第56話 優秀な部下と役に立たない客と赤い将軍
カサドール帝国の首都、帝都クロウドン。
背後を切り立った山岳地帯に守られた大都市である。
首都と言うだけあって目抜き通りは赤茶けた建物が整然と並ぶ。しかしその裏側は、無計画な開発によって迷路のように入り組んでいた。それを人は迷宮帝都とあだ名する。
半円形を成す2つの防壁で町全体が守られており、その町の中心部は一握りの人間だけが出入りできる一種の隔離地域だった。
果たしてこの内壁が隔てるのは敵味方以上に貧富出自の差であろう。皇帝に連なる貴族と近衛、高級官僚や元老院と言った特権階級の世界がその中には広がるのだから。
そこに立つ巨大な城郭は為政者の住処でありながら最終防衛線の役割も持っており、したがって帝国軍の首脳陣はそこに詰めている者が多い。
であればこそ、城の一室を与えられるということが栄誉なことくらい、誰の目にも明らかだろう。
趣向の凝らされた執務机が中央に置かれ、それを囲むように壁際は兵法書などが詰まっている本棚が並び、壁面には剣や盾が飾られた部屋。
その主は一体どのような高潔な人物かと、常々先日騎士補に昇進したセクストンは考えていたのだが。
「もぉやだー! かーえーりーたーいー!」
目の前の人物は数日という短い期間の中で、彼の理想像をいとも容易く打ち砕いていた。
駄々をこねる子供のように手足をばたつかせて机に突っ伏す少女へ、セクストンはため息を付きながら書類を机に置いていく。
「将軍、仕事してください」
「何だ君はー! 私を席次一位のエリネラ・タラカ・ハレディ将軍と知っての物言いかぁ!」
両目に涙を溜めながら睨らみつける赤毛の少女。彼女こそ3つもの軍団を束ねる帝国の将軍にして、5人居る将軍の中でも最大の権限を持つ席次第一位の天上人である。
それを思うたびにセクストンは頭痛が去来する。人前に立って話すときは凛として、若くしながら比類なき天賦の才をもつと評されるに値する大人物だと思っていたのだが。
「はい、仕事してください」
「むがぁー! 何なのさ何なのさ、この仕事の量! 終わるわけないじゃん、寝れないじゃん、お出かけもできないじゃん! 皇帝のあほぉー!!」
簡単にエリネラは感情を爆発させる。
セクストンは着任からわずか数日で、早くもこの光景を見慣れてきていた。
彼が頭痛に悩むのも当然であり、かような小娘にどうして将軍職が与えられたのかという声も城内には多い。
気に入らない者は策謀で蹴落すのが常の世界である。だが皇帝本人が、文句がある者は彼女を首級にしてみせよ、と発したために、最強を誇るエリネラには結局誰も手が出せなくなったのだ。
「皇帝陛下を愚弄するのは国家反逆罪ですが、よろしいので?」
逆に敵意がない以上、叩き上げ兵のセクストンにも小言くらいはぶつけられる存在でもあったが。
「うぅ……くそー、なんだよー、あたしは頭使うのが苦手なんだよぉ」
だったら何故将軍職になど就いたのか、とは聞かない。
彼女はオン・ダ・ノーラ神国相手に連戦連勝の大躍進の功労者であり、貴族出身者の中で若くしてずば抜けた武功を誇ったのだから。
それが皇帝の目に留まらないはずもなく、あれよあれよといううちにエリネラは将軍職へと祭り上げられた。
しかしいざ将軍職に就いてみれば、事務処理という難敵相手にうーうー唸る生活を強いられているのである。
「まっ、命かけずに楽して金がもらえてるんだ。文句言ってたら罰が当たるぜエリちゃん」
そこへ気軽に声をかけるのは、部屋の隅のソファでだらけた片手片足の男である。
セクストンには何故この男がここに居るのかさっぱりわからなかったが、エリネラにしてみればただ鬱陶しい奴程度の扱いらしく、彼女はアカンベェと舌を出した。
「失業して呑んだくれてるヘンメに言われたくないやーい」
「義足ができねえとなんもはじまりゃしねえんだ。お前のアホ面見ながら酒傾けてて何が悪い」
「今アホって言った!? セクストン、こいつ今あたしのことアホって言ったよ! あたしは将軍だぞバカぁー!」
ケケケと笑うのは、ロンゲンの指示で護送した無頼漢である。セクストンには彼の存在が甚だ謎だった。
不思議なことにこの男、名前を聞くと城の近衛たちが敬礼を返し、周囲の貴族たちも頭を下げるのだ。
そんな奇怪存在に物申せという方が無理な話であり、今のセクストンにはエリネラの方が余程対応しやすい相手となっていた。
「いつものことでしょう。ほら早く書類やっちゃってください。後つっかえてるんですから」
「お前らもうちょっと将軍を敬えよぉ……偉いんだぞぉ」
暴れまわっていたツインテールがしゅんと萎れる。ついでに髪留めのリボンも萎れていた。
傍目に見れば幼児体形のエリネラは、煙草を吹かして酒を飲む無頼漢と生真面目頑固な兵士に囲まれて、虐められているようにしか見えないだろう。
だが、見た目にそぐわず彼女の実年齢は18歳であり、現代においては立派な大人だったことから彼らは一切手心を加えない。
やがて抵抗するのに疲れたのか、エリネラは面倒くさそうに書類にペンを走らせ始め、しかしすぐに手を止めた。
「そーいやヘンメ? 結局コレクタが追ってた青いリビングメイル? だっけ。あれどーなったのさ」
始めた途端に滞る業務に、セクストンが今日何度目かわからない仕事してくださいを言いかけて、青いリビングメイルの話題とあって言葉を飲み込む。
あぁん? と柄の悪い声を出すヘンメはパタパタと手を振るばかりで答えようとせず、馬鹿にされたエリネラは頬をぷぅと膨れさせた。
しかしセクストンは、その話題で手元にある書類の内容を思い出す。
「そういえば続報が入っていましたね。コレクタユニオンで戦闘があったとか、例のアマミという男が関わっているらしいですが」
「なにその変な名前。誰さそいつ?」
珍しく積極的に書類に目を通すエリネラ。
できることなら普段からこれくらい真面目にやってくれ、と秘書官セクストンは頭を痛めるが、それでも1つの仕事は早く済みそうなので敢えて口にはしなかった。
「……青いリビングメイルをテイムしている可能性が高いとされている、出自不明の放浪者です」
「うん、うん――うん? ねぇ、なんかロンゲンがボッコボコにされて捕まったって書いてある気がするんだけどこれホント?」
「「はぁ?」」
極秘書類の内容などセクストンが知るはずもなく、ヘンメにとっても寝耳に水の話であり、成人男性2人が揃って間抜けな声を出した。
ほれと気さくに投げ返される書類に目を通せば、ロンゲン軍団長直属の部隊がバックサイドサークルで敗北し、捕虜となったロンゲン及びゲーブルの身代金要求がバックサイドサークル側から出されていると書かれていた。
「あー……ヘンメ殿? コレクタユニオンの戦力で、ロンゲン軍団長に比肩するような武人が居られるのか?」
「馬鹿言うな、あんなバケモン早々居てたまるか。キムンのマッファイは再起不能らしいし、マルコは剣術覚えてる稀な奴だが格が違いすぎるわ」
「じゃあそのアマミって奴があの筋肉をやったのかぁ、すっごいじゃん」
とんでもない脂汗が湧き出る男2人と異なり、エリネラは新しい玩具を見つけた子供のように笑う。
しかし真面目な兵士であったセクストンは頭を仕事モードへ切り替えると、必要な作業を素早くはじき出した。
「第三軍団立て直しに関する人選書類を取りに行ってきます!」
「ゲェー藪蛇だったぁ!! やだー、仕事増えるー! セクストン嫌いー!」
扉の向こうへ消えていくセクストンの姿に、エリネラは再び机に突っ伏した。
結果、この日も彼女は深夜まで書類と格闘させられたのだが、事態はこれで収束しなかった。
■
1週間後の昼下がり。
帝国元老院が渋々バックサイドサークル内での帝国軍による違法行為を認め、コレクタユニオンに対して身代金を支払うことで事件が無理矢理決着し、ロンゲン麾下第三軍団の兵士たちがフォートサザーランドに戻った頃。
ようやく書類仕事がひと段落ついたエリネラは、お気に入りの砂糖菓子を齧りながら暇を持て余していた。
ヘンメは相変わらず窓際のソファーに寝ころんで本を読み耽るばかりで話し相手にもならず、訓練を名目に近衛騎士団兵舎にでも襲い掛かろうかと彼女が本気で考え始めた時である。
いつもは行儀がどうのと小言を繰り返すセクストンが、ノックも入室許可も取らないで扉をドカンと開け放った。
それも子供なら泣き出すこと間違いなしの形相である。
「急報が入りましたぁ!」
「何だ何だうるせぇな。おい、さっさとドア閉めろよ。資料室から本持ち出してんのバレたら、怒られんの俺なんだぞ」
「そーだそーだ、あたしは将軍だぞ。ちゃんと挨拶して入室したまえセクストン騎士補」
「大変失礼を――ではありません!」
セクストンは普段の癖で一瞬頭を下げかけたが、そうではないとドアを激しく閉じて、菓子の残骸が散らばった机に1枚の書類を叩きつけた。
鬼気迫る騎士補の様子に赤い少女は苦い表情を作って後ずさる。なにせセクストンが急報だと言って書類を持ってくるときは、大抵ろくでもない内容の話なのだから。
「報告いたします!第二――」
「やだ! 聞きたくない!」
彼女は咄嗟に両手で耳を塞ぎ、燃えるような赤い瞳にきつく瞼を落としてブンブンと首を振る。それに合わせて長いツインテールが鞭のように揺れた。
「駄々こねんでください! 急ぎだと言ってるでしょう!?」
「だってセクストンが急報で持ってくるなんて、どーせ面倒くさい内容に決まってるんだもん! そんなの直接皇帝に言えばいいんだぁ!」
「ふざけてないでちゃんと聞いてください!」
書類をバンとセクストンが叩けば、エリネラは怯えたふりをして逃げ回る。
「あー! 助けてヘンメ! セクストンに犯されるぅ!」
「自分は既婚者でありますよ!」
「うぇっ!? セクストン結婚してるの!? そんな真銀みたいにガッチガチの頭してるのに!?」
「自分に嫁がいちゃ悪いですか!?」
机を砕きそうな勢いで叩くセクストンと、途中からは黄色い声を上げてふざけるエリネラ。
最早落ち着いた読書はできないと呆れ返ったヘンメは、分厚い硬表紙の本を赤髪目掛けて投げつけた。
「うるせぇ」
「の゛っ!?」
矢にも当たらぬと謳われる彼女の後頭部に、本は鈍い音と共に直撃する。
小柄な少女に重量級の本はかなりの衝撃だったらしく、エリネラは頭を押さえてその場でうずくまった。
「お、おぉぅ……角は、角はダメでしょ……」
「さっさと急報とやらを聞かねぇか、このポンコツ将軍」
「なりたくてなった訳じゃないや――ごめん」
彼女はいつも通りの苦情を口走ろうとしたが、それを無頼漢特有の鋭いメンチでヘンメは押さえ込む。
そして萎れたように落ち着いたエリネラに、セクストンはため息をつきながらも報告を始めた。
「第二軍団長からです。前哨基地が王国軍の奇襲を受け、拠点隊長のスヴェンソン・リッジリー男爵が、その、討ち死に、したと……」
「へっ!? スヴェンソンお爺死んだの!?」
「おいおいあの爺はバケモンだぞ。誰がやったんだ?」
指揮官の討ち死には敗戦に際して珍しい話ではない。
しかしヘンメが化物と形容する猛将スヴェンソンとなれば話は別であり、これには流石のエリネラも驚いて、セクストンから素早く報告書を奪い去った。
老爺とは幾度となく組手をした経験から、彼女はその実力をよく知っている。だからこそ報告書の内容を読んだとき、嬉しさと悲しさが入り混じった複雑な表情を作る他なかった。
「青いリビングメイル、だってさ」
「はぁ? そりゃどーいうことだ?」
「あたしが知るもんか」
リビングメイルの思考などわかるはずもないと、エリネラは報告書を捨てると床に足を投げ出した。
普段ならばヘンメは考えなしだと彼女を笑った事だろう。しかし実際、青いリビングメイルが何者で、どういう意志から行動を起こしているかなど誰にもわからないのだ。
だからこそ、セクストンはただ悔しそうに奥歯を噛みしめる。
「自分には信じられません……あのスヴェンソン様が敗れるなど」
「お爺は強かったからね。だからこそ相手がリビングメイルなら、あたしは納得かな」
恐るべき強敵の出現だというのに、エリネラは楽しそうに歯を見せて笑う。
そんな彼女の様子にヘンメは呆れから大きくため息をついた。
しかしすぐに顔を引き締めると、鋭い視線を棒立ちの騎士補へ投げつける。
「セクストン、アマミの続報を探せ。もしその青い奴がアマミと関係あるなら、帝国はとんでもねぇ化物相手に戦うことになりかねん」
「ヘンメ殿は青いリビングメイルが、アマミという男と関わっているとお考えで?」
「違うな。これは一種の確信だ」
そう言ってヘンメは煙草をくゆらせる。
彼の感じていた確信は、アマミとリビングメイルに関する情報の不可解な一致にあった。
そしてその裏付けは、早くもノックと共に届けられる。
「伝令! コレクタユニオンの情報が纏まりましたので、お持ちいたしました!」
「ご苦労」
ドアの向こうから聞こえた兵士の声にセクストンが対応し、敬礼を返して報告書の束を受け取った。
それをそのまま執務机に置けば、エリネラは床の上で液体のように垂れる。
「将軍、目を通してください」
「うぇー、また増えたぁ……セクストン、代わりに読んでおくれよぉ」
「はぁ、それでよろしいのでしたら」
1枚2枚と内容を音読していけば、そのほとんどがエリネラには大して関係のない内容なのがわかる。なんせ大体決着がついた話ばかりなのだ。
承認印を押せば終わる楽な仕事の何が不満か、とセクストンは内心で毒づく。
しかしそんな感情も、最後の1枚を読み上げた時にはきれいサッパリ消え去った。
「フラットアンドアーチにおけるミクスチャ討伐の案件について。将軍、これは――」
もしかして、と彼が続けるより早く、下から伸びてきた手が素早く報告書を奪い去る。
その内容を一読したエリネラはうはっと笑った。
「ヘンメの勘も意外と馬鹿にできないね。群体ミクスチャ、団結する者を殲滅したのは、コレクタリーダーのアマミ・キョウイチだってさ。リビングメイルを飼いならしてるって話、結構マジかもよ」
「ぐ、群体ミクスチャを倒しただと!? へ、へへへ、そりゃもう間違いねえや」
驚愕しながらも笑うヘンメに対し、セクストンは最早声すら出ない。そんな人間が居てたまるか、と吐きだされる自らの声が頭に沈殿していくだけだ。
男たちがボケた顔を晒す中、エリネラは思い付きからニンマリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「きーめたっ! あたしちょっと皇帝んとこ行ってくる!」
「しょ、将軍、急に何を!?」
嫌な予感がセクストンの体を駆け巡る。まるで敵の弓に狙われているかのような感覚に、咄嗟にその理由を聞いてしまった。
「あたし、アマミって男に会ってみようと思う! 色々面白そうだしね」
そう言って小さく舌なめずりをする真っ赤な小悪魔。
エリネラ・タラカ・ハレディ。人は彼女のことを業火の少女とあだ名する。