第77話 月夜の裏庭相談会
夜鳴鳥亭での夕食を終えた後、僕は店の裏庭で珈琲を啜りながら夜風に当たっていた。
特に1人なりたかったという訳でもないが、なんとなく井戸端のベンチに腰を下ろせば、自然と色々なことが頭の中に浮かんできては消えていく。その中で行きついたのは、この先どうするかという問題だった。
テクニカであれ遺跡であれ、存在している以上はいずれ見つけられるだろう。しかしそれは古代の物資を得る手段でしかない。
――仮に翡翠の修復が上手く行ったとして、その後自分はどうしたいのだろう?
今と同じようにあてどない旅をするのも悪くない。しかしそんな放浪生活に女性たちを付き合わせるのは申し訳ないようにも思える。となればどこかに定住することになるわけだが、帝国にせよ王国にせよ人口集中地域には、種族やらマキナやら骸骨やらと問題が山積してしまう。しかもコレクタユニオンを頼らないのであれば、自分は実質無職なので、定住云々以前に稼ぐ方法を考えるところから始めなければならない。
どれも一朝一夕には解決できそうにないため、半ば諦めがちに珈琲を口にすれば、いいタイミングで背後から声をかけられた。
「ご主人、隣いいッスか?」
「あぁ、どうぞ」
夕方にはあれほど取り乱していた彼女だが、いざどうしようもなくなれば切り替えも早く、夜鳴鳥亭に帰ってからは上機嫌であった。
今もそれは続いているのか、身体の丈にあったタートルネックとハーフパンツ姿でくるりと身体を回すと、軽く勢いをつけてベンチに腰掛けて楽し気に話し始める。
「ダマルさんから聞いたッスか? コレクタユニオンであった話」
「あぁ、玉匣が騒ぎになってるって奴かい? さっき部屋に戻った時にそんなことを言ってたよ」
「見ただけで、鋼の化物だー、なんて笑っちゃうッスよね。自分なんて最初、目の前で味方全員殺されてるんスから」
アポロニアは馬鹿みたいだと言ってケラケラ笑ったが、あまりに実感がありすぎる言葉に、僕は引き攣った笑顔を浮かべるのが精一杯だった。
それでも彼女は特に気にした様子もなく、なんならアクション映画の内容かのように身振り手振りを交えて語り続ける。
「ブラッド・バイトも一撃で倒す飛び道具! そりゃ重装兵が一撃で消し飛ぶのも納得ッスよ」
「まぁそりゃあ――生身の人間が相手なら、鎧着てようがなんだろうが自動小銃で十分なわけで……」
板金鎧では小銃弾はおろか、距離によっては拳銃弾すら防げないのだ。対マキナ戦を想定した玉匣の主砲を喰らえば、木端微塵になるのは当然と言える。
それくらいに技術力に差があるのだと語れば、アポロニアはふむと小さく頷いてから、こちらへ真剣な表情で向き直った。
「そのことなんッスけど、自分にご主人の戦い方を教えてくれないッスか?」
「僕の戦い方?」
アポロニアは決して弱くない。無論種族の特徴から非力であることと、剣の扱いがいまひとつであることは否めないが、昼間にキメラリアのチンピラを軽くのせるだけの能力は持ち合わせており、ファティマ程ではないが身のこなしも軽いのだ。
しかし彼女は自己を過小評価しているのか、やや自嘲的な笑みを浮かべながら自身の小さな掌に視線を落とした。
「アステリオンは真正面からの戦闘が苦手ッス。非力だから弓が引けず、剣をぶつければ押し負け、長柄武器は重すぎて振り回せない」
「――だから、銃を?」
コクン、とアポロニアは小さく頷く。
彼女は今まで、自分が戦いに向いていないと考えていたのだろう。だからこそ、斥候兵として必死に努力をしたに違いない。
だが、800年前に用いられていた銃という武器が、その考え方を根底から覆してしまった。
「ジュウは自分でも撃てたッス。それにご主人の隠密みたいな戦い方なら、訓練さえちゃんとすれば、少しはお役に立てるかなーって……思ったんスけど」
アポロニアは拳を握る程に真剣だったが、こちらを覗き込むや否や、その声は徐々に尻すぼみになって不安を表情に滲ませた。というのも、僕が真顔になっていたからだろう。
しかし自分は全く真逆のことを考えていた。
何せ彼女自身の射撃センスは中々のもので、訓練すれば戦力化できる可能性は高い。加えて小銃に関しては弾薬の備蓄が潤沢で、銃そのものの予備もあるため、悪くない条件が揃っている。
しかし僕が黙って思考を巡らせていれば、アポロニアは沈黙に耐えきれなくなったらしく、無理に明るく自らの発言をかき消しにかかった。
「や、やっぱりダメッスよね!? いきなりこんなこと言われたって――」
「いや、悪くない提案だ。時間を見つけてやってみることにしよう」
これほど効果的な投資はないと僕は結論付けた。自衛のためにも銃器の扱いは役立ち、危険の多い現代でより柔軟な行動をとれるようになるだろう。
しかしこの答えが予想外だったのか、アポロニアは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
「へっ!? い、いいんスか?」
「ああ、君にやる気があるなら、だけどね」
驚いた顔の彼女に対し、僕はニヤリと悪い笑みを浮かべて見せる。何せ訓練は楽しい物ではないのだから。
しかし彼女は相当に嬉しかったのか、満面の笑みを湛えて飛びついてきた。
「ごっしゅじーん、愛してるッスよぉー!」
「わかったわかった」
それを僕が苦笑しながら片手で押し留めれば、微かに舌打ちが聞こえた気がしたが、彼女は軽く身体を翻して立ち上がり、グッと伸びをする。
「これでやーっと安心して寝られるッス……服の分、ちゃんと働くッスからね!」
どうやら高級服についてまだ気にしていたらしい。彼女は歯を見せてニッと笑うと、派手に尾を振りながら部屋に戻っていった。
再び1人になった僕は、いつしか人肌くらいまでぬるくなった珈琲を啜って息を吐く。
しかし思考を再開しようかと思った矢先、僕の肩に何かが乗りかかってきた。
「……ファティ、眠いなら寝なさい」
「ボク眠くないですよ? お話しにきただけです」
僕が珍しいこともあるものだと苦笑すれば、彼女はサッサと回り込んでベンチに座り、何故か崩れるようにこちらの膝に頭を下ろした。
街道酒場での一件以降、ファティマはスキンシップの要求に遠慮がなくなっている。無論、懐いてくれているのは嬉しいことだが、これではシューニャに甘えていると言われても否定はできないだろう。
「おにーさーん。今日は撫でてもらってませんよー」
「いつの間に日課になったんだか。まぁいいんだけどね」
優しく頭を撫でてやれば、ファティマは嬉しそうに咽を鳴らす。時折大きな耳に手が当たれば、くすぐったいのかピンピンと弾くように耳が動くので面白い。
「それで、話ってのは撫でて欲しいっていうことかな?」
「いえ。でもお膝の上にゴロンとして、ナデナデしてもらいながらでもお話はできるじゃないですか」
「そりゃまた、随分甘えん坊になったねぇ」
「え、ち、違いますよ! ボクは気持ちいいからおにーさんにナデナデして欲しいだけで、別に甘えてるとかじゃ――!」
どうやら自分の行動がそうであるとは思っていなかったらしく、ファティマは慌てて立ち上がると、真っ赤になった顔を千切れんばかりに左右に振って否定された。
「わかったわかった。それで話っていうのは?」
「そうお話です! ボク強くなりたいって思ったんですよ!」
無理矢理に話題を切り替えれば、彼女は力強く拳を突き出してそんなことを言う。
余りにも似通った話題に僕が軽く吹き出してしまうと、それをどう受け取ったのかファティマは瞳を輝かせながらこちらに迫った。
「ボク、真剣なんですけど」
「いやすまない、あまりにも既視感がありすぎてね――だがなんで急に?」
彼女はなお不服そうであったが、このままでは話が進みそうにないため、小さく息を吐いてから理由を語り始めた。尻尾だけは不機嫌そうに大きく振られたままだったが。
「今のボクじゃミクスチャどころか、ロンゲンにも勝てませんでした。これじゃあ、護衛なのにお仕事になりません」
ファティマは耳を左右に倒して、不満そうに呟く。
しかしそうは言う物の、彼女は化物じみたロンゲンの1撃から自分を救うばかりか、堅牢なミクスチャの外皮に傷をつけ、その上玉匣から引き剥がすことに成功している。
おかげで僕は彼女の働きを高く評価しているのだが、ファティマはそれでは駄目だと感じたらしい。
「なので、おにーさんに特訓して貰って、強くなりたいって思ったんです」
「そう言われてもなぁ……僕に剣の心得はないし、地力で言えばファティは十分すぎるから、できることがないように思うが」
戦い方がほぼ完成されているファティマに対して、自分が教えられることなど無いに等しい。それも武器を打ち合わせて組手などしようものなら、ちょっとした事故で自分がネギトロにされてしまいかねないのだ。
それを遠回しに無理だと伝えれば、彼女は不満げに頬を膨らませた。
「むー……じゃあせめて、ボクの練習を見て助言をくれませんか」
「まぁそれくらいなら。でも碌なアドバイスなんて期待しないでくれよ」
「はい。おにーさんが気づいたことを言ってくれれば、それで」
彼女なりの妥協点だったのだろう。納得した様子で彼女は頷くと、大きな欠伸をしながら歩いて行ってしまった。
手元に残った珈琲はいつしか冷え切っており、自分もそろそろ寝るかと腰を浮かせようとすれば、あっと小さな声が背中に投げかけられた。
「……シューニャも話かな?」
彼女はこちらの動きに、少し躊躇った様子だった。だが僕が座りなおせば安心したらしく、ゆっくり歩み寄ってくると、月光に金紗の髪を輝かせて不思議そうに首を傾げた。
「も、って何?」
「こっちの話だよ。座ったらどうだい?」
隣を勧めれば、彼女は素直に腰を下ろす。
一方の僕はさっきまでの会話の流れから、まさかシューニャまで武器を振りたいと言い出すのでは、という謎の緊張感に冷や汗が背中を伝う。
しかしシューニャは小脇に抱えていた何かを、こちらの前へぐいと押し出した。
「これを渡しておく」
「本? 僕は文字が読めな――い、からか」
「ん」
受け取った本は立派な装丁が施された分厚い物であり、月明かりを頼りに数頁捲ってみれば予想通り、複雑な模様が走っているばかりで一切読み取れなかった。その上時折現れる挿絵も、抽象的すぎて何を示しているのかがさっぱりわからない。
お手上げだと表紙を閉じれば、シューニャが小さく頷いている。どうやら予想通りの反応をしてしまったらしい。
「これは子供向けの物語集だから、教材としてはちょうどいい」
「いつの間にこんな物を……」
「ハイスラーに頼んで貸してもらった。貴重な本、大切に扱ってほしい」
彼女の言葉で全てに納得がいった。あれほど素直で可愛らしい愛娘のためならば、父親が多少無理をしてでも溺愛する気持ちはよく理解できる。それがやけに高価そうな本に行きついたのだろう。
心の中で2人に感謝を述べつつ、大切に使わせてもらおうと再び僕はページを捲った。
「明日からこれで読み書きを教えていく」
「まさかこの年で初等教育を受けるとは思わなかったが、先生よろしくお願いします」
「ん、任せて欲しい」
これほど頼もしい教師はないだろう。しっかりと頭を下げた僕に対し、シューニャは表情を変えずに小さく頷いてくれる。
であればこそ、あまり夜更かしするのはよくないため、一気に珈琲を飲み干して立ち上がろうとすれば、何故かそこで彼女はスンと鼻を鳴らして眉間に小さな皺を寄せた。
「……それ、珈琲?」
「ああ、ハイスラーが淹れてくれたんだが、苦手かい?」
うんうんと彼女は強く2回頷く。
僕は学者肌のシューニャは、珈琲を好むだろうと勝手に思っていたため、この反応は意外だった。それもマグを軽く差し出せば、小さく手で押し返してくるため、大層苦手らしい。
「まぁ、慣れないとブラックは苦いよね」
人によって好き嫌いは分かれるため、別に不思議でもないかと勝手に納得すれば、シューニャはそうじゃないと首を横に振った。
「味が苦手という訳じゃない。ただその……昔姉がよく飲んでいて、それを飲んでいる姉は大体不機嫌だったから」
思い出してしまう、と彼女は小さく呟く。
しかし僕は全く違う方向で、へぇと声を漏らしていた。
「姉妹が居るとは知らなかったな」
「言ってなかった?」
「うーん……考えてみれば僕はシューニャのことをほとんど知らないみたいだ」
ブレインワーカーであることと、元々はテクニカでの研究職を志望していたこと。彼女から直接聞いたのはそれくらいであり、来歴や肉親の存在などは全く聞いたことがない。
しかし僕が素直に知らないと告げると、シューニャは小さく首を傾げて、どこか試すような視線をこちらへと向けた。
「知りたいと思う?」
「まぁそりゃ大切な仲間の事だし――いや、言いたくないなら今更別に気にしないけどね」
一瞬、翠色の目が軽く見開かれたように見えた。
しかしシューニャはすぐに顔を背けると、小さく苦情を漏らす。
「その言い方は卑怯。キョウイチは最近、少し意地が悪い」
「ごめんごめん。教えてくださいお願いします」
半眼を向けられた僕が慌てて謝罪すれば、シューニャは呆れたように1つため息をついてから、ゆっくりと語りはじめた。
「私の生まれは司書の谷。大陸の北にある交易国リンデンの山奥で、霧に包まれる土地で暮らしていた。地下には大きな遺跡があって、それを囲むように集落が築かれている。それが私の産まれた場所」
「司書? 大きな書庫でもあるのかい?」
これは時折彼女に向けられる言葉だったように思う。
今まではブレインワーカーを指す言葉か何かだと思って聞き流していたが、どうやら出身地に関係があるらしい。
「古い言い伝えによれば、神代の人がそこに知識を集め、言葉とともに封印したからだと。司書の谷に住む人々の祖先は、その封印を任された守護者だったと言われており、未だに遺跡を守り続けている」
普通に聞けば迷信深い田舎の人々、という雰囲気であろう。
しかし、太古の人と言われると、自分たちにとっても他人事ではないため、僕は更に質問を重ねた。
「その封印された知識について、シューニャは知っているのかい?」
「……昔、遺跡に潜り込んだことがある。その時はわからなかったけれど、タマクシゲのモニタァのようなものがいくつも置かれていた」
それがただのオフィスなのか、あるいは何らかのコントロールセンターだったのか。彼女の説明だけでは判断がつかない。
しかし、シューニャはどこか寂しげに目を伏せる。
「私がブレインワーカーになったのは、それが原因」
「原因? 理由じゃなくて?」
まるで悪いことであったかのような言い方に僕が首を傾げれば、彼女は相変わらず表情を変えないままで、その理由を語り始めた。
「遺跡は神聖な場所で、近づけるのは管理者の一族だけ。私はその禁を破った事で、咎人として司書の谷を追放された」
「追放って……子どもの悪戯に、それは――」
単語の重さに鳥肌が立った。
現代において集団から弾きだされることは、大人であっても生きていくことが難しくなる事態である。それを無垢な子どもを相手に対して執行するなど、如何にタブーとはいえ正気の沙汰でない。
だがそれをシューニャは当然と受け止めていた。
「本当なら禁を破れば死罪になる。けれど家族があらゆる手を使って減刑を懇願してくれたから、私は追放処分で済ませてもらえた。それも成人するまでの猶予も与えられて」
彼女の懐かしむような言葉に、僕は無意味だと分かっていながらも、何故と現実を睨みつけた。
たかが遺跡1つである。そこに幼いシューニャに受けるべき罪などあるはずもなく、それを思えば苦々しい感情が顔に浮かび上がって奥歯を噛んだ。
「……そんな顔しないでほしい」
自分は知らず知らず、よほど酷い表情をしていたのだろう。気付けばシューニャの小さな手が、僕の頭を不器用に撫でた。
彼女に恨みは感じられない。それどころか、心には肉親への感謝があったのだろう。
おかげで僕は、自分の口から出かかった言葉を必死で飲み込んだ。
――辛くないはずがない。会いたくないはずがない。
しかし、それを口にしていいのはシューニャだけだ。
にもかかわらず彼女はこちらを気遣ってか、こんな時ばかり薄く薄く微笑んで、優しい目を向けてくる。
「私は生きている。追放されて故郷に戻れなくても、たとえ家族に会えなくても、今はタマクシゲの皆が……キョウイチが居るから寂しくない」
「ッ――!」
鼻の奥がツンと痛む。
全くとんでもない娘である。あまりにも自然な殺し文句に、僕は彼女の肩を抱き寄せてくしゃくしゃと頭を撫でた。
「……それなら、よかった」
涙が流れないように夜空を見上げつつ、深呼吸を1つ。
聡い彼女にはきっと気づかれていただろうが、あえてシューニャは何も言わず力を抜いて、こちらの肩に頭を預けて目を閉じる。
「少し、冷えてきたな」
「……ん」
彼女が望むかどうかはわからない。ただ、いつか生活が落ち着いたら、彼女の故郷を訪れることにしよう。
遺跡の全てを解き明かせば、彼女に追放の理由などなくなる。それでなお迷信的なルールを押し付けてくる輩が居るのなら、管理者だろうが何だろうが翡翠でぶん殴ってやるのだと、僕は心に決めたのだった。