第69話 常識的注意喚起
玉匣を隠したシェルターのゲートが閉鎖される。
分厚い扉を前にそれぞれ最低限の荷物を背負って集合すれば、そこでシューニャによるユライアシティの事前説明が行われた。
「ユライアシティは世界的に見ても治安がいい都市。けれど貧民街では犯罪も多いから、極力近づかないように。どうしても行く用事ができた場合は単独行動を避けること。逆に貴族街にはコレクタバッジがないと入れないから、必ずキョウイチを同伴する必要がある」
「首都ともなりゃ、貧富の差は絶対ってか」
差別的だと、ダマルは骨を鳴らしながら笑う。
とはいえ、知らないで馬鹿を見るのは自分たちであるため、骸骨もそれ以上何かを言おうとはせず、シューニャは淀みなく注意喚起を続けた。
「あとは個人で気を付けて欲しいこと。まずアポロニアは帝国軍の脱走兵だと悟られないよう、徹底して放浪者を装ってほしい。言わなくてもわかると思うけれど、下手をすると首が飛ぶ」
「まぁ、そッスよねぇ……行きたくなくなってきたッス」
突き付けられる現実にアポロニアはがっくりと肩を落とす。しかし今更逃げ出すこともできないため、仕方なしに弱弱しく頷いていた。
それを確認したシューニャの視線は続いてダマルへ向けられる。
「絶対に骸骨姿を見られないように。国家を上げて討伐隊が組織されかねない」
「俺の方がよっぽどひでぇじゃねえか!? いや、わかってたけどよォ……」
両手で兜を覆って天を仰ぐ骸骨には、流石に僕も同情を禁じ得ない。
自分たちはダマルが友好的な骸骨だと知っているからいいものの、周囲から見れば蠢く人骨という化物に過ぎないのだ。
本来なら留守番を頼むべきなのだろうが、情報収集が長期間に及んだ場合を考量すればシェルターに封印するのは心苦しい。
加えて未来永劫ダマルだけを現代文明から遠ざけておくことは現実的でなく、ならば事前準備が可能な状態でリスクを軽減したほうがいいという結論に至った。
骸骨の嘆きを理解の証拠として、シューニャは僕へと向き直る。
「……その、できれば落ち着いて聞いてほしいのだけれど」
何か言い出しにくいのか、彼女は無表情のままで口へ手を当ててこちらを見上げる。
とはいえ自分にはダマルやアポロニアのようなハッキリした不安材料はなく、どういうことかと首を傾げれば、シューニャは躊躇いがちに呟いた。
「町中でキメラリアに対する悪口や差別を見ても、どうか怒らないでほしい」
「それは――それが常識だから、だよね」
落ち着けという言葉の意味が身に染みる。
いつからここまでキメラリア贔屓になったのかはわからないが、少なくとも大切な仲間が侮辱されるのを看過できるほど、自分の堪忍袋に自信はない。
それを理解したうえで、シューニャは僕に釘を刺したのだ。
「わかりやすい差別は国法にある。貴族の許可がなければ貴族街に入れないし、人間専用を掲げる店や宿にも入れない。王都では身分が書かれた札の着用も義務付けられているし、それ以外にも様々な規制が伴う」
「随分な法律じゃないか」
僕は馬鹿げていると肩を竦めた。
自分たちは永住するつもりではないため、わざわざ法律に物申す理由は存在しない。
しかし、それだけに留まらないとシューニャは首を振った。
「民衆からの差別が根強いことが最大の理由。基本的にいい顔はされないし、キメラリアが近づいたというだけで難癖をつけてくる人もいる。酷い例で言えば、路地裏で集団暴行にあって殺害された事件を、キメラリアだからと官憲が無視したことも――」
「ちょっと待ってくれ。まさかファティやアポロに何かあっても、黙って見てろってことかい?」
僕はついシューニャの言葉を遮った。
腹の底で何かが煮えるような感覚に拳が握られ、奥歯がギリっと音を立てる。
不平等を常識だからと飲み込むのは難しくない。しかしそれが心身に及び、あまつさえ命に関わっても黙っていろというのは、流石に無理がある。
しかしそんな僕の姿に、彼女はやっぱりと小さくため息をついた。
「そうは言っていないし、危険だと判断すればむしろ守ってあげて欲しいとは思う。私が言いたいのは、差別的な発言はそれこそ嫌ほど耳にするだろうから、できるだけ無視を貫いてほしいということ」
「……善処しよう」
トラブルを回避するためなのだと、僕は穏やかならざる心中のまま彼女の言葉を飲み下す。
感情に施したロジカルのメッキが薄く脆いことを理解しながら、それが剥離するような事態が起こらないようにと願うことしかできなかった。
「てぇい!」
「ぐ――ッ!?」
突如走った軽い衝撃で、自己制御の難しさに沈んでいた思考が現実へ引き戻される。
僅かによろめきながら前を向けば、そこには呆れたような表情を作っているアポロニアが正拳を突き出して立っていた。
「ったく、か弱い少女相手になぁんて顔向けてるッスか」
彼女の拳は非力なこともあって、鳩尾に命中しても大した威力はない。しかし自分に現状を見せるには十分な物で、自然と作られていた表情にハッとする。
こちらが驚いたのを見てくるりと身を翻した彼女は、軽くシューニャの肩を抱き寄せながらこちらを睨んだ。
「シューニャはわざわざ言い難いことを言ってくれたッスよ。それを責めるのはお門違いッス」
「あぁ、アポロの言う通りだ。すまない、つい感情的に……」
「大丈夫。私は気にしていないから」
自分の大人げなさが恥ずかしく、忠告してくれたシューニャに申し訳ないと、僕は直角に腰を折る。
それにシューニャは構わないと首を振ったが、一方アポロニアは全力でストップを叫んだ。
「いーや、ちょうどいい機会ッスから言わせてもらうッス! ご主人は鈍感が過ぎるッスよ! 自分たちのことを気にかけてくれるのは嬉しいッスけど、シューニャの気持ちも考えるッス!」
「アポロニア、私なら大丈夫だから」
鼻息の荒いアポロニアをシューニャが止めに入るも、一度爆発した怒りは早々収まらない。
投げかけられる正論に僕はひたすら頭を下げ続ける。事実を伝えようとしてくれた彼女には感謝せねばならず、嫌悪感をぶつけるなど愚の骨頂に他ならない。
「大体キメラリア相手に平等を叫ぶなんて、ご主人が英雄様だからできるんスよ。でも、そんな御大層なこと言いながら、女の子泣かせてちゃダメじゃないッスか」
腰に手を当てたアポロニアの前で、仰る通りですとしか言いようがなかった。
そんな説教の様子をダマルはカッ! カッ! と笑いを堪えてながら、遠巻きに眺めている。
「いや、本当に返す言葉もない。反省しています」
「謝る相手が違うッス! そういうところが――」
「はむっ」
まだまだ言い足りないと僕を指さしたアポロニアだったが、突如その声がピタリと止む。
はて何事かと僅かに頭を上げてみれば、目に入ったのは彼女の分厚い耳に噛みついているファティマの姿である。おかげで今ぞ高説を叫ぼうと息を吸っていたアポロニアは、直後に甲高い叫び声として肺の空気を吐き出した。
「キャぁーン!? い、いきなり何するッスか!?」
大きく頭を振ってファティマの鋭い八重歯を払いのけると、アポロニアは大きく後退しながら耳を押さえて苦情を述べる。
そんな彼女にファティマは欠伸をかみ殺しながら、感情の乗らない金色の視線を向けた。
「飽きました。いい加減長いんですよ」
「うぐ――」
ここまでハッキリ言い放たれてはアポロニアも流石に言葉を続けられず、シューニャも背後でやれやれと肩を竦める。
唯一ひとしきり笑った骸骨は、もう終わりかぁ? と残念そうだったが、ファティマが目を光らせたことで煙草を咥えて視線を逸らした。
ぐるりとこちらを向きなおした彼女は、眠たげにユラユラと尻尾を揺すりながら、はぁと小さくため息をつく。
「犬はホントにおバカさんですね。反省してるって言ってるんですから、それ以上どうしようもないじゃないですか」
「そ、そりゃそうッスけど……」
「それにおにーさんはボクを助けるために、キムンとミクスチャをボコボコにするような変人さんですからね。正直、町で耐えられたら奇跡だと思ってます」
平熱な言葉だからこそ、それは途轍もない勢いで心に突き刺さった。
変人というのは彼女なりの誉め言葉であろう。しかし後に続いた信頼の無さもまた嘘偽りない物らしく、僕は堪らず弁解に走った。
「い、いや、努力はするとも。僕はこれでも平和主義者なんだ」
「今までおにーさんに言われた中で、いっちばん信用できない言葉ですね」
アポロニアの怒りさえ一振りで斬り伏せた言葉の切れ味に、これは自身の器が試されているのだと言い聞かせて耐える。
我が堪忍袋の容量は何バレルあるのか。しかしそれが大容量であることを示さなければ、彼女からの信頼は勝ち取れないだろう。
たとえ自信が無くとも、時に男とは空手形を切らねばならない時がある。
「任せてくれ。トラブルは起こさないよ」
ドンと胸を叩けば、それでもファティマは明らかな疑いの目を向けてくる。正直すぎるのも考え物だった。
■
「コレクタリーダーか、リベレイタの鎖はちゃんと握っておけよ。通ってよし」
不愛想に早く行けと言う兵士に、僕は必死の愛想笑いを返す。
コレクタユニオンの一件以来、リベレイタという言葉に対してやや嫌悪感を覚えていることもあって、内心で食あたりで倒れろと唾を吐いた。
先に通過していたアポロニアとファティマは既に首から身分が書かれた木札を下げ、シューニャがそれを問題ないか確認する作業に当たっている。
ただし、ダマルはいきなりここで引っ掛かった。
「俺のどこが不審だってんだよ!? おい上の人間呼べ!」
「いや、少し顔を見せてくれればいいだけなんだが――」
「呪われてんだよ! 兜脱いだら死ぬの! あぁん!? それともなにか!? 兜被ってるコレクタの奴ぁ通っちゃならねぇって法律でもあんのかよ!?」
苦しい言い訳が飛ぶ。質の悪いクレーマーが如き勢いに衛兵もたじろいていたが、それでも何か身分証明はないのかと必死で問うていた。
それでもゴネ続けていれば、やがて様子がおかしいことに気付いた上官らしい人物が現れる。すると不思議なことにダマルはあっという間に解放され、ぶつくさと文句を言いながらこちらへ歩いてきた。
「役所仕事しやがって、めんどくせぇ」
「ひやひやさせてくれるじゃないか。一体どうやって納得させたんだい?」
「あぁ、こいつを使った」
ダマルが指さしたのは兜の後ろ頭である。それに目を凝らしてみれば、小さいながら虹色に輝く骸骨が浮かんでいた。
「ステッカー?」
「さっきの倉庫で見つけたんだ。これを呪われてる証拠だって言ったら、あいつらビビッてたぜ」
「そりゃそうだろう……」
髑髏だけならただの塗装だと言えるかもしれないが、虹色に輝きながら立体的に浮かび上がるそれに、衛兵たちは度肝を抜かれたに違いない。
しかしそれに食いつくのは、何も兵士たちだけではなかったりする。
「ダマル、ちゃんと見せて。どんな仕組みになっているのか気になる」
「おう、後で――後でな! 後でだって言ってんだろ!?」
突如現れた虹に輝く絵柄に負けず劣らず、シューニャはキラキラと瞳を輝かせながらダマルに取り付いた。
それも興奮が理性を上回ったのか、兜を脱がせようと力を込める始末である。慌ててシューニャの身体を抱えてダマルから引き剥がせば、抵抗してばたつく足が脛を襲ってくる。
「しゅ、シューニャ、落ち着いてくれ!」
「離して、あれには新しい可能性を感じる!」
「別に兜は逃げないから! そこまで食いつくか!?」
出発前に厳しい警告を発していた彼女とは別人のような行動にダマルはドン引きし、キメラリア2人が彼女を宥めにかかる。
それでもシューニャは必死に抵抗し、ようやく落ち着いたのは彼女の息が切れてからだった。
「ふーっ……ふーっ……し、仕方ない」
「や、やっと止まってくれたか」
しかし肩で息をする彼女は未だに諦めていないらしく、ならばと大通りから外れた街路を指さした。
「……宿に行けば問題ないはず。案内する」
無表情の上からあまりにも露骨な好奇心を貼り付けたシューニャは、皆を急かして足早に歩き始める。
彼女の後ろに続きながら、僕らはお上りさんよろしく街並みへ視線を巡らせた。
「建物は石造りっぽいね」
「あぁ、漆喰やら煉瓦の技術はあるみてぇだな」
夕日が白い漆喰壁を橙色に染め、屋根一面を覆うテラコッタらしき赤茶けた瓦は独特の風合いを醸し出す。均一に整えられたそれらは、王国が高い建築技術を持って居ることを伺わせた。
街路の上には建物から建物へとロープが渡されており、キャンドルランタンがぶら下げられていることからどうやら街灯としての役割があるらしい。
それはどうやら一種の時報としても使われてるらしく、人々が窓から小さな灯を点ければ、人々は仕事の手を止めて帰り支度を始めていた。
「キレーですね。整理されてるって感じがします」
「バックサイドサークルが雑多なだけッスよ。まぁ、豊かな町なのは否定しないッスけど」
彼女らはそれぞれに感想を口にする。特にアポロニアは帝国の町を知っているのだろう。こちらの方がいいと頷いていた。
不便な世界の美しい明かりを見ながら歩けば、シューニャは道が僅かにカーブしている場所で立ち止まる。
「ここならキメラリアも入れる」
そう言って彼女は1件の建物を指さした。
扉の上には謎の模様が描かれた吊り看板がぶらさげられ、ここが店であることを示しているらしい。
しかしその建物は周囲と比べて古ぼけており、木柱に挟まれた壁のあちこちで漆喰が剥がれて煉瓦が覗いている。
それは建付けも現れており、中に入ろうとシューニャが取手を引いても、防腐処理が施されて暗い色をした木の扉はギシギシと変な音を立てて抵抗した。
「ん……ぐ……!」
中々開かない扉に彼女は全体重をかけて挑みかかり、これは手伝った方がいいかと僕は取手に手を伸ばしす。
しかし僕が触れるより先に、扉は弾けるような勢いで開かれた。
「お客様ですか!? そうですよね!? そうだって言ってください!」
扉に体当たりでもしたのか、勢い余って飛び出してきたのはピナフォアドレス姿の少女である。明るいアッシュの髪に大きなリボンのついた赤いヘアバンドを揺らし、クリクリとした大きな青い目が愛らしい。
そんな彼女は、呆気にとられる一同をキョロキョロと見回した。しかし誰も返事をしないことで不安そうに僕へと視線を向けてくる。
「お客様、です、よね?」
「あ、あぁ、客なんだが――シューニャ?」
いきなり振られても客だとしか言えない僕は、忽然と姿を消したシューニャを求めて周囲を見回す。無論、彼女はただの人間であり、瞬間移動したり消滅できないことはよく理解しているので、全員揃ってゆっくりとある場所へ視線を向けた。
勢いよく開かれた扉と、漆喰壁との隙間にだ。
「痛い……」
無機質な声が響いた時、幼い少女が青ざめたように見えたのは気のせいではないだろう。