第13話 申し出
「えっと、シューニャ、さん?」
思考がフリーズから復旧するのには長い時間を要した。挙句、できたのは疑問形で彼女の名前を呟く程度である。
あまりにもぎこちないこちらの様子に、彼女は両の手を握りしめると、今度はゆっくりと、区切りをつけてはっきり告げた。
「私を、貴方たちに、同行させてほしい」
途端に僕とダマルは彼女の前に飛び出した。
「まさかあの蟲、神経毒があったのか!?」
「なんてこった!! おいしっかりしろよ!? なんとかしてやるからな!」
ダマルは彼女の目の前で膝をつき、ドンゴロスごと頭を抱えて絶望を叫び、僕は彼女の両肩を掴んでガクガクと身体を揺さぶった。
するとシューニャは、あー、とか、うー、とか声にならない呻きを漏らす。
これはいよいよいけない。彼女はきっと正気を失っているのだと僕は麻袋と顔を見合わせて頷きあい、医療嚢を取りに玉匣に戻ろうと慌てて踵を返した。
「ごふっ!?」
直後、僕の腰部に凄まじい衝撃と激痛が走り、その場にしゃがみこまされる。
これにはダマルも驚いて立ち止まった。
「おい相棒、なんか腰からスゲェ音したけど大丈夫か?」
「おー、綺麗な肘打ちでしたね」
間延びしたファティマの言葉に痛みの理由がハッキリする。
しかし何故、と痛みに腰をさすりながら振り返れば、無表情の仮面に怒りのオーラを乗せたシューニャが僕を見下ろしていた。
それを見て横についていた骨が、全力で玉匣に向かって颯爽と逃げていく。
「いや、待てダマル! こんな状況で置いていくな! なぜかわからないが、シューニャさん怒髪天――ひぃ!?」
「話、聞いて」
背後に稲光が見えそうなほどの気迫に、僕はその場で背筋を伸ばして後ずさった。
腰が砕けそうに痛むが、命には代えられない。ダマルも恐れをなしてか玉匣のハッチに身を隠してこちらを覗き込んでいる。
怯え竦む男と骨を相手に、シューニャはしっかりと深呼吸をすると、怒りの渦を沈めて真剣な瞳を僕に向けた。
「大丈夫、私は正常。だから貴方達に同行させてはもらえない?」
「ほ、本気で言ってるのかいそれ。僕らには金も、身分も、何もないんだよ」
利害でついて来ようと言うならば、その利が見当たらない。信頼や仲間意識でついて来ようと言うには、あまりに薄い関係と言える。命の恩人だと言うのならば、僕は情報と言う名の恩義を十分に受け取っている。
だが、シューニャはそうではないと続けた。
「私にとって貴方に同行することに利がある。あるいは、信頼を勝ち取りたいと思っていると置き換えてもいい」
これは取引だ、と、少し声に自信を滲ませながら彼女は言う。
自分たちが持つ利。コレクタであった少女。そう考えれば1つのピースが浮かび上がった。
「マキナかい?」
「半分正解。だけど不完全」
シューニャの白く細長い指が僕の鼻先へと伸びてくる。それは触れるか触れないかのところでぴたりと静止した。
「私にとって貴方たちは興味深い。リビングメイルを操り、技術も知識も持っているのに常識を知らず、とても歪」
「それはそうだろうが……君の望む結果はなんだ? 僕らを知ってどうしたい?」
僕が疑いの目をシューニャに向けると、彼女は自分の頭を指さした。
「知識欲」
「はぁ……?」
こいつは何を言ってるんだ、とも思ったが、その翠玉が如き瞳は一切揺れもしない。加えて、僕の理解が及んでいないとわかると、彼女は落ち着いて言葉を続けた。
「私はテクニカという組織の学者になることを目指して、ヘンメ・コレクタでブレインワーカーをしていた。でも学者になるということはあくまで通過点に過ぎない」
再び彼女の指が動き、玉匣を指し、ダマルを指し、再び僕に突き付けられる。
「未知を知りたい。今まで私はテクニカの学者にならなければ叶わないと思っていたこと。でもそれは今、私の目の前にある。そして知りたいことを知っている人がいる」
「その知識で君は何をしようと?」
シューニャは僕の問いに、茶色いポンチョの裾を抑えながら立ち上がる。その顔は清々しいほどの無表情で、それなのになぜか嬉しそうに見えた。
「学者とは知を究める者。それで何かを成すのではなく、ただ誰も知らないことを知りたいと思っている。それ以上は何も望まない」
正直な話、僕はそんな人間が居るとは思えなかった。人は新たな知識を得たらそれを試す。そして広めようとするか自分だけの特別なものとするか。どちらにせよ欲が後に続く。
「本気かい……信じがたい話だけど」
「いーや、俺は信じたいね」
今まで鉄扉の裏に隠れていたダマルがガシャガシャと歩み寄ってくる。
急に出てきて何を、と言おうとした僕を制し麻袋の不審者はシューニャの前に立った。先ほどの雰囲気に怯えていた時と同じ人物だとは思えない堂々たる立ち姿である。
シューニャも一切揺らがなかったが、ただダマルの言葉に小首を傾げた。
「信じるではなく、信じたい?」
「そうだ。お前がこれを見ても今の意見を貫けると俺は信じたい。知識を悪い方向に向かわせず、知識に怯えることもなく、俺たちの前に立っていられると証明してみせろ」
そう言うとダマルは、シューニャが返事をする前にドンゴロスを自らの頭から抜き取った。
白骨の顔が太陽に照らされる。表情を作るための肉を持たず、カタカタと軽快な音を奏でながら、ひたすら闇の深い眼孔で世界を睥睨する姿。
シューニャの無表情の仮面が剥がれ落ちる。一瞬の動揺と恐怖、そして同程度の好奇心か。
本来ならば逃げ出してもいいような相手に、しかしその足は半歩下がったところで踏みとどまった。
「がい……こつ?」
「ビビったか? だが俺ぁ俺だぜ? 昨日から目の前に居た麻袋から何も変わっちゃいない。俺はダマル。人間と同じように食い、眠り、動き回り、考える骨だ」
どうだとばかりにダマルは胸を張る。なんなら麻袋の息苦しさから解放されたことを喜ぶように、大きく深呼吸して見せた。
その衝撃にしばらく固まっていたシューニャだったが、やがて彼女はおそるおそるダマルの顔に手を伸ばした。
小刻みに震える白い指がカルシウムの塊に触れ、その感触を確かめる。
「貴方は死霊術で生み出された
シューニャも最初は指先でなぞるだけだったが、徐々に両の掌で包むようにダマルの頭を撫でていく。
それをダマルは、死神なんてのもイタくていいねぇ、と骨を賑やかに響かせながら笑ってみせる。
「俺にもわかんねぇのさ。さっきも言ったが、食い、眠り、動き回り、考えることは人と同じようにできる。だが、肉も臓物もねぇ骨ってのが俺で、それ以外はなーんにもわかんねぇ」
言い切るダマルに、そう、と呟いて手を放したシューニャは、何か満足したように微笑んだ。そこに恐怖の色はなく、侮蔑の感情も見られない。
僕はただ見とれていた。彼女がダマルという未知を受け入れる瞬間を。
厳かに進行する祭事のように、死神と姫の邂逅にも見える神秘的とも思えた静寂の空間だ。
「おぉー! 人じゃないとは思ってましたけど、正解でした! なんですかこれ、どうやって動いてるんですか? どうして繋がってるんですか?」
それをファティマは見事一撃でぶち壊した。一気に現実に引き戻されたのは僕もダマルも同じであったらしく、格好をつけていた骨はあんぐりと下顎骨を開く。
シューニャが何かを察して距離を取ったのを見計らい、無遠慮にファティマがダマルの身体を撫でまわす。なんなら手袋をはぎ取り、靴を脱がせてそれらをまじまじと見る。服の上から胴体を触ったところで、たまらず骨から声が上がった。
「カ、カカカ、カーッカッカッカッカッカッ!! ちょ、やめて! 俺感覚はあるからくすぐってぇんだって! 待って、鎖骨返して、肩上がらなくなるか――イヤぁー! 俺の貞操がぁあ゜あ゜あ゜あ゜あ゜!」
しばらく全身を撫でまわされた挙句、左右の鎖骨に始まった骨格標本の分解検分作業は全身に渡り、最終的に頭骨も含めてしっかりとバラバラになっていた。
救いとしては、ファティマが思いのほか器用に組み立てまでこなしたことだろうか。
「満足しました……昨日蹴っ飛ばした時に、おかしいなーとは思ってたんですけど、まさかこんな風になってるとは」
満たされてツヤツヤと輝くファティマとは対照的に、解放されたダマルは物言わぬ骨かの如く崩れていた。喋りださなければ本気でただの白骨死体だっただろう。
そして一歩間違えばダマルと同じ姿で生み出されていたであろう僕は、自分に肉があってよかったと心の底から感謝していた。
「俺、最後までカッコよく決めたかったんだ……でも、なんか弄ばれて、ちょっと嬉しかった気もする」
「君の性癖は聞いてない」
小刻みに震えるだけの骨を心配したことを軽く後悔しながら、僕はシューニャに向き直る。彼女もまた、ファティマがダマルを弄んでいる姿をじっと観察していた。
「これでも気持ちは変わらないかな?」
「貴方達に付いていく。私も役に立ってみせるから、連れて行って」
コクン、と小さくうなずくシューニャに、僕はようやく微笑みかけることができた。
最早反対する理由はない。それどころか、ダマルを知ってしまった以上は簡単に手放すわけにも行かなくなった。
そしてそれは、ひっくり返ったダマルの隣でその左手を弄んでいるファティマにも、同じ条件が当てはまる。
「その、ファティマさんはどうする?」
おそるおそる聞いてみると、彼女はこちらを向いて疑問符を頭に浮かべた。
「ボクはシューニャの護衛を命じられていますから、シューニャが行くならどこへでもついていきますよ。それに、その方が面白そうですし」
「あー……本当にそんな簡単に決めて大丈夫なのかい?」
あまりにあっけらかんと言うものだから、ついつい聞き返してしまった僕に対し、ファティマはうーんと腕組みをして考える仕草をしてから、何かを思いついたように困った笑顔を僕に向けた。
「コレクタがなくなっちゃいましたから、次の命令は誰がくれるんでしょう?」
「それなら、もう誰かに命じられる必要はないんじゃないか?」
組織に属さないのであれば、命令という言葉はあまりに強制力がありすぎる。
自分たちの間に上下関係は存在しないと思ってそう告げたが、彼女はそうではないと首を振った。
「ボクはリベレイタです。ボクの大事なお仕事です。おにーさんは必要じゃないですか? 雇ってくれないんですか?」
どこか甘えたような声で、なんなら上目遣いも追加してファティマは言う。獣の耳と尾、そして鋭く見える八重歯と爪以外は完全に人で、何なら美少女と呼称できる容姿である。
あまりの破壊力に顔が赤くなるのを感じて目をそらす。年甲斐もなく、と言うに自分は若いと思っていたが、それでも20歳にすらならない少女に赤面するのはどうかと、小さく首を振って思考を振り払う。
そんな僕の様子を見かねてか、地に伏したままの骸骨がカッカッカと笑い声を響かせた。
「雇ってやれよ相棒。1人だけ仲間外れってのは可哀想だろ」
「他人事みたいに言うんじゃないよ……はぁ、わかった。雇えばいいんだろう?」
「はぁい、よろしくお願いしますね? おにーさん」
何とも力の入らない間延びした声に、本当に大丈夫だろうかと僕は不安になった。
そして不安になると、1つ言い忘れていたことを思い出す。
「あー……ファティマさん? 非常に言いにくいんだが、給料等の支払いは暫く渋いと思ってもらえると―――」
「お財布の中身見てますからダイジョーブですよ。あと、さん付けはやめてください。気持ち悪いです」
何故だろうか。納得してもらえたはずなのに、気持ち悪いという一言で心に不要な引っかき傷ができた気がして胸が痛い。
引き攣った僕の笑顔を見たダマルは、腹を抱えて大爆笑したが、その時に左手がないことにようやく気づいたらしい。
「お、俺のオテテガー!? どこ、どこ行った!?」
年下に振り回されるのは僕もダマルも大して変わらないらしい。いや、ファティマが誰彼無しに、それこそ平等に全員を振り回しているのだろう。
こうして僕らは道連れ2人と気苦労を増やし、ユライアへ向けて出発することになった。