第40話 混合物③
『玉匣が見つかったのか……!?』
それはあまりに唐突で不可解な動きだった。
ついさっきまでは全てのミクスチャが翡翠を目指して動いていたと言うのに、そこから数匹のみが玉匣に進路を変更したのだ。
どういった条件かは定かでないものの、探知能力では人間のそれを大きく上回っていると見ていい。その上、あの
『まさか、通信波が見えてるとでもいうのかい』
あり得ない予想を振り切りながら、とにかく今はコマンダーへの攻撃に集中する。
誘導弾発射器を切り離して身軽になると、まだ遠いコマンダー目掛けて、収束波光長剣を後ろ手に構えて駆けだした。
周囲には別の群れから合流した通常体が壁となっていたが、それを蹴り抜いて吹き飛ばし、収束波光長剣を振り回して薙ぎ払い、更に突撃銃の弾丸をばら撒いて牽制しつつ確実に距離を詰めていく。
途中、突撃銃は弾切れを起こしたためリロードを諦めて腰にラッチ。収束波光長剣を両手に握りなおし、いよいよコマンダーに肉薄した。
左の腕4本を失ってなお大型の異形は、相対した翡翠に対して逃げようともしない。それどころか数の減った腕を振り回して威嚇していた。
『さっさと仕留めさせてもらおう!』
荒ぶる腕の攻撃を躱しつつ、僕は右から剣を振り抜いた。鋭い一閃は胴体を泣き別れさせるに十分な威力だっただろう。
だが、コマンダーは身をよじって躱し刀身を躱す。切っ先がギリギリが掠めた程度で致命傷にはならなかった。
今までのミクスチャは避ける、防ぐといった様子を一切見せなかったが、何もかもが上位互換なのか、危険探知能力にも長けているらしい。
『ちぃ――ぐッ!?』
その上、躱したと思った傍から、4本脚の前2本を振り上げて反撃してくる。
無様な蹴りでしかないというのにそれは素早く力強く、僕は躱しきれず吹き飛ばされた。
ジャンプブースターで勢いを殺しつつ、地面を左手と両足で引っかきながら滑ったことで派手な転倒こそ防げたが、まさに桁違いの力である。翡翠の正面装甲損傷を伝える警報が鳴り響き、一気に脅威度が上昇した。
近接戦闘ではかなり素早く、長距離攻撃で有効打を与える方法は、今の自分には存在しない。加えて周囲では多数の取り巻きがギチギチと不愉快な音を鳴らしている。
『……なるほど。マキナを破壊しうる敵、か』
頭の中で今までと異なるスイッチが切り替わる音がした。
攻撃の手ごたえに歓喜するように震えて唸るコマンダー、周囲から止めを刺さんと集まってくる通常体。
――時間をかけず、確実に、殺す。
『全システム、
『お、おいバカ野郎!? いきなり何を――』
ダマルが通信機の向こうで何かを叫んだ気がしたが、ただの雑音だと無線を切断し、剣の柄を握りなおす。
目の前でプログレスバーが伸び、視野全面が真っ赤な警告文に埋め尽くされた。
出力制限解除、エーテル機関負荷増大、アクチュエータ圧力負荷増大、稼働状態安全保障外、他。
玉泉重工と軍が定める安全規則違反だから速やかにリミッターを設定しろと、システムが煩く騒ぎ立てても、その全てを知った事かと無視する。
こちらが動かないでいれば、ギィギィと笑うような音を立てながら、通常体が右側から飛び掛かってきた。
それはおよそ、ブラッド・バイトと同じように翡翠を引き裂こうとして。
『退け』
警告文と同じ赤色を帯状に走らせる翡翠のアイユニットは、それを一瞥したことだろう。僕は右腕に張り付こうとしたミクスチャを片手で捉まえ、もがくそいつを地面に叩きつける。その衝撃は凄まじく、砂塵が巻き上がり地面にヒビが走った。
地面に体液と肉の混ざった水たまりが出来上がる。その中心で立ち上がった翡翠は、赤色光に尾を引かせ、さながら幽鬼のように見えたことだろう。
攻撃が失敗したことに焦れたのか、コマンダーは周囲に集うミクスチャをまとめて差し向けてくる。
疑いも恐れも持たず、ひたすら愚直に突っ込んでくる通常体を、僕は無感情に
『お、おおおぁああああああああッ!』
地面が抉れるほどに踏み抜き、青い鎧が駆け抜ける。
血を吐きそうになるほどの加減速の衝撃に奥歯を噛み締めながら、右手に赤く煌めく光の剣を振り回し、左腕は微かな振動を伝えてくる震動剣で肉片をこさえていく。
腕を振る度、足を動かす度に、それを身体の神経電流から読み取って補助するはずのアクチュエータが過剰な力を振るっていた。自分の筋肉が、骨が、体全体が悲鳴を上げ、振り回される勢いに視界が赤く染まっていく。
瞬く間に通常のミクスチャは屍を大地に晒し、振り抜かれた剣は止まらずに地面をもろともに切り裂いていた。
コマンダーを守る壁はすでにない。いつの間にか周りで群れていた個体は全て切り刻まれた肉として地面に横たわり、残った数匹は玉匣を追撃していて、物理法則を超越しないことには防衛も攻撃も間に合わない。
怯えただろうか。恐れただろうか。人類の英知たる、たった1機の機甲歩兵に。
僕は身体を軋ませながら、しかし鋭くコマンダーを睨みつけ、先ほどと同じように横薙ぎの一閃を走らせた。
ギぃッ――!?
一度は回避されたはずの攻撃はコマンダーの残った腕を根本から切断し、胴体にも切っ先が触れて火花が散る。
慌てて振り上げられた反撃の足は、機体を翻らせて左腕のハーモニックブレードで斬りとばす。そのままバレリーナのように回転した翡翠は勢いに任せ、人間の頭のようにも見えるその鼻先へと収束波光長剣を滑らせた。
赤いレーザー光が霞のように駆け抜けると、コマンダーは焼かれた頭で耳障りな叫び声をあげ、そのまま痙攣しつつ土煙を起こして地面に倒れ伏す。
青い光の幻影は、その背後で剣を振り抜いたまま止まっていた。
『ハァッ……ハァッ……ッァ!』
鳴りやまない警報音がガンガンと頭を叩き、喉の奥から鉄臭い赤い塊が上がってきそうになる。
体中の筋肉が、臓器の全てが、押しつぶされそうな鈍痛を叫ぶ。パイロットスーツの補助もなしに
第二世代型マキナから先、その性能は既に人間が耐えられるそれを大きく超えており、人間が搭乗することが性能限界を作り上げていたと言っても過言ではない。
夜光中隊で自分が隊長を務め、エースだと持て囃された理由の1つが、リミッター解除状態での戦闘継続力だった。
性能や力量で勝てない相手に、リミッター解除を行ったことで勝利したことも少なくない。そんなことをする度に野戦病院に運び込まれ、軍医にこっぴどく叱られていたが。
少しは慣れたということだろうか。不思議なことに、意識を失わず立っている。
『出力制限開始……ッはぁ……各部、状況表示』
まるでシステムがため息をつくように一拍の間を置くと、真っ赤な視界が戻ると共に機体各部の状況が報告されてくる。
損傷は地面にミクスチャを叩きつけた右腕と、直撃を受けた胸部装甲がほとんどだった。特に右腕はアクチュエータの稼働率が大きく低下している。
ダマルが聞けば雷が落ちることは間違いないだろう。加えてこの損傷が、部品交換無しに修復が可能なのかが僕にはわからなかった。
『玉匣……ダマル聞こえるか? 応答を……あぁ、そうか僕が切ってたなぁ』
通信回線を開きなおし、僕は息をつく。
自嘲的な笑みが浮かべられるなら大丈夫だろうか。表情筋さえちゃんと動いているか曖昧だったが、苦痛を感じられているのだから痛覚だけはまともらしい。
しばらくの間を置いて、通信機から怒鳴り声が届く。
『こんのド阿呆ぉぉぉぉ!! 生きてやがんな!? 生きてんだよな!? てめぇ、女共を慰めながら化物と命のやり取りしてるこっちの身にもなりやがれ!』
『悪かったよ。小言なら後からいくらでも――ゴホッ……あぁ、聞くから、状況を教えてくれ』
口の中で絡みつく血の味を飲み下し、むせ返りながら僕は弱々しく首を振る。
『あぁ、あぁ! 楽しみにしてやがれド畜生! こっちは今もお前の残飯共と交戦中だ! 取り付いてくる奴を、猫がシバき倒して振り払いながら逃げてるっつーの!』
『すぐ、向かうよ』
『こっちからもなんとか近づいてはみるがな! そこらでブッ倒れてたらしっかり履帯で轢いてやらぁ!』
笑う膝に拳をぶつけ、無理に力を込めて翡翠にサポートされながらゆっくり歩みだす。
こんな状況で戦えるのかと言われればわからない。だが、玉匣が未だに戦っている以上、自分がここでひっくり返っているわけにはいかなかった。
■
ギリギリという気持ち悪い音を立てながら、玉匣は赤紫色のミクスチャを引き摺って走る。
「こんの……っ! はな、れ、ろぉーっ!」
爪もないのに凄まじい力で掴みかかってくる赤紫の肉に、ファティマが板剣を何度も何度も叩きつける。その度に岩にぶつかるような音と共に弾かれ、それでもまた振り下ろして僅かずつでも肉を削っていく。
アポロニアもバヨネットで斬りかかってはみたものの、板剣の重さと振りですらほとんど傷つかないような相手に歯が立つはずもなく、大きく舌打ちを1つして車内へ転がり込んだ。
「ダマルさん! 飛び道具とかないんスか!? なんでもいいッス!」
「お前、銃なんて撃ったことねぇだろ!」
「簡単に使い方教えてくれれば、あとは何とかするッスから!」
ええいクソと、ダマルは自分の腰から機関拳銃を投げ渡す。見た目からは判断できないであろう武器だが、骨は振り返りもせずに銃杷の握り方はクロスボウと同じだと適当に言う。
「横のちっこいツマミだ! それを適当に回して引き金引け!」
「どれッスか!?」
「赤いマーキングされてる奴だよ!」
言われながら適当にガチャガチャと触るアポロニアだが、あまりにも時間がかかっていることに業を煮やした骨が、貸せといって射撃状態を作り上げる。
「40発だ! 40発しか入ってねえし、引き金引きっぱなしにしたら一瞬で弾切れになっちまうからな! 引いたら放せ、放したらまた引け! あとは頑張って当てろ!」
「りょ、了解ッス!」
再び上部ハッチへと上っていく彼女の背中に、しっかり握ってろ、と最後の注意が飛ぶ。
直後に乾いた断続音が聞こえ、ついでにアポロニアのぎゃあという叫びも響く。
そんな喧騒と緊張に包まれる車内でシューニャは1人、砲手席で外の映像に目を凝らし続けていた。
「キョウイチ……」
彼女の耳朶からは、苦しそうに喘ぎ喘ぎ喋る恭一の声が離れなくなっている。
その目から流れそうになる涙を必死にこらえながら、ゆっくりとこちらへ向かって歩き出す翡翠を必死で追い続けて、自分の柔らかい拳を握りこんだ。
「シゃぁッ!」
まるで槌で金床を叩いたかのような鈍い金属音が車内に響き渡る。続けて引掻くような耳障りな騒音が流れていき、やがて車上は静かになった。
するとまもなく、開きっぱなしの上部ハッチから、アポロニアの頭が逆さ向けに生えてくる。
「シューニャ、上に居た奴を引きはがしたッス! あと、ダマルさんに弾切れだって伝えて欲しいッス!」
『携帯無線渡してんだからそれで聞こえるっつの! 撃ちきるのはえーよ! 荷物室からそれっぽいの引っ張り出してこい!』
無線機越しに怒鳴られるのも意に介さず、身軽なアポロニアは梯子を素早く下ってシューニャの後ろをすり抜けると、あっという間に荷物室へ入り込んで、中から恭一が持っていた自動小銃を抱えて運転席へ走った。
明らかに強そうな見た目だと言い張る彼女に、骨は面倒くさそうにまた射撃状態を作り上げる。
シューニャにその様子は見えていない。だが、アポロニアが必死で戦おうとしている中、何もできない己を思ってか柔らかい拳は小さく震えていた。
ブレインワーカーは戦闘要員ではないため、戦いになればできるだけ安全な場所へと避難する。それでも危険から離れられないとなったら自衛用の短剣を振るうものの所詮は威嚇程度。とてもではないがミクスチャと戦うことなど不可能だった。
ファティマのような力もなく、アポロニアのように飛び道具を扱った経験もないとなれば、結局は観察し続けることしかできないと、椅子に根が生えたかのように彼女は動けなくなっていた。
ブレインワーカーは守られていて当たり前。だけど、本当にそれでいいのか。そんな思考だけがグルグルと彼女の脳裏を回り、それは奥歯を噛み砕きそうになるほどの苦痛に変わっていく。
ポインティ・エイトに追い詰められた時は剣を振るわねばならなかった。しかし今の状況を見ていると、それができただけでも幸運だったのではないかとさえシューニャには思えていた。
「後ろのハッチから撃て! 狙わんでいいから、連中を躊躇わせろ!」
「狙えって言われてもわっかんないッスから、適当にばら撒くッス!」
「自慢げに言うんじゃねぇよ!」
アポロニアは言われた通りに後部ハッチを蹴り開けると、獰猛な笑みを浮かべて自動小銃を振り回す。
制限点射で3発ずつ撃ちだされる弾丸が、思いのほか真っ直ぐ飛んでいき、その内数発はミクスチャの表皮に火花を散らした。
「意外と……狙えるッスか?」
今度はしっかり狙いを定め引き金を引けば、放たれたフルメタルジャケット弾はしっかりとミクスチャの口に直撃する。
それでも恭一に装甲車並みと言わしめた表皮が相手では、効き目などあるはずもない。
「げぇ、当たっても効いてないッスよ!」
『マキナの狙撃銃に耐えるような奴だぞ! んなもん牽制だ牽制! ゴチャゴチャ言わずに撃ちまくれっつーの!』
「牽制って……ただの無駄撃ちな気がするッス」
アポロニアは苦々しく舌を出しつつも、何とか軟そうな場所を狙って引き金を引く。
それはほとんど癖のようで、彼女はミクスチャの口回りや足先へ照星を向けていた。
一方、僅かな休憩となったファティマは息を吐き、先ほどのアポロニアと同じように頭をハッチから逆さに覗かせる。
「シューニャぁ、あとどれくらいでおにーさんと合流できそーかダマルさんに聞いてくださーい」
『だから無線で聞こえてるってぇの! 今は恭一がへばってやがるからな! もうちょい耐えろ!』
無線機を介して飛んでくるダマルの怒鳴り声に、ファティマは不思議そうに首を傾げ、アポロニアは外へ視線を巡らせながら苦笑し、あっと声を出した。
「だ、ダマルさん! また飛び掛かりくるッスよ!」
『こんなくそぉォっ!』
車体が左に大きく振られ、砂地相手に履帯を滑らせながら飛びつきを躱す。
掴まり損ねたミクスチャにアポロニアが弾丸をぶつけるが、意に介さぬという様子で再びミクスチャは行動を再開した。
「ホント、ぜーんぜん効きませんよね」
「ご主人と合流できなかったらジリ貧ッスよ、これ」
唯一傷らしい傷はファティマの与えた打痕だけだ。それも無理矢理な馬鹿力で振り抜いた結果であり、ぶつけられた板剣の方が見事にひしゃげていた。むしろ、キメラリア用とはいえ量産品の刃が砕けなかったことを褒めるべきだろう。
また交換申請が必要だと思うと、ファティマは不満げに尻尾を揺らし、ふと玉匣の砲身が目に入った。
「ダマルさぁん、この武器使えないんですかぁ?」
『ぁ゛あ゛!? チェーンガンを使える奴がどこに居るんだよ! お前らが運転代わってくれるなら、俺がぶっ放してやるわ!』
右へ左へと車体を振りながらダマルは怒鳴る。
威力を知っているファティマはうーんと唸ったが、実際に玉匣をどうやって動かすかなど、彼女が知るわけもない。
だが、知っている者が居たことを、ダマルでさえも忘れていた。
「私が、やる」
そう言ったのは、今まで黙りこくっていたシューニャだった。