第30話 信頼と勝算
「改めて、勝算というのを聞かせて欲しい」
シューニャはグランマから受け取った依頼書を手に、朝食の終わりにそう切り出した。縛られた状態で動きにくいアポロニアだけが未だ食事を続けていたが、この際彼女のことは置いておく。
自身の体格をすっぽりと覆い隠す茶褐色のポンチョの下から取り出したそれを、全員に見えるように掲げる。
「私たちは現在非常に危険な任務に挑もうとしている。キョウイチは理解してくれたと思うけれど、ミクスチャは人間種を含む生物全ての天敵。勝算がないのなら、今すぐにでも引き返すべきだと具申する」
「そうだろうね。さて、どこからどれだけ話すべきかな、ダマル」
僕の問いに、ダマルは大きく肩を落としてため息をつくと、電子タバコを咥えて言った。
「信頼を築くには時間も大切なファクターなのは間違いねぇだろうけどよ……こんな状況で秘密がどうとか言うべきか?」
「まぁ、それもそうなんだろうけど――痛っ」
それでも少し考えこんでしまった僕の額に、骨のチョップが炸裂した。
ダマルが誰かにバラバラにされたりすることはあっても、逆に誰かにその拳を振るったことがない。
ジワリと広がる痛みに額を押さえながらも、その一撃に対する驚愕の方が大きく、目を点にしてその頭蓋を見ていた。
「夜光中隊のエース様がなに怖気づいてやがる。俺たちが時代にとって異質で、それでも今を生きていくって決めたんなら、まずはこっちが信じてやらねぇと始まんねぇだろが」
腰に手を当ててカッカッカと笑う骨。
ダマルは普段ふざけた助平心の塊で、セクハラ発言と骨ジョークで場を凍らせるだけの骨格模型だ。しかし、こうしてどこか達観している節も時折感じていた。
黙って話を聞いていた2人も普段のダマルとの違いに驚いたようで、ポカンとした表情を隠そうともしない。ファティマに至っては口にも出した。
「ダマルさんってただの変態さんじゃなかったんですね。ボク見直しちゃいました」
感心したと言わんばかりの彼女に、同感であるとシューニャも頷く。
なおそれに気をよくしたらしいダマルは更に笑うと、どうだとでも言いたげに僕へ視線を投げる。
この軽さに救われているかと思うと、それも悪くない。時折、凄まじく鬱陶しいことも含めて、僕はダマルを再評価していた。
「どうだダマルさんに惚れただろう。小娘を泣かせたポンコツと一緒にするなよ? 俺ぁ女を泣かせるのはベッドの上で嬉し涙だけって決めてるからな!」
「やっぱりそういう人ですよね。ボク見損ないました」
一瞬で周辺の気温が評価と共に急降下したのを感じた。
先ほどまでキラキラした瞳でダマルを見つめていたファティマは、風車も斯くやと言わんばかりの勢いで掌を返し、汚物を見る目を頭骨に投げつける。
同感であると頷いたシューニャも、やはりその翠玉の瞳はキッチンに
垂直上昇した曲技飛行の航空機がストールターンをするように、ダマル株は一瞬のうちにの急騰と暴落を行っている。下手に持ち上がった期待には、それが裏切られた時の落胆は高倍率になるらしい。
「というかシューニャを泣かせたこと、いつ聞いたんだい?」
「お前が寝てるうちに、ファティマにな。まったくとんでもねぇ野郎だぜ」
彼女らの視線すら気にせず、ダマルはやれやれと肩を竦めて見せる。
そう言われると僕に反論などできるわけもなく、ただただ申し訳ないとシューニャに向かって頭を下げた。
だが、シューニャは小さく首を横に振る。
「謝ってもらうことなんてない。掃除屋から助けてくれたこと、私の同行を受け入れてくれたこと、ファティを守ろうとしてくれていること、その全てに感謝しているし、貴方を信じると決めたのは私自身。でも……不安なのは、許して欲しい」
「参ったな。そんなことを言わせるつもりじゃなかったんだけど」
シューニャを救助したあの日、彼女は国家戦力に匹敵する脅威の僕に対し、そう言ってのけた。あの時彼女は覚悟を決めたに違いない。
自分は現代を生きる上で慎重かつ臆病でいいと思っているし、それはきっと間違いではない。だが、力を貸してくれている少女たちを信じられないと言うのは余りにも情けないではないか。
元々伝えるつもりだったのはマキナと武器の性能、そして自分の技量から算出した勝算だったのだが、ダマルの言うように、この際彼女らに対する隠し事など失くしてしまうべきなのだろう。
いざそう腹を括ってしまえば、言葉は口からすらすらと出てきた。
「勝算はある。それも五分じゃきかない。情報収集が主目的、可能ならば撃破するという条件なら、九分は勝ってみせるさ」
そう言って、僕は笑った。
現代に落とされてから、何かを意識することなく、心の底から自然に笑顔が溢れたのは、もしかするとはじめてかもしれない。
そんな自分を、シューニャは何故かポカンとして眺めていた。
「っ! そ、そう……」
相当呆けていたのだろう。ハッとした彼女は、僅かに赤く染まった頬を隠すように、プイと視線を背けてしまった。
これにダマルは膝を叩きながらカッカッカと笑う。
「言うじゃねぇかよぉ相棒。これで残りの一分が引き分けなら、死ぬ方に賭けるのは大穴狙いで爆死する大馬鹿野郎ってわけだ。それで? その自動生命刈り取り装置をぶちのめせる、根拠ってやつを説明してくれよ」
「君は口が悪いね。わかってるだろう?」
育ちが悪くてな、とダマルはおどけて言う。
つまり、俺はわかってるがお前の口から説明してやれ、ということらしい。元々そのつもりだったこともあって、僕はシューニャとファティマを交互に見やった。
「この間、カーネリアン・ナイトはヴァミリオンっていうマキナだって話をしたことは覚えてる?」
コクン、とシューニャが頷く。
同時に料理をしながらも聞こえていたのか、ファティマもはい、と言った。
「ヴァミリオンは、僕のマキナ……翡翠よりも弱い。正確にはより古い機体なんだ」
「古い……というのは、生まれたのが、ということ?」
「正しくは、
この言葉に、シューニャはまさか、と一歩後ずさった。ファティマは理解できなかったらしく、首を左から右へと倒しなおしている。
彼女たちには信じろと言う方が無理な話だろう。だが、機械が自然発生するのは、今のところ見たことがない。
「マキナは800年以上前に人間が作り出した兵器だ。僕のように人が乗り込み、頑強な鋼の兵隊として戦う、国家間の戦争の道具」
「ま……待ってほしい。情報が多すぎる」
シューニャは片手で額を押さえながら、話を進めるのを一旦止めてほしいと掌を僕に向ける。
彼女の頭の中が見えるのであれば、今までに生きてきたうちに学んだ色々な知識や常識が交差し、飛び交い続けている事だろう。
話している自分でさえも未だにどこまでが現実なのかわからないが、自分の中にある常識とシューニャ達が教えてくれる常識の乖離は、国家や民族という間に生じる違い程度で説明できるものでもない。
これが途轍もなく長い夢でないならば、の話だが。
シューニャは暫く思考の整理を続けていたようだったが、やがて静かに肩を震わせるとゆっくり顔を上げた。
人間は混乱が限界に達すると笑うことしかできなくなると聞いたことはあったが、それは普段あれほど表情を表さないであるシューニャでも変わらないらしい。どこか恍惚としたような目と少しだけ痙攣するような口元が、彼女の尋常ならざる状態をハッキリと物語っている。
「じゃあ、貴方達は、不死者……? いや、人間ではなく神や悪魔の類。もしかして私は神聖なる知性の泉に触れたの?」
不自然な様子とあまりに素っ頓狂な一言に、僕はひっくり返りそうになった。
思考のエラーを訴える目は、瞳の中でぐるぐると渦が巻き、顔中を滴る謎の汗が脳内回路のオーバーヒートを伝えてくる。
僕の発言が嘘ではないという前提条件を設定したために、彼女は矛盾を抱え込んで思考の無限ループを引き起こし、ついに限界を迎えたらしい。
「おい、小娘が壊れたぞ。これどーすんだ」
「どうしたらいいと思う?」
「なんでボクに振るんですか。ボクだってチンプンカンプンなんですよ」
知識欲の権化たるシューニャと違い、ファティマは考えるのをやめられたのだろう。
しかし、僕とダマルがなんとかしてやってほしいと頼れば、彼女は面倒くさそうにやれやれと言いながらも、シューニャの肩を揺すりはじめた。
「シューニャ、帰ってきてください。おにーさんはちゃんと人ですよ、斬ったら死にますよきっと」
サラッと物騒なことを言われて下腹部が冷たくなった気がした。そして酷く残念なことに、彼女の発言は何一つ間違っておらず、僕は生身で斬られれば間違いなく死ぬ。
「本当? 本当に?」
「きっとだいじょーぶですから、ね? ダマルさんは知りませんけど」
獣耳の少女は微妙な笑顔で頷いて見せる。だが、最後の言葉は聞かなかったことにしておこう。
ファティマに水を貰い、それを口に含んだシューニャはようやく正常な思考ができたらしい。フラフラ揺れる頭を押さえながらも、僕の方へとなんとか目の焦点を合わせた。
「わ、わかるように、説明してくれると助かる」
「まぁ、詳しくは僕らもわかってないんだけど」
僕は自分にわかっていることだけをかいつまんで話した。
だが、機械というものに対しての事前知識がゼロに等しいシューニャは、もう一度オーバーヒートを起こしかけていた。それでもなんとか乗り切れたあたり、自分の説明はそう悪いものでもなかったのかもしれない。
「つまり……800年間、貴方は時間を止められて眠っていた、と?」
「まぁ、簡単に言い換えればそんな感じらしい」
シューニャがその結論に辿り着いたのは、説明開始から1時間以上が経過してからである。
自分を知識欲が全てだと言い張った彼女ではあるが、この奇怪極まる問答には流石に疲れたらしく、これ以上の追及は一旦保留として、これからの話を続けて欲しいと言った。
「ヴァミリオンは翡翠より数値の上では弱い。それも当時で言えば大きな差だけど、今では大して変わらないんじゃないかと僕は思う」
「そりゃそうだな。第一世代だろうが第三世代だろうが今の人類からしてみりゃ、
これにはファティマも頷く。
今の人々がマキナの強弱を測ろうとすれば、それこそマキナ同士をぶつける他に方法がない。
「シューニャ、カーネリアン・ナイトに人が乗っていたという話はあるかい?」
「ない。むしろ、リビングメイルを人が着て戦うなんて、私たちは考えたこともなかった」
僕はそれを聞いて、よし、と軽く自分の膝を叩いた。これで勝率9割は最早疑いようもない。
「そこが僕の考える一番の勝機だ。確かにマキナは無人での戦闘もできなくはないが、それはあくまでも補助的な機能で、真価は人が乗ってこそ発揮されるんだ。カーネリアン・ナイトが無人動作なら、僕の相手じゃない」
「そう、なの?」
不安そうなシューニャを前に、僕は力強く頷いて見せる。
あの甲鉄がそうであったように、自動操縦マキナなど有人機からすれば敵足りえないのだ。
「もう1つ、条件が異なる点がある」
僕はゆっくりと立ち上がり、全員の視線が集まる中で玉匣に歩み寄り、その装甲を軽く叩いた。
「カーネリアン・ナイトの武器は光る矢だとグランマは言っていた。この光る矢について、何か情報はないかい?」
「ん……確か、光る矢は一度の戦場で3回までしか使えない必殺の武器だとか。後は、当たった場所は熱を含んだ暴風が吹き荒れ、独特の異臭がして砂が硝子になったとか、それくらいしか知らない」
少し自信がなさそうなシューニャに、僕は十分だと頷く。
これに関してはダマルも、なんだと言わんばかりに体を伸ばし、骨をポキポキと鳴らした。
「そりゃ共和国軍が大失敗かました
まるで知人の失敗を笑うかのように、ダマルは光の矢を説明する。
それを装備した敵相手に戦っていた僕でさえ、思い出せばため息をついてしまうような兵器だった。
発射したプラズマ弾の周囲には、プラズマそのものを保持するための磁気を照射し続けなければならないらしく、プラズマカノンを放った敵機は、ひたすらにこちらに銃身を向け続けていた。それでも甲鉄のように動きの遅いマキナや、柔軟な回避運動が苦手な戦車などには、脅威的な武装だったと記憶している。
しかし、すぐにプラズマカノンは企業連合軍に鹵獲され、構造と弱点を解析されて戦場から姿を消してしまう。これはプラズマを制御していた磁気を乱す、ノイズ発生装置が開発されたためだ。
結果、プラズマカノンはろくに発射もできない上に、機体負荷が大きすぎるお荷物でしかなくなり、失敗作の珍兵器として歴史に刻まれてしまったのである。
「まぁ鹵獲されたお馬鹿が悪ぃんだろうがなぁ。青白い発射光の派手さもあって、余計に哀れに見える兵器だったぜ」
この一連の発言で、シューニャはすっかり呆けていた。
彼女が語った神の武器とも言わしめるそれは、800年の昔には産業廃棄物そのものだったという。
御伽噺に出てくる無敵の騎士様の夢を壊された少女の姿に、僕はただただ苦笑するしかなかった。
「無人機でプラズマカノンを移動目標に対して当てるのは難しいだろうね。至近弾でもかなりの打撃を与えられたはずだろうけど……ヴァミリオンが破壊されていることを考えれば、最後は接近戦になったんじゃないか?」
「化物と殴り合いして刺し違えたってか。とんでもねぇ話だな」
使い方がわかっていないとダマルは大きく頭蓋骨を振る。
しかし、シューニャは何か気づいたように身を乗り出した。
「じゃあ、キョウイチの勝機というのは、武器にもあるということ?」
「御明察。弾に限りがある奴ばかりとはいえ、こういう時には使っておいて損はないだろう」
そう言って僕が玉匣の中へと乗り込むと、後ろからぞろぞろと全員がついてきた。
唯一縛られたままの上、発言が許されていないアポロニアは外に放置することになったが、これは仕方ないだろう。
どうせ説明は一瞬だと、僕は翡翠が固定されている整備ステーションに備えられた、重々しい見た目のそれらに手を当てた。
「これらが、僕の言う勝算だ」
シューニャとファティマは不思議そうに顔を見合わせ、ダマルだけがだろうなぁと小さく頷いていた。