第100話 崩落
ダマルが違和感に気付いたのは地下トンネルからロガージョの巣穴へ戻った時だった。
「……この部屋に死体なんてあったか?」
大きな顎をした蟻は、シューニャが言っていたアーミーと呼ばれる固体であろう。死後硬直で丸く縮こまった亡骸が、不思議と無造作に転がっていた。
触れるなと言われているため、揃ってそれを避けるように迂回しながら歩けば、アポロニアは訝し気に顔を顰める。
「こいつ、死んでから時間が経ってないッスよ」
「なんでんなことわかるんだ?」
「独特の臭いがするッス。酸っぱいっていうか……あれ、でもこの臭いが感じられるってことは――」
ぞわり、とキメラリア2人が毛を逆立て、それぞれの得物に手をかける。
彼女らに遅れる事数秒、ガサガサという足音をマキナの外部マイクが拾い、今まで静まり返っていた巣穴はすぐに喧しい音で満たされた。
『レーダーに感。前方に複数の生体反応……どうやら住民の御帰宅らしい』
「俺たちゃごみ収集業者のはずなんだが、空き巣扱いされちゃたまんねぇぜ」
『トンネルに戻ったところでジリ貧だ。このまま最短距離で突破する。状況を危険と感じたら各々の判断で物資を捨て、安全の確保を最優先してくれ』
元々交戦することは予想していたのだ。しかもロガージョには人間が振るう程度の剣や鈍器が有効である以上、マキナを盾にして突破すればリスクは最小限に抑えられるはず。なにより、巣穴の住民はいずれ排除しなければ、残してきた物資の回収にも問題が出てしまう。
『正面から来た敵を集中して撃退しつつ、可能な限り高速でゴミ捨て場まで駆け抜けるぞ』
「了解ッス」
「腕が鳴りますねー」
アポロニアとダマルがセーフティを外し、ファティマがぐるりと斧剣を回して見せる。最後にシューニャが、任せる、と小さく頷いたのを確認し、僕は一本道の通路を走り出した。
しかしそれも僅かに進んだところで、一体今までどこに隠れていたのかと聞きたくなるような数の蟻とぶち当たる。ロガージョからしても予期せぬ遭遇だったのか、大顎をガチガチと鳴らして威嚇し、小さな顎しか持たないワーカーを守るようにアーミーが隊列を組んだ。昆虫だというのに中々素晴らしい連携である。
だが飛び道具を持つマキナに対し、大顎だけのアーミーたちが敵うはずもない。
『全員、耳を塞げ!』
狭い空間に詰まるようにして進軍してくるロガージョに対し、僕は突撃銃をばら撒いた。如何に刃を通しにくいという甲殻を持つとはいえ、高速徹甲弾はそれを容易く貫いていく。
しかし流石は真社会性昆虫と言うべきか、どれほど屍が積み重なろうと怯まない。個よりも群の生存を優先する行動には、多くのコレクタが道半ばで倒れたことも頷ける。
ただでさえマガジン1本を丸々撃ち尽くしてなお、途切れる気配がすらない程の物量だ。それもリロードの僅かな時間だけで、蟻の群れは一気に距離を詰めてくるため、僕は接近戦に移行する判断を下した。
「ファティ、頼む!」
「やってみまぁす」
言うが早いか、ファティマは背負子を地面に降ろすと、銃撃が止むのを見計らって飛び出し、先頭を走っていた1匹に斧剣を叩きつける。
斧剣の一撃は切断というより殴打に近い。それは全身を甲殻で覆ったロガージョにとって、天敵とでも言うべき存在だった。
おかげで彼女が鋼の塊を振るう度、何匹もが纏めて吹き飛ばされ、壁や天井の染みと化していく。それに加えてマオリィネから教えられた技術を応用しているらしく、斧剣を一切壁や床にぶつけないため、武器を振り回す速度が衰えることもない。
「アハッ、思ったより柔らかくて軽いですね。ちょっと楽しくなってきました」
ファティマは実戦の中で、技術の手ごたえを得たのだろう。顎を開いて飛び掛かってきたアーミーの頭に斧剣を突き立てると、吹き出す体液を浴びながら口を三日月のようにして楽しそうに笑った。
ただ、硬い甲殻がブンブンと宙を舞う異様な光景には、流石のシューニャも顔を顰めていたが。
「馬鹿力……ファティ、そろそろ戻って」
「よっと――シューニャは大袈裟ですね。これくらい普通じゃないですか」
ケットの鋭敏な耳は、小さな呟きまで聞き逃さないらしい。ファティマは軽く跳んでシューニャの隣へ後退すると、心底不思議そうに首を傾げていた。
彼女が退けば、僕は再び射撃が再開する。するとアーミーの増援が途絶えたのか、今までは波のように押し寄せていた蟻の群れは急激に数を減らしていく。
そして間もなく、薬莢がキンと小さくなったのを最後に、通路に静寂が訪れた。
『――前方クリア、これで一息つけそうかな』
「いや、急いだほうが良さそうッスよ。まだあちこちからワサワサ聞こえるッス」
「随分仲間の数を減らされたから、クイーン《女王》が直接アーミーを引き連れて出てくるかもしれない。クイーンを倒せばロガージョは巣を放棄するから、外までおびき出して撃破するべき」
シューニャの進言に、ダマルはげぇと心底嫌そうな声を出したが、1匹ずつ踏み潰すよりは余程効率的だった。
『どちらにせよ脱出が最優先だね』
全員と頷きあってから、再び通路を駆けていく。その途中でも時折アーミーと出くわしたが、その度に翡翠で踏みつぶすなり、ファティマが嬉々として斧剣を振るうなりして撃破すれば、最初に行き当たった交差点まではあっという間だった。
ただその広間を見た時、ここまでくれば、という言葉は引っ込んでしまったが。
『――なんて数だい。どこにこんな物量が隠れてたんだか』
床から天井までを埋め尽くす蟻の群れ。なんなら他の通路からもアーミーが湧き続けており、わさわさと動き回る大量の虫には流石に鳥肌が立った。
しかし、出口は1箇所しか知らない以上、突破する以外に方法はない。それは皆が理解していることで、圧倒的な数を前に緊張の面持ちで得物を構える。
『ダマル、手榴弾を。炸裂と同時に中央を崩すから、シューニャとアポロを連れて奥の穴まで全力で走ってくれ。僕とファティマで殿を務める』
「了解だクソッタレ、こんなに気色悪い任務は初めてだぜ――っと、手榴弾!」
ダマルは腰から丸いリンゴのような手榴弾を取り、安全ピンを引き抜き部屋の中央へ向けて投擲した。声に合わせて僕はシューニャを覆うように壁に隠れ、ファティマとアポロニアも耳を押さえてしゃがみ込む。
弧を描いて飛ぶうちに安全レバーが外れた手榴弾は、地面に接する直前にそのエネルギーを解放し、盛大な炸裂音を響かせた。
至近距離に居たアーミーが吹き飛び、僅かに離れただけの個体には飛散した破片が襲い掛かる。だが、自分が壁から飛び出して射撃を開始した時には、既に混乱は収まりつつあった。
『手榴弾による被害軽微! 思ったより削れてないな』
「無駄に硬ぇ蟻共だなオイ! 盾になった奴でも居たってのか?」
銃弾をばら撒きながら口々に毒づく。アーミーは天井にまで張り付いているのだから、結構な数をまとめて戦闘不能にできるかと思っていたが、実際は10匹に満たない数がバラバラになって転がっただけだった。
それでも、突入してしまった以上、最早後戻りはできない。ファティマが正面の敵を薙ぎ払い、それを3つ銃声で援護しながら突き進む。一方アーミーの群れは、それを阻止せんと損害を無視した突撃による、飽和攻撃を敢行してくる。
特に危険だったのはリロードの瞬間である。ダマルは手慣れた様子で切り替えていくが、アポロニアは慌てたからか少し手間取り、その間に敵の接近を許していた。
「うわわっ!? 間に合わないッスよぉ!?」
『落ち着いて、確実にだ! 時間は稼げる――』
「任せて」
わたわたと弾倉を取り落としかける彼女の後ろから、シューニャが小さな壺らしき物をアーミーに向かって投げつける。それはアポロニアに近づいていた1匹の頭部にぶつかって砕け、中に入っていたほんの僅かな液体が甲殻に付着した。
それは毒の類だったのか、不運にも頭から浴びせられたアーミーは、もがき苦しむように地面を転がっていく。
『あったんだねぇ、殺虫剤』
「ヨモジィという高山植物から抽出した油。本来は羽虫避けだけど、直接かければロガージョにも多少は効くから、高価なお守り」
『――ちなみに幾らくらい?』
「あの量で銅貨500枚くらい」
どうやらお金持ち専用の羽虫避けらしい。射撃を再開したアポロニアが、値段を聞いてビクリと肩を跳ねさせる。
だが、値段に関して物申す余裕など流石になく、右側の制圧を担当していたダマルから声が上がった。
「相棒、カバー頼む!」
『了解』
大顎を開いて骸骨に襲い掛かろうとした1匹を、僕は銃撃を止めないまま蹴り飛ばす。ただ動きが大きくなったことで、翡翠には別の数匹がとりついた。
いくら全身鎧で身を固めていても、蟻共の大顎はそれを貫くだけの力を持っている。それでもマキナの強固な装甲は流石に貫けず、耳障りな音をガチガチと響かせるばかりだ。
しかし、アーミーも攻撃が効かないことくらいは理解できるらしく、本能なのか首や関節を狙う小賢しさを見せた。
『判断は間違ってないが、右腕も一応は動くんでね――っと!』
首に噛みつこうとしてきた1匹に、わざと右腕の装甲を噛ませて防ぎ、左腕のハーモニックブレードを突き刺して払いのける。
だが、攻撃が取り付いても倒せなかったという部分で、ロガージョ達からの脅威レベルが高まったのか、アーミーの攻撃が自分に集中した。
おかげで正面の敵は薄くなり、ファティマはこれを好機と見たらしい。
「一気に通路まで行きますよ!」
彼女は叫ぶや否や、大きく斧剣を振るって敵を吹き飛ばし、勢いよく道を切り開いて駆け抜ける。
彼女に続いて3人も速度を上げたが、僕は敢えて囮になるように距離をあけ、迫るアーミーを潰し続けた。
『ダマルとアポロはシューニャを穴の外まで護衛しつつ後退、ファティと僕で蟻の追撃を食い止める!』
「了解、悪いが30秒耐えてくれ」
3人が通路へ消えたのを確認してから、僕はファティマの隣まで敵を潰しつつ後退し、通路の入口を塞ぐ態勢をとった。
あれだけ殺しても敵の数が減ったようには見えないが、後は逃げるだけとなったためこちらの優位は揺らがない。そもそもロガージョはマキナに対して脅威とは成り得ないため、数で圧倒されてもまだ余裕があった。
それはファティマにとっても同じらしく、戦いを楽しむようにユラユラと尻尾の先を動かすと、三日月のような笑みを浮かべて迫ってくるアーミーを蹴散らしていく。
「あはっ、これぐらい振り回せるのは久しぶりですね。お外じゃないのが残念です」
『前に出るんじゃないよ。蟻の殲滅はまた今度だ』
好戦的な彼女に苦笑しつつ、僕は前から迫る個体に貫手を突っ込んでいた。人間ともマキナとも違う感触だったが、殺すという行為に変わりはない。
戦闘中の30秒は普段以上に長い。しかし1匹また1匹と潰していれば、それも大した苦にはならなかった。
『――時間経過。ファティ、退くよ!』
「はぁい」
背中合わせのファティマは、最後に一振り敵を薙ぎ払ってから頷き、揃って通路へ走り出す。
だが間もなく彼女は地面を削って足を止めると、ハッとした表情で叫んだ。
「おにーさん、待って!」
『何――?』
バシッ、と何かが弾けたような音が鳴り響いたのは、自分が足を止めた直後である。
直感的に危機を察して慌てて飛び退けば、目の前に大量の土砂と岩石が降り注いだ。それこそファティマの反応が一歩遅れていれば、危うく翡翠事生き埋めになっていただろう。
『あ、危なかった。助かったよファティ、まさかただの蟻が罠まで使うとは――』
「ロガージョじゃないと思いますよ。おにーさんを止めたのも人の声がしたからですし、天井が降ってくる前にも変な音がしてました」
『……さてどちら様だろうね。僕らにちょっかいをかけてくるのは』
スッと心が冷えるのを感じた。
ただ敵の正体も目的も不明である以上、急ぐべきはダマル達との合流である。
『ファティ、出口の方向は臭いや音でわからないか?』
「うーん独特の死臭で鼻はききませんね。風の音ならちょっとは――お?」
ファティマは大きな耳をレーダーのようにクルクル回す。しかしそれを巣穴の奥に向けて止めると、引き攣った笑みを浮かべてこちらへ向き直った。
「なんだか大きいのが出てきちゃったみたいです」
悪いことは重なるらしい。不思議とアーミーが入ってこない通路から、そっと交差点の広場を覗き込めば、奥で赤く光る複眼と目が合ってしまった。
■
俺たちは巣穴の出口を前にして、天井が崩落する轟音を聞いた。
「くそ、通信も繋がらねぇか」
通信機からはノイズしか聞こえず、2人の安否は確認できない。しかし立ち止まったままで何かが改善するはずもないため、俺は判断を迫れていた。
「重機でもありゃ別だが……仕方ねぇ、とりあえず玉匣まで後退すんぞ」
「ご主人たちを見捨てるんッスか!? 万が一のことがあれば――」
「んなわけねぇだろが! 別の入口を探して救助に向かうんだよ! 今は崩落に巻き込まれてねぇことと、アリンコにやられてねぇことを祈ってろ」
悔しそうに犬娘は奥歯を鳴らす。
そんな彼女を見かねてか、自分も心配だろうにシューニャが小さく諭す。
「アポロニア、堪えて」
「わかってるッス……」
最後までアポロニアは不服そうだったが、渋々この提案を受け入れた。穴を掘る技術も円匙もない状態では、それこそ時間の無駄になってしまうと理解したらしい。
少しだけ落ち着いたアポロニアは真っ先にザイルを登ると、運動神経の悪いシューニャを引き上げ、鎧で体重い俺が這い上がるのも手伝ってくれる。
だが全員が外の土を踏んで早々、近くの茂みから見覚えのない集団が現れた。おかげで俺は突然の崩落に納得することができたのだが。
――成程な、事故じゃねぇってか。
荒くれ者の雰囲気をありありと醸し出す男たちは、昨夜の野盗とは違って装備が整っている。金属製の鎧を着ているものもちらほら見受けられ、その上武器が錆びているなんてこともない。更にその多くはキメラリアだった。
「な、何ッスかアンタら……?」
「ロガージョの巣を潰しに来たって感じじゃねぇな、俺たちに用事か?」
「そんなところですよ呪いの騎士様」
そんなチンピラじみた連中だというのに、こちらの誰何に答えたのはよく通る女の声だった。