第17話 コレクタユニオン(前編)
他よりも格段に大きな天幕の前にシューニャは1人佇んでいた。
向けられる半目に、僕は勢いよく頭を下げる。
「すまない、ついつい」
「単独行動は控えて欲しい。急に居なくなられると困る」
「以後気を付けます」
「ん」
反省していると態度で表せば、彼女はそれ以上何も言わずに踵を返す。それに僕とファティマが続けば、向かった先はその大天幕の中だった。
入口の横には鎖帷子の上に
「ファティマからコレクタユニオンと聞いたんだが、一体?」
「コレクタユニオンは、テクニカや国家から降ろされてくる情報や依頼を集約して、私たちのような末端に伝える代表組織。ここはその出張所」
天幕の入口をくぐると、中にはテーブルが並べられて酒場のようになっていた。
しかし、最奥のカウンターには受付職員らしき人物が数人座っており、ただの飲食店というにはあまりにも事務的な雰囲気が見受けられる。
「何故組合に?」
「ヘンメ・コレクタが全滅したことを伝えておくため。私とファティだけ生き残っており、報告もしていないというのは不審がられる」
「なるほど」
コレクタも信用商売ということらしい。ややこしい品を扱う以上、買い取り先が決まっているのが組合を必要とした理由だろう。
シューニャは僕に説明をしながら、昼下がりだからか閑散としている天幕の中央を横切り、迷わず左端の受付席の前に立った。
蝋燭の明かりが受付用に置かれたテーブルの上に、シューニャが影を落としたことで、何やら事務処理をおこなっていた職員は僅かに顔を上げた。
癖のない亜麻色の髪を後ろ頭で結い上げ、前髪はヘアピンできっちりと固定した女性。ハッキリした目鼻立ちの美人だが、落ち着いた雰囲気ながらややお堅い様子も見受けられ一層事務員らしく思える。
「あら、ロール氏にリベレイタ……? ヘンメ・コレクタの帰還報告は受けていないけれど、どうされましたか?」
まるで訓練された営業マンのように、ともすればやや怪しいとさえ感じさせるほど完成された笑顔の仮面を貼り付けて、事務員の女性は何故お前たちはここに居るのかと問うてくる。
あまりにも業務的すぎる雰囲気に僕は少し苦手意識を覚えたが、シューニャは特に気にした様子もなく、短い言葉で用件を伝えた。
「ヘンメ・コレクタが全滅した」
唐突な訃報に事務員は眉を僅か跳ねさせたが、それ以上は感情を表に出すことなく書類を取り出して羽ペンを走らせた。
キャリアウーマンというのは中々に怖いものだ。
「……全滅、と。状況の詳細をお願いしますね」
「私たちは件のテイムドメイルを捜索中、破壊されたそれを発見した。付近の街道酒場で聞き込みをしたところ、野良の青いリビングメイルがそれを破壊して立ち去ったという情報を得た」
事務員は書類に読めない文字を書き込みながら、しかし青いリビングメイルという部分でまた僅かな硬直したように見えた。
それでもシューニャはひたすらに報告を続けていく。
「周囲を捜索したところ青いリビングメイルを発見したため、接触を試みるために丸1日に及ぶ追跡を開始。昨日の日暮れ直前に追いつけそうになっていたが、そこでポインティ・エイトの群れに襲われた」
「全滅原因はポインティ・エイトですか? 群れの規模はどれくらいです?」
一瞬、シューニャが言葉に詰まる。
シューニャとファティマが遭遇していたのは群れから分離した一部分だけであり、壊滅した本体が戦った群れの規模を正確には理解していない。
誤魔化すつもりがないのか、彼女が助けを求めるように視線をこちらへ向けたため、僕は変わって1歩前に出た。
「ポインティ・エイトの総数は100匹を超えていました」
あの時レーダーが捉えていた敵性存在の数を大まかに口にする。僕が戦闘に突入した段階で数を減らしてはいたことを含めて、100を下ることはない。
だが、数字を素早く叩き出した僕に事務員の視線は訝し気なものに変わる。それはどこか不審者を見ているようでもあったが、直ぐにまた仮面を顔に貼りつけると、実に丁寧な誰何が飛んできた。
「失礼ですが、貴方は?」
「彼はアマミ・キョウイチ。我々とポインティ・エイトとの戦闘に介入し、私とファティを救ってくれた恩人」
「キョウイチ氏ですね?そちらは家名ですか?」
別の書類を取り出した事務員は、そこに僕という人物を刻んでいく。文字はまったく読めないが、一番上に大きく書かれているのが僕の名前だろう。
「いえ、恭一が名前です」
「これは大変失礼いたしましたアマミ氏。西の部族の御出身でしたか」
西の部族とやらが何者かはわからないが、少なくとも自分がそうでないことは確かだ。なんせ、現代の人間集団から生れ出たわけではないのだから。
後で偽った情報だったなどと言われても面倒なので、僕は素直に情報の修正を求めた。
「すみません。実は記憶を失っていまして、名前以外は何もわからないんですよ」
下手くそな乾いた笑いを受けた仮面笑顔の事務員はまた、大変失礼いたしました、と言ってから、何か記号を書き足した。多分、身分不詳か何かという意味だろう。
それに対してシューニャは特に慌てた様子もなく、報告の続きを、と言い出したので、不利益を被ることもないだろうと、僕はこっそりと胸を撫でおろした。
「私たちは部隊から遅れていたから、群れから逸れた少数としか衝突していない。ファティが私の護衛についていたから、キョウイチが救助に来てくれるまでの時間を稼げた」
「はい、ありがとうございます。状況はわかりました。壊滅した地点はどのあたりですか? それと死亡の確認が取れたメンバーが居たら教えてください」
背後の棚から比較的大きな羊皮紙が出てくる。机に広げられたそれは、この時代において初めて目にする地図だった。
測量技術などあってないような物らしく、人里や山など目印になる物が抽象的に描かれているような絵画に等しいものだ。
シューニャの指はテーブルマウンテンらしい記号の西側を指し示す。その中を走っている街道と思しき線が街道なのか、近くに赤い点とジョッキの絵が見つかった。
「酒場から徒歩で東へ1日。街道の外れ」
この地図に意味があるのかはサッパリわからなかったが、それを見た事務員が首を傾げたため、どうやら現代人たちは曖昧な記号や位置関係から、大体の場所を算出できているらしい。
「んん~……? その辺りからバックサイドサークルまで来られたとなると、徒歩では厳しいですね。ヘンメコレクタに騎獣はなかったはずですが?」
話の内容に矛盾がある、と事務員は指摘した。
車両に乗って移動しているのと徒歩とでは速度に差がありすぎる。今日の朝から昼下がりにかけて走った距離を歩けば、今ここに居られるはずもないということらしい。
だが、この段階になってから指摘してきた事務員に、僕は僅かな不信感を覚える。
シューニャ達のコレクタが聞き込みを行った酒場から計算すれば、最初から同じ徒歩でここまでどうすることも不可能なのだ。この事務員はそれを最初から問い詰めなかった。
わざとこちらが不利な方向に話を進めようとされているのではないか。
疑いとは恐ろしい物で、今まではただひたすらに機械的に見えていた笑顔の仮面が、途端にこちらの足元をすくおうと狙っている卑劣な表情にすら思えてくる。
だが、シューニャは欠片も動揺を見せずにハッキリと言い張った。
「私たちは生き残っていた
彼女ははっきりと、そして初めて嘘をついた。
真偽を判断しようとしているらしい事務員の視線と、これが事実と言い張るシューニャの視線が交差する
「駄載獣に……? ロール氏は騎乗経験なしと伺っていましたが」
「ファティは騎乗経験がある。私は後ろで掴まっていただけ。キョウイチも騎乗できる」
自分の名前を出されて背筋が伸びる。
自動二輪車を鉄馬と称して含まない限り、少なくとも僕に馬などの動物に乗った経験はない。おかげで何か突っ込まれた場合に備え、僕の頭は必死で言い訳を考え始めた。
しかし、事務員の疑問は僕へは向かず、ファティマの方へと向けられた。
「負傷状態で2人乗りを? それもこの距離を半日以上走り続けたと?」
「とっても疲れました」
ここへきて初めて発言したファティマは、これ以上ないくらい自然に、それこそ息を吸うように嘘をつく。事前に打ち合わせでもしていたのだろうか。
しかし、それでも事務員はなお食い下がる。
「では、ボスルスはどちらに? 駄載獣や軍獣が獣舎に入ったとは聞いていませんが」
もしかするとこの人は、シューニャかファティマか、あるいは彼女らの属したコレクタに大きな恨みがあるのかもしれないと思った。
どこかでボロが出まいかと、僕は1人冷や汗で背中濡らしている。
だというのに、直接応対するシューニャは仮面の事務員に負けず劣らず、涼し気な無表情を顔面に溶接して、質問の1つ1つを確実にいなしていく。
「それは当たり前。ボスルスは長距離を移動する時は低速で移動する生物。瞬間的な突進力はアンヴより大きくても、長時間走らせ続ければすぐに倒れてしまう。今回は事態の緊急性を考慮して、ボスルスを壊してしまった」
むしろ何故知らないのか、と言いたげなシューニャに仮面を剥がされた事務員は、どこか悔し気な視線を向けたように思えた。
しかしその後、彼女はビジネスライクな表情を作り直すことなく、それこそ今までの剣呑さが嘘であったかのように、シューニャに対して慈しむような表情が滲ませた。
「そうね……ロール氏の言う通りだわ。怪我はしていない? リベレイタ・ファティマはよく頑張りましたね」
「ありがとうマティ、貴女を納得させるのはいつも大変」
「マティ?」
一触即発とも思われていた状況から、急激にどこかへ落ち着いた様子のシューニャ達に、僕は関係性が一切理解できなくなった。ファティマに至っては褒められたことがうれしいらしく、尻尾を立ててマティに笑いかけている。
固い雰囲気を霧散させた事務員は、僕に対しても柔らかく頭を下げた。
「自己紹介が遅れました。私はコレクタユニオンの事務員マティ・マーシュです。緊張させてしまったようで申し訳ありません」
「あ、これはご丁寧にどうも……?」
どことなく育ちの良さすら感じられる自己紹介に、さっきまでとは違った意味で僕はギクシャクした。
シューニャやファティマと違い、大人の女性としての振舞になれたような彼女に、少しばかり見とれたと言ってもいい。仮面をしていないマティは、純朴な雰囲気ながら綺麗な人だと思えた。
いかんいかんと頭を振ってシューニャに向き直れば、彼女は書類に何か記入してマティへと手渡している。
「ん」
「はい、確認しますね」
受け取ったマティは中身に目を通して1つ頷くと、筒状に丸めて紐をかけ、机の引き出しへと丁寧にしまい込んだ。
これで手続きは終わりらしく、彼女は穏やかな所作で立ち上がると、カウンターから出て僕の方へと歩み寄ってきた。
「この度はコレクタユニオンの同胞をお救い下さり、ありがとうございました」
そう言うと彼女は両手で僕の右手を包み、片膝をついて額をその右手へと寄せた。
この行為の詳しい意味は理解できなくとも、彼女が言葉通りの感謝を伝えようとしていることだけは間違いなく、少しとはいえ嘘をついていることに良心が痛んだ。
おかげで僕は、このところ多用しすぎている曖昧な笑みをマティに向けていることしかできなかった。
数秒姿勢を維持した後マティの手はそっと離れていく。
僅かに残った体温を確かめるように僕は指を揉んでいたが、その直後自分の耳に吐息がかかるのを感じて身体を硬直させた。
「個人的にも感謝しています」
迫っていた身体を翻し、マティは素早くカウンターの向こう側へ戻っていく。
儀礼的な感謝と個人的な感謝。その違いは立ち尽くすばかりの自分にわかりそうにもなかった。耳元で囁かれた言葉と僅かに残った香水の匂いに、僕は少しだけ酔わされたのかもしれない。
受付席へと腰を下ろした彼女は、改めてシューニャとファティマの2人に対し、真剣な表情を向ける。
「ロール氏とリベレイタはこれからどうされますか」
そこにはさっきまでの友人らしい女性ではなく、コレクタユニオンの職員としてのマティ・マーシュが座っていた。