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第66話 乙女心学の必要性を説く

 玉匣は深夜に野営地から出発する。

 首都に近づくとあっては人通りが増えることを予想し、薄暗い内に町へ近づくため深夜から行動を開始したのだ。

 しかし、思った以上に暗闇での悪路走行は難しく、ようやく森を抜けた頃には太陽が高く昇っていた。

 森の木々が徐々に疎らとなり隣に大きな川が現れると、眼前に広がるのは大きく開けた平野。

 だが、一層目を引くのは自然の光景ではなく、整備された街道を行き交う人々の姿だった。


『こりゃ隠れて進むのは難儀だな。光学迷彩でもありゃ別だが』


「この際仕方ない」


 砲手席で周囲を警戒するダマルもこれにはため息をつく。

 既にバックサイドサークルでは衆目に晒されたこともあって、何れ玉匣の存在は人々の知るところとなるだろう。だが現時点では大混乱を防ぐためにも、隠密行動の努力は必要だった。

 だというのに、そのための早朝移動に失敗したことから、シューニャはやや吹っ切れたらしく、容赦なく前進の指示を出す。


「このまま東へ進めば石造の橋がある。そこを渡って北上すればユライアシティまではすぐ」


『だってよ恭一、前進だ』


「了解」


 指示通りにアクセルをゆっくり踏み込めば、玉匣は雑草を掻き分けながらゆっくりと走り出す。

 何故自分がドライバーを担当しているかといえば、ダマルが運転と教官に飽きたなどと宣ったためである。

 そのため久しぶりの運転であったが、普段以上に気を使うことがあった。状況だけを言えば、膝の上にそれなりの重さと微かな振動があるだけなのだが。


「ファティ、いい加減にどいてくれないかい。足の痺れが凄い」


 狭い運転席の中、無理な姿勢で顎を膝に乗せたファティマは、遠い雷鳴のようにゴロゴロと咽を鳴らす。

 一般的な猫が膝に乗っていたとしても運転の難易度は跳ね上がるだろうが、人型で体格も人間と同等であればなおのことである。

 けれど、ファティマはそっぽを向いて退去を拒否し、僕は4つ筋の傷が走る顔で大きくため息をつくしかなかった。


「そろそろ許してくれないか」


「ボクは怒ってません。ここに居たいから居るだけです」


 これである。

 先日の一件の後、見るに見かねたらしいシューニャが教えてくれたが、ファティマはスキンシップを躊躇したことがよっぽど気に入らなかったらしい。

 確かにファティマからはいつも通りでいいと念を押されていたが、自分の判断は至極合理的なものであったはずなのだ。

 しかし、乙女心とやらは容易く合理を踏み越えるらしい。今まで自分が関心を持たなかった範囲であるために、僕には彼女の希望がまったく読めなかったのだ。

 その贖罪をファティマに申し出たことが、膝枕しながらの運転という不可解極まる事態を生んでいる。


 ――まさかここまで動かないとは思わなかったけど。


 どいてほしいという意図を込めて頭を撫でれば、彼女は嬉しそうにハミングを漏らし、痺れた足にぐりぐりと頭をこすり付けてくる。

 おかげで僕は声を殺して叫ぶ羽目になった。


「ファティ、キョウイチが困っている」


「むー……はぁい」


 強硬手段にも出れない自分の姿を、シューニャはまたも見かねたのだろう。

 呆れを固めたため息をぶつけられて、ファティマは渋々ながらようやく解放してくれた。

 ようやく動かせると左足を揉みほぐせば、ピリピリと走る特有の痛みに顔が歪んだ。

 それを見ていたシューニャは小さく苦言を漏らす。


「キョウイチはファティに甘い」


「悪いのは僕だからね」


「違う、あれは我儘。最近ファティは貴方に甘えている」


「そう――なのか?」


 確かにこのところスキンシップは増加傾向だ。それこそ遠慮しなくなったのか、やや大胆な行動に出てくることも多い。

 それを信頼を得られたと考える僕はありがたいと感じるだけだが、シューニャはそれでは駄目だと首を振る。


「一応にも貴方はファティの雇い主。少しは厳しくしてもいいと思う」


「厳しくかぁ……元々苦手だからね、そういうの」


 軍に居た頃は部下を叱責することもなかったとは言わない。だがそれは部下自身、あるいは部隊を危険に晒すような行動や思考を咎めただけであり、挙句その様子を見ていた他の小隊長からも何かと甘いと笑われていた。

 先日シューニャに拳骨をしたことさえ、とてつもない後悔が押し寄せているほどだ。

 だが、その様子にいつも通り無表情なシューニャは、少々疑念を抱いたらしい。


「キョウイチはファティを特別視している?」


「そんなつもりはないんだが」


 僕は誰かを贔屓する気はないと苦笑する。

 皆に助けられている以上、そこに貴賤上下があってはならないのだ。しいて言えばダマルだけ扱いが雑な気がするが、これに関しては骨の言動や行動が砕けすぎていることが原因なので信頼という意味での差はない。

 ならばとシューニャは何か思い立ったらしく、1歩前に踏み出した。


「試してみる」


「試すって何を――ぐぅっ!?」


 突如シューニャの頭が膝にのしかかり、僕は奥歯を噛み締めた。

 普通の痛みに耐える訓練はしてきた自分ではあるが、痺れのような独特なものは対応外だったのだろう。押さえ込もうとしても身体は震え、ついに僕はアクセルペダルから足を離した。

 玉匣は小さな衝撃と共に停車し、無線機から骨がどうしたと疑問の声を上げるが、こっちはそれどころではない。


「しゅ、シューニャさん……もしかして、街道酒場の一件でまだ怒ってたりしますかね……」


「違う。実験」


 意味が分からん、という声は足へのスリップダメージから喉の奥につっかえて出せなかった。

 その上ファティマの真似なのか、グリグリと頭を擦りつけてられ、僕は堪らず彼女の頭に手をついて身体を屈曲させざるを得なかった。

 しかし、それに驚いたのはむしろシューニャの方だ。


「きょ、キョウイチ!? 何を!?」


「ど、どいて……くれる、かい」


「ひぅっ!?」


 耳元で囁くような形になったことが原因か、突如身体を跳ねさせたシューニャから、見事な頭突きを鼻っ柱に頂戴する。

 左耳を押さえて飛びのくシューニャと、顔と膝を押さえながら震える僕。昨日の晩からそうだが、一体自分が何をしたというのか。


「も、もう、いいかな?」


 一応実験とやらが終わったかだけ確認してみれば、頬を朱に染めたシューニャに睨まれる。そして彼女は結果すら言わないまま、運転席から足早に立ち去ってしまった。

 全く理解できない状況と悪化した左足の痺れ、追加された鼻の痛みも諸共に、僕はハンドルに頭を突っ伏した。


『おい何してんだ。さっさと出せ』


「っつぅ……わかってる、よ」


 涙目を擦りつつ、ため息1つで玉匣をゆっくりと再出発させる。

 だが心までは中々制御できず、僕はついついぼやきを口にした。


「現代の女性は暴力的なのかい?」


『あぁ? 昔っからそこそこ女は凶暴なもんだろ? 夜光中隊の女性兵にもヤベェ噂のが居たじゃねぇか』


「井筒タヱ少尉のことかい? 彼女は真面目なだけで暴力的って訳じゃなかったが……」


 骸骨の言葉から思い出されるのは、アグレッサー(敵機役)部隊から引き抜かれた女性士官である

 若くして高い技量を持ったパイロットで、訓練学校時代での成績も優秀。そこに目をつけた笹倉大佐の手引きで、欠員の出た夜光中隊に移動してきたのだ。

 しかし、少々真面目すぎるきらいがあり、部隊に来て早々の一言はあまりに衝撃的すぎて、歯抜けの記憶でもよく思い出せる。


『最強と名高き特殊部隊の中隊長殿が、まさか実戦経験の浅い自分などを恐れることなどありませんよね?』


 そんなことを言い出した彼女を笹倉大佐は大いに気に入り、僕は間もなく訓練と称した対抗戦に引っ張り出されたのだ。

 大佐から手を抜くなと釘を刺されては従うしかなく、ゴングが鳴らされると同時に、僕は自身が最も得意とする取っ組み合いの近接格闘戦を展開。

 まさかいきなり突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。彼女が反応できないうちに、機体に掴みかかって地面に蹴倒し、その上ガッチリ関節技を決めてしまえば試合終了を告げられた。

 僕としては言われたまま本気でやっただけだが、意味不明なままでの一方的な敗北に、周囲からのヤジが重なり、タヱ少尉は泣き出してしまったのだ。

 しかしこれが功を奏したのか、この時から彼女の堅物な雰囲気は鳴りを潜め、順応しようとひたむきに努力する姿を見た部下たちも反感から同情へと感情が移り、少尉は中隊の面々に受け入れられたのだった。一方の僕はと言えば、大人げないにも程がある、と部下たちに怒られてしまったが。

 唯一煽り立てた笹倉大佐には褒められたものの、女性を泣かせたことが嬉しいはずもない。むしろ思い出すだけで苦い記憶だとため息が出た。 


「色々あったけど、少尉は真面目で優秀なパイロットだったよ。成績優秀は伊達じゃない」


 タヱ少尉とは記憶にある最後まで、一緒に戦った戦友だった。

 何度も苦しい局面を乗り越え、彼女に助けられたことも多い。だからこそ、そんな少尉がどういう運命を辿ったかを全く思い出せないことに、自分の心は少し重くなった。

 ただ、僕の呟きをダマルはカッカッカと笑うのみ。


『ビビられてたんじゃねぇのお前。夜光中隊から関節が損傷した機体が回されてきたときは、うちでも噂になってたぜ』


「そりゃ完全に悪名だなぁ」


 まさか整備中隊にまで伝わっているとは、と僕は額を押さえる。


『まぁんなこたいいだろ。昔も今も女だろうが男だろうが大差ねえよ、全員バラバラだ』


 個性だと骸骨は話題を流す。

 結果僕は、自らの周囲に集まった者たちが一様に好戦的という稀有な事態に遭遇した、と考えて無理矢理飲み下した。


『ご主人、橋が見えてきたッスよ』


 上部ハッチから身体を乗り出していたアポロニアからの通信に、モニターの奥へ目を凝らせば、石造の眼鏡橋が小さく姿を現していた。

 拡大してみれば橋の上に荷車を牽くボスルスや、武器を携えて歩く人々の姿が見える。


「兵士じゃないようだが、コレクタかな?」


『あれは冒険者ッスよ。武装がしょっぱいッスもん』


 橋上を望遠してみるものの武器の様子はよく見えない。しかしアポロニアの言うように防具はレザーアーマーのようだが金属による防護は一切なく、動きを見ても明らかに柔らかそうなので硬化処理が施されているわけでもないらしい。

 更にその一団は一様に10代半ばに見える容姿をしており、体格も大して鍛えられている様子がない。要するに戦う人間としては明らかに未熟な雰囲気なのだ。

 しかしその職業名からは、何をする人々なのかがサッパリ理解できない。


「冒険者っていうのは?」


『いわば町の何でも屋ッスよ。ああやって町の外に出てきて、隊商の護衛をしたり害獣を討伐したりしてるのはマシな連中ッスね』


「コレクタとはどう違うんだい? 仕事は似ているように思うが」


『そんないいもんじゃないッス。連中は信用がないんで、金のない寒村とか貧乏商人あたりが仕方なく雇うって感じッスか』


 成程と僕は鼻を鳴らす。

 しかし、それがマシな方と言われると、そうでない方が気になった。


「じゃあ、町の外に居ない方というのは?」


『ほぼ貧困層の日雇い労働者ッスね。お金がないってなると人間もキメラリアも変わらないッス』


「世知辛い話だなぁ」


『町の掲示板に張り出される依頼なんて、銅貨が稼げれば万歳って感じッスからね。しかも仕事は早い者勝ちッス』


 どこか冷めたような声を出すアポロニア。その言葉の生々しさから、もしかすると経験があるのかもしれない。

 冒険者たちからすれば、シューニャのフリーピッカーという立場も、社会的にはそう悪くないものなのだろう。

 だが、これには疑問も浮かぶ。


「わからないんだが、コレクタになるためには条件でもあるのかい?」


『えっ? ご主人、コレクタユニオンの試験って受けてるッスよね?』


 アポロニアは意味が分からないと声を上げたが、残念なことに試験を受けた覚えなど僕にはまったくない。

 やった事といえばマッファイとの殴り合いくらいであり、あれが試験だというのならば、武術の心得がない人間はほとんど門前払いされてしまう。

 しかし、それ以外に思いつく試験らしいことなどしておらず、僕が眉をひそめていると、無線機からシューニャの声が聞こえてきた。


『頭脳労働者希望なら筆記試験や口頭の面接、肉体労働者は身体能力の測定と武器の扱いを見られる。リベレイタはコレクタユニオン側からのヘッドハント。キョウイチはこのどれにも当てはまらない例外』


「なるほど」


 国家やテクニカと繋がっている以上、最低限の人材水準は必要なのだろう。一応入社試験らしきものは行われていることは分かった。

 であればこそ、冒険者の社会的立場が低いのも納得せざるを得ない。まさか現代社会が、格差是正など口にするはずもないのだから。

 おかげで僕は、橋を渡って南下していく冒険者たちを見て、頑張れよと心でエールを送っていた。そんな気持ちもダマルの声でぶち壊されたが。


『よぉし街道から人が引いたぞ、今がチャンスだぁ! 突撃ぃ!』


「はいはい」


 草原から街道へ飛び出し、橋の南詰へ向かって駆け抜ける。人や家畜の足に踏み固められただけの道へは、新たに無限軌道のあとが刻まれた。

 突如轟音を立てて現れた鉄の塊に、後部カメラに小さく映る冒険者たちは何か叫んで尻もちをついていたように思う。

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