第62話 青いリビングメイルの噂
元帝国軍前哨基地には、会戦を勝利で終えた王国軍部隊が詰めていた。
火矢を射かけ攻城槌で門を突破したとはいえ、内部施設は比較的損傷も少なく橋に至っては損害一つない完璧な状態である。王国がこの場所を新たな拠点として運用するのは当然だろう。
とはいえ、部隊の半数近くが戦闘不能となったマオリィネ率いる第二警戒隊に、砦の占領維持任務は難しいこともまた事実であった。
そのため最も近い位置にあるガーラット率いる主力軍団は、その中から正規兵だけを抽出した部隊を分離し、前哨基地の暫定的な占領を受け持つこととしたのである。
「兵器は橋上を狙える位置に再配置だ。防壁の損傷は後回しでいい、東門の修復を優先させるのだぞ」
それを指揮していたのは、会戦の総大将たるガーラット本人だった。
本来であれば軍を率いて王都に凱旋すべき立場だが、栄誉ある立場を副将である息子に丸投げし、基地占領の陣頭指揮を買って出たのだ。
それも敬愛する女王陛下に対し、前線の情勢を立て直すからパレードには出られないという書簡まで、帰還部隊に持たせるほどの徹底ぶりである。
それもこれも、影から会戦を勝利へと導いた愛弟子を思えばこそ。部隊の半数を失った苦境を支えようと、拗らせたオッサンは彼女の下へ勇んで駆け付けたのであった。
「あの、チェサピーク卿?」
「マオリィネぇ~、そんな他人行儀ではなく、吾輩のことはガーラットおじさんと呼びなさいといつも――」
「……はぁ」
これだ、とマオリィネは肩を落とした。
自分のこととなると見境がなくなる恩師には、慣れという名の諦めがあったつもりだが、前線にまでそれを持ち込まれては軍の士気にかかわりかねない。
実際、身体をくねらせる爵位持ち初老貴族の姿に、マオリィネの護衛兵たちはドン引きしており、ガーラットの親衛隊からいつものことだから気にするなと肩を叩かれていた。
「ではガーラット様、先の戦闘について、詳細をご報告させていただきたいのですが」
「おお、おお! そうだマオリィネ、お主の活躍を教えてもらわねばな! 天幕へ行こう! おい、書記官を呼べ、一言一句間違いなく記録させねばならん!」
「既に天幕に待機させてあります」
「流石はマオリィネだ! 準備は万全か!」
面倒くさいことこの上ない伯爵は、濁っていくマオリィネの視線すらポジティブに捉えてみせる。
王国貴族において王家の次に力を持つとされる伯爵家当主に対し、それも好意的で居てくれる上位者を面倒などとは不敬も甚だしいが、幼いころからこれを維持されていてはそろそろ疲れてもくる。それくらいにはマオリィネも大人であり、19歳という年齢には複雑な存在であった。
フハハハと笑いながら上機嫌に天幕へ入っていくガーラットと、澄まし顔から疲労を滲ませるマオリィネ。それに続くジークルーンは苦労してるなぁと他人事である。
それからしばらくは戦闘の推移や敵の状況の仔細が伝えられていたであろう。外の作業の音にかき消されて天幕の中から何かが聞こえてくることはなかった。
しかし数十分が経過した時、突如静寂の天幕が飛び上がるような大声が響き渡った。
「なぁぁああああにぃぃぃいいいいいいいッ!?」
一斉に周囲で作業をしていた兵士が肩を震わせて振り向き、至近距離を歩いていた者は驚きから担いでいた建材を取り落とす。傍に立っていた背の高い木からは小さな鳥の群れが全て飛び立ち、草を食んでいた子連れのフウライも慌てて駆けだしていった。
そんな地も揺れようかという声を1人で発したのは、もちろんカイゼル髭のガーラットである。
キィンという耳鳴りに涙目になったジークルーンが両耳を押さえてしゃがみ込み、事態を予想していたマオリィネは叫びが途切れるのを待ってため息をついた。
「それは、本当なのか!? おい、ヴィンターツールの娘! 耳押さえとらんで答えんか!」
「ふぁ、は、はいぃ……隊長が言ったことに間違いありませぇん」
食って掛かるような勢いのガーラットに押されて、しゃがんだ姿勢から尻もちをつくジークルーンだが、その様子によってむしろ真実味は増した。
おかげで彼はバカな、と数歩後退して両手を机につく。
「そのご様子ですと、ガーラット様もご存知ないのですね」
「聞いたこともないぞ……カーネリアン・ナイトが倒れオブシディアン・ナイトが傷ついている今、王国には満足に戦えるテイムドメイルなど居らぬ。しかもそれが喋ったなどと」
ありえぬ、ありえぬと繰り返すガーラット。これが平時であれば普通の反応なのだ。
切迫した状況であったからこそマオリィネ率いる部隊の面々は青いリビングメイルに頼り、その上で歓声をもって見送った。
しかし冷静になって考えてみれば、あれが王国軍の特務部隊所属であった確証などどこにもなく、軍においてはかなりの権限を持つガーラットが存在を知らないとなれば王国の新たなテイムドでないことは明らかとなった。
――だとしたら何故、アレは私を助けたのかしら。
自分を助けることが、あるいは王国軍に助太刀することがリビングメイルにとって利益になるのだろうかとマオリィネは首を捻る。
例えば理由となれば何か。
王国に恩を売って金銭や地位を要求するつもりだったとか、何らかの理由で帝国と敵対していたという常識的な範囲か。あるいは人助けが趣味であるとか、スヴェンソンを嫌っていたとかいうあり得ない話か。
いくつもの仮定が浮かんでは消えていき、しかしそのどれもが妄想の産物に過ぎなかった。
そんな思考を繰り返した結果、何もわからないということがわかっただけであり、彼女はガーラットの判断を待つ他なかったのだが。
「むぅ、これは吾輩の手にも余るぞ。女王陛下にお伝えせねばなるまい」
「では王都に?」
「うむ、それが最良であろうな。お主と吾輩と少数の騎兵で今すぐここを出るぞ。ヴィンターツールの娘、貴様もだ。第二警戒隊は騎士団に合流させ、ここの警戒は吾輩の部隊に任せればよい。ことは急を要する、よいな?」
「はい、そのように」
マオリィネが胸に右手を当てた礼をすれば、ガーラットは威厳たっぷりに重々しく頷く。
素早い決断に彼女は少し肩の荷が下りた思いだった。自らを案じて駆け付けた男の背中が、ようやく彼女が誇りに思う師の姿に見えた瞬間である。
実際ガーラットは武人でありながら軍略にも優れ、有事の際には王国軍の全権を委ねられるほど、王家からの信頼も厚い人物だ。
細身で背が高く、軍獣に跨ってサーベルを構えた様が絵画となるなど国民からの人気も高い。貴族の中でも民衆の味方としての印象が強いことから、兵たちにも尊敬されている。
その全てをマオリィネへの溺愛で台無しにしてしまっているのだが、内情を知らなければ厳格で渋いナイスミドルなのだ。
常にそうあってほしいというマオリィネの願いは届かないが、老境に差し掛かろうという齢にあっても未だ衰えぬ師匠の姿は素直に嬉しかった。
出立準備のためにマオリィネはジークルーンを連れて天幕を出ていく。残されたガーラットは作戦図に両手をついたままで小さく呟いた。
「マオリィネを救ったリビングメイル……か。まさか人ならざる者にマオリィネの愛らしさを理解する剛の者が居ろうとはな」
王都に戻ればよい酒が呑めそうだ、と肩を震わせた伯爵の姿を見る者はなかった。
しかし内側から轟く気持ちの悪い笑い声に、天幕入口に立っていた衛兵は背筋が寒くなる思いがしたという。
■
「ローンゲーン、来ったよー! 出迎えろよー!」
突如投げつけられた底抜けに明るい声に、病床のロンゲンはあんぐりと口をあけた。
燃えるような赤い髪と赤い瞳は見紛うはずもない。しかしまた、フォートサザーランドに居るはずもない人物であることも事実だ。
「は、ハレディ閣下? 何故ここに……」
「おーおー、筋肉バカの君が怪我なんてするんだ。それになんか体調も悪そうだねー」
どういうことだと扉の方を見ればゲーブルが額を押さえて首を振る。その奥には申し訳なさそうなセクストンと、新品の義手義足をつけたヘンメの姿もあった。
いつもはその知略で頼りになるゲーブルも、レディ・ヘルファイアを止めることなどできるはずもない。ただでさえ思考能力に難があるロンゲンは謎の一行の到着に、これは夢か何かなのだろうと早くも思考を放棄した。
「ねぇ痛い? まだ痛いの?」
「私だって人間です……怪我から熱が出ておりまして、医者が言うには傷口から悪い物が入ったのだろうと」
聞いたのは彼女だというのに、エリネラはロンゲンの返事をふぅんと興味なさげに流す。なんなら病室の脇に置かれた見舞いの品と思しき赤い果物を1つ手に取って、皮も剥かずにそのままかぶりついた。
普段であればともかく、体調も悪い現状にこの仕打ちは心に来る。エリネラはロンゲンの才を見出し軍団長にまで任命しているので、彼にとって大恩ある人物であったが、今に至ってはさっさと用件を言って帰ってほしいとさえ思ってしまう程だ。
だというのに赤い小悪魔は果物をぽろぽろ零しながら食べ終えると、次の1つに手をかけようとしてくる。
そんな様子に心が折れそうなロンゲンは、ゲーブルに何とかしてくれと視線を送ったが、それは軍団の副官でしかない小男ができることの範囲を超えていた。
だというのに、それを軽々やってのける男も居たりする。
「将軍、自分たちはここに見舞い品の物色に来たわけではないでしょう。ロンゲン軍団長の体調も心配ですので目的は手短に済ませてしまいましょう」
「物色とは人聞きの悪い!食べれてなさそうだからあたしが貰ってあげようという―――」
「そういうのいいんで、早くしてください」
最早セクストンに遠慮という言葉はない。
この短い期間において、彼は自堕落ですぐに仕事をサボろうとする将軍相手に悪戦苦闘した結果、将軍に対する敬意というものをどこかに置き忘れてきた。
なんせ飛び込んでくる摩訶不思議な報告への対応に頭を痛めていれば、この小娘は皇帝陛下に直訴しに行くだの言いだし、挙句その許可を取り付けてきてついて来いとのたまう始末。
この段階でセクストンには慣れるか逃げるかしか選択肢が残されず、妻子を抱える彼に逃げの一手は打てなかったのである。
しかしそんな姿にゲーブルは目を見張り、ロンゲンに至っては評価が空前絶後の急上昇を記録した。
バックサイドサークルでイルバノが討ち死にした後、彼は部隊の立て直しに奔走したことを評価され騎士補に昇進していたが、それがこんなにもできる男だったとは思わず、2人ははぁと感嘆を漏らした。
当の本人はさっさと秘書なんて辞めて、百卒長位に落ち着かせてほしいと心から願っていたのだが、それを上司たるエリネラが知るはずもない。
「ねぇヘンメ、最近セクストンがどんどん辛辣になっていくんだけど、あたし将軍だよね? 偉いんだよね?」
取り付く島もないセクストンの様子に涙目になるエリネラだったが、ヘンメは肩を揺らして笑うだけで助けようとはしてくれない。
味方が居ないとわかった真っ赤な少女は、果物くらいいいじゃないかと膨れながらも改めてロンゲンに向き直る。
「ロンゲン、今あたしはアマミって奴を追っかけてるんだけど、どこ行ったか知らない?」
「あのアマミをですか……? ゲーブル、何か聞いているか?」
顎に何か硬い物をぶつけられて意識を飛ばされていたロンゲンは知るはずもなく、仕方なくゲーブルに話を投げれば中年小男はふむぅと顎を撫でた。
「私が知っているのはグランマが東へ向かうような話をしていたくらいですな。王国方面に行ったのでしょうが、そこから先はなんとも」
「おいおいマジか。これでスヴェンソンの爺をやったのは十中八九アイツだぞ」
嬉しそうにおどけて見せるヘンメ。
運よく撤退に成功した兵士がもたらした、猛将スヴェンソン・リッジリー男爵討死を語るホウヅクによる急報。そこに書かれた青いリビングメイルの文字と、東に向かったという謎のコレクタリーダーアマミという男。
「偶然っていうには、ちょっと揃いすぎだよねー」
真っ赤な小悪魔は獰猛に口を三日月型に歪め、好奇心に燃えるような瞳を輝かせる。
ゲーブルはその武威にやや圧され、ロンゲンも少し傷の疼きが大きくなった気がしたが、セクストンははぁとため息をついてそれを流す。
「我々は皇帝陛下の勅命で、アマミに関する調査を行っています。奴の武装、技術、仲間から出自に至るまで、どんな情報でも結構です。全てお聞かせ願いたい」
「ゲーブル、頼む」
「ハッ、では軍議室へ。僭越ながら軍団長にかわって私が説明いたします」
部屋を出ていくゲーブルにエリネラ達も続く。
賑やかだった部屋で痛む体と身体を蝕む病に苦しんでいたロンゲンは、ようやく訪れた静寂に大きく息を吐いた。
思い出されるのはアマミが最後に自分へと向けた謎の道具。僅かに光を発したかと思ったら、肩と足とから血が噴き出した見たこともない魔術。
エリネラは確かに規格外の存在である。単身で集団と戦えることからも帝国軍最強は疑いようもない。
ならば彼女ならアマミに勝てるか、と聞かれれば、ロンゲンは非常に悩んだ。
切り結んだ時には小手先技こそやけに上手いが力はそれほどでもなく、武威も大して感じない平凡さではある。
だが万が一、億が一にも、先の戦いが本気ではなかったとしたら。
あれが全力であったなら、エリネラの敵にはなり得ない。しかし、もしも力を隠しているとすれば、不可思議な魔術も含めて勝率は大きく揺れ動くだろう。
ロンゲンは大きな体を去来する不安に揺さぶった。
「あり得ないが、万が一、閣下の敵わぬ相手が帝国に牙を剥いたとすれば、我々に生きる道があるのか……?」
独り言ちたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。