第79話 乙女、突貫ス
昼下がり、僕は名も知らぬマカロンモドキをかじりながら机に向かっていた。
本来は今日も情報収集に向かうつもりだったのだが、シューニャからいい機会だから文字の学習を優先するよう指示を受け、とにかく文字を書けるようにと練習に励んでいたのである。
対して、女性陣3人は揃ってどこかへ出かけている。随分興奮した様子だったので、何か思いついたことがあったのかもしれない。
ダマルに関しては調整が終わったらしい鎧を着こんで、少し宿の周りを歩いてくると言って出かけた。単独行動は控えろと言われていたので付き添おうかと言えば、宿の周りを歩くだけだから問題ないと言われ、僕だけが居残りとなっていた。
奇妙な記号を書き続けることに疲れて身体を伸ばせば、鎧戸が開かれた窓から通りが見える。曇り空だが街路の人通りはそれなりで、しかしそこに鎧は見当たらなかった。出掛けてから随分時間が経ったため、もしかすると酒場に戻っているかもしれない。
僕は区切るにはちょうどいいタイミングだと席を立って、ランチタイムが終わった頃合いの酒場へ降りてみた。
しかしそこに骸骨アーマーの姿はなく、一体どこへ行ったのかと不思議に思っていれば、後ろから鈴のような声が投げかけられる。
「アマミさん、お勉強はもういいんですか?」
「あぁ、今日の分は終わったよ」
安いボロ紙とはいえ結構な枚数を使ってしまったし、慣れないつけペンを使い続けた所為で手は真っ黒になり肩も凝る。そんな中では流石に集中力も続かないので、自分なりに区切りをつけた。
僕がやれやれと首を揉めば、何故か嬉しそうにヤスミンはその場で小さく跳ねて見せる。
「それじゃ、またヤスミンとお話してくれませんか?」
「僕は構わないが、お仕事はいいのかい?」
「はい! お父さんが遊んでおいでって言ってくれたから」
ちらとカウンターを覗き見れば、笑顔で手を振るハイスラーの姿が見えた。どうやら嘘ではないらしい。
「そうかい。すみません、席を借ります」
「ええどうぞ。また珈琲でもお持ちしましょう」
僕がカウンターの一角に腰を下ろせば、隣の高いスツールにヤスミンはよじ登った。
「アマミさん、今日はアマミさんのこと教えてほしいです。昨日はヤスミンばっかりお話したから」
「僕のことか……そうだなぁ」
カウンターに銅貨を1枚置けば、代わりに珈琲が1杯提供される。
彼女にどれくらいの暇があるかはわからないが、退屈しないようにできれば御の字かと考え、僕は現代に落とされてからの冒険譚を語ることにした。
自分は決して話が上手い方ではなかったものの、ヤスミンは時に驚き、時に笑い、時に質問を投げながら、瞳を輝かせて聞いてくれる。途中からはハイスラーも聞き耳を立てていたが、娘の楽しみを邪魔したくないのか会話には参加せず、切れた珈琲のおかわりを頼んだ時だけ近づいてきてはまた去っていった。
結局それが終わったのは、ハイスラーが蝋燭に火を灯し始めてからである。気づけば窓から外は宵闇が迫っており、街路にもキャンドルランプが灯っていた。
「あ、ありがとうございました! とってもとっても楽しかったです!」
「そりゃあよかった」
「はい! あの……お願いすればまたお話してくれますか?」
ぎゅっとシャツの裾を掴んでくりくりとした目を向けられては誰が断れよう。話題は完全に枯渇しているが、望んでくれるのならと僕は小さく頷いた。
すると彼女はパッと大輪の笑顔を咲かせて抱き着いてくる。その素直な好意はとても愛らしく、ハイスラーが子煩悩になるのも頷けた。
「さぁお仕事に行っておいで」
「約束ですよー!」
アッシュの髪を揺らしながらパタパタと駆けていくヤスミンを見送れば、交代でハイスラーが近づいてくる。珈琲がなくなっていたので、夕食の前に最後にもう一杯頼もうとしたのだが。
「アバビざん……」
見上げた先のオーナーは、何故か滝のような涙を流して咽び泣いていた。
「えぇっ!? ど、どうしたんです?」
「盗み聞きしていたことをお許しください……記憶を失っていたというのに、シューニャさんたちを助けて王国に落ち延びてこられたなど、涙なしではとても……くぅっ! ご苦労なさったでしょう!」
カウンターの向こうに立っていたのだから、盗み聞きどころではないだろう、とは流石に言えなかった。
つい先日シューニャの話に泣きそうになった反面、大の男が自分の話で涙を流すとは驚きを通り越してやや退いてしまう。
「あ、ありがとうございます。でも彼女らに支えられていましたから」
僕がハハハと苦笑を返せば、ハイスラーは激しく右手をカウンターにうちつけ、嗚咽を堪えながらわなわなと身体を震わせた。
「なんと謙虚な……貴方は聖人のようだ!」
英雄の次は聖人か、曲解もここまでくれば一層清々しい。どちらもただの宿無し風来坊には過ぎたる評価であるが、わざわざ感動まで否定する必要もないだろう。
しかし不思議なものだ。ただ自分の行程を最低限誤魔化しながら語っただけだというのに、毎度やけに過剰な反応が返ってくるのだ。
誰かの身の上話など、大して面白い物でもないと思うのだが、現代人は冒険譚や英雄譚に飢えているのだろうかと首を捻る。
しかしそんな思考は、突如手を強く握られたことで中断を余儀なくされた。一体何事かと見上げた先には、ハイスラーの鬼気迫るほど真剣な顔があり、僕はついヒィと悲鳴を漏らした。
「これは自分の願いですが――良ければうちの、娘の婿となっていただけませんか!?」
「は、はぁ?」
あまりに突然の申し出に、僕は相当な間抜け面を晒したことだろう。目に入れても痛くないような愛娘に、いきなり婚姻関係を持ち出すなど正気の沙汰でない。
だがハイスラーは名案だと信じて疑わないのか、固く握った手に力を込める。涙と鼻水でぬめっているので速やかに手を洗いに行きたいのだが、それを許してはくれそうもない。
「見たところアマミさんはまだお若い! 王国臣民となりこの宿を継いで、ここに幸せな家庭を築かれてはどうでしょう!?」
「いきなり何言い出してるんですか!? ヤスミンちゃんまだ10歳でしょう!?」
「いーや、年齢など関係ありません! 貴方ならヤスミンを幸せにしてくれるはずだ! 昨日の夜は随分お楽しみだったなどと思っていましたが、貴方のような聖人がそんなことをされるはずがない!」
「どさくさに紛れてとんでもないこと口走らないでもらえます!?」
褒められているのか貶されているのかわからなくなってきた。しかし言葉を交わすたびにハイスラーの握力は強くなり、今やこちらが首を縦に振るまで離すまいと細腕に青筋を立てながらがっちりロックしてくる。
親が我が子を思いすぎて、子の想い人相手に凶行に走るというのはよく聞くが、まさか逆パターンで攻めてくるとは思いもよらなかった。近くにシューニャでも居れば助けを求めるのだが、残念ながら未だに帰ってこない。
そして先ほどから時折店を訪れる客が居るのだが、ハイスラーの尋常ならざる涙と表情にドン引きして、皆一様にそっと扉を閉めてしまっている。これでは店主自ら営業妨害を行っているに等しいので、なんとかせねばと周囲を見渡せば、ついに背後から攻撃が飛んできた。
「ぬがっ!?」
カーンとよく響く音を立てたのは、フリスビーのように回転しながら飛翔したお盆である。それが後頭部に直撃したハイスラーは、粘り気のある手を離しながらカウンターの裏へと倒れ込んだ。
「お父さんっ! アマミさんを困らせちゃダメ!」
投擲位置に視線を巡らせれば、ヤスミンが顔を真っ赤にしてカウンターの入口に立っていた。見事なコントロールと背中に結いつけた第二射は、どうにも手練れを感じさせる。
「や、ヤスミン? でもね、お父さんはヤスミンのために」
「もーっ! ヤスミンにはまだ早いもん! 早くお仕事の準備してっ!」
どうやら結婚云々の話まで聞こえていたらしい。いや、あれだけ叫べば往来まで響いていたことだろう。
すごすごとキッチンへ消えていくハイスラーを見送り、とにかくべちゃべちゃになった手を洗おうと庭へ足を向ければ、背後からヤスミンに服の裾を引かれた。
「お父さんが迷惑かけてごめんなさい」
彼女はまるで身内の恥だと言わんばかりに頭を下げる。確かにあの奇行を見せられれば気持ちは痛いほど理解できるが、できれば親子関係にひびが入らないようにと願い、僕はいいんだと引き攣った笑顔を向けた。
「あと、その……ヤスミンはまだ小さいから、結婚とかは、その……」
「その話は気にしてないから! うん、やめよう!」
シューニャ達が居なくてよかったと本気で思う。こんな場面を見られれば、また暫く針の筵である。
僕は素早く裏庭へ逃げると素早く冷水で手を洗い、しばらくハイスラーには近づかないようにしようと心に決めて、気づかれないように自室へと戻ったのである。
■
仲間たちが帰ってきたのはディナータイムがたけなわとなった遅い時間だった。
それも女性陣は結構な荷物を抱えていたので、何か得られたのかと問うてみれば、何もなかったと全員が口をそろえる始末。その上ダマルに至ってはなお酷かった。
「女どもが居ない間に娼館とか偵察してきたぜ! そういうとこにも情報があるかもしれねぇからな!」
「君ねぇ……」
呆れてものも言えないとはこのことだ。
だが普段なら汚物を見る目を向けるであろう発言に対し、どういう風の吹き回しかシューニャは一理あると骸骨の行動を容認したのである。正体が露見しないようにと改めて釘を刺したとはいえ、異常なまでの寛大な処置に僕は彼女の体調を心配したが、誰からも異論はなく話が終わってしまった。
その後は何のことなく食事をとれば、あとは寝るだけとなり全員で部屋に戻るのみ。
ダマルは煙草を吸ってから戻ると言ったので、僕は1人先に部屋へ戻って寝床を整えていた。そんな中、背後で蝶番がギィと鈍い音を立てる。
「あぁお帰りダマル。明日の予定なんだが――え?」
ノック無しで扉を開くのはダマル以外に考えられない。
しかし肩越しに軽く視線を流して見えたのは、スケルトンにあるはずもない金紗の髪だった
「あ……あの、ご主人様?」
小首を傾げたシューニャは、何故かエプロンドレス姿である。
ついつい二度見してしまったが、どうやら自分は既に夢の中らしい。家族だとあれほど言い張った少女相手に、深層心理で劣情を抱くとは全く情けない限りである。
だからこんな夢を見るわけにはいかぬと、全力で自分の頬を引っ叩けば、虚像のシューニャがビクリと肩を震わせただけで、目の前の光景は変わらなかった。あとはひたすら頬に痛みが広がるのみ。
「夢ってわけじゃない、のか? シューニャ?」
「は、はい、ご主人様」
ビックリするぐらいの棒読みになるシューニャ。よく見れば肩肘が突っ張っており、羞恥と緊張で顔も真っ赤に染まっていた。
一体何が彼女を奇行に走らせたのか。センスから察するにダマルが怪しいが、その目的は全く読めない。
「あ、の……この格好は、どう、でしょ、うか」
「どうって言われてもな。とりあえず普通に喋ってくれていいよ」
元々金髪にエメラルドの目を持つ美少女であるシューニャに、上から下まで完成された立派なメイド服が似合わないはずもない。普段のポンチョ姿と違ってかなり新鮮だとは思う。
「ハウスキーパーにでも転職する、ってわけじゃあないよね?」
「ち、違う。でも、この格好はその……キョウイチ的に、その……」
もじもじと身体を揺すり言葉を探す様子を見せ、時折ちらちらとこちらを覗いてくる。
やがて大きく深呼吸をしたかと思えば、何やら覚悟を決めた表情に変わる。やけに熱気と決意籠る視線を含めどんな言葉が飛び出してくるのかと身構えた。
「キョウイチ的には、じょ、情欲をそそられる?」
予想の斜め上を飛んでいく言葉。
脳内議会では、この小娘は何を言ってんだ、と冷静な自分が語り、ここは可愛いとでも言ってやれと、軽薄な自分が煽ってくる。
「シューニャ、状況が呑み込めないんだが……何があったか話してもらっていいかい?」
「それは――」
「だー! そこまでッスよー!!」
シューニャが何かを言い出そうとした途端、凄まじい勢いで扉が開け放たれると、キメラリア2人が部屋に飛び込んだ。
僕は夜中に騒がしいと諫めるつもりで彼女らへと向き直ったが、その恰好を見た途端に思考の一切が停止した。
アポロニアは室内だというのにフリル付きのビキニ型水着を着ており、ファティマに至ってはダボダボのワイシャツ姿という、あまりにもいかがわしい姿である。
一体何事かと硬直したままの僕に対し、犬娘は最早ここまでと言わんばかりに号令をかけた。
「えぇい、いきなり作戦崩壊させられるくらいなら、突貫あるのみッスよ! ごっしゅじーん!」
「おにーさーん!」
アポロニアとファティマの素晴らしい跳躍がスローモーションに見える。咄嗟にシューニャだけは突き放したが、2人分の見事な体当たりを頂戴して、僕はベッドに押し倒された。
無論、大胆が過ぎる彼女らと団子になって。
「ちょっ、君らは何をしてるんだい!?」
「おっ、ご主人慌ててるッスか? そんな顔してくれるなら、恥ずかしい服も悪くないッスねぇ」
「えへへー、おにーさんどーですか? ボク可愛いですか?」
藁のシーツの上で、2人は両脇から腕を固めてくる。押し付けられる胸の感覚に心臓が跳ねた。なんならクスクスと笑うアポロニアの声と全身を使って甘えてくるファティマに、理性が吹き飛ばなかっただけでも褒めてもらいたい。
「こ、これは何の冗談だい?」
「女の、本気」
「急にどうし――うぐっ!?」
止めとばかりに逃がしたはずのシューニャが上から降ってくる。フライングボディプレスが決まり手ならばと、咄嗟に腹筋へ力を込めて軽い彼女を受け止めた。
しかし大きく息を吐きながら顎を引いて胸元に視線を落とせば、潤んだエメラルドの瞳がこちらをじっと眺めていて、再び息が詰まる。
「わ、私は貴方にとって、女に見える?」
「何を……シューニャは女の子だろ、ヴっ!?」
たちまち右からアポロニアの膝が脇腹に突き刺さる。一体自分に何の恨みがあるのかと問いたかったが、それより先に左右から声がかかった。
「違うッスよご主人。自分たちを女として意識してるかって聞いてるッス」
「おにーさんは恋人とかいないでしょ? それ、ボクたちじゃダメですかってことです」
「キョウイチ、答えて」
―――ねぇキョーイチ。私は本気だよ?
耳を這う言葉に、腰まで伸びた金髪に碧眼が見えた。
違う、今自分の眼前にあるのは3人から向けられた視線だ。あの子ではない。
―――逃げないでよ。兵士が幸せになっちゃいけないの?
ズキリと頭が痛んだ。そしてそれ以上に胸が張り裂けそうに疼く。
こんなところに居るわけがない。800年も昔に全部吹っ切ったはずだ。
―――泣いたりしない。だって私は。
「キョウイチ?」
「ッ!?」
不思議そうな顔をしたシューニャがこちらを覗き込んでいる。まるで悪い夢を見たように自分の身体は冷や汗で濡れていた。ドラムのように響く鼓動が鬱陶しい。
蝋燭だけに照らされる天井は低く、だというのに随分遠く感じる。いつの間にか解放されていた両腕を支えに身体を起こせば、ファティマもアポロニアもポカンとしてこちらを見ていた。
その原因は自分の掌を見ればよくわかる。虫食いだらけで忘れていた悔恨の記憶が、彼女らの真っ直ぐすぎる好意を受けて息を吹き返したのだ。
まったく情けないと言わざるを得ない。僕は彼女たちに自嘲的な笑みを向け、首を横に振ることしかできないのだから。たとえそれが、関係を壊してしまうとしても。
「僕は……君たちの好意を受けられない」