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第20話 妖怪老婆

「アマミ氏が不足分を払うと言うのですか? リベレイタの武器の代金となると……銀貨20枚は下りませんが」


 払えるんですか、とマティの視線は聞いていた。さっきまで何ともならないと言っていた僕に対し、何とかしてくださいと叫んでいたのに見事な掌返しだった。

 この世界における貨幣価値はシューニャとファティマからの説明を聞いて、それなりに理解できているつもりだった。雑貨や食料の大半が銅貨で取引されている中、銀貨となれば1枚を稼ぐだけでも、その労力と時間は想像に難くない。


「無理。キョウイチは放浪者、蓄財も仕事もない」


「……あの、アマミ氏?」


 シューニャは澄まし顔で、現実を見ろと言いたげに目を閉じる。

 これにはマティも嘘でしょうと苦笑をにじませた。可能ならば否定したいところだが。


「シューニャの言葉に嘘はないよ」


「……そう、ですか」


 マティはがっくりと項垂れた。あれだけの啖呵を切ったのだ、期待されていたとしてもおかしくはない。

 とはいえ、なにもしなければ無条件降伏に等しい状況であっても、僕はこのままファティマをコレクタユニオンに返そうなどとは露ほども思っていない。

 シューニャも現実を突きつけこそしたが、項垂れたマティとは違い、何か考えがあるのなら言ってみろとばかりにこちらを注視していた。無論、シューニャが居なければ僕の作戦は始まらない。


「マティさん、現時点でコレクタユニオンが抱えている依頼の中で、一番高い報酬額のものを教えてほしい」


 僕のその言葉に、マティはゆっくりと顔を上げた。まさかといった表情である。

 この天幕に入る前には、こんなことを言い出そうなどとは微塵も思っていなかった。コレクタという存在と自分は、無縁であるべきだとさえ思っていたのだから。


「まさかアマミ氏が――いえ、しかし……申し訳ありませんが、情報を開示することはできません。それに、即時に支払えないのであれば何の意味も――」


「何か勘違いされているようですが、ファティマはまだ組織コレクタ所属のはずですし、これを問うのは僕ではなくシューニャですよ」


「は、はい?」


「シューニャ、君の立ち位置を教えてやってくれ」


 シューニャは詭弁だと小さく零したが、僕がそれに対し歯を見せて笑いかければ、彼女は僅かに表情を柔らかいものへと変えてくれた。

 役に立つなら、詭弁くらい幾らでも弄してみせよう。


「今の私は組織コレクタの生き残り」


「まさか――そんな無茶を!」


 事実そこあるのは、全ての項目が記入済みとなっていたが、そこには認印もサインもない。いわば誰も認めていない、ただの紙なのだ。

 失われたとはいえ、ヘンメ・コレクタの名前はまだ消えていない。そしてマティの手元には報告のために必要な書類が、未だ手つかずで残っている。

 だからシューニャの意思を確認した僕は、マティが書き上げた書類の束を素早く奪い取ると逡巡なく粉々に破り捨てた。


「ちょ、ちょっと! なにするんですか!」


「ヘンメ・コレクタの2人が生還した紙吹雪だよ。さて……機密事項があると言うなら僕は外に出ているが、どうする?」


 完全な屁理屈に、マティは表情を引きつらせる。自分が書いた書類を目の前で破り捨てられるなど、どれほどの屈辱だっただろう。

 今は耐えてもらうしかないが、決してマティに罪があるわけではないので、あとで何か謝罪の品でも送ろうとは思うが。

 ややあって、こちらの誰もがその場から動かないことを確認したマティは、深い深いため息とともに立ち上がり、少し待っていてください、と告げると小天幕を足早に出ていった。

 言われたとおりに大人しく待っていれば、直ぐに綴り紐で纏められた分厚い紙束が入口に姿を現した。

 マティはそれをテーブル上に叩きつけるようにして置くと、こちらを強い視線で睨みつける。


「これらがコレクタユニオンの抱える依頼の山です。国家やテクニカからの直接依頼も含めて、玉石混合に集められた写本だと思ってください」


「細かいのをちまちまやるつもりはないよ。その中で一番高額の報酬を出すものを教えてくれ」


 羊皮紙の綴りそのものに興味がない僕は、速やかに情報を提供せよとマティに迫れば、彼女は小さく頷いて羊皮紙の綴りを捲ろうと手を伸ばした。


「待ちな、マティ・マーシュ」


 しかし、その手が羊皮紙の束を開く前に、僕の背後から響くしわがれた声がマティの行動を遮った。

 振り返ってみれば、そこには腰の曲がった小さな老婆が杖を突き、その見た目に似合わずギラギラとした眼を剥いて立っていた。

 よく観察してみれば、服装は華美ではないが綺麗な染め物で、指には金色のインタリオリングが嵌められている。

 何より、入口の影に隠れるようにして衛兵を立たせているあたり、どうやらこの老婆は権力者なのだろう。

 一方のマティは体を硬直させ、冷や汗を顔いっぱいにかきながら震えあがっている。シューニャも目を見開いて、老婆の登場に驚愕しているようだった。


「ぐ、グランマ……」


 グランマ(おばあちゃん)とは随分と砕けた呼び方だと思ったが、それを受け入れているのか、あるいはそんなことは歯牙にもかけないのか、老婆はコツコツと杖を鳴らしながらマティの傍へと歩み寄ると、しわくちゃの拳を握りしめて彼女の頭に振り下ろした。

 俗にいう、拳骨である。

 ガチンという鈍い音に、マティは頭頂部を押さえて椅子から転げ落ちる。


「あがぁっ!?」


「こんのバカタレがァ! いきなり部外者の居るところに重要書類持っていく奴があるかえ!」


 まさに一喝。小さな体から発されたとは思えない大音声が天幕を貫いた。外は獣舎が近いのか、鳴き声と共に獣の暴れるような音がして、それを抑え込もうとしているらしい男の叫び声も聞こえる。

 まったくと言いながら老婆はこちらへ向き直ると、上から下まで舐めるように僕を見た。


「……随分と変わった格好だね。女3人垂らし込んだジゴロだって噂だったが、えぇ? あたしにゃ冴えない男にしか見えないね」


 どうやら老婆はこちらを値踏みしているらしい。それもシューニャやファティマには一瞥もくれず、だ。

 マティを叱りつけたということは、上司のお出ましと言ったところなのだろうが、それが自分を見極めようとしている節があることには疑問を抱く。

 しばらくジロジロと無遠慮な値踏みは続いたが、まぁいいか、と老婆は言うとマティが座っていた椅子に腰かけた。


「あたしを見ても頭さえ下げやしないってことは、少なくともお前はコレクタに関わった人間じゃないってことだ。隣に居る生娘共はどうでもいいが、お前はなんでここに来て、この馬鹿女はなんでお前にうちの信用情報を見せようとした?」


「貴女の言う通り、僕は貴女を知らない。知らない人間に何を話せと言うんです?」


 警戒を強めていた僕は、老婆の質問に質問で返す。

 今頭にあるのは、最悪外の衛兵2人を突っ切ってここを脱出する算段だ。今まではマティという理解ある人間と対話していたから武力行使による強行突破を考えなかっただけで、この案が通らないならば2人を攫って逃げることまで考えた。

 対する老婆は、随分な物言いだと鼻を鳴らす。


「ただの放浪者にしちゃ肝が据わってるじゃないか。あたしゃこのコレクタユニオン支部の支配人、ボルドゥ・()()()()・リロイストンだ。あたしのことはグランマと呼びな。それで?」


 こっちは名乗ったぞと顎をしゃくるグランマ。筋を通せよと言わんばかりの様子に、さすがに僕も答えないわけにはいかなかった。


「……天海恭一といいます。グランマ」


 視線を外さないまま軽く一礼すると、グランマは深いしわが刻まれた手を振った。


「文句ないね? それじゃ目的を話しな小僧。こっちの不手際があったとはいえ、あたしを煩わせたんだ。内容次第じゃ、それなりに覚悟してもらうことになるよ」


 顔は皺だらけで年齢を感じさせるにもかかわらず、その目はまるで獲物を逃がすまいとする蛇のように輝いていた。

 妖怪の類にも思えてくる威圧的な老婆を前に、相手が一応にも対話姿勢であることを考慮し、僕は引き金に触れることなく事情をかいつまんで話していく。

 その原因はファティマが抱えた借金であり、それを返済するための方途としてシューニャ名義で任務を受けたいと考えていることを伝えた。


「リベレイタの借金を金もないのに肩代わりかい。小僧の性癖に興味はないが、そのご立派な心意気だけは認めてやってもいい」


「それでは?」


「だぁが、こっちも信用商売だ。頭数が1人とリベレイタだけになっちまったような組織コレクタに、重要な仕事任せるわけにはいかないのさ」


 愉快そうにグランマは、一体どこに隠されていたのかと聞きたくなるほど長いパイプを、ぷかぷかと吹かしながらそう言った。

 裏に隠された言葉は、交渉事になれていない僕であってもわかるほど、至って単純である。


「僕に担保を提示しろということですか」


「聡いじゃないか。小娘2人がどうでもいい一山幾らのコレクタでも、お前はまだ値札の付いてない謎の男だ。路傍の石ころなのか宝石なのかもわかりゃしない。だが、仮にそのへんの石ころだったとしても、何かを彫り上げりゃ金になるかもしれないのさ」


 グランマは煙を吐き出すパイプを僕に突き付ける。はなからお前に選択肢なんて残っちゃいないと。


「あたしは差別しないよ小僧。女を救うと啖呵を切ったんだ、救ってやれるだけの実力を見せてみな」





「それで、そのババァに乗せられて、明日向こうの代表と決闘するのかぁ?」


「ああ」


 玉匣の砲塔上に腰を下ろしたダマルは、肉と野菜が挟まれたサンドイッチをむさぼりながら、僕の語った今日のいきさつに対して呆れたように項垂れた。


「昨日の今日でどーやったらこんなことになるんだよお前……ファティマに惚れたか?」


「そういうのじゃない」


 説明しろと言われれば、確かにあの行動は情だけで起こしたにしては過激だっただろう。

 僕は何にあそこまで怒ったのか。今でもリベレイタの扱いに関して考えれば、腹の底で煮えたぎるような感覚があったが、非人道的だという公憤だけで片付けられるほど単純とも思えない。

 ダマルの言うように、まだ1日程度の付き合いである2人に、仲間意識だと言っても薄っぺらなだけだ。信頼関係は時間だけではないにせよ、築き上げてきた物があってこそ生まれるのも間違いではない。

 自分は果たしてどうしたいのだろう。


「おにーさん、準備できました」


 先に食事を終えていたファティマが、頑丈そうな木の棒を持って歩いてくる。

 練習用として探してきてもらったそれは、いつも彼女が振るっていた板剣とほぼ同じくらいの長さで、それなりに真っ直ぐな物だった。

 キメラリアが振るえば、どれほどの威力になるのか。僕はそれを知らねばならない。

 グランマが突き付けた条件は、明日の朝、コレクタユニオンの指定した者との一騎打ち。老婆が見たがっているのは、シューニャを守りつつ、危険な任務を遂行するだけの実力があるかどうかという、驚くほどシンプルな物だ。

 もしその力があると言うならば、やってもらいたいことは山ほどあるとも言われた。

 けれど、僕が目指す先は銀貨20枚の壁だけであり、コレクタユニオンのために仕事をしてやろうなどとは微塵も思っていないが。


「よし、やろう」


 残りのサンドウィッチを口の中に押し込んだ僕は、ファティマが拾って来た長い棒を持って、洞を出た。

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