第50話 がしゃどくろの笑いは響く
バックサイドサークルの街路を突き進む鋼の化物に、人々は恐れ戦き逃げ惑う。
それは長い砲口を正面に向け、甲高いエーテル機関の音を響かせながら、今も乱戦が続くコレクタユニオン支部へと急速に近づいていた。
その上部ハッチから小さな犬娘は半身を乗り出して、機関拳銃片手に楽しそうな声を上げている。
「ごっしゅじーん! 援護に来たッスよーっ!」
僕やシューニャから見ればこれほど頼もしい姿はない。
逆に戦っていたリベレイタと帝国兵たちは、武装喧嘩神輿がいきなり出現したことで大混乱に陥った。
そのうえダマルはこの際と悪乗りしたらしく、拡声器を通してだみ声を響かせる。
『カーッカッカッカ! どけどけぇ原始人共ぉ、轢き殺されてぇかァ!』
「僕の相棒は口が悪いなぁ」
「ダマルさんですからね」
僕はファティマと顔を見合わせて苦笑し、シューニャは呆れ顔で額を押さえる。
一方その程度では済まされないのが帝国軍である。いつの間にか最高指揮官となった小男ゲーブルは、慌てて戦闘外縁部に居た連中を集めると、形ばかりではあるもののジャベリンによる即席防御陣形を組み立てた。
中々どうして、士気は低くとも練度の高い連中であろう。だが、流石に相手が悪い。
「
『やっちまえ犬っコロ!』
アポロニアはダマルの勢いもあってか、元は味方の密集隊形に容赦なく引き金を引いた。
弾丸が地面を粟立たせ、その直線上に居た数人がまとめて倒されると、突如発生した謎の攻撃を恐れて陣形は瞬く間に瓦解する。
その様子には、リベレイタ達と共に呆けていたグランマも目を見張り、やがて高笑いを上げた。
「フッハハハハハハハ!! これが鋼のウォーワゴンかい! 聞くとみるとじゃ大違いじゃないか、えぇ? 帝国の犬ども! 降伏するなら悪いようにはしないよ! それともロンゲンなしであの化物相手に戦うかい!?」
「う、うろたえるな! たかがウォーワゴン1台ぞ!」
あまりに一方的なグランマからの停戦勧告に、ゲーブルは退くわけにいかぬと声を張り上げる。
今まで冷静だった小男だが、最後の最後に大きな間違いを犯したと言えよう。そして運が悪いことに、今の玉匣に自重という文字は存在しない。
『景気づけだ、これももってけ!』
道中で突如玉匣は動きを止めると、突如その主砲を回転させ始める。
その動きから次に起こることは1つしかない。
「あ、あのアホ骸骨! 2人とも伏せろ!」
僕は慌ててシューニャとファティマに覆いかぶさる形で地面に倒れ込み、2人の頭を纏めて抱きかかえる。
それに呼応する形で彼女らが自分にしがみついた途端、背後から熱波と衝撃が押し寄せた。
行われたのはたった数発の射撃にすぎない。だが、停車状態からの電子制御による精密射撃は、1発も外すことなく鎧に包まれた兵士を粉砕し、榴弾の炸裂が周囲に居た者を巻き込んだ。
度を越えた混乱に、生き残った兵士たちはその場でへたり込み、さしもの小男でさえ腰を抜かして尻もちをつく。
それに続いて地獄絵図の天幕跡に響き渡ったのは、あの恐ろしい声である。
『火の玉を浴びた感想はどうだ? お前の目の前に居る奴らの姿をよーく覚えとけ。俺たちを敵に回すってことは、こうなるってことだ! カーッカッカッカッカ!!』
見事な高笑いは完全に悪役のそれである。ついでにアポロニアも車体の上で豊満な胸を揺らしながら笑っていたが、できればこういう雰囲気に馴染んでほしくはないと心から思う。
とはいえ、僕から見れば滑稽なだけの演出も、現代人たちには違って聞こえていたらしい。
助けを呼んだのが自分である以上、ダマルに文句を言うのが筋違いなのはわかっている。それでも僕は思わずに居られなかった。
――誰がここまでやれと言ったのか。
■
戦闘終了後の片付けが行われる中、僕はグランマとマティの前に立っていた。
倒壊した大天幕を尻目に長煙管を咥えた老婆は、まったく堪らないとぼやく。
「この田舎娘の帰還が早かったことと、お前たちのタイミングが最悪だったこと、あたしゃどっちを責めるべきだい?」
「僕としては予想を外したグランマ自身も含んでいただきたいところですが」
「痛いところを突くじゃないか。それじゃあアンタたちに責任も問えないねぇ、全部ゲーブルに着てもらうとしよう」
元々どこの責任だとかいう話に興味はないのか、老婆はあっさりと引き下がる。どちらかと言えば僕の背後に停車している玉匣が気になるらしい。支配人とはいえ、コレクタらしい興味の持ち方だと思う。
「こいつは獣の力も借りないで走れるのかい?」
「ええ。
「ふん……これじゃ矢も槍も通らんというわけだ。しかも、人間をひき肉にしちまえる飛び道具まで備えてるときた。真っ向から戦って勝てる相手は少ないだろうさ」
チェーンガンの砲身を見上げて目を細め、やがてグランマは踵を返して肩越しに笑う。
「キムンを素手で倒せる男を手駒に加えるつもりが、まさかこんな化物だとはね。つけられる大きさの首輪がなくなっちまった」
「首輪と、言いますと?」
「そうさな。1つはこの小娘を人質にしてやろうと思っていたかね」
そう言って尻を叩かれたのはマティだ。相当いい炸裂音がして彼女が一歩前に飛び出す。
「ぴぃっ!? ぐ、グランマ!」
彼女は形のいい尻を擦りながら、グランマを涙目で睨みつけたが、その程度でこのしわくちゃ妖怪が揺らぐはずもない。
だが、何故マティが人質になるのか全く理解できず、何なら当の本人も事情が呑み込めなかったのかキョトンとしていた。
それを見たグランマは喉の奥でグッグと笑う。
「頭は切れるくせに察しの悪い男だねお前は。この田舎娘をお前に嫁入りさせてやろうと思っていたってだけさ。ちょっとドンくさいし尻もデカいが、器量だけはいいからね」
静寂が流れた。
この老婆はもしかするとボケているのではないか。そう思わざるを得ない言葉である。
ここまで質の悪い仲人が世に存在するとは思いもよらず、僕は大仰にため息をつく。
一方のマティは大混乱に陥った。
「ちょちょちょ、ちょっとグランマ! 急に何言い出すんですか!? あとお尻はそこまで大きくないです!」
「おや? 多少は気があると思っていたが、そうでもないのかいマティ・マーシュ?」
「そういう問題じゃありません!」
恋愛は自由であるべきだと叫ぶマティに対して、考えが甘すぎるとせせら笑うグランマ。この姿だけ見れば貴族の御家騒動に見えなくもない。
それに自分が巻き込まれていると思えば頭が痛くなってくるが。
「あー……つまり、僕に無理矢理家族を作ってそれを人質にしようと?」
「単純だが効果的な手だろう? 年齢の割に身を固めてないようだしね」
「ほっといてください」
800年前の結婚適齢期としては、まだまだ独身でも不思議はない年齢なのだ。それを嫁を貰い損ねた存在だと言われるのは少々傷つく。
今まではただ暗躍するだけの権力者として信用ならない存在だったが、最早ただの面倒くさい婆さんに思えてきて嫌になる。そして最近はこういう手合いの話になると、背後から訳の分からない殺意を向けられるのだから胃が痛い。
シューニャは最早いつも通りなので諦めるとしても、戦闘で疲弊していたはずのファティマからも金色の眼光を向けられて、僕は心のダメージコントロールを必要としていた。
だが、そんなことをグランマが気にしてくれるはずもない。
「振られちまったねぇマティ・マーシュ?」
「勝手に失恋させないでくださいよ……あの、ロール氏もリベレイタ・ファティマも、私はそういう目でアマミ氏を見ていたというわけでは」
「ぐぅ……」
男とは斯くも贅沢な生き物だと、この時思い知らされた。
別にそういう気があったわけではないが、マティのような美人から興味がなかったと言われただけで、別方向から挟撃されたような感覚に襲われる。
とはいえマティはマティで、ギラギラと一帯を覆う圧力相手に冷や汗を流しながら、引き攣った笑顔を作って無罪を主張することしかできていなかった。
「公私混同」
「油断も隙も無いですね」
その笑顔にさえも2人は冷え切った感情を突きつける。原因はグランマにあるというのに敵意は完全にマティに向いており、彼女はじりじりと後ずさった。
しかもその空気を打ち破ったのが、原因たる老婆の大笑であったのだから堪らない。
「ハッハッハッハァ! なんだなんだ愛されてるじゃないかアマミ!」
「え、えぇ……?」
僕はこれ以上ないほどの困惑を返すしかなかった。
少なくともこの2人とは色恋的な関係を持っておらず、そんなことを公言されては彼女たちの今後に迷惑をかけかねないとさえ思う。
しかもこちらは、この手の話題に対する防御策をほとんど持って居ない。そんな脆弱極まる戦闘ドクトリンから導ける作戦はただ1つ。
「じ、自分はそろそろ出発致しますので! お世話になりました、マティさんもお元気で!」
所謂、トンズラである。
きびきびと回れ右をした僕は、少しフラフラしているファティマの手を引いて足早に玉匣へ逃げ込むと、そのまま彼女を寝台へ転がしてから力いっぱいハッチを閉鎖した。
「逃げたね」
「アマミ氏は判断早いですよね」
外部マイクが拾っている一言が刺さる。
今後グランマと関わることはないだろうし、マティと会うことも難しくなるに違いない。
短い間の縁であったとはいえ、知り合いとの離別にここまで恰好がつかないのも珍しいだろう。
「はぁ……ダマル、出してくれ」
ため息とともに出発指示を発する。
だが、何故か車体はなかなか動きださず、問題でも起きたかと車体の前を覗いてみれば、ハンドルに額をついて口を押え、カッ! カッ! と言いながら身体を震わせている。要するに笑いを堪えている状態だ。
この骸骨はあれだけ恥ずかしい演説をぶっこいた上、周囲一帯に硝煙をまき散らしただけでは飽き足らず、まだ僕の神経を逆なでできるらしい。最早これは一種の才能と呼んでもいい。
青筋を浮かべて怒ったことなど、人生で数えるほどしか覚えがないが、この瞬間だけはと、僕はぶら下げていた自動小銃をそっと頭蓋骨に向けた。
「3つ数えるうちに発進するんだ。さもないと軽い頭蓋骨にいっそうの軽量化を施すよ」
「ま、まぁ落ち着けよ相ぼ――カカッ!」
口を押えながら人の顔を見ては吹き出そうとするダマルに、僕の指はトリガへ延びた。
骨というやつが頭骨を砕かれたところで死ぬのかどうかはともかく、分解された時とは違って再生できなくなる可能性は高い。なんならこれはその実験と言ってもいいだろう。
射撃モードを3点射へ切り替える。ゼロ距離である以上3発ともが白骨を砕くことは疑いない。
そしてようやくこちらの本気に気づいたらしく、ダマルはあんぐりと下顎骨を開いた。
「あーっ! あーっ! わかった! わかったから! すぐ発進しますハイ!」
「僕の引き金は軽いんだ。ゆめゆめ忘れないように」
「イ、イエスサー」
それは普段通りの骨の当たる音なのか、恐怖に震えているゆえに鳴っているのかはわからない。それでも玉匣は超信地旋回で方向を変え、バックサイドサークルの目抜き通りへ進路をとった。
シューニャと2人、砲塔上の狭いハッチにつっかえながら身を乗り出せば、背後で手を振るマティの姿が見える。
履帯の駆動音は彼女の別れの言葉をかき消したが、シューニャは大きく手を振って答え、僕は癖のように肘を張って指を揃えた手を額に添える敬礼を送った。
通りの角を曲がってマティの姿が見えなくなるまでそうしていたが、露天の並ぶ目抜き通りに出てしまえば最早この場所に未練などない。
周囲からは英雄様だという声が上がる中、僕は構わず車内へ戻った。
「ダマル、進路を東へ。これからの目標は古代物資の補給になる」
「カカカッ、ようやくこの辛気臭ぇ帝国とオサラバできそうだな」
人混みを弾けるようなクラクションで散らし、作られた花道を玉匣は土煙を上げて進んでいく。
カメラ越しにはいくつもの視線が装甲に向けられていて、装甲マキナ支援車シャルトルズの存在が、既に大衆が知るところとなったことが改めて突き付けられた。
玉匣の存在が周知されたことには大なり小なり後悔もある。だが、起こってしまったことは酸いも甘いも呑み下しながら進むほかないのだ、と自分を納得させた。
「まず目指すのは国境の先、ユライア王国だ」