77話『いまわの際を役立てろ』
「すげ……」
厳粛な雰囲気、火の粉が舞い、ぱち、ぱちと味山の右腕がはぜる。
たいまつの右腕。味山の右腕が燃える。オレンジ色の光が揺らめき、その熱により周りの空気を歪める。
焚き火を見つめるように、ぼうっとしていた味山だが、数秒の間を置いた後に当然の反応を示した。
自分の腕が、燃えている。
致命傷かな。
「……嘘おおおお!? ほ、ほんとに、燃、燃えてる、え、やば、やば!!」
ふんいきに飲まれかけていた味山がようやく現状を理解した。
「キュキュマ!? キュキュキュー!!」
目を白黒させながら、キュウセンボウが川から水を飲んで、それを吹きかけてくれる。
じゅう、水が蒸発するだけで、火は消えない。
「キュきゅきゅきゅ?!! キュア!!」
「ぼお、ぼおお」
「ああ、落ち着きたまえ。人間。それにキュウセンボウもだ。はじまりの火葬者に水を吹き付けるのをやめたまえ」
「も、おま、落ち着けって、これ、燃えて…… あれ? 暑くない?」
ばたばたと動いていた味山が、あることに気付く。
「その火は今、キミの制御下にある。使い方を誤らない限り、もしくはキミが人でなくならない限りは、その火がキミを呑むことはないだろう。そうだろう? はじまりの火葬者」
「ぼお」
「ま、まじ? いやそりゃ都合良いけどよ、……これどうやったら収まるんだ?」
「その火を抑えることが出来るのはキミとはじまりの火葬者だけだ。ヒトの特権だよ、火を熾し、火を収めることが出来るのはね」
「具体的な方法聞いたんだけど。収める、か。よし、わかった」
「ぼお、ぼうおお」
「こうだああおあ!!」
ジュウ、即座に川辺に走り、腕を清流につける。ごぼ、ごほぼぼ、水中で燃える腕からあぶくが吹き出し、やがて火が消えた。
火タイプには水タイプ、常識だ。
「ぼう、ぼおおう」
「おお、サンキュー、いやお前の火すごいな。また今度風呂場で色々試してみるわ」
「……いや、まあ君たちがそれでいいんならいいんだ。もっと簡単に消す方法もあるだろうがね」
「くく、素晴らしいモノだな。古い火だ。火前坊のモノよりも強く、美しいな。いいじゃないか、怪物狩りに相応しい。まさに人のための力よな」
「あ、相撲の行司。火前坊?」
「ああ、鳥部山にそういうモノがおってな。なかなかに火を操る存在というのは厄介なものだ。生き物は火で炙られると死ぬでな」
「まあ、そりゃそうだろ。あ、そうだ。この前は助かった。センセイの助けがなけりゃあんたの子孫にフルボッコにされてたよ」
「クク、ああ、良い良い、気にするな。俺も愉しかった。まさか討たれた後も子孫と刀を交わせるとは思わなんだ。ふうむ、だがあの娘、良いな。実に良い。平安、鎌倉の世に生まれておいても充分に通用する怪物狩りよな」
「なーんか聞いてると頭おかしくなるような話だな。まあ、アンタが楽しそうにしてくれててよかった。河童と毛むくじゃらの相撲の行司までやれるほど馴染んでるしな」
「かかっ! たしかに貴様の言う通りよ。まさか九千坊に古いヒトの相撲を間近で見れるとは。長生きはするものよ。まあ、そういう意味ではここは存外居心地が良い」
「そりゃ何より。これからも宜しく頼む」
味山が何気なく、鬼裂にそう話す。
返事は返ってこない、ただ骸骨の窪んだ眼窩が、味山を見つめていた。
「……どした? 俺なんか変な事言ったか?」
どことなく、ポカンとしたような鬼裂に味山は問いかける。
「……いや何、人とはたまに、ほんのたまにだが面白き者が現れると思うてな。貴様、あまり自覚がないのだな」
「自覚? なんのだ?」
「くく、貴様、気味が悪くないのか? お前の中にはお前以外の意思ある者が棲んでいるのだぞ? これは夢にあってゆめにあらず。俺も九千坊もそこの猿モドキも、全て貴様を依代にたしかに存在している。我々はもう、残り滓にあらず」
「……まあ、あれだけ力借りたらお前らが夢の中の、俺の頭の中だけの存在じゃない――」(もしくは脱文?)
「それがわかっているのなら、怖くないのか? お前の中に、お前以外がいることに恐怖を感じないか?凡百の存在ではない、音に聞こえし大妖怪、最も古きヒトの競争者、そしてこの俺、鬼に堕ちた人でなし」
「何がいいたいんだよ、センセ」
「お前は気付いていないフリをしている。問おう、怪物狩り。我ら神秘を喰らいし強欲な者よ。我らのうちの誰かが、お前を乗っ取ろうとしたらその時、お前はーー」
鬼裂の白んだ骨の指が、腰に指している太刀の鞘に伸びる。
ぶわり。
脂汗が、湧く。
息が詰まり、目が勝手に見開かれる。
自分と鬼裂に存在するたしかな実力の差、目の前の骸骨の気分1つで、自分の首が飛ぶ。
「っ……」
そのことに味山が気づいた。
同時に、2つの小さな影が動いた。
「きゅ、キュ」
「ぼ、う」
その指、水かきのついた掌が容易に掴むのは水だけにあらず。生命あるもの全てに宿る核、尻子玉を容易に抜き取る水かきのてのひらが。
その小さな右手、最も古く悠久の時を経てなお、消えない弔いの大火を宿すてのひらが。
「ほう…… これは、これは」
烏帽子の骸骨に向けられていた。
小さなマスコット、しかし大きなおおきな力を持つ神秘達が、鬼裂から味山を庇うように立つ。
「くく、九千坊。かの獏歳坊の兄弟にして水神の御子。貴様のような存在がそこまで絆されるとは…… 味山に、あの小姓の影でも見つけたか?」
「きゅ、きゅっきゅ」
水かきの尖った指先を構えながらキュウセンボウが答える。
「ああ、ああ、恐ろしい。クク、さすがに俺でも、西国大将とこのままやり合う気はないわ」
「ぼう……」
「ああ、わかった、わかった。俺の悪い癖だ。からかうのはやめる。だから燃やそうとするな。火鼠の皮ですら、お前の火は焼き尽くしそうでな」
はじまりの火葬者、その毛むくじゃらの小さな右手に宿る火が、火の粉を上げた。
「幸せモノだな、味山。今生の怪物狩り。この2人は完全にお前の味方らしい」
鬼裂がため息をつきながら、刀から手を離した。
味山はその重い殺意が緩んだことに、肩の力を抜く。今更に、膝が笑っていることに気づいた。
鬼裂は、自分を試している。ここだ、身体を張って、強がる所はここだ。
唐突に訪れた鉄火場に、凡人は敏感だった。
震える身体、しかしそれでも、それだからこそ味山は強がり、指先を鬼に向けた。
「うむ?」
言葉なく、己に向けられた指先に鬼裂がけげんな声を上げる。
「……2人、じゃない。アンタもだ。3人だよ、少なくとも今、俺が掛け値なしに頼りにしてる奴にアンタも入ってるよ、センセイ」
だからこそ、笑う。もちろん意識して、震えてこの場から逃げ出したくなる気持ちを押さえつけながら。
不敵、そのフリをした。
「……甘く考えすぎではないか? 俺がどんなモノなのか、子孫から聞いておるだろう」
「ああ、アンタが源流なんだろ? あの戦闘狂のトンチキ娘の悪癖は。でもだからこそ心強い。アンタは、あの大統領の時も、そして貴崎の時も力を貸してくれた。そこが大事なんだよ。頼りにしてる」
「甘いな、怪物狩り。俺が、いいや、俺たちがどのような存在か理解していないようだ」
再び強まる、殺気。逃げるな、笑え、平気なフリをしろ。
できなきゃ、死ぬ。
想像しろ、世界で1番不敵なあいつを。真似を、あいつならなんて言う?
決まってる、全部受け入れる。人類の進歩なんていう馬鹿げたモノを背負わされても、アイツは笑っている。
そんな奴の補佐が、がいこつ程度に脅されて引くわけにはいかない。
味山は、笑う。なるべく星の笑みを真似ながら。
「わかってるさ。アンタも、キュウセンボウも、はじまりの火葬者もきっと本来なら俺なんかじゃ扱えないような連中だ。存在としてのレベルが違う。お前たちの気分次第で、俺なんか消し飛ばされるんだろうな」
「きゅ……」
「ぼう……」
味山の言葉に、キュウセンボウとはじまりの火葬者が不安げに声を漏らした。
味山を見上げるその顔には、不安と心配が混じる。
「そんな顔すんなよ、マスコットども。だからこそだ。だからこそ、そんなすごいお前たちだからこそ俺は信頼してるんだ」
「くく、お前の制御下になくともか? 自分の器を超えた存在は、いつかお前を喰らい尽くすやも知れんぞ?」
問われた言葉、それは味山が頭の隅で感じていた恐怖でもある。
伝承再生。神秘の残り滓達を食し、その全てを拝領する人間に許された裏技。
鬼裂の言う通りだ。力は火と似ている。扱えないほどおおきなモノに触れれば人は焼き尽くされるのみ。
味山はそのリスクを抱えている。キュウセンボウが、火葬者が、そして鬼裂が、自分を乗っ取ろうとしないことの保証などない。
だが、それでも、味山只人の答えは決まっていた。
息を吸う。
川の澄んだ、清流の運ぶ空気が、美味しかった。
「….…俺の武器は、信頼だ」
まっすぐ、骸骨を、平安の世よりニホンの闇に生きた鬼を見つめる。
「うん?」
「俺の武器は、お前達、神秘の残り滓達と渡り合う武器は信頼しかねえんだ。それしかない。鬼裂、俺には何もない。お前らと渡り合う能力も、特別な何かもない」
味山は理解している、自分の分を。
今、目の前に居るのは超常の存在、いくら親しみやすかろうが、言葉が通じようが、決して同じ、対等な存在ではない。
「……」
鬼裂は黙ったまま味山の言葉を聴く。
対等な存在ではない、自分の方が劣っている。
だがそれは、味山只人を止める材料にはならない。だってそれは、あまりにも凡人にとって当たり前の事だから。
「それしかねえんだよ。俺に配られたカードはそれだけだ。なら、俺はそれに賭けるしかない。何度でも言ってやる。俺はお前達をただ、アホみたいに信頼する」
味山が、キュウセンボウを見る。記憶にあるのはあの撤退戦。
「沈殿現象の沈む地面の中で力を貸してくれたキュウセンボウを」
味山が、はじまりの火葬者を見る。記憶にあるのはあの気味の悪い金髪の少女達に絡まれた瞬間。
「訳の分からねえ時間の止まった空間で、それでも俺を助けようとしてくれた火葬者を」
そして味山は、着流しのがいこつを見つめる。もう、膝は笑っていない。
「そして、俺のプライドの為に共に闘ってくれたアンタを」
記憶にあるのは、あの一瞬。味山の誇りを守る全ての戦いに目の前の骸骨は力を貸してくれていた。
「俺は信じる。今までお前達が俺にしてくれた全てを信頼する。お前達は俺の道具だ。信用して、信頼している。それだけだ。それしかない」
言い切る。配られたカードは少ない。でも勝負から降りることはもう出来ない。
凡人に残された道は1つ。
やけくそに、投げやりになりつつも、賭けるしかない。自分が投げたコインが自分の希望するように転がるのに祈り、賭ける。
味山は賭ける、賭けていた。
キュウセンボウ達、神秘の残り滓。偉大なる存在達が自分の味方であることに。
希望に、賭けていた。
味山に出来ることは、とどのつまりそれだけだった。それはあまりにもいつもどおりの事だった。
自分勝手にすら聞こえる口上を言い終わる。
キュウセンボウが、はじまりの火葬者が、鼻息をむふん、と吹き上げた。
「きゅ」
「ぼう」
それでいい、と言わんばかりに2匹が誇らしげに腕を組み、味山を見つめて、それから鬼裂へと向き直る。
骸骨と、マスコット2匹が見つめ合う。
川の流れる音、ガス男か黙って魚を焼く音だけが渓流に広がる。
「……くく、ああ、わかった、わかった。なるほど、凡人なりに覚悟はしておるようだ。それがわかってるならそれでいい。自分か火の中に飛び込む蛾であることを理解しているのならそれでいいわい」
「ありがとな、センセ。アンタの心配を不意にしてしまうようなこと言って」
「くく、何の話だか。ふむ、腹が減った。おうい、俺にも魚をよこせい」
「ああ、話は無事終わったようだね。ほら、鬼裂の。醤油を垂らすと良い」
「ほう、これは良い」
「ふう、生きた心地がしねえ。ありがとな、キュウセンボウ、それと、えーと…… 火葬者、お前名前はないのか?」
「きゅっきゅ!」
「ぼう」
「ああ、彼には名前という概念はない。どうだろう、君が名前を考えてみては?」
「名前……? え、俺が決めていいの?」
「ぼう!」
味山の呟きに、毛むくじゃらの火葬者が元気に右手を上げる。喜んでいる、そんなふうにも見えた。
その様子を見ていた鬼裂が、魚を口に放り込みながら笑う。
「くく、なるほどな。西国大将も、古きヒトも結局滅んだ後に、本当に欲しかったモノを手に入れたわけだ。なるほど、生とはままならんものよな」
「どういう意味だ?」
「くく、何、まああれだ。お前の賭けとやら、存外分の悪いモノではないと思うてな。……うむ、美味い」
骸骨が、魚を咀嚼する様はいつ見てもシュールだ。だが不思議なことになんとなくその所作はどことなく優雅、気品が見て取れた。
「名前、名前かあ…… そーだなあ。……ん、あれ、なんか眠い……」
頭をがくりと揺さぶられる強烈な眠気、これを知っている。ゆめの終わりの合図。
「ああ、もうそんな時間か。火葬者の名前はまた起きた後にでも考えておくといい。きっと彼はどんな物でも喜ぶだろうね」
「ぼう! ぼおおう!」
「おお、そりゃ、良かった……。まあ、言いたいことも言えたし、今日はこの辺でーー
味山が言葉を言い終える、その直前のことだった。
TIPS€ 条件達成 『2028年、11月25日までに一定の戦力を揃える』
「あ? TIPS? なんで、今?」
ダンジョンでも、求めたわけでもないのに響いたのは味山にだけ聞こえる世界のヒント。
夢が終わる、身体が重くなり、視界が狭まる。
いつもの夢の終わり、だが今回は1つ違うものがあった。
「夕焼けを何故、ヒトは寂しいと感じるか、キミは知っているかい?」
「あ、? ゆう、やけ?」
黒いモヤが、ぼそりと呟く。
「諸説あるんだ、それこそ火葬者達と同じ時代を生きていた頃の習性、比較的安全な昼の終わり、危険な夜の始まりだから不安を感じるとか、ね」
「お前、何いってるんだ?」
味山の問いかけを無視し、ガス男は歌うように続ける。その手元、七輪に置かれた魚を裏返す。
「だが、私はこの説が1番好きだ。夕焼けをヒトが寂しいと感じるのはね」
じゅぅ、魚の脂が、弾けた。
「夕焼けは、黄昏時はね、あの世とこの世が一瞬繋がるんだ。終わった者とまだ続く者が交わる時間。それが夕焼け時なんだよ」
その呟きとともに、世界が、夢が終わってーー
TIPS€ 『お前は、墓石の最前に立つ』
………
……
…
〜???〜
セミの声が聞こえる。
まぶたを開ける前から、暖かい、けれどどこか遠い日の光を感じた。
「なんだ、ここ……」
視界がぱたり、開けた。とぼけたような呟きと見たことのない光景。
夢はまだ、終わっていない。
味山は、石畳の上に寝転がっていた。
あの渓流の、水の弾ける音はどこにもない。
空を見上げる、透明な山の空気は姿を消し、かわりに、オレンジ色にぼやける雲、紫色に交わる山間の空が見える。
世界が、夕焼けに照らされている。
味山の目に、並び立つそれが映る。
「……はか、いし?」
墓場。
墓石が並び立つ。田舎の、地元のあの藪の中の墓場を思い出す。
ミーンミンミンミンミン。
セミの鳴き声。夏の暮れ、最後に聞こえる弱々しくもずっと続くセミの声が響く。
「まだ、夢……? でも、ここは…… キュウセンボウ!! センセイ!! ボウ! っガス男!」
夢の住人の名前を。
かけねなく味山の助けになる残り滓達を呼ぶ。
キュウセンボウの呑気な鳴き声も、鬼裂の喉を鳴らす笑いも、ボウの間延びしたぼやきも、そしてガス男の語りも。
何もない。
あるのは並び立つ卒塔婆、夕闇に染まるおびただしい、そして規則的に並ぶニホン式の墓石だけ。
「墓場…… 寺だ」
沈みゆく夕焼け、眺めるとどうやらここは丘になっているようだ。眼下に寺に似た建物がある。
「夢から覚めても、また夢でした、か。ストレスだな。起きたらサウナ行こ、サウナ」
何はともあれ、味山は落ち着いて辺りを見回す。
「花が新しい…… 墓参りしてるやつがいる? いや、馬鹿か。夢だ、夢」
そこらの墓石に満遍なく備えられている花はどれもがまだ瑞々しい。夕焼けがてらてらと花を照らしている。
リアルな夢だ。
でも、あの渓流の夢、あれは夢であるとともに現実ともリンクしている。
キュウセンボウ達を始めとする神秘の残り滓、俺の探索者道具達は確かに存在している。
味山は、境目のわかりにくい夢を思う。
思考がまとまらない。
本来夢とはそういうものであるはずだが、ここ最近見ていた渓流の夢は驚くほど意識がはっきりしていた。彼らとコミュニケーションが取れるほどに。
「なんか、ここ、嫌だな」
でも、このゆめはちがう。
どうも思考がまとまらない。
遠い山間に落ちていく夕焼けが見える。その紅い光を見ていると、哀しい。
季節に取り残されそうなセミ達の声が哀しい。夕日は落ちていくのを止めない。
紅い光が手入れの行き届いた墓石を照らす。
温い風が、味山を撫でている。墓石の前で味山はその光景の中に、ぽつりたたずむ。
「ここは……なんだ……」
悲しい、哀しい、寂しい、悔しい。
かなかなかなかな、かなかなかなかな。
さまざまなセミ達の声が、墓場を悼むようにただ鳴り続ける。
ここに、ずっといたくなるような妙な感覚。
郷愁。
故郷、ここではないはずなのに、味山はこの墓場に、墓石の前にそれを感じていた。
「……あ?」
ふと、目の前、気付けばその墓石の前に立っていた。
[味山只人之墓]
墓碑には、そう刻まれている。
「……冗談きついぜ。うちの実家は納骨堂なんだけどよ」
ぞっと、した。
灰色のツヤツヤした墓石、赤文字で刻まれているのは自分の名前だ。
「自分の夢で自分の墓を見るか。こりゃもう疲れだな、疲れ」
疲労している時は悪夢を見るというが、まさしくそれだ。
味山は、ため息をつきながら目の前の自分の墓碑銘が刻まれたツヤツヤの墓石を観察した。
「……墓碑銘が赤い…… 俺の名前の墓だけ、か」
辺りの墓石と比べてみると、違いはすぐに分かった。他の墓石の墓碑銘は全て黒文字で刻まれている。味山のだけ、赤文字だ。
「まだ生きてるからか? いやそれなら墓石なんかいらないだろ」
ぼやいてる最中、すうっと、鼻に香ばしい匂いが届く。
向かって、右隣。
味山の墓石の右隣の墓石、そのたもとにいつのまにか線香が供えられていた。
「……さっきまでなかったよな? 線香、誰が……」
隣の墓石に移動し、その墓碑銘を覗き込む。
いつのまにか供えられていた3本の線香、ゆらゆらと紫煙が夕日に溶けていく。
[山原先人之墓]
墓碑銘が黒文字で刻まれている。
よくみると墓碑銘の下の方に小さな文字で、他にも刻まれている。
「あ、なんだ、こりゃ……」
目を凝らし、それを確認して味山は息を呑んだ。
[享年29歳 2029年、バベルの大穴13階層にて 貴崎凛との戦闘にて死亡]
「あ? 貴崎?」
刻まれた、意味不明な文字。その意味を頭が咀嚼しようとした、その時だった。
TIPS€『いまわの際を役立てろ』
「は?」
プツリ。
視界が真っ暗にーー
……
…
〜?????、????にて〜
少女が、何かを抱えている。
へにゃりと、膝を曲げ地面に座る彼女は、その膝にナニカを抱えている。
「ふ、ふふふふ、あれ、どうしたんですか、■■■■さん。まだ、まだまだまだまだまだこれからじゃないですか、ねえ、ねえねえねえねえ」
女が、微笑う。ばらりと解けた黒髪はそれでも美しく、暗い夜の闇の如き深い色をしていた。
「ほら、まだ、まだ、まだ眠ったらダメですよう。やっと、やっとまた会えたんです。私、たくさん練習しました。たくさん、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん殺したんです。ぜんぶ、ぜえええんぶ、あなたを追いかける為に」
少女は微笑う。愛おしそうに、膝に抱えたナニカに語りかける。
そのまぶたを開こうとして、べりり。
固くなった皮膚が破けた。
「ああ、素敵な時間でしたね。会えない期間、ずっと、ずっとずっとずっとずっと想像してたんです。大穴に消えたあなたに会えたら何を伝えようかって。……好きです、大好きです、■■■■さんのことが好きです。あなたを誰にも渡したくない、ああ、ようやく言えた、言えたよう……」
少女の周り、大穴の大地はえぐれ、木々は倒れ、所々に黒煙が上がっている。
傍に置いた極長の大太刀には、青い稲妻がチリチリとまとわりつく。
「ようやく、ようやく言えました。この一言を伝える為に私は強くなりましたよ。指定探索者になりました。あなたに追いつく為に號級遺物を手に入れました。速かったでしょ? 凄かったでしょ? 私の力は」
物言わぬ、ナニカに、少女は誇る。
それを抱え上げ、そのカサカサした唇に、桜色の唇を当てた。
ぴちゃ。
ナニカから滴る赤い血が、少女の膝を、戦闘タイツに包まれた細い膝を汚す。
そんな事など気にもしないように、少女は、もう何も言わないナニカの唇を貪る。
「ちゅ、ん…… もう、誰にも渡すもんか。あなたは私のものだ。あの女が奪ったあなたを私は取り返したんだ…… あの、女…… 女、えっと、誰だっけ……」
ぽかんと、少女から毒気が抜ける。
何か本当にこだわっていた事を忘れているような。
でも、もうそんなことは少女にとってどうでもよい事だった。
少女は勝利したのだ。
雷をも切る宝刀を用いて、神秘の大穴に消えた大罪人を、少女の愛はここに、完結した。
人に戻れなかった、鬼の子孫、貴崎凛は、愛を示す。
愛おしそうにその戦利品を、胴から別たれた哀れな人間をただ見つめる。
「……これはどういうことですか」
少女とナニカの愛の空間。殺し愛の空間に侵入者が現れる。
人によく似た、耳長の人。
バベルの大穴の深階層にて発見された、人類の標的。
「あは、耳長。■■■■さんは返してもらったよ。ほら、ほら、もう彼は、私しか見ることは出来ない」
少女に掲げられる物言わぬナニカ。
友誼を交わした異なるヒトと交わしあった約束は、守られることはなかった。
ナニカの力が足りなかった故に。
「……愚かな。だから言いましたのに……」
「あは、あなた、あなた、誰かに似ているわ。私の嫌いな、あの女、あれ、あの、女、誰だっけ、あは、あはは」
少女が微笑う。
ナニカを左手に抱えて、右手には雷を切る宝刀を備える。
「耳長、■■■■の民、もう私にとってあなた達はどうでもいいの。■■■■さんと私を帰らせてくれるなら見逃してあげてもいいわ」
少女がにたり、微笑う。
この数年で張り付いた、人ではない笑い。
鬼の笑み。
「……獣、いいえ、汚らわしい鬼め。■■■■の民は友人を貶めた者を決して許さない。妾の友を、手にかけた業罪、その命ですら償えないと知れ」
金髪、人離れした美しい容姿の女がその場に立ち塞がる。
尖った耳がぐいっと、上を向く。
ぴり、びり。
女の周りに、その空気に稲妻が混じる。
「■■■■さんと私の邪魔をするなら、残念ね。あなたのお仲間と同じように、耳を削いで組合に提出してあげる。あは、■■■■さん、少し待っててね」
少女がナニカを地面に、いや、地面に倒れ伏した首のない胴体に抱えさせる。
「……■■■■。やはり、妾達は人とは歩めません。見なさい、あの醜悪な顔を。人とは鬼だ。鬼とは共にいることは出来ない」
「あは、あははは、楽しい、楽しいなあ。斬るのは、殺すのは楽しいなあああ。■■■■さん、もっと、もおおおっと楽しむね。貴方を全て私が持っていってあげるからね!!」
雷が鳴り響く。
走る稲妻が、少女に食らいつき、そして、
大太刀が閃き、尖った耳が血を吹き出しながら宙を舞った。
その日、鬼が、人を、人の友人を、全て喰らい尽くした。
TIPS€ EDナンバー59『鬼の本懐』
TIPS€ 敗北原因 "鬼裂"との邂逅を果たしていない。貴崎凛を人に戻していない。戦力が足りない。"腑分けされた部位(腕)との適合不足。アレフチームの助力を得ていない。
『いまわの際を役立てろ』
……
…
「う、ああ? あ?」
気付けば、地面に這いつくばっていた。
耳に届く気味の悪い音が自分で喉から絞り出した声だと遅れて気づく。
視界は元に戻っている。夕焼けの中に、墓場に味山はいた。
無意識に、首を触る。
ある、繋がっている。
なんだ、いまのは。
ゆめ、これは、ゆめ?
「待て…… 訳わかんねえ。俺、夢の中でまたゆめを見てる? てかそもそもこれ、ほんとに夢か?」
混乱して来た味山、しかしまた鼻に薫るのは、香しい線香の香り。
ほら、違う墓石から漂う。
「あ」
無意識に、いや、引き寄せられるように味山はまたその香りに視線を向けた。
[木手滝人之墓]
どくん。
心臓が跳ねる。胃酸が逆流して、口の中が酸っぱくなった。
TIPS€ 『いまわの際を役立てろ』
……
…
〜???、???にて
「シエラリーダーよりシエラチーム各員へ。生存者は応答せよ」
無機質なガスマスク姿の、女がヘルメットに内蔵された無線に話しかける。
ダンジョン用に調整された回線、しばらくのノイズの後、返答が返ってくる。
[ザ、ザザザザザ…… こちらシエラ1。報告、シエラ2及びシエラ3からシエラ6は戦死。作戦区域内での生存者はわたしとあなただけよ。シエラリーダー]
聞き慣れた、そして聞き慣れたくなかったその声に、シエラリーダー、アリーシャ・ブルームーンは内心胸を撫で下ろした。
「そうか…… ソ、いや目標は全て破壊したか?」
目標、その言葉を口にしたとき胸にわずかな痛みが走る。
もう戻れない思い出は、毒になる。
[ええ、嫌な仕事だったわ。ねえ、アリーシャ。作戦最終目標、■■■■の民への攻撃作戦、わたしも参加していいかしら]
淡々とした無線の通信相手、しかしその声色からは強い怒りを感じた。
「……我々の任務はアレフチームの殲滅だ、それは達成された。これ以上お前が手を汚す必要はないんだよ、アリサ」
アリーシャは汚れ仕事を共に完遂した教え子を諭すように続ける。
しかし、それが届くことはないことも知っていた。
[……いいえ、アリーシャ。わたしは行くわ。これは誰かがやる筈だったわたしの役割。わたしが忘れていること、みんなが忘れていること。そして、彼らだけが覚えていた事。その答えは耳長どもが知っているはず、それに、奴らには報いが必要よ。……私たちに、アレフチームを殺させたことを後悔させてやる…… あいつらさえいなければ……」
強い怒り、それは人類であれば誰しもがかの種族へ抱くものとは違う。
己が友と、成すべき使命。それを天秤に乗せざるを得なくなった元凶への半ば八つ当たりのような怒りだ。
「……わかった。作戦本部には私から伝えよう。回収班の到着を待ち、一度ベースへ帰投せよ」
そしてその怒りは、アリーシャ・ブルームーンとて同じことだった。
彼女達は、使命を選んだ。
そして、多くの犠牲を出しながらそれを完遂していた。
[了解。……アリーシャ。目標……ううん、ソフィとグレン。彼女達の遺体はどうなるの?]
通信で出てきた名前、そして遺体という言葉に、アリーシャは置いてきたはずの痛みを思い出さずにはいられない。
それをおくびにも出さずに、彼女は彼女の信仰の許す限りに言葉を返す。
「……本部からの命令では、アレフチーム2名、ソフィ・M・クラークとグレン・ウォーカーの遺体は回収だ。研究機関に送られる」
[そう、なら、今だけ。今だけでいいから、彼女達を並べて、シエラチームと同じように休ませてあげてもいい? 顔を拭って、お祈りしてあげたいの。せめて、地上へ顔を向けて、眠らせてあげたい]
今、通信の向こう側。アリサ・アシュフィールドはどんな表情をしているのだろうか。
戦闘用に作られたガスマスクの内側で泣いているのではないか。そんなことばかり心配になる。
自らが手をかけた友の亡骸の前に、彼女を立たせてしまったこと。それはアリーシャの傷になる。
「……構わんさ。彼女達は罪人であるが、それも生前の話。お前の好きにするといい」
強い言葉を使う。
罪人、そう、アレフチームは彼女達の友人は罪人だった。
けれど、彼女たちばもう代償を払っている。死よりも尊い代償などこの世にあるのだろうか。
[ありがとう、アリーシャ。いえ、シエラリーダー]
ブツっ。通信が、切れた。
アリーシャはガスマスクを通した周辺状況を確認する。周囲に、怪物種の気配はなし。
事前にこの大規模作戦のために、探索者による怪物種の掃討を行ったのは無駄ではなかったようだ。
「……ひどい話だ。本当に笑えない話だよ。ここまで救いのない話など聞いたことがない」
カシュ、ガスマスクの拘束を解き、顔の下半分を顕にする。
ポケットに隠していたタバコに火をつけて、深く煙を吸い込む。肺に満ちる煙が、脳みそをちかり、ちかりと光らせる。
ほんの一瞬、痛みをごまかせた、そんな気がした。
ああ、そうだ。タバコ、辞めたはずだった。
「またお前に怒られるな……」
漏れた呟き、しかし、そのお前という存在を思い出すことはできない。あぶくのように消えるゆめで見たかのようなだれか。
もう2度と、誰にも思い出すことのできない誰かの影をアリーシャは煙の中に見た、そんか気がした。
どかりと、大きな瓦礫に腰を落ち着かせる。
そして、横たわる、血の海に沈むソレを見下ろしてため息をついた。
「……まったく、どうしてこんな風になってしまったんだろうな。なあ、■■■■君。どうにも私にはしっくりこないよ」
血の海に沈むソレ。他でもない手を下したのはアリーシャだ。
強い、敵だった。紛うことなく最強の敵。
もし、自分が敗北していたなら、現在同時進行作戦に従軍中の主力部隊は壊滅させられていただろう。
それほどに、強く、厄介な化け物だった。
「クラークは死に、ウォーカーも死んだ。国際指名手配のテロリスト、"アレフチーム"はもうキミしか残っていない。……本当にそうだったかな」
ガスマスク姿の兵士が呟く。動かないはずのソレに届けるように。
クラーク、ウォーカー。
その名前を告げた、瞬間。
朝方の湖のように凪いでいた血の海に、波紋が浮いた。
「べ、う、ろあらあ」
ぶちゃり、ぶりゆ。
風穴の空いた胴体、千切れかけの四肢。
血の海に浮いていた人体が、水音を立てながら痙攣し始める。
アリーシャは、ため息をつく。仕事はまだ終わっていない。
タバコを血の海に投げ捨て、ジュッという心地よい音を聞く。
「ああ、やはり起きるのだね。なるほど、それが"腑分けされた部位"、とやらの力か。キミが持つものは確か、"脳"と"内臓"だったね」
語りかける、化け物に、標的に。
アレフチーム、最後の生き残りを見下ろす。
「べろべろマろろジおュおお、ツシキあ、あかえか」
動いてはならない。生命であればもう2度と動いてはならないほどの損壊をしている人体が起き上がろうとしている。
白目を血に染めて、こぼれた内臓を蠢かせて。
ああ、化け物がそこにいた。
「すまない。人として終わらせてやりたかったな。ああ、安心しろ。君をアリサには会わせない。それはあまりにも、哀れだ」
化け物に、アリーシャは語りかける。この声色は優しく、そして静かだ。
「ののクラークおおお、なあはグレンあたわなゃばたかまか」
化け物が180度にねじれた首を、グルグルと元の場所に戻しながら辺りを見回す。
仲間を、探している。けれど、それはさがしてももう2度と見つかることはない。
「いいや、もうどこにもいないさ。アレフチームはどこにもいない。……きっと私たちは決定的な何かを取りこぼしたんだろう。キミも私も、失ってはならない何かを失った。……残念だよ、■■■■君。本当に残念だ」
"L"system All Green
彼女の、アリーシャ・ブルームーンの心拍数が上がる。同時に、彼女に施された機能が、働き始める。
「なあイはかまヤぼろろダだろろシヌろ、べろろノろろハろろならららイなかやヤダ」
哀れなヒト。失ってはならないものを失い、それでも前へ進んだ。
進んで、取りこぼして、それでも守ろうとして、それで倒れた。
その結果が、これだ。
「あなあわからアホj@.g'aノ5なま、j@qP.agウミjpソ、バカjp@j@pナイ'gゾウ」
化け物の辛うじて人体を保っていたそれが、身体の輪郭が崩れる。その中に取り込んだ大いなるモノ達が溢れ始める。
「あ、のにわなあを脳わたまミソ」.
見よ、その膨らんだ頭を。
化け物の、人間の顔が弾ける。代わりにソレが現界した。
顔の代わりに鎮座するはシワだらけの灰色の脳みそ。
かつて彼女の世界の理を記憶した大いなる脳みそ。
「おきまあやた内たかわゾウ」
零れた内臓が、膨らむ。まるでのたうつ蛇のように内蔵が、化け物の身体に巻きつく。
見よ、その身体にまとわりつく内臓を。
生々しく、そして慣れているそれが、崩れた皮膚のかわりに人間の輪郭をカタチドル。
かつて彼女とともに食した栄養を消化した大いなる内臓。
「……ひどい姿だ。哀れだよ。本当にひどい終わり方だ」
IDD SYSTEM ALL GREEN
アリーシャの中に備わる、手術によって植えられた機能が働く。
それは、星雲の彼方から堕ち、そして消えてそれでも残った意思なきカケラ。
「もうお休み。キミは、いいや、我々は決定的に間違えた。もうどうにもなりやしない。人間は、今日、■■■■の民を滅ぼす。共通の獲物をなくした人間は、近いうちに互いに滅ぼし合うだろう。……キミ達は負けたんだ」
Start Oprations
「マダjt@@pw@.オワjatgqt'waラja@pナイ。オワjPaラbg@セまたらあテjタマルカ!! gatジン@pgチaリjpg@adTュウg、マg##ジjmwtュツjp@'pシagjmキ、キドウ」
血の海からソレが起き上がる。人間には理解できない叫びを、化け物が言葉を発する。
物理法則が、捻れる。
血の海、血液がふつふつと上空に、さかさまに堕ちていく。
化け物の身体が浮かび上がる。
脳みそを下に、さかさまに吊られた男が、最後の力を振り絞る。
「9脳tagaミソ、jsAm未来。agp.@内a_蔵、あまわトゥjp.■■を救U」.
その化け物が操るは、この世にまだ存在しない法則。腑分けされた部位が記録し宿す、大いなる力。
「いいや、もう終わりだ。……バベル内にて作戦行動中の"攻略軍"へ。"オペレーション アレフ"、シエラリーダー、これより再起動した作戦目標の完全殲滅に移る、作戦進行に問題なし。……今日を以て、探索者の歴史を終わらせよう」
その人が宿すのは、星雲の彼方。かつてある天災がヒトのために調整し、誂えた異なる生命の力、その予備。
「プロメテウス"スペア"、起動」
アリーシャの身体を、黒い粘液が覆う。象るのは翼、両腕には刃の生えた半神のごとき黒い姿。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
さかさまに吊られた脳みそが吠える。浮いた血の海が、瞬時に法則に則り、槍の形に変わった。
「ああ、本当に、救えない話だ」
"オペレーション アレフ"完遂。
作戦目標、国際指名手配中の犯罪者。ソフィ・M・クラーク、グレン・ウォーカーの殺害を確認。超長期のダンジョン内での活動、及び■■■■の民との長期接触による人体への影響を調べる為、遺体は、探索者組合の研究機関に送られる。
国際指名手配のニホン人、■■■■■■■の殺害を確認。なお、対象の遺体はシエラチームとの戦闘により消滅。
同時進行されていた攻略作戦により、国連ダンジョン攻略軍は、■■■■の民の殲滅に成功。母体と思わしき個体、及び住居地区の破壊に成功。
人類は、■■■■の民の脅威から解放された。
TIPS€EDナンバー80『作戦目標、全破壊』
TIPS€ 敗北原因 戦力不足。"腑分けされた部位"の力を引き出せなかった。アレフチームの分断を許した。シエラリーダーとの戦闘に敗北した。シエラ1へのトドメを躊躇った。■■■■の民との共同戦線を断った。"プロメテウス・スペア"を破壊出来なかった。
『いまわの際を役立てろ』
……
…
夕焼け、赤い、血のように赤い空が墓場の上にのたりと在る。
「う、おうえ…… おえ。身体、ある……」
視界が戻る。
まただ。なんだ、今のは。
「いまわの、際……? へ、変だ、こ、この夢は何かやばい」
はっきりと感じるのは危機感。頭がおかしくなりそうなほどのリアル。
知っている人物、知っている名前、知らない状況、知らない言葉。
数多の情報が行き来する世界を味山は見せつけられていた。
意味が分からない。わかることはただ一つ、ロクな出来事じゃないということだけだ。
「さ、醒めないと、目を覚まさないと…… やばい…… あ、頭がおかしくなる……!」
ふらつく身体、その気怠さすら本物のように。
出口を探す。とにかくこの墓場から離れないと。
味山が踵を返し、自分の墓石の方へ移動しようとーー
「ああ、くそ。また線香……!」
ふわり。
香るのは死者への弔い、立ち昇る煙は死者と生者を結びつける橋となる。
ああ、線香の匂いが薫る。
走りつつも、味山はその香に視界を奪われた。
[花谷茂人之墓]
『いまわの際を役立てろ』
「……く、そ……」
身体の力が抜けて、そのまま崩れ落ちる。
出口、出口は、ーー
……
…
「その魂はいと高き所へ。苦しみも迷いもない清廉な所へ。主よ、グレン・ウォーカーの気高き魂をあなたの懐にお招きください。永遠の安らぎを与え、あなたの光の中で憩わせてください」
雨が降っている。
喪服の集団、バベル港の船着場に神父の声が雨音に混じっていた。
ここでは、よく人が死ぬ。探索者の中にもキリスト教を信じている人間は多い。
こういう時のために、専用の葬儀の略式と神父が組合により用意されていた。
「……ソフィは来てない、か。●●●●くん、君がそう責任を感じることはない。君とグレンはやるべきことを果たした。君達のおかげで、ソフィとサポートチームは生きて帰還出来たんだ」
「……ありがとうございます、ブルームーンさん。でも、俺は失敗しました。グレンを連れて帰ることは出来なかった……」
「だが君は生きている。生きているのなら、まだ君にはやるべきことがあるはずだ。馬鹿なことを考えるなよ」
「……はい。アレフチームのために自分が何出来るか、考えてみます」
「ああ、我々合衆国はキミがしてくれたことを忘れない。サポートは惜しまないつもりだよ。ーーむ?」
「今、何か光っーー
ちかり。
視界の上、空が光った。
耳に届くのは誰かの呟き。
《ーーを、ーーに》
えらく、悲しい、哀しい呟きだ。そういう風に●●●●には聞こえた。
そう考えた辺りで、空から降り注ぐ光にバベル島は焼かれる。
●●●●の視界も真っ白に焼き上げられ、その原因を考えるまもなく、脳みそごと光に焼かれて消え去った。
遺体すら、残ることはない。
この日、バベル島はその面積の60%を消失。生き残った探索者の証言から、指定探索者"ソフィ・M・クラークが遺物と思われるなんらかの手段により、バベル島への攻撃を敢行したと判明。
当日は、先の任務により死亡した補佐探索者グレン・ウォーカーの葬式と、本国への遺体送還の日だった。
《やはり、ダメだったよ、ラドン。ワタシはやはりこの世界が嫌いだ》
TIPS€ EDナンバー14 『いと高き場所に昇るキミへ』
TIPS€ 敗北原因
『いまわの際を役立てろ』
….…
…
「……クラーク?」
「覚めろ、覚めろ、覚めろ覚めろ覚めろ!!」
夕焼けが、目に焼き付く。
光、光光光、光が身体を焼いた、喉を、目を、耳を、頭を、皮膚を、真っ白な光が焼いた。
「な、なんで、なんで生きてる…… 何を見せられてるんだ……」
うずくまって、進めなくなる。
線香の匂いがするたびに、墓石を視界に収めるたびに始まるのは体験だ。
いつかのどこかの誰かが辿った、最期の瞬間。いまわの際、それを見せられている。
「くそ、なんて夢だ…… もういい、もうわかった。もう終わりでいい。よくわかったからほんと!!」
叫ぶ。
視界に墓石が入らないように目を瞑る。
くすん、ああ、また香る、香ばしい線香の匂いが。
いやだ、いやだ、もう見たくない。
いつかのどこかで、知っているはずの人間が死んでいる。
ゆめのはずなのに、ゆめがみせている幻に決まっているのに、なぜここまで胸が締め付けられるのだろうか。
夕焼けが、寂しい。
セミの声が、去ろうとする足を鈍らせる。
胸にこみ上げるのは、哀れみ。
味山は、勝手に湧いてくる感情に唇を噛む。
「わけ、わかんねえモン見せやがって…… ふざけんな、お前らと一緒にするな。俺は、あんな終わりは、認めない。同情誘ってくんな、情けねえ奴らめ」
無意識に口走るのは悪態。誰に向けてのものなのか、それは味山にはわからない。
でも、言わずにはいられなかった。
ああ、墓場に、線香の匂いが満ちる。
参るものもいないはずなのに、線香が、あの世とこの世の端を繋げてーー
「しつこい!! 線香臭いんじゃ、ボケ!!」
もう、我慢ならなかった。
鼻にまとわりつくその匂いを振り切るように走る。
セミの声を、夕焼けの影帽子を、振り切る。
線香の匂い、線香の匂い、線香の匂い。
「……しつこい、しつこいしつこいしつこい!!」
墓場を駆ける。もうどこか出口で、どこにむかえばいいかもわからない。
立ち昇る紫煙は、高き場所へ。夕焼けが影を伸ばす。
不思議な気持ちだった。恐ろしいはずなのに、意味不明の危機のはずなのに。いつもとは違う。
このわけのわからない事態の中、味山が抱いたのは敵意でも殺意でもない。
ただ、ただ、寂しく、哀しい。
鼻の奥にツンと感じるのは涙の痛み。
線香の香りがそれを癒すように鼻に染みていく。
味山ではない、いつかのどこかの誰かの終わり。
みんな死んだ。みんな終わった。何も叶えることなくみんな、死んだ。大切なものを全て失い、最後には自分すらも失った。
悪態をつきながらも、味山にはそれが他人事には思えない。
ただ、その線香の香りが哀しい。
この場所の全てが無性に悲しかった。視界を流れる数多の墓石、その墓碑銘、その1つ1つ全てに物語があった。
「……わかってる、わかったから。ああ、任せとけ。お前らが出来なかった事は俺がやる」
駆ける足の速度が緩む。気付いた、この場所は逃げるように去るべき場所ではない。
悔しさ、後悔、反省、もうどこにも行けない者達の成れの果て。
『いまわの際を役立てろ』
「……ああ、そうか。敵、じゃないんだな、お前たち、いやあんた達は」
ぶつぶつ、呟きながらその線香の匂いをかいくぐる。
味山がつぶやくたびに、線香の匂いが薄くなっていく。
それはまるで、わかっているなら良いんだ、そう言わんばかりに。
味山が足を止める。
いつしか、最初の場所に戻っていた。赤い墓碑銘の刻まれた自分の墓の前に。
「……あんた達がなんなのかは知らない。でも、安心しろよ。まだ生きてる、みんな生きてる。クラークも、グレンも、貴崎も、そしてアシュフィールドも、俺は誰も置いていっていない。だから、今回は任せろよ」
心のままに、誰に話しているかも本人はわからない。そんな言葉だった。そしてここではそれで十分だった。
ふと、気付く。
[墓場出口]
看板が立ててある、さっきまではなかったものだ。
振り返る。
出口から遠く、味山の墓石より奥に、数多くの墓石が並ぶ。
味山の墓石より出口に近いものは、ない。
ここが、出口に最も近い。
ここより前に墓石はない。
「……ああ、わかったよ。ここが、墓石の最前。俺は、墓石の最前に立っている」
味山只人は、最前に立つ。
数多の人が歩み、行き詰まり、倒れた。そんな道をまた味山も歩いている。
「わけ、分かんねえ夢だ…… でも、わかったよ。あんた達の残した、これは戦果だ」
出会いも別れも戦いも勝敗も一度きり、2度目はない。味山にだってそれは同じ、2度目はない。
人は生き返らない。そしてその事に、死に意義を見いだせるのは人だけだ。
積もる死の、最前。
今回は味山只人がその最前に立つ。
ごーん、ごおおん、ごーん。
丘の下、寺から鐘の音が響く。セミの声と、カラスの呑気な声が夕焼けに響いた。
味山は、出口へと進む。墓場の最前、数多の墓石をその背に一歩、進んだ。
『負けるな』
「ああ」
背中に届いた声、決して振り返ることはしない。
ただ出口へと進む。寂しさの積もるその場所から味山は抜け出した。
……
…
朝が来た。
窓から感じる朝日の熱、目やにで固まるまぶたの感覚。
その全て、現実だ。
目やにを剥がしながら味山は目を覚まし、夢を反芻する。
右腕を見つめて、自分の中に新たに宿った神秘の残り滓との対話を思い出す。
覚えているのは、それだけ。
何かそれ以外のゆめを見ていたような気がするも、それがなんのなのかもうわからない。
まぶたの奥に、オレンジ色の光がこびりついているような気がした。でも何度か瞬きしているうちにそれは消えて、もうどこを探しても見つからない。
何も覚えていない。何を覚えていないのかすら次第にわからなくなった。
「メール…… 返さないと」
寝ぼけ眼で味山は端末を握る。何故か分からないし、気持ち悪いことを自覚しつつも、味山はそのメール。
「あ…… なんだ、これ」
鼻の奥がツンとして、塩辛い感覚が脳に伝わる。
目の奥がジンといたんで、それから溢れ出した。
涙、一筋。
寝起きの味山は右目から伝う涙に、しばらくの間ぼうっとして動かない。
「意味、分かんね。ストレスだな、ストレス……」
故もなく溢れた涙を拭い、味山は端末を触る。何故だろう、この溢れ出す感情は。意味がわからない。
面倒くさいはずなのに、後回しにした事のはずなのに。
アレタ・アシュフィールドとの軽口をメールでやりとり出来ることが嬉しくて仕方なかった。
読んで頂きありがとうございます!
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