74話 キサキ・イン・バトル その3
「ではこれが試合に使う合成竹刀です」
「あ、どうも」
差し出された黒色の竹刀を受け取る。別室で渡された紺色の道着に着替えた味山は、スーツ姿の男の後ろを歩いていた。
雪代長音に招待された部屋には結局、数人の護衛が押し入れやロッカーに隠れていたのだ。
そのうちの1人に案内されながら、味山は地下へと続く階段を降り続ける。
「到着しました。こちらの扉を開けるとすぐに地下鍛錬場です。貴崎凛様、ならびに貴崎家門下の方々がお待ちです。どうかご武運を」
「あ、どうも」
スーツ姿の優男が優雅に一礼する。味山もそれに倣い頭を下げた。
階段の真正面、観音開きのドア、それに手をかける。
「うお」
広い。
地下とは思えない高い天井、きらびやかなライト。
すごい豪華な体育館のようだ。味山は感性に乏しい感想を抱く。
「うわ、なんだこりゃ」
びっしり、その鍛錬場の隅に並ぶ道着姿の連中に味山は気づいた。
どいつもこいつも鍛えられている。素人の身体つきではない。
そして、鍛錬場の中心。
こちらに向けられている華奢な背中、白い道着に青い袴の見覚えのある人影に気づく。
味山が、鍛錬場に進む。
中心にいた人物、少女が音もなく振り向いた。肩の部分まであるポニーテールがくるりと揺れる。
「こんにちは、味山さん。お久しぶりです」.
ぺこり、頭を下げる少女。
くりくりしたアーモンドの瞳に、桜色の唇。可憐、という言葉が道着を着たような女の子、貴崎凛がそこにいた。
いて、しまった。
「皆さまー!! 大変ながらくお待たせいたしました!! ユキシロメディカルプレゼンツ!! 2028年、バベル御前試合の役者が揃いました!!」
鍛錬場の天井から響き渡る声、雪代長音の声だ。
味山は上を見回すと、ガラス張りの部屋を見つけた。目を凝らすと、中に人がいる。
うわー、金持ちが上から見下ろす中で戦うって、趣味悪。
味山は資本主義の悪いところに内心、うへえと漏らす。
「本日のイベントは模擬戦!! 時間無制限!! 有効判定なしの、降参か気絶かでしか勝負の終わらないエキシビジョンマッチでーす!! なお使用される道具は我が社開発のダンジョン素材でできたスポーツチャンバラ用の合成竹刀。しっかり痛いけど致命傷になりにくい優れモノでーす!!」
ノリノリの声で、スピーカーから声が広がる。
あの社長、やっぱり二重人格か何かか? さっきとはまるで別人。同じなのは声だけだ。
味山が底の知れない人物に僅かな恐怖を抱く。
「なおこの模擬戦は、データ放送で本土の我が社にも観戦されています! スポンサー契約候補の探索者さんの応援、よろしくお願いしますね!」
「完全にレクリエーションだな、オイ。あの社長、食えねえ」
味山がぼやく。すごいうまくだしにされているようにしか思えない。
味山はなおも続くスピーカーの口上を聞くのをやめて、こちらを見て動かない貴崎に声をかけた。
「よ、よう。貴崎、なあ、お前もあの腹黒い社長に唆されたんだろ? 俺もなんだよ、なあなあなあ、ここはよ、1つ友人のヨシミでよ、こう上手いことごまかさねえか?」
ぎし、ぎし。
貴崎に近づきながら、味山は努めて笑顔をつくり朗らかに話しかけた。
普段の貴崎なら、もしかしたら乗ってくれるかも。味山は淡い期待をしていた。
「……私と味山さんは友人なのですか?」
「え?」
ぎし。味山は足を止める。
「私、味山さんのこと好きですよ? でも、あなたを友人だとは思ったことありません。ふふ、味山さんって私のなんなんでしょうね?」
「……なんだ、そりゃ」
ぴり。肌にちくちくした感覚が生まれる。嫌な予感だ。
似ている、探索のはじまりに感じるものと。
「あ、今少しイラッてしました? その顔、好きです。道着も、似合ってますね」
にこりと浮かぶ貴崎の笑顔、それはいつも向けられるものと同じもの。
しかし、場に満ちるプレッシャーがその笑顔が見かけのものでしかないことを示している。
「……そりゃどうも。お前も堂に入ってる、ていうのか。道着、似合ってるよ」
「えへへ、嬉しい。ねえ、味山さん、周りに正座している彼ら、見てください。彼ら皆、全て貴崎の家の道場、その中でも有望な門下生達なんです」
「すげえな…… 月謝収入でどれだけもらえるんだ?」
「やだ、味山さん。げーせーわー。ここにいる方だけじゃなく全国にはもっと多くの門下がいます。江戸の時代に将軍家の剣術指南を請け負って以降、今もなお続く技を習う方がこんなにも」
「……あー、何が言いたいんだ、貴崎?」
低く、暗くなる貴崎の声色。
もう、嫌な予感しかない。
「私はその中で、当代の貴崎の中で1番強い。生まれも、才も努力もどの者も私には及ばない。当主である父も13の頃に超えました。私はね、味山さん。私が強いことを知っています、でも、でもね」
「……貴崎?」
「銃弾は斬れない。あなたが見せてくれた技、あれはまだ遠く、出来ない。味山さん、味山只人さん、あなたは何者ですか?」
「お、おい、お前、目、瞳孔開いてんぞ?」
「……雪代長音にあなたの話をしたのは私。雪代長音にあなたをけしかけるようにお願いしたのは私。ええ、ここにあなたがいるのは全部私の願い通りなんです」
割と最悪なパターンだ。
味山は、いつのまにか溜まっていたツバを飲み込む。
「そりゃ、お前、どういう……?」
「鈍いなあ…… 私があなたとやってみたいんです。味山さん、あなたこうでもしないと絶対に相手にしてくれないでしょ?」
「あ?」
「あなたは本質的に他人に興味がないもの。あなたが本気でかかわろうとする人間は2種類、仲間か、敵か。そのどちらかしかないですよね」
つらつらと、年相応の少女の笑顔をたたえたままに貴崎凛が、味山只人を語る。
「私は敵です。私と戦って、あなたは価値を示さなければお金、手に入りませんよ?」
「ぶはっ! 貴崎、お前…… 悪い奴だなあ。なんだよ、全部お前の仕込みか」
思わず、吐き出す。目の前にいる少女の狂いように味山は笑うしかなかった。
「えへへ。本気でやってくれますよね、味山さん」
はにかむ笑う貴崎、忘れてきた恋という感覚を思い出しそうな可憐さ。
きっと、自分が学生の頃にこんな子と出会っていれば夢中になっていたかもしれない。
そんな笑顔だった。
「あー…… あの! 雪代社長!! 今更なんですけど、探索者の実力見るのに探索者とガチバトルさせるのはナンセンスじゃないですか? 探索者の敵は、怪物種なんですが!」
味山は大声で天井に向けて喚く、
もしかしたら届くかもしれない抗議を、ダメだろうけど必死で叫んだ。
「あらあら、いやですわ、味山さん。とぼけちゃって。あなたがた、探索者の業務には対人間も含まれていますよね? 酔いに飲まれ、もう帰ってこれなくなった探索者を終わらせるのも、あなた達の業務内容です」
スピーカーからツラツラ返ってくる返答。
言葉では勝てるわけがなかった。
「……良くお調べで」
「私が入れ知恵しましたから。味山さん、上級探索者の昇給試験、その最後のテスト内容ご存知ですか?」
「いや、聞いたことはないな」
「あは、きっと、味山さんには簡単なテストです。必要な時に、人間に対して処理が出来るか、否か。探索者には殺せる時に殺せる適性が求められます」
「お前、そんなバトルジャンキーだったけ?」
「あなたが火をつけたんですよ」
貴崎がくるり、背中を見せて味山から離れる。一歩、二歩、木製の床は、きしりとも鳴らない。
「つい最近、貴崎の本家からあるものが消失しました。前に一度話したことがありますよね? 貴崎の祖、鬼裂の首のない骸骨。それがまるで溶けたように消えました」
ぱしり。
味山は自分の目を疑う。何も持っていなかったはずの貴崎凛、その手の中にいつのまにか合成竹刀が握られていたから。
「あなたと温泉に行った帰り道、えへ、楽しかったですね。あの日、あなたにあのお話をした翌日のことでした。貴崎の家、その本家にて血を継ぐ者が皆、同じ夢を見た」
小さく華奢な背中、竹刀を肩に寄せてフラフラ歩くその姿、その光景が被る。
自分の夢の中に顕れる烏帽子をつけた骸骨、奴の姿と貴崎凛の姿が妙に重なる。
「大儀である。今を持ち、貴崎のお役目は終わる。あとは自由だ。……なんの話でしょうかね。父も母も、いとこも。貴崎の名前を持ち、血を繋ぐもの全てが同じ夢を見たそうです。もちろん、私も」
「……さあな。家族仲の良さそうな一族で何よりじゃないか」
「ふふ、そうですね…… ああ、まあ、それじゃあ、そろそろいいですか? 話はシンプルですよ、味山さん。ここであなたの価値を示してください。そうすればあなたは自分の欲しいものが手に入る」
「……お前が何考えてるかはわからん。ただ、わかったよ。もうなんかめんどくさくなってきた。さっさと終わらせて帰ってサウナ行って昼寝したい」
「終わった後、ご一緒しても?」
「サウナ力の低い素人と一緒に行く気はないな」
味山の言葉に、周囲で固唾を飲んで見守っていた門下生達がどよめく。
お、お嬢様のお誘いを断ったぞ…… なんて傲慢な…… 態度が悪すぎる…… サウナ力9000、悪くない……
どよめきの中、味山が後ろに一歩、二歩、距離を取る。
「手加減も打ち合わせも、やっぱしてくれない感じ?」
「それ、意味ないですもん。味山さんの必死を見せてください」
「……俺、剣道やったことないんだけど」
「ご安心を、殴る、蹴る、組みつく。なんでもありの模擬戦です。味山さん、これは試合じゃありません、模擬戦なんですよ?」
「俺が女子供に手を出せない紳士と知ってからによく言うよ。……ああ、貴崎、とても、俺はお前に手をあげることなんて、出来ない、なあ……」
呟く、味山。
言葉とは裏腹に、組み立てを考える。
貴崎凛。
おそらく味山が知る中、これまでに出会った探索者の中でもトップに入るほどに、強い。
TIPS€ "上級探索者、貴崎凛"
TIPS€ それはこれ以上もなく、正気だ。それは血の芸術により理想的な身体を持っている。それは貴崎の貴き血筋を引き継いでいる。それは刀剣の扱いに秀でている。それは戦闘行動に強い適性と成長補正を持つ。それは優れた異性を惹きつける性質を持つ。それは異性を狂わせる魔性を持つ。それは正統な"呪血式"を引き継いでいる、しかし扱い方は失伝している。それは怪物に対して特攻を持つ。
TIPS€ それはお前よりも遥かに才能に恵まれ、強い。お前の持ちうる道具を使わなければ勝負にすらーー
耳に響く、TIPS。
味山の脅威に対し、情報がどこから届き、そしてそれを聴き終わる前に行動を開始していた。
「っわっしょい!!」
「っ!」
振りかぶり、投げつける。
手に持っていた合成竹刀をなんの臆面も、合図もなく、貴崎凛に向けて投げつけた。
「あ!!」
周囲がどよめく。あまりにも非常識な行動、しかし味山にとってそれは当然の判断。
貴崎凛には正攻法では勝てない。
一時とはいえ、共に探索に出向き見ていた貴崎の戦闘者としての才能は本物だ。
持って生まれたモノを、さらに磨き上げる環境、努力を当たり前に惜しまないその性質。
全て味山にはないものだ。
だから、こうした。
「っは!!」
奇襲、周りのどよめき。
合図なしに凡人から投げ放たれた竹刀を貴崎が掬い上げるように竹刀で打ち払う。
「だろうな!!」
「あは! さすが味山さん! 大人気ない!!」
投げつけた、同時。味山は地面を蹴り、貴崎に向けて突進した。
体格、体重、これだけは貴崎よりも味山が優れている。
思い切り体重こめたぶちかまし、いちいちチャンバラに付き合っていられるか!
これが味山の選択だった。
獲物をすぐに放り捨てるという蛮行、本当の戦闘なら死に直結する失策。
しかし、これは本当の殺し合いではない。模擬戦という名の命の保証されたイベントだ。
だから、味山は
「模擬戦だーー」
「でも、まさか模擬戦だからって、死なないとでも思ってらっしゃいますか?」
「はーー」
貴崎が、味山の視界から消えた。
「え」
どこだ、駆ける足は止まらない。目の前にいたはずの目標が、でも、どこに
「も"っ?!」
奇声、あげたのは一瞬、視界に突如、影のようなものが走った。
「遅すぎます」
ばっぎ。
「ぎゃっ?!!」
衝撃、痛みはない。
こめかみに何か巨大なものがぶつけられたような衝撃。
次の瞬間には、世界が倒れた。
違う、倒れたのは味山だ。
「あ?」
「ほら、立って、危ないですよ?」
「いっ?!」
動いたのは適当。いつのまにか木の床に倒れ伏していた身体を気合で転がす。
ずがん!! 地面が揺れたかと思えば、今まさに味山が倒れていた場所に、竹刀が叩きつけられた。
「う、おっ?!」
ふらつきながらも勢いを利用して立ち上がる。がくりと膝にくる重さ、何をされたかすらわからない。
「……あは。タフですね、味山さん。割と本気で打ち込んだんですけど」
「……は?」
身体の各所に、痛み。
四肢の付け根、遅れてやってくる鈍痛に味山の動きが止まる。
「あ? いつ、打たれた?」
「さて、いつでしょう? ……味山さん、手加減はやめてくださいよ。本気でやりましょう」
「いって…… 割と本気でぶっ飛ばそうと思ってたんだけど。ナチュラルに煽るの、やめてくれるか?」
味山の言葉に、竹刀の先を細い手でいじっていた貴崎がくすりと笑う。
彼女の一挙手一投足に、門下生たちが色めき立つ。
「美しい……」「綺麗だ」「俺たちのお嬢様が最強の件について」「裏山」
「はい、味山さん。落とし物ですよ?」
ぽいっと、投げ渡されたのは味山が投げつけだ竹刀。
決死で手放したそれを、貴崎はなんのこともなく味山に返した。
「……いいのか?」
「はい、だって、私弱いものいじめの趣味はないですもん」
貴崎が笑う。いつも味山に向けられていたあの朗らかなものではない。
優越と傲慢と蔑み。
それらが混じった笑み。貴崎凛の瞳が半月のように歪む。
「いーいツラすんなあ、貴崎。それが素か?」
「いいえ、あなたに見せていたのが素です。あは、普段と私違いますか?」
「生き生きしてんよ」
「探索の時の味山さんを見ていましたから。……私が見たいのはあの時のあなた。味山さん、あなたを教えて」
貴崎が、ふわり、床を蹴る。
味山が竹刀を振り下ろす、手加減などない。力任せに振られたそれが、音を立てながら空気を裂いた。
「ぶべらっ!!」
振り下ろした竹刀は当たらない。振られた竹刀が味山の横面を捉えて、吹き飛ばす。
しなやかな合成素材で作られた竹刀により身体の芯にはまだダメージはない。
でも、
「うげっ!?」
「ぐえ!!」
「ぎやっ?!!」
脇腹、鳩尾、ふともも。
ありとあらゆる箇所を、貴崎の竹刀が打ち砕く。
叩かれ、突かれ、いなされ、叩き込まれる。
わかっていたことだが、味山只人が貴崎凛に棒振りで勝てるわけがなかった。
かたや貴き血筋に良い毛並み。遥か悠久の彼方より、刀を振ることで血を紡いできた高貴な血筋。
かたや、誰も知らない、何も持たない、只、生まれてきた人間。たまたま今回、血生臭い仕事についただけの庶民の血筋。
持てるものが、違った。
その背に背負うものが、違った。
誰しもが、知る通り、誰しもの予想通り。
「が、は……」
膝が、落ちる。
あらゆる所が、赤く腫れ上がり、大汗をかいてうつ伏せに倒れたのは、味山だった。
あー、床冷たくて気持ちいい。真剣だったら30回は死んでんな。
味山は呑気なことを考える。はじめから分かっていたが、やはり勝てそうにない。
勝ち目があったのは、あの最初だけ。奇襲に完璧に対応された時点で、こうなることは目に見えていた。
門下生たちがざわめく。貴崎の腕を讃える声、味山の非力を、卑怯を笑う声。
さまざまな声が、味山に積もる。
身体が痛い。一回りも歳の離れている女の子にボコボコにされるのは癪だが、まあ、わかり切っていたことだ。
「いてえ……」
呟く味山を、貴崎凛が見下ろす。
味山とは対照的、その瑞々しい肌には汗一つ、浮いていない。
「味山さーん、起きてー、ください。まだ終わりじゃないでしょ?」
頭がぐわんぐわんと、揺れる。最後に顎に食らった一撃が効いていた。
「味山さん? え、もう終わりとかじゃないですよね?」
つん、つん。と貴崎が味山の頭を竹刀の先でつつく。
普通の試合ならもうとっくに終わっている。
2人の実力には圧倒的な差があった。
「味山さん?」
貴崎凛が、ぴくりとも動かない味山にさらに一歩、近づいて
「クソガキが!!」
貴崎が不用意にしゃがむ、それと同じタイミングで味山が立ち上がった。握りしめた竹刀を突き出す。
「死んだフリじゃ!! ボケっーー、がっ、あ??」
奇襲。
しかし、
味山が目を剥く。
しゃがんだままの貴崎、それに向けて突き出した竹刀の先が握りしめられている。
なんのこともないように、味山の最後の奇襲もまた、貴崎に竹刀すら使わずに受け止められていた。
「……これで、終わり? 嘘でしょ?」
「おま、マジかよ……」
みしり、竹刀が軋む。味山の握る持ち手ではない。貴崎凛が掴む鋒が、軋んだ。
「……たいくつ」
「……あ?」
貴崎が、竹刀を無造作に振った。
……
…
冷えていく。
「ぶべらっ!」
冷えていく。
「みぎゃ!?」
冷えていく。
「うげっ?!!」
冷えていく。
熱が、冷めていくのをはっきりと自覚する。
高揚して、身体が空に浮かび上がりそうだと勘違いするような熱すらも、どんどんと消えていく。
なんだろう、これ。
弱いな。
彼が何をしてこようが、何も怖くない。遅いし、弱い。
最初の奇襲だけは、少しぞくりとした。
あまりにも軽すぎる彼の引き金に、熱がぶわりと盛り上がった。
でも、それで終わり。
弱い、弱い、弱い。
憧れが、好意が、熱が、何もかも、味山只人に抱いていた感情が、冷めていく。
そもそもなんでこんなに手の込んだ真似してまで、こんな場を整えていたんだろうか。
本気で殺すつもりなら、もう何十回も殺せてる。
「死んだフリじゃ!!」
遅い。
動かなくなって、わざと近づいてあげた。
予想通りに、彼が動く。土壇場でも諦めないのは褒めたいけど、動きが、力が弱すぎる。
ああ、この人、ほんとに才能ないんだ。
悪いこと、しちゃったな。なんか、手品のタネが見えたみたいに覚めていく。
あれほど、魅力的に感じていたこの人が、今はもうなんとも思えないくらいになっている。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
味山さん、ごめんね。私の勘違いだったみたい。これが終わったら、謝って、謝礼金と治療費払って、おしまいにしよう。
味山さんも、こんな女怖いだろうし、もう会わないでおこう。
……今までたのしかったなあ。
はあ、弱い。
「……たいくつ」
気付けば、漏れていた呟き。
それはきっと、彼にも聴こえていただろう。
でも、もうどうでもいいや。
「ばいばい、味山さん」
わたしは、彼の意識を刈り取るようにおもちゃを振るった。
「……その目」
ぼわり。
声、彼の声。
ぞわり、いつか感じた、あの感覚が、身体に。
身体に、熱がーー
……
…
味山は、その間際にようやく気付いた。
確実な敗北の間際に気付いたのだ。
貴崎凛の目だ。
何もない、味山を見てすらいない目。もう次のことを考えているその目、味山を移していない目。
目、目、目。
アレタ・アシュフィールドと初めて出会った時、同じ目だ。
貴崎凛と初めて出会った時も同じ目だ。
特別な者が、何もない者に向ける目。
竹刀が、味山の顎に食らいつく。意識を手放す間際に、味山はその目の存在に気付いた。
「お前らが」
むかつく。礼儀なく無関心で、勝手に期待して、傲慢に失望する。
誰しもが、お前たちに認められたいために努力する。しかしお前たちはそんなものを知る由すらないんだろう。
はじめから持っていた奴が、勝手に、俺たちを振り回す。
むかつく。なんだ、お前らは?
何様のつもりだ。
お前らも同じ、只の人間だろうが。
今、ようやくこの段階になって、味山只人は、貴崎凛を敵として本気で認識することができた。
「その目で、俺を見るな」
「っ!!??!?」
ばっ、貴崎凛が目を見開き、その場から飛び退く。袴をなびかせ、音もなく、連続でとびのき、5メートル以上の距離を取る。
門下生たちは首をひねる。何が起きたかわからない。何故、お嬢様が退いたのか。
それが分からない。
何故、彼女があれほどまでにいきなり、汗を掻いているのがわからない。息を乱し、顔色が悪い理由がわからない。
「っ、あは。あれ? わたし、なんでーー」
「お前」
びくり。
何が起きたか分からない、そんな様子の貴崎が身体を震わせる。
味山の声に、貴崎が動きを止めた。
「お前、むかつくな」
のそり、味山が立ち上がる。身体に残る鈍痛、それら全てを無視する。
「へらへら笑ってんじゃねえよ、クソガキ」
ぴしゃりと味山が言い放つ。
クソガキ。
ニホンに名だたる名家の1つ。貴崎の当代後継者に向けて、只1人の探索者が言い放つ。
門下生たちが色めく、ざわめくオーディエンスの中で、唯一、雪代長音だけが黙って、その光景を見守る。
「その目…… 」
ゆらり、味山が指を指す。指先を向けられた貴崎がびくっと、身体を震わす。
「お前らは、なんの権利があって人を試す? お前らが、たまたま才能に恵まれて、たまたま他人よりも強いだけのお前らになんの権利があって、他人を試す?」
「わたし、は」
「いや、いい。黙れ、そしてよく聞け、クソガキ。俺はお前たちのそういうところが大嫌いだ。たまたま特別なだけの、ナチュラルに上位者ぶるお前たちが大嫌いだ」
それはきっと、貴崎だけに向けた言葉ではない。
凡人の周りにいる全ての、特別な者たちに向けての宣戦布告。
「貴崎凛、お前は俺の敵だ。俺の報酬はお前の骸の先にある。……お前の望みを叶えてやるよ」
満身創痍の味山が、貴崎に向けてよろよろと一歩、進む。
「わたしの、望み……? あ、え、今、大嫌いって……」
一歩、貴崎が退がる。傷一つない貴崎のほうが退がった。
「俺を試してみろ、貴崎凛。出来るもんならな」
味山はその目だけは許せない。許さない。己がその目で見られることを許した時点で、もう2度とあの星の仲間としては立てない。
そんな確信があったから。
TIPS€ それはお前よりも遥かに才能に恵まれ、強い。お前の持ちうる道具を使わなければ勝負にすらならないだろう、だがーー
耳に響く、ヒントを聞き流す。
身体に語りかける、それは忘れられし残り滓。
かつてこの世界にあった神秘、取り込んだその軌跡を味山は道具として掴む。
TIPS€ だが、道具を活用したお前の敵ではない。よほどのことがない限り負けることはあり得ないだろう
「行くぞ、センセイ。お前の子孫だ、先祖らしく教育の時間だ」
TIPS€ "鬼裂の技"を経験点100を消費し、使用するか?
「YESだ」
身体に宿るは、かつてニホンに在りし最恐の怪物狩りの残り滓。
「あ…… あは、あはぁ。味山さん、味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん味山さん」
ふら、ふらと貴崎が前に進む。その目は先ほどの熱のないものではない。
火に寄せられる蛾に、もしも眼球があれば今の貴崎のような眼になるだろう。
夢遊病者のように、貴崎が味山に寄せられる。
足取りは軽く、竹刀だけは手放さず。
そんな貴崎を味山は、見つめていた。
神秘が、今、凡人の身体と合一する。
L計画、アプローチ2。
伝承再生。
「参れ、貴崎の末、一手舞ってみせよ」
「味山、ただヒトおおおおおおおおおおおお!!」
だんっ!!
貴崎凛が、今日初めて足音を鳴らした。
上級探索者、バベルの大穴に適応し、深度Ⅱの状態にある進化した肉体が、躍動する。
竹刀を担ぐように、体勢はひくく、地面を滑る風が如く貴崎凛が駆ける。
直撃すれば、命の危険すらありうる常人を超えた肉体による一撃。
先ほどまでの貴崎の一撃とは比べものにならない本気の攻撃が、味山へと牙を剥いた。
「ほう、存外、悪くない」
「ああ?!」
ぱし。
受け止められる。
地面に這うような姿勢から担ぐように大上段に振り下ろされた竹刀の一撃。
それを味山はなんのこともなしに、受け止めた。
「才もよし、その歳で縮地が完成しておる。ほほほ、良い良い。良き血を取り入れておるわ」
「あ、は!!」
竹刀を受け止められた貴崎が、嗤う。瞳孔は開き、ほおは紅潮した笑顔、可憐な少女の顔に、肉食獣によく似た顔が浮かんでいた。
ぱっと、貴崎が竹刀を離す。味山の懐に潜り込んだまま、右手の掌底を繰り出す。
「おっと、ようやく肉弾戦に移れたな、いらっしゃい、貴崎」
「あ、ふふ、素敵!」
鳩尾、理論的に、急所を狙って放たれた一撃はしかし、味山が咄嗟に振り下ろした肘鉄で防がれる。
みし、肉と骨、両者の肉体が軋む。
「そら、避けてみよ、末裔」
「あ」
片手に握られた竹刀、味山が無造作にそれを振り下ろす。無防備な貴崎の脳天目掛けて。
「ふ、っう!!」
袴、貴崎がふわりとしたそれを太ももの上までめくる。
白い太ももに備えていた小太刀型の竹刀を上に振り払う。
脳天の一撃を防いだ貴崎が、獣のようや素早さで後退する。
荒い息を繰り返す貴崎、その手からポロリと小太刀の竹刀がこぼれ落ちる。
手のひらは痙攣していた。
「おお、よいよい。仕込みも万全、防ぎもうまいではないか。貴様のようなものがおれば、貴崎は安泰よ、景光も草葉の陰で笑っておろう」
「は、ははは…… すごい、なに、これ。あなた、あなた誰なの?」
震える身体を、華奢な身体を己で抱きしめながら貴崎が笑いながら叫ぶ。黒いポニーテールが揺れていた。
「おお、もう知っておろうが。俺は只の人間。お前たちと違い、何も与えられていない大凡の人間よ。だが、馬鹿にできたものではなかろう? 末裔、貴様は勝てんぞ?」
貴崎の問いに味山が答える。混じるのは偉大なりし怪物狩りの祖。
それすらも味山は己が道具として扱う。
「は、はは…… すごいや、何言ってるのか全然わかんない。ははは、味山さん、あなたほんとに、すごいなあ」
「お前ほどじゃないさ。さて、続けようか。貴崎、お前に教えてやる…… たいくつなんて存在しないことを」
味山が構える。貴崎から奪いとった竹刀、己の竹刀の2本を構えた。
決して容赦はしない、手加減も、舐めプもない。
本気で叩きのめす。
味山がほとんど丸腰の貴崎に殺意を向けた。
貴崎は、動かない。動けない。
たったいちどのまじわり。
それで理解した。自分と味山只人の力関係を、正しく。
「あは、……いい。いいなあ。良かった、よかったよう。わたしは間違ってなかった」
貴崎が手を広げる。受け入れるように、目を瞑る。
門下生たちが、今になって漸く事態に気付いた。
「え、お嬢様が、負ける?」「お逃げを!!」「ま、守れ!! お嬢様をあの狼藉者から守れ!!」
わらわらと動き出そうとする観衆、味山がそれを一瞥し、
「皆、動かないで」
貴崎の冷たい声が、彼らの動きを止めた。
「次、わたしの戦いに手を出そうとした方は破門と致します。貴崎凛として、貴崎の門下であるあなたたちに告げます。座りなさい」
その一言だけで、大の大人みなが、親によくしつけられた子のように鎮まり返った。
「うむうむ、将器も充分。もちっと早くお主が生まれておれば、景光も我を討つのにあれほど苦労せんかったろうになあ」
「……かげみつ? あなた、まさか…… いいえ、違いますね。それでも、あなたは味山さんなんですね。ああ、素敵。素敵です。あなたは、あなたというヒトは素敵です。ああ、すごい。それすらもあなたは道具として扱うのですね」
「なんのことだか。あとは、言い残すことはあるか?」
貴崎の言葉に味山はわざとらしく首を傾げた。
「惚れ直しました。目が覚めたら結婚を前提にお付き合いしてください」
「悪い、今は仕事に集中したい」
「いじわる」
貴崎が、目を瞑る。
味山は止めるつもりは、まったくない。
身体に宿る技、肉体の限界を超え、再現するのは最古の怪物狩りの業。
味山が、竹刀を振った。
本気で振るう竹刀の鋒、貴崎はそれをトロンとした瞳でただ見つめていた。
「そこまで」
凛とした声が、鍛錬所に響く。
勝敗は決した。
読んで頂きありがとうございます!
宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい!