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第65話 ご機嫌伺い

「ありましたよぉー」


『よぉし! でかしたぞ!』


 茂みの向こうから聞こえたファティマの声に、そちらへ向かえば本当に湧水があった。

 翡翠についた泥を落とそうとして気づかされた真水切れという生命の危機に瀕し、宵闇迫る中を乗組員総出で水を求めて走り回った。

 ダマルが乗った玉匣を指揮車とし、鼻の利くファティマとアポロニア、知識と電子機器を利用する僕とシューニャという組み合わせでの捜索である。

 その軍配は動物的嗅覚のチームキメラリアにあがったわけだが、何故かその傍らでアポロニアが膝をついていた。


「くっそぉ……まさか嗅覚でケットなんぞに、ケットなんぞにぃ」


 彼女は相当に悔しいらしく、草に覆われた地面をドンドンと拳で叩いている。

 捜索開始段階からチームキメラリアは、アステリオン対ケットの種族代表対決と化していたらしく、種族特性上嗅覚で勝るはずのアステリオンの敗北は、アポロニアにとって余程屈辱だったらしい。

 対するファティマは、ふふんとその均整のとれた胸を自慢げに張る。


「犬も大したことないですね。今日から名前はゲロッパ役立たずです」


「ぐ、ぐぬぬ……事実だから何も言い返せないッス」


 これ以上ない不名誉な名前を頂戴した犬娘は、ギギギと奥歯を鳴らす。

 遠目にシューニャと見守っていれば、背格好や見た目もあってその有様はあまりに一方的だった。内実を知らなければ小柄な女性がいじめられているようにしか見えない。

 やや遅れて玉匣がえっちらおっちら姿を現した。

 水場の近くということで地盤を警戒していたが、とりあえず車体が沈みこんだりすることもなく、僕は安堵の息が漏れる。

 とりあえずは朝起きて早々、スタックの復旧作業をさせられる心配はなさそうだ。


「おーマジで湧水じゃねえか。鼻がどうとか言い出した時は半信半疑だったけど、キメラリアの嗅覚半端ねぇわ。で、なんで犬っコロはそんなとこで崩れてんの?」


「ゲロッパ役立たずは力不足を感じて悔い改めている最中ですよ」


 状況は通信を聞いて知っていただろうダマルがとぼけて見せれば、ファティマもわざわざその失点を説明する。

 しかし何の反論もできないアポロニア改めゲロッパ役立たずは、グゥゥと低い唸りを上げつつ必死に耐えていた。その様たるや、血涙でも流しかねない勢いだったが。

 とはいえこの骸骨は、人を煽ることに特化していることを忘れてはならない。


「カーッカッカッカッカ!! えっ!? なに、ゲロッパ!? そーいや吐いてたな!」


 ファティマ命名のあだ名に対してダマルが大爆笑すれば、流石のアポロニアも沸点を突破したのだろう。それこそ張り詰めた糸がはちきれるような幻聴さえあったほどだ。


「何がおかしいッスかこの骨野郎ーッ!!」


 それはうずくまった姿勢から、両足で地面を蹴ってのロケットスタートだった。全身全霊の力で飛び出した彼女の頭突きは、斜め下方からダマルの胸骨へ突き刺さる。


「カッカッ―――かぼぇっ!?」


 派手なクラッシュ音と共にバラバラに砕け散るダマル。

 どうも最近この骨は解体のされすぎで崩壊しやすくなっている気がする。一度関節が外れると次から外れやすくなるとは聞いたことがあるが、もしかするとそれに近いのかもしれない。

 常識的に考えれば、人間の骨が積み木細工のパーティゲームのように崩壊することはないだろうが。


「ま、待て犬っコロ! おい、俺の部品返して! そして組みなおしてください!」


「わぁぁぁん、骸骨なんて嫌いッス! 近くに居てほしく無いッスぅ!」


 ダマルの懇願など届きはしない。

 いつの間に熟練したのかは知らないが、アポロニアは泣き叫びながら地面に突き刺した木の棒に人骨を器用に括りつけると、最後はヘルフに喰われちまえと叫びながら頭蓋骨を樹木の洞目掛けて投げつけた。

 あーと木霊する叫びを残して飛んでいく頭骨は見事に洞にホールインワン。それに驚いたらしく、リスに似た生物が暗い口から飛び出して逃げていく。

 肩で息をするアポロニアはふーっと怒気を吐くと、自分で解体から設計製造まで一貫工事を行ったダマル・モニュメントから大腿骨を引き抜き、それをガシガシと齧った。


「ダマルさんなんてこの大腿骨以外嫌いッス」


 知らず知らず忌避感が薄れ始めている猟奇的な姿に、僕は乾いた笑いを漏らす。

 普段なら止めに入ったかもしれないが、今回は完全にダマルの責任で同情の余地もない。

 それでも完全に嫌われていないのは、骸骨としても喜ぶべき点だろう。


「ピンポイントな好かれ方してるなぁ……」


「アポロニアは特殊」


 自分がそうなりたいとは思えない好意を口走れば、隣でシューニャが小さく首を振る。


「アステリオンが皆ああという訳ではないのかい?」


「……ダマルの骨で試したことはないからなんとも言えないけれど、私は違っていて欲しいと思う」


「そりゃ、僕もそう思うかなぁ」


 まさか犬だからという理由で、骸骨を好むことはないだろうとは思う。

 しかしできればダマルが土に帰るその日まで、アステリオンやカラの集団に放り込まれることがないよう、僕は心の底から祈った。

 あの骨が生死の輪の中にあるかどうかは別として。


「おにーさんおにーさん、ボクお役に立てましたか?」


 興奮冷めやらぬという様子でふんふんと鼻を鳴らすファティマの功績は大きい。アポロニアとの対決を見ればタッチの差だったのではと思うが、どちらにせよ功労者を褒めないというのはおかしいだろう。


「あぁ、助かったよファティ」


 どうぞ褒めてくださいと言わんばかりに、腰を折り曲げて上目遣いのポーズを決める彼女に苦笑し、よくやったと伝えれば少しキョトンとされてしまった。

 先日の一件がある以上下手なことはできないのだ。アポロニアがファティマに制御方法を伝授中ではあるが、その効果が果たしてどの程度なのかもわからない今迂闊なことをするのは避けるべきだと、頭が警鐘を鳴らしたのだ。

 無意識だったら撫でていただろうことを思い身体が震える。

 隣にシューニャも居れば、拗ねてはいるとはいえアポロニアも居るので前回のような危機的状況にはならないだろうが、それでも用心しておいて損はない。


「とりあえず水は確保できたし、そろそろ食事の準備に取り掛かりたいんだが……アポロをなんとかしないとなぁ」


 なんとか機嫌を直してもらわなければ、食事の準備は始まりすらしない。

 無論他の誰かがやってもいいが、一度シューニャがやった時は野菜の皮も剥かない野性味溢れる料理が提供され、ダマルに頼んだ際は過熱した干し肉とパンだけが皿に並び、僕が作ると何とも軍用糧食っぽい味付けになって一言で言えば美味しくない物になる。

 いや、個人的には軍用糧食だって嫌いではないのだが、かといって美味い食事を作れる人間が居る中で進んで出したい料理ではない。

 つまり唯一まともな料理を提供できるのはファティマだけなのだが、ここで下手に彼女に任せてしまえばアポロニアのプライドは本当に再起不能になりかねない。

 何よりアポロニアは自分で家事炊事担当になると進言しただけあって、料理の腕はダントツなのだ。これに関してはファティマでさえも認めるところである。

 さて、そのしゃがみ込んだ状態でへそを曲げた料理人様はうーうー唸りながら、そのうち歯が削れてなくなりそうな勢いで白い大腿骨を齧り続けていた。

 骸骨の部品に関しては削れたりしない特注製らしいので、特に心配することもない。


「あー……アポロ? そろそろ機嫌、直してくれないかな」


「自分は役立たずッスもん。猫に全部頼めばいいじゃないッスか」


 どうやら相当に堪えているらしく、アポロニアはいつもシューニャがするような半目の端に涙を溜め、ふんとそっぽを向いてしまう。

 そんな子供みたいなことを言われても、と思ったが、案外胸やら以外は言動が似合っていて咳払いで思考を誤魔化した。


「僕はアポロのことを役立たずなんて思ってないよ。乗り物酔いくらい僕だってするし、水が見つかったのは2人の努力のおかげじゃないか。そう自分を卑下しないでくれ」


「……うー」


 ブンブンと尻尾を振って追い払われる。その姿は口だけで信用なんてしないと言いたげであり、視線さえ合わせてくれない。

 しかしここで諦めてプライドを粉々にしたり、あるいは粗食に陥ることは避けねばならない。

 なんだかんだ軍務的な作業以外においては、自分が玉匣の生活水準向上に寄与できない以上、せめて仲間同士の緩衝材くらいはこなさねばと頭の中で必死に言葉を探す。

 とはいえ、自分が人の心に対してポンコツ極まることを忘れてはならない。


「ぼ、僕はアポロのご飯が好きだなぁ、うん」


 そう口にしてから、語彙力の少なさと褒め方の単純さに、我ながら心底うんざりした。

 敵を狙って引き金を引く動作の一通りは、もしかすると脊髄が行っているのかもしれない。だから脳の機能が産業廃棄物並みでもなんとか戦場では戦えていたのではないか、としょうもない卑下が思考を支配してくる。

 おだてているつもりは全くないが、明らかにそう取られてしまうであろう幼稚な称賛に、しかし彼女は初めて肩越しに顔をこちらへ向けた。


「……ホントッスか?」


 その顔は半信半疑。けれどゆらり振られる尻尾は、どこか僅かな期待が見て取れた。


『好機と見れば一気呵成に攻め立てよ。すわその時には一切の余念を捨て、敵を食い破ってこそ機甲歩兵の本懐である』


 そんな笹倉大隊長の有難い御言葉が音声付きで脳内に流れ、僕は今こそその時であると腹筋に力を込める。


「ああ、嘘なんてつくものか。僕ぁ毎日楽しみにしているんだから」


 自然に伸びた手はアポロニアの頭を撫でた。

 よく考えれば、彼女を撫でたのは初めてかもしれない。肩まで垂れるポニーテールと首を覆う後ろ髪はボリュームがあってふわふわとしている。

 今でこそ何故か年下の女性陣の頭を撫でるという行為が定着しつつあるが、企業連合軍の軍人だったころの自分はこうして人を撫でたことなどなかったはずだ。

 おかげで何故自分がこの行動を選択しているのかに疑問が浮かぶが、すぐに庇護欲だろうと結論する。

 自分に父性などと少し前に笑ったばかりだが、どうしても彼女らを守りたいと思う部分は疑いようがない。


「あ、あの……ご主人……頭を」


「あぁ、ごめん。つい皆のようにやってしまったけど、不快だったかい?」


 慌てて手をどければアポロニアは小さく頷き、慌てて顔を背けると尻をはたきながら立ち上がった。ついでに小さな咳払いまでついてくる。


「しょ、しょうがないご主人ッスね! そういう契約でしたし、やってやるッスよ!」


「おぉ、やってくれるか! ありがとう」


 ニィっとどこか悪戯っ子のような笑顔を向けてくるアポロニアに、僕は何とも締まらない引き攣った笑いを返した。

 思い返すだけであまりに稚拙な言動を繰り返した気がして、穴があったら入りたいくらいだ。

 対する彼女は不思議なリズムの鼻歌を口ずさみながら玉匣の中へ消えていく。

 己が会話力の低さを見せつけられたとはいえ、それを代償に彼女の機嫌が直ったならば戦術的勝利といえるだろう。

 危機を乗り切った僕は安堵の息を吐きつつ、焚火用の薪やらを集めておこうと振り返った。


「おにーさん」


 まさかそこで、金色の双眸が待ち構えているとは思いもよらなかったが。


「どうかしたかい、ファティ――さん?」


 視線の先には宵闇に沈みかけた暗い森の中だというのに、どうすればそんなに光るのか、その瞳ははっきり浮かび上がっている。

 なんなら眼力だけで人を殺せそうな圧力を発しており、黒い輪郭を浮かび上がらせたファティマは、しなやかに身体を揺すりながらこちらを見据えていた。

 800年前には人類から失われたと言われ続けた本能という部分が、ここへきて生命の危機を知らせてくる。理由は定かでないにせよ全身から嫌な汗が止まらない。


「な、何か怒ってらっしゃる?」


「怒ってません」


 須臾(しゅゆ)の間も置かずに返事が叩きつけられる。ここまでハッキリ言葉と雰囲気が乖離していることも珍しい。

 暗い影を落とす前髪の中に見える表情は、いつも通り飄々としたものに変わりはないように見える物の、光る目は微塵も笑っていない。


「いや、確実に怒って――」


「怒ってません」


 言葉をそのままに1歩ファティマが近づく。尻尾が大きく振られるのは不機嫌のサインだろう。

 役立たずの脳から原因を検索するも、その答えは全く見つからない。慌てて首を回してみる助けを求めようと試みる。

 だがシューニャはせっせと薪を集めにかかって遠く離れ、ダマルに関しては樹洞から未だに救助を求める声が響いているため全く当てにできず、この時点で自分が孤立無援という状況を思い知らされた。


「ま、待つんだファティ! 人間は言葉を交わさずに互いを理解することができない生物なんだ!」


「ほうほう、ということはボクの気持ちをおにーさんはぜーんぜん理解していないんですねー」


 一層輝きを増す瞳に対マキナ地雷を踏み抜いた気がする。

 更に1歩、橙と紺が混ざり合った背景の中でファティマの背に、あるはずもない揺らめく陽炎の幻覚が見える。


「あー、あー……いくらでも謝るので刃傷沙汰は勘弁してくれないか、な」


「あは、おにーさん可笑しいですよ。ボク怒ってませんから謝ってもらうことなんてありません」


 乾いた口元だけの笑いにAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の直撃を悟る。

 尻を滑らせて後退しようとするも、狩猟者の足音からは逃れられない。ファティマの手からギラリと光る爪が見えた。


「ちょっ、まっ!?」


 振り抜かれる一閃。見えるはずもないのに自分の顔に4つの筋が走ったことがハッキリわかる。

 まだ焚火の準備すら済んでいない野営地に僕の絶叫が木霊したのは言うまでもないことだ。

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