというのに部屋に居座るものだから、間違って注文した家具がベッドの上ある、ということにして思考から切り離してやり過ごす。
それでも翌日も試験を終えて部屋に戻ればまた居て、菓子がないジュースを寄越せ、と昨日の完全無視が嘘のような傍若無人ぶりを発揮してくる。
それは複雑な感情によるものか、あるいはただ我儘で短慮なだけなのか。理解不能な思春期女子に、僕はほとほと振り回された。
仕事にもプライベートにもストリが居る、そんな忙しない日常が繰り返されること1年近く。試作機の制作はようやく大詰めを迎え、奇妙な生活にも終わりが近づいていた。