第14話 進路、決定
玉匣は無限軌道を軋ませながら軽快に荒野を進む。
昨日のように追跡者の歩調に合わせるようなこともなければ、走行に不安のあるほど悪条件な地面でもないため、動く我が家は巡航速度を維持し続けていた。
「速いですねー」
照りつける太陽の下、走行風を受けて橙色の細長い三つ編みが揺れる。
砲塔の上部装甲に登ったファティマは、黒光りする砲身を跨いで座っていた。所謂、
車両が急激な運転をすれば振り落とされかねない上、車体上にシートベルト付きのソファでもない限り最悪の乗り心地だろうに、彼女はわざわざ砲の上で鼻歌など歌っていた。
「そんなところで座ってて辛くないのかい?」
「へーきですよ。風がきもちいーじゃないですかぁ」
見ているだけで痔を心配してしまう――それ以上に気にすべき点も多いが――光景に、自分の尻が痒くなってくる。人の尻はシャルトルズの装甲に比べて非常にやわらかいはずだが、キメラリアはそうでもないのかもしれない。
その隣で、僕は開け放った砲塔上のハッチから半身を乗り出し、銃架に備え付けられた車載機関銃にもたれかかっていた。銃身の横に備えられた遠隔操作用カメラは、僕の右手だけを映している事だろう。
上に乗ってみたいというファティマを心配して銃座についたのだが、高い運動能力を持つ彼女には無用な心配だったようだ。
ただ周囲を警戒しているだけならば、砲手席に座っていた方が楽だなぁ、などと独り言ちる。
「ねぇおにーさん、それって
位置を変えないまま仰向けに寝ころんだファティマが、頭を上下逆さにして聞いてくる。装甲に押し付けられて大きな獣耳が天を仰いでいた。
現代における
もしかすると直射日光で頭が茹っていたのかもしれない。我ながらあまりのしょうもなさに、微妙な笑顔を浮かべて誤魔化した。
「正解正解、飛び道具だよ」
「おぉ、僕の目も捨てた物じゃないですねシューニャ!」
「見えない!」
やったーと寝そべったまま万歳をするファティマの足元から、走行音にかき消されないようにシューニャは大きな声を出した。ダマルが運転席上のハッチを開けているのだろう。
シューニャは玉匣の運転操作をひたすらに凝視していた。
当の運転者であるダマルは穴が開くほどに見つめられて居づらかったらしく、元々スッカスカなんだから勘弁してくれ、と彼女に言っていたが、知識欲に手足が生えたような彼女にはまったく聞き入れてもらえていなかった。
おかげで、今も無線機から救助を求める声が聞こえてくる。
『おぉい恭一ぃ、このチンチクリン何とかしてくれよぉ』
「ぶふっ!」
あまりに情けない骨の声と乾いた音にファティマが噴き出す。ツボに入ったのか、上面装甲をバンバン叩いたかと思うと、ひーひー言いながらその場にうずくまる。
「まぁ、これも1つ彼女への恩返しだと思ってくれ」
『そんなご無体な!』
にべもなく僕は骨の救援要請にノーを突きつける。相棒たるラフィンスカル君ではあるが、今後の進路を決める上で貴重な位置情報を提供し、食料事情改善を行うための方途をもたらし、あまつさえ資金難の我らに一筋の光明を与えて下さった女神様のご要望だ。むしろ尊い犠牲として、その栄誉を噛み締めてほしいところである。
と言うのも、つい先刻僕らは『非常事態宣言中である我が家の食料事情について会議』を、走行する玉匣の中で行っていたのである。
■
朝食を取り終えた僕らは、同行することになった彼女たち2人を乗せ、遠く東にあるというユライア王国へと進路をとった。
動き出す玉匣にシューニャは緊張し、ファティマが面白がること数分。誰が言うともなく車内においてその会議が開かれた。
目前に迫る飢餓の恐怖は、仲間と呼ぶにはあまりに幼いコミュニティさえも、僅かな時間で結束させたのだ。
会議の場で真っ先に発言したのは、現代における知恵袋のシューニャである。
「とりあえず、これだけ渡しておく」
彼女はそう言うと、10枚ほどの銅貨を僕に手渡した。
今朝までを食いつないだ食料が、今までの10倍も買える金額である。間違いなく極貧の最底辺の自分たちにとっては大金だった。
「い、いや、子どもからお金を貰う訳には……こっちは自分たちでなんとかするから」
精一杯の強がりで、手に乗せられた銅貨をシューニャに押し戻す。これを受け取れば完全なヒモ男の出来上がりだと、ミジンコの如きプライドを総動員し、ここは固辞しようと試みた。
無論、僕が構築したホイップクリームより柔らかい防御壁など、シューニャのじっとりした視線を前に耐えられるはずもない。おかげで大の男が少女相手に、すみません、としっかり頭を下げる光景が生まれていた。
シューニャのついたため息が、どれほど自分の精神に突き刺さったかは想像に難くないだろう。
「貸すだけ」
その言葉に僕は呆然とした表情のままで頭を上げる。
目に映ったシューニャの顔は呆れに染まっていたが、僕はそこに女神の姿を見ていた。
情けなさ100%であることは認めるが、滞りなく返済したその後に彼女たちが楽に暮らせるよう、粉骨砕身努めようと僕が誓った瞬間である。
運転席に座っているダマルが、カッカッ、と言いながら笑いを堪えていたので、そちらは後で馬車馬の如く働いてもらおうと心に決めたことも付け加えておく。
大人げないと言われるかも知れないが、大人は大人に対して大人げないのである。
「大金を持ち歩くのは危険、だけど、まったくもっていないのも何かと危ない」
「あぁ、わかった。ありがとう」
「ん」
僕が素直に受け取ったのを見て、よし、と言わんばかりにシューニャは姿勢を正すと、改めて今後どうすべきかという意見を述べ始めた。
「このまま東へ進めばロックピラーの終わりにロボゥ村がある。町と違って入ることにお金はかからないし、帝国の警備部隊に見つからなければトラブルにはならないと思う」
「治安警備部隊って、普通常駐しているんじゃないのか?」
「ロボゥを含めた近くの村は、国境近くにある町の部隊が警邏に回っているだけ。常駐はしない」
戦争中という状況において、小さな村に兵力を割ける余裕はないのかもしれない。
実際に国境に近づけば前線も近づくわけで、比較的大きな町に兵力を集中させておきたいのは事実だろう。それも、その町よりも後方の村であればなおのことだ。
警邏の目をかいくぐり、素早く買い物を済ませて撤収すれば、当面の食料くらいならなんとかなるかもしれない。それくらい順調ならば、帝国に居る間は借金に目を瞑っていることも耐えられるだろう。
「けれど、問題もある」
今までの情報にこれといって問題点も見つけられなかった僕だが、シューニャの隣でファティマまでもが難しい顔で頷いているところを見ると何かあるらしい。
「村に食料があるかがわからない」
「近くで戦争してますからね」
「あぁ……そういうことか」
戦争が理由と言われると、なんとなく想像できた。
軍隊を維持するだけの兵糧は無論、輸送隊が備蓄されていたものを運び、消費されていく。しかしそれは予想していた通りに戦争が推移した場合だけだ。
戦争が長引いたり備蓄が襲撃を受けたりして足りなくなった分は、近隣の町村から徴発するに違いない。直接部隊を派遣して砦やらにかき集め、それを前線に届けるだろう。
後に禍根を残すことになっても、軍隊に協力しなければ反逆とみなすと脅されれば、農民たちは食料を差し出さざるを得なくなる。
「食料を確保できる可能性は薄い、か」
「ボクは無理だと思います。前にロボゥを通った時に見ましたけど、あそこは地面がカラカラで、畑の草も元気がなかったですもん」
「ロックピラーは大体そう。だから人が住んでいる場所が少ない」
戦争に加えて農耕に不適だと、2人は口を揃えた。
こうなってしまえば芽生えたかに見えた希望は、瞬く間に霧散してしまう。可能性はゼロではないが、警備部隊が居るかもしれないことまで考慮すれば、あまりにも分の悪い賭けだ。
「しかしそうなると今日明日に食料の確保できる可能性は、どこへ行っても低そうだなぁ」
腕を組んで唸る僕を見て、シューニャは再び口を開いた。
「バックサイドサークルに寄ってみる、という方法がある」
「なんだいそれ?」
まったく未知の名詞らしき単語の出現に、僕は首をかしげる。逆にファティマは何か納得した様子で頷いていた。
「バックサイドサークルは流浪民族が出す市場のこと。場所を転々と移動しながら、合法非合法を問わず、あらゆるものが売買される。各国の法律では一応規制されている、けど、色んな情報が集まる場所でもあるから事実上黙認されている」
「闇市ってやつだなぁそりゃ!」
ダマルが運転席から、俺たちにはもってこいじゃないかと、走行音に負けないように大きく声を出す。
心情的には飢餓状態にあるだけの真っ当なトラベラーのつもりだが、僕らの手元にある過剰な戦力と不足する社会常識はそれを認めない。だからこそ、夕闇のような世界に溶け込むのは悪くない判断だった。
「コレクタが集めた物の中でテクニカや国が買い取らなかった物もここで売られるから、私たちも行ったことはある」
シューニャはポーチをごそごそと漁ったかと思うと、小さな破片を取り出して掌の上で遊ばせた。
どうやら買い取られなかった物の類らしい。小指の爪ほどの大きさの黒い塊は、僕から見て明らかに価値がないことが理解できた。
「コンデンサ?」
しまったと思ったのは、言葉が空気を揺さぶってからだった。
目を輝かせるシューニャを前に、説明を求められたところで僕には蓄電放電を行う部品ということ以外知識がない。そのため詳しくは後でダマルに説明してもらうことにして、僕は無理矢理話題を戻す。
あまりに露骨な軌道修正に、シューニャもハッとして、薄く頬を染めながら小さく咳払いすると説明を再開した。
「ば、バックサイドサークルなら、こちらの事情は関係なく売り買いができる。食料徴発も彼らには関係がないから、お金さえあれば問題にはならないはず」
「村に行くよりはよっぽど安全、か」
「ややこしい人も多いですけどねぇ」
ファティマは口でそう言いながらも、特に困っていないという風に笑っていた。
頼もしいことこの上ない彼女たちの提案に、骨からも同意を得たところで、僕らの進路は決定されたのだ。
■
それ以後、走行中は周囲の警戒くらいしかすることもないため、僕は銃架に身体をもたれさせて外を眺めている。
車内では未だにシューニャによる運転手観察会が続けられ、苦情にさえビクともしないと彼女に対し、ダマルは全て諦めて運転を続けていた。目的地に着くころには彼は骨粗鬆症になっているかもしれない。
「お金、かぁ」
僕は彼女が手渡してくれた銅貨を、ポケットから1枚取り出して太陽にかざす。
何やら文字が刻まれているが、何を書いてあるのかはサッパリわからなかった。