<< 前へ次へ >>  更新
99/178

88話 アレタ・ユー・アー・マイン&アレフ・マイ・トレジャー

 



「お耳、ねえ、タダヒト。耳がどうしたの?」




 アレタが首を傾げる。




「あ、いえ、その」




 しどろもどろ。絶対にそのことを言えば面倒くさい。考えなくてもわかった。




「あたしに言えないこと? もう、そんな怯えないでよ」




「あ、はは。ほんとに怒らない?」



 そろーっと、確認をしてみる。あまり意味のない行為だとはわかっていた。




「あたし、タダヒトに怒ったことあるかしら? と、いうか、タダヒトの方が結構怒るイメージあるのだけど。ほら、探索の時とか、あとは、……いつかの病室での時とか」





「あ、ああ、そういやそんなこともあったな。あん時も、こんな感じだったけ」




 いつかの病室。あの、夕焼けに染まる病室が脳裏に。




「ええ、遺物の使い方もよく考えないとね。変な酔い方しちゃったわ」




 酔い…… アレタはあの時のことを酔いと表現した。




 ニセモンが入っていたようなあの時の様子、あれはほんとにダンジョン酔いの影響だったのか?




「酔い…… なあ、アシュフィールド。あの時、お前は……」




 味山は気付けば問いかけていた。




「……酔いよ。それ以外、理由なんてないでしょ、タダヒト」




 アレタがベッドに腰掛けたまま、味山に背を向ける。黒いドレスは想像以上に背中が開いていた。




 しなやかなライン、健康的な白い肌が眩しい。うっすらと浮いている肩甲骨に、味山はごくりと唾を飲んだ。





「あ、今、やらしい視線を感じたわ」




 にまーっと、切長の瞳を歪ませるアレタ。猫に似ているその視線、顔のいい奴はやはりずるい。味山は目を逸らす。





「あら、タダヒト、なんで顔背けるの? こっち見てよ」



「うるせー。青年の純情を弄びやがって。背中開きすぎじゃないすか?」




「ふふ、29歳で青年は少し、おこがましいわね。いいのよ。信頼してる人にしかこんな近くで見せないから」




 クスクス笑うアレタ、味山はため息をつきながら正座を崩そうとして、




「で? お耳って、何? リン・キサキとアメキリ。彼女たちに何を、されたのかしら?」




 ダメだった。正座続行。



 アレタが身を乗り出してくる。いい、匂いがする、柑橘の爽やかな香り。




「ねえ、聞いてる? タダヒト」




 整ってる。



 蒼い瞳はほんとに同じ人間かと疑うくらいに綺麗だし、顔は味山の4割くらいしかないんじゃないかと思うくらいに小さい。




「お、おお。お前、ほんと顔面綺麗だよな。自分が情けなくなるくらいに」




「ふ、何よ、顔面って。あたしから見ればタダヒトだってそんなに悪くないわ。特別良くもないけど、なんだろ。見てて、面白い」




 ニマニマした笑いでアレタが味山の顎の辺りを覗き込むように身を寄せてくる。




 甘えてくる猫みたいな所作。




「微妙にお前のは褒め言葉じゃねえよ」




「あら、心外だわ」




 アレタが笑う。よし、なんかいい感じだ。このまましょうもない話を穏便に続けてーー






「で、話がそれちゃったけど。あの2人、あなたに何をしたのかしら……?」




 すんっ、とアレタの顔から表情が抜け落ちる。こえーよ。味山がそれでも言葉を言い淀む。




 後ろめたいのは後ろめたいのだが、なぜ自分がここまで追求されなれなければいけないのだろうか。




 よし、その辺はプライベートだ。いくら指定探索者と補佐探索者の関係といえど、





「…….教えてくれないの?」





「耳にキスされました…… あと貴崎には少し舐められました」





 しゅんとしたアレタには勝てなかった。




 味山は崩れそうになりながら2人の美人にされたご褒美なのか拷問なのかよくわからないイベントを伝える。





 お、怒られるのか? この、俺が? 29歳にもなって一回り近いほど年下の女に、こんなことで?




 味山が愕然とこれから起こるであろう指導に内心震えていると。





「タダヒト」




 声をかけられる。



 その声に反応して、顔を上げた。





「えい」



「むご」



 アレタの白く、長い手指が味山の顔を挟む。



 見た目よりもその手のひらの感触は固かった。戦う人間のてのひらだ。




「あーん」




「へ」




 アレタが顔を寄せてきた、かと思えば目を瞑り、小さな口を開ける。



 抵抗する時間はなかった。




 目を閉じたアレタ・アシュフィールド。ビビるほどまつげが長い。そんな間抜けな感想。






 ちゅ。




 アレタが味山の耳に桜色の唇を触れさせる。雨霧とも、貴崎とも違う感触。



 こそばゆい、それとやっぱり女の唇は柔らかい。





「ん」




「う、わ」



 ぺろ。



 真っ赤な舌先が味山の耳たぶを掬う。全身の細胞が驚く、無意識に手のひらがベッドのシーツを握りしめていた。




「ひっと、ひて」



 アレタが味山の手のひらを長い手を伸ばして抑える。余計に密着する身体、やべえ、いい匂いすぎてワロタ。




 ぺろ、じ。



 それは上書き。




 雨霧や貴崎の唇や舌が触れた場所をアレタが自分の唇と舌で上書きしていく。




 掬い取られ、舐められ、唇で挟まれる。粘着質な音が、耳穴の奥に届いた。




 え、これ、タダでやって貰っていいプレイか? 




 味山は動けない。身体とは裏腹に意外と頭の中は冷静だった。





 やべえ、これ以上は。




 味山が動こうとして、






「ん、あう」





 がり。




「痛、イッタ!!?」




 耳たぶを噛まれた。甘噛みではあるが確かな圧力に味山がのけぞる。




 アレタの唇と舌と歯から、解放された。





「あ ……離れちゃった」




「離れちゃったじゃねえよ! びっくりするわ!」




「あは、ごめんなさい、痛かったかしら?」




「いや、大したことはないけど…… 」




 味山が耳たぶをふにふにと揉む。驚くほどに痛みはない。少し、湿っているだけだ。




「あ、ごめんなさい…… 跡、ついちゃってるかも」




 アレタが味山の手を取り、耳を覗き込む。




 金色の髪から香る匂いが鼻をくすぐる。じとり、アレタが味山の耳を見つめて、それに触れる。





「……あは。タダヒトの耳、噛んじゃった。ごめんね、痛かったよね」




 アレタが笑う。味山の耳を掌の中に。



 ベッドに膝立ち、気付けばその肢体は味山に密着していた。





 蒼い瞳、金色のお髪、しなやかな天性の肉体。人種として味山とは違う神秘的な美貌。美しさとはある一定のラインを超えると、恐ろしさにも似ていた。





 アレタ・アシュフィールドが、凡人を見下ろす。その蒼い瞳に宿る熱が、瞳孔を蕩けさせていて。






「いや、痛くねーけどこえーよ。その身体震わしながら小さく笑うのやめてくんない?」





 味山がなんの気なしに、近すぎるアレタの身体を肩を抑えて遠ざける。キョトンとしたアレタは簡単に引き剥がすことができた。





「…….あなたは、普通ね。あたしがどんなことしても普通でいてくれるのね」




「普通? いや、割と恐ろしいんすけど」





 悲しいことに。これまでの人生経験から、味山はモテない割に女への免疫だけが無駄に備わっている。




 耳を舐められたことには驚いたが、言ってしまえばそれだけだ。





「ねえ、タダヒト。あなたはどうしたら…… そうね、取り乱してくれるのかしら? あなたの本当があたしはみたいの」




「はあ? なんの話だ?」




 アレタは味山の言葉には答えない。ただ、じっとそのニホン人の栗色の瞳を見つめる。






「この耳たぶについた跡も、簡単に消えちゃう。どうしたらあなたはこの跡のことを忘れないでくれるかな」




「いや、お前に耳たぶ噛まれたことは多分相当根に持つからそんな心配しなくていいぞ」




 味山が言い放つ。忘れるわけないだろ、こんなこと。絶対そのうち仕返ししてやる。怒られない範囲で。




 味山が小さい復讐心をもたげさせ、アレタを見つめる。





 アレタは、ポカンと口を開いていた。





「あ? なんだ、その顔。え? なんでお前が驚いてんの? 驚きたいのはこっちなんですけど」




 アレタの固まった表情に思わず早口になる。こいつの情緒が分からん。味山はじっと、その整いすぎている顔を見つめた。





「ぷ」




 小さな唇が尖る。




「あは! あははははは!! ね、根に持つ……! そっか、そうよね! あなた、結構小さい人だったわ! ふふふ、そうか、ふ、ふふふふ」




 お腹を抱えてアレタが笑う。



 え、ええ。今度は急に笑い始めた。アメリカ人のツボが分からん。いや、わかってないのは女心のほうか?



 味山が笑うアレタを呆然と見つめる。





「ふ、ふふふ、あー、笑った。せいぜい気をつけることにするわ。根に持つタイプのタダヒトに仕返しされないようにね」




「それが嫌なら他人の耳噛むのは金輪際やめろ」




「あら、他人のは噛まないわよ。噛むとしたらタダヒトのだけだわ」




 ずいっとアレタが味山の顔を覗き込む。




「いや、だからそれをだな」




「だってそうしないとまた悪い虫が寄ってくるでしょ? タダヒト、押しに弱いし、隙も多いからあなたの指定探索者としては心配なのよ」




「どういう心配だよ、お前は俺のかーちゃんか」




 味山のツッコミにアレタはフフンと笑うだけ。



 乱れた髪を整えながらアレタが




「さてと、上書きもきちんとできたことだし、一度会場に戻るわ。ルイズを叱って、ルーンも注意して、あとは…… あ、そういえばソフィをほったらかしてるわね。グレンがきちんと見ててくれるといいんだけど」





「おまえん中のクラークって児童かなんか?」





 味山の言葉に、アレタが完璧な角度のウインクで返事をする。顔のいい人間にだけに許されたコミュニケーションだな。




 味山は不本意なことにそのウインクに少しドキリとしていた。




「よっと、あら、意外とこのベッド、スプリングが、あ」



 膝立ちになっていたアレタの身体がよろける。味山が反射的にその身体を支えようとして。




「うわ! あぶね!」




 その見た目より細くや柔らかな肩を抑える。




 このタイミングで、2つのトラブルが味山の身体に起きた。





「あっ!?」




 長時間の正座から急に動いたことによる足の痺れ、そして





 TIPS€ "鬼裂の業" 使用後デメリット発生。1秒後、全身筋肉痛





「あ」



 びきり。



 筋肉痛にも種類がある。我慢できるタイプのやつと無理なやつ。




 味山の体に現れるのは後者だった。





「あら」



「うお!?」




 味山の体勢が崩れる。維持できない、そのまま想像以上に細いアレタの肩を掴んだまま





「うわば」




「きゃ」




 ベッドのシーツにばらける金髪、ぱちくりと瞬きする大きな蒼い瞳、わずかにはだけた黒いドレスの胸元、豊かではないが、確かにそれはある。







 アレタを味山が押し倒していた。





「あ、悪ーー ほんぎゃあ、痛ぁ?!」




 動かそうとした瞬間に走る激痛。いつもより筋肉痛がやばい。それはあの怪物狩りの強さを表していた。






「くす、あら。想像以上に早い仕返しってわけ? タダヒト」




 驚いていた表情が一瞬で切り替わる。切長の瞳に、不敵な表情。




 あの、夏。



 味山が星に救われたあの日と似ている顔が自分の身体のすぐ下に。




「いや、違う、悪い、すぐにどく!!」




 ふんごおおおお!! 鬼裂先生!! 俺に力を!! 筋肉痛でガチガチの身体を動かすための助けを、身体の中の平安パリピ勢に頼む。




 アホか。というにべもない返事が響く。どうやら助けは得られないようで。





「待って」



「ぐえ」




 アレタが味山の胸元のネクタイを引っ張る。



 ぐいと引き寄せられた味山、顔が近い。



 あ。



 味山は気付いた。アレタ・アシュフィールド。52番目の星の白い肌、白い頬。




 それが赤く、染まっていて。




「……傷が、欲しいの。あなたは自分の傷には鈍感でも、人の傷のことは忘れないでしょ? タダヒト、あたし(わたし)、あなたから欲しい。ねえ」




 タダヒト。



 くちびるが、味山の名前を呼ぶ。




 止まれ、心。



 止まれ、身体。



 止まれ、魂。



 味山が身体の下に敷いた女に引き寄せられそうになる全身全霊を引き止める。




 これは、ダメだ。なにか、やばい。




 周りから、音が聞こえない。



 ばくばくとうるさい何かが身体を弾け飛ばしてしまいそうな。それだけが響いて。





「いたい」




 アレタが身をよじる。押し倒したまま肩を掴んでいた掌に力が入りすぎていたらしい。



「あ、悪い!!」




 慌てて肩から手を離す。てのひらが熱くーー




「ううん、いいの。へへ、なんだろ、ちょっぴり、嬉しいな。タダヒトがあたしを痛めるの」




 こええこと、言ってんじゃねー。




 いつもなら簡単に出てくる軽口、それが出ない。ぱくぱくと口が動くだけ。




「タダヒト」




「あたしを、蠢倥ーー」





 アレタの唇が動いた。













 がら。





 救護室のドアが開いた。















「アレタァァ!? ここかい?! ここなんだな!? やはりワタシは思うんだがねえ! いくらアレフチーム、そして補佐探索者のアジヤマといえど、男と女が同室で2人きりというのは風紀的によく、グエエエエエエエエエエ?!!!」




「せ、センセイ!? ど、どーしたんすか?! そんな信じていた飼育員に絞められた家畜の鶏みたいな声出し……て…… あっ……」








 ソフィがそのままらコントみたいに仰向けに倒れ、それをグレンがキャッチする。グレンの目は、優しかった。




 アレフチームの愉快な仲間が現れる。





「お、おまえら……」



「あら、これは、流石に恥ずかしいかも」




 味山が青い顔、アレタがほおをそめながら衣服の乱れを直しつつ、するりとベッドから抜け出し立ち上がる。





「せ、センセエエ!!? 大丈夫っす! 傷は浅い! 致命傷で済んでます! 起きてええ!!」




「じょ、助手、こ、これは夢? え? ワタシの、ワタシのアレタが、今、女の顔で味山の下敷きに? え? なにこれ? 夢?」





 いつものごてごてしい言葉ぶりも消えたソフィがグレンに支えながら天井を見上げてブツブツつぶやく。





「ああ?! センセイが!! 純愛じゃないと恋愛モノとは認めない原理主義者のセンセイの脳が破壊されてるっ!?」




 元気な声が救護室に響く。



 味山はそのまま、どっとベッドに仰向けに倒れ込む。



 やることが多い。



 筋肉痛で痛む腹筋、首をなんとか動かす。





 ブツブツと赤い瞳で天井を眺め続けるソフィ。必死に声をかけるグレン。あちゃーと額に手をやるアレタ。





 みんながそこにいる。




 アレタと目が合う。





 にこり、アレタが笑った。






 続きは、また今度ね。




 シーッと、いたずらげに人差し指をくちびるに添えるアレタ・アシュフィールドの姿は、アホかと思うほど似合っていた。


















「うわああああああ?! またなんか見つめ合ってるううう?! やだああああああああ!? バブバブババププ」




「ああ!? センセイが!! 泡を!? ほんとにアンタいいのか!? そのキャラでその顔はいいのか?!」






 ああ、なんかもう疲れた。




 味山はそのまま、目を瞑る。



 不思議とつり上がるくちびる、うるさくひどい絵面だが、うん。




 ソフィがいて、グレンがいて、アレタがいる。



 あの美しい女たちに囲まれたいい匂いに満ちる空気よりも。ムカつく敵に立ち向かう火花のような空気よりも。




 なんだかんだこっちのうるさい空気の方が味山は好きだった。





 多分、この空気は必要なものだ。味山の願う、ほんの少しの他人よりも大きな幸せに。




 アレフチームは必要なものだった。




「ちょ!? ソフィ!! 落ち着いてよ! タダヒトとはなにもないわ! う、ん。なにも…… ないんだから」





「絶対なんかあったやつうううううう!!!」




 ソフィ・M・クラークの魂の叫びが部屋に響いた。




 必要…… うん。必要?




 味山は少し首を傾げて、そのままベッドに寝転ぶ。




 いつも通りのひどい1日だった。



 欠点は多い、敵も多くて、近くの美人はみんな可愛いけど怖い。それでも愛すべき、そんな。





 味山只人の日常ーー



読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!



<苦しいです、評価してください、いつも感想、評価ありがとうございます!助かります、好きです> デモンズ感

<< 前へ次へ >>目次  更新