73話 キサキ・イン・バトルwithユキシロ その2
「雪代、長音…… ええっと、はじめまして。こちらこそ自己紹介遅れて申し訳ございません、アレフチーム所属、味山只人と申します」
味山はシャツの胸ポケットから青い革の名刺入れを取り出す。
ソファに座っている雪代の元へ跪き、名刺を差し出した。
「あら、名刺…… これは失礼いたしました。探索者の方から名刺いただくのは初めてです。どうぞ、こちらこそ宜しく」
毒気を抜かれたように雪代が目を白黒させながら名刺をうけとる。高そうな名刺入れをふところから取り出すとそれを味山に差し出した。
「いえいえ、とんでもないです。お名刺頂戴致します」
しゃあ!!! 有名企業の社長の名刺ゲットオオ!! 心の大喝采をおくびにも出さず味山がうやうやしく名刺をうけとり名刺入れの上に置く。
これほどまでに味山のテンションが高いのには理由があった。
スポンサー契約。これは探索者にとって大きな収入になるある種の到達点だ。アレタなどのレベルになると国はもちろん、GAFAなどのレベルの企業がバックについていることもある。
探索者という職業は割とリーンなタイプの商売だ。
収入が大きいときは大きいが安全マージンをとるための探索用薬品や装備など出費も大きい。
探索者保険により割と大きな金額が毎月引かれていくのも大きな理由だ。
要は、指定探索者や一部の上級探索者を除いて、金がいくらあっても足りない商売だったのだ。
そして極めつけ、今回のこの話。
株式会社ユキシロメディカル。
創業は3年前。ヒロシマの名家、雪代家のご令嬢が始めた新進気鋭の製薬会社。
その躍進の理由はその圧倒的なダンジョン医療品の商品の多さにある。
実家の雪代家の家業である医療法人との連携、政財界との深いつながりから国内では並ぶもののいないダンジョンに特化した製薬、医療品メーカーとして不動の地位を得ている。
あの有名なダンジョンメディカル、アメリカ合衆国開発の”イモータル”ほどの圧倒的な商品には及ばないものの探索者にとってありがたい商品が多い。
以前味山が使用した肉食の怪物種の嗅覚をごまかすための”ムシロくん”や疲労回復と酔いの軽減効果が認められている栄養ドリンク”ヒロシャキ”、負傷し、出血した時の応急処置につかえる簡易の塗り薬型の凝血薬”血小板ちゃん”などかゆいところに手が届く商品なとだ。
味山も好んで使用していた。もし、スポンサー契約を結べればかなり出費を抑えることができる。
それに単純に自分が普段愛用している商品の会社にスポンサーになってもらえるのとかすごくね、というミーハー根性が味山の熱を上げる理由になっていた。
「ふふ、民間上がりの探索者、今となっては珍しい経歴ですね。一線で働いている探索者のほとんどは、軍人やアスリート上がりの方が多いと聞きますが…… 才能がおありなんですね」
雪代社長が穏やかな笑顔で味山に話しかける。普段あまり探索以外では使わない脳みそを振る
「とんでもないお言葉です。周りの天才たちを眺めていると自分の非才さを思い知らされる一方でして……」
「まあ、謙虚ですのね。好感が持てます」
「過分なお言葉ありがとうございます、天才という言葉はむしろ、その、社長のようなお方にふさわしい言葉なのではないかと」
「あら、というと?」
「はい、僭越ながら私も御社の商品を非常に良く使わせて頂いておりまして。本当に何度も探索で助けて貰っています。調べてみればいま、御社で開発されている商品、そのほとんどが社長直々に立案し、開発に至ってると」
「ふふ、おはずかしい。よくお調べになってるんですね」
「素晴らしい商品なので、興味がありまして」
「味山さんは、当社の商品、何をよくお使い頂いているんですか?」
雪代社長の質問、味山は内心でガッツポーズを決める。来た、釣り餌にかかった。
「はい、やはり1番愛用してるのはムシロくんです。ダンジョン用の消臭剤、あの商品は今でこそ御社の目玉からは外れていますが、私はあれこそがユキシロメディカル躍進の象徴とも言えるべきものかと考えております」
「ほう…… というと?」
雪代社長が懐から黒い扇子を取り出し、ぱっと広げたそれで口元を隠す。
艶やかな黒髪と、黒い扇子で覆われた口元、ダークなスーツの色合い、美しい黒と美しい人が混じり合う。
影にとりこまれているような。味山は妙な錯覚を覚えた。
「はい、やはり着眼点です。あの商品が世に出たのは3年前、つまりバベルの大穴が世界に公開され、私のような民間の探索者が世間に認知された頃、ダンジョンの黎明期の黎明期というべきタイミングです」
味山がペラペラと言葉を紡ぐ、雪代社長の黒目がちな瞳はじっと、弁を紡ぐ凡人に注がれる。
「そのタイミング、まだ探索者がどのようなスタイルで怪物種を狩るのか、いやそもそも怪物種という存在への対処法すら今日と比べて何も情報がなかった。その時期にすでに、嗅覚に優れる怪物種へのアンチとも言えるべき商品をいち早く開発し、世に出していたその先見の明! 素晴らしい慧眼かと」
「あら、ふふ。味山さん、なかなか開発者殺しのお言葉ですね。あの商品は私も思い入れがありまして、少し古い家に残っていた書からヒントを得ましたの」
「書、から?」
雪代社長の呟き、味山は一瞬呆気にとられる。あれ、やべ。なんだその情報、ネットには乗ってなかったぞ。
味山の下調べにはなかった情報、ここからはアドリブ。焦りをおくびにも出さず味山は笑顔を浮かべる。
「ええ、書です。実家は古いことだけが取り柄の家柄でして。生家の納屋にはそれはもう昔から雪代の人間が集めた書が蓄えられておりますの。史実を書き連ねたものから、荒唐無稽のお伽話まで、ね」
味山は必死に、朝一でネットサーフィンして集めた情報を脳に並べる。
「お噂はかねがね、ヒロシマの牛頭町のご実家ですか?」
「あらあら、ふふ。ええ、お詳しいのですね。お調べになられたのですか?」
「本日、お話を貴崎さんから頂いたときに。社長のような方とせっかくこうしてお話出来る機会を頂いてるのに何も知らないでは、とてもとても」
「そのお気持ちが嬉しいですよ、味山さん。その実家の書、荒唐無稽なお伽話の中にはね、過去のニホンに今の探索者とよく似た職業があった、と残されていたんです」
「探索者とよく似た、ですか? うーん、なにかの比喩でしょうか? 傭兵や、マタギ、狩人とかの?」
「鬼狩り」
どこかで聞いた覚えのある言葉だ。
味山の額にわずかに汗が滲んだ。
鬼狩り、すごく、最近すごくそれは身近な存在の気がする。
「その書は平安の折に書かれたもののようでして。ふふ、面白いんですよ? 平安、キョウの都で現れる怪異なる存在、"鬼"、陰陽の術師とともにそれを狩ることを生業とした職があったと」
「それは…… それは面白いですね。鬼狩り、ですか」
「ええ、鬼狩り。その書には鬼狩りが用いた道具、鬼と呼ばれる存在の習性、狩り方までが詳細に残されていました。誰でも読めるように工夫されていたのでしょうか、カタカナで残されてね」
「へー、あ、いえ失礼しました。して、その書から商品の着想を?」
「ええ、鬼の中には異様に鼻が効くものもいたみたいで。そのような鬼を狩るときには特殊な匂い消しのお香を懐に忍ばせていたようです。鬼と鬼狩り、怪物種と探索者。荒唐無稽かと思われると思いますが、わたしにはそれがとても似たようなモノだと感じたのです」
「温故知新、歴史への敬意があのような素晴らしい商品を生み出したのですね。すごく貴重なお話をありがとうございます」
割と味山は素でその話を面白いと感じていた。過去から現在まで残った記録が、今こうして役に立っている。
書、つまり本。知識を書き残したもの。
食べて、知って、自分の力になる味山の神秘の残り滓と、そのあり方が似ている。そんなふうに感じていた。
「味山さん、あなたは少し他の探索者の方と毛色が違うようですね」
雪代社長がぽつり、呟く。味山は考えを止め、まっすぐその声の主へ視線を固めた。
「今まで探索者の方と打ち合わせした時にはこんなお話はあまりしたことがありませんでした。ほとんどが実務的で、契約の条件の交渉がほとんどで。ふふ、探索者、という人種について考えを改めないといけませんね」
「あ、ああ、いや、関係ない話ばっかり、申し訳ございません、社長」
わざと。
わざと味山は殊勝なふりをして頭を下げる。
いよっしゃああ!! 好感触! 行ける! この流れのまま契約の話に入れる! 味山が表情を変えずに頭の中ではしゃぎ始めた。
「望外、といえば味山さんに失礼かとは存じますが、ええ、望外の楽しいお時間です。さて、ではそろそろ本題に入らさせて頂こうと思います。……実は味山さんに当社とのスポンサー契約をお願いしたいと考えておりますの」
キタァァァァァ!! 味山の脳内でブブゼラとシンバルが同時に鳴り響く。
「す、スポンサー契約ですか? というと?」
ブブゼラとシンバルの汚い音のパレードをおくびにも出さず味山がキョトンと首を傾げる。
「はい。契約内容はシンプル。味山さんに対して無期限、制限なしの当社製品の供給を社として行わせて頂ければと考えております。味山さんへの当社からの制限は一切なし、ただユキシロメディカルの商品を愛用していると公言頂くだけで結構です」
「そ、それだけ? え、そ、それは御社にとってどのようなメリットが?」
「あはは、さすが味山さん。なかなかに我々民間企業がどのようなものかをご存知なのですね。もちろん、我々の利益を見越してのことです。味山さん、当社にとっての目の上のたんこぶ、それがどこかご存知ですか?」
「目の上の、たんこぶ…… イモータル……」
ユキシロメディカルがたんこぶと表現するものを味山は1つしか思い浮かばない。
この前の夏にも何度もお世話になった所持許可指定メディカル。
死んでさえいなければ、その薬効により身体の賦活、血液の増量、傷の再生すら可能とする奇跡の薬品。
「ええ、おっしゃる通りです。この現代ダンジョンの時代において最も有名なダンジョンメディカル、不死者の名を冠する"イモータル"
合衆国の研究機関が開発したこの医薬品、我々はこれを超えたいのですよ」
「イモータルを、超える…… それは」
「ええ、味山さんが言いたいこともわかります。今すぐには無理です。あれははっきりと表現して、ええ、1つのインチキみたいなものです。人類がこのまま順調に発展を続けたとして、本来であればあと数百年は開発にかかったであろう一種のオーパーツ」
味山はその言葉に頷く。イモータルの凄さはいやというほど体験している。
希釈液を所持出来るのは上級探索者、原液ともなれば一部の指定探索者のみが所持を許される切り札のようなものだ。
奇妙な縁で味山は原液も希釈液も使用したことがある。アレフチームという特殊な環境に身を置いているが故のことだろう。
「今はアレを超えるのは無理でしょう。ですがそれは諦める理由にはならない。時が必要なのです。我が社があの神の領域に踏み込むにはもっと長い時が、そしてもっと大いなる発展が必要なのですよ、味山さん」
雪代社長の目、まっすぐと、しかし冷たい温度を保つその視線を味山は受け止める。
そして1つ納得を得た。
「……なるほど、だから、俺に。アレフチームのニホン人とスポンサー契約を結ぶということですか」
「理解が早い人間は得難い資産そのものですね、味山さん」
「……これから先おそらく多くの企業があなたの資産価値に気付くことになるでしょう。かの星の会見、あの時貴方は尋常ならざる価値を示した。星の備品の1つでなく、アレフチームの味山只人として認識されるのも時間の問題、最も合衆国を中心に貴方の情報は基本的には多くが隠されているとのことですが」
「情報が隠されている? でも、なら何で俺、いや私に話を?」
「貴崎凛、ですよ。味山さん。彼女とは家の付き合いで昔から知己の関係でして。旧交を温めていると、貴方の名前…… いえ、貴方のお話を沢山聞いたので。彼女が他人を語ることなど今までになかったものですから」
「貴崎……さんが私のことを?」
「ええ、あなたの話をする彼女ときたら…… いえ、これはわたしの口から言うことではございませんね。それでいかがでしょう、味山さん、スポンサー契約のお話、是非お受け頂ければ幸いなのですが」
きた。最後の詰めだ。
味山は頭の中を整理する。ここまで話を無事持ってこれたならあと重要な点は1つだけ。
この場での即決を控える、これに尽きる。
理由は簡単、アレフチームの存在だ。
「あ、は、はい、ほんとに良い話をありがとうございます。前向きに検討をさせていただければ」
「……この場でのお返事は頂けないと?」
雪代長音が、ぽつり、呟く。
温度が、下がった。はっきりと味山は露出している肌に、まるで冬の空気がまとわりつくような感覚を覚える。
「え、ええと、申し訳ございません。その一応わたしもアレフチームの一員でして、確かスポンサー契約とかそういう大きな決定は、上司であるアレタ・アシュフィールドに確認してみないと」
「………」
え、なんで沈黙? どこだ、どこを間違えた?
味山は突如豹変した雪代の態度に言葉を失う。
部屋の中に重たい沈黙が広がる。味山はその沈黙にずっと耐えた。
「….…人の愚かなところと、美しい所は表裏一体、わたしはこの仕事をしていて常々そう思うことがございます」
「は、はあ……」
「ルールを守る、他人の都合を慮る。なるほど、それは確かに良きことであり美しいことでしょう。しかし、それだけでは真に手に入れるべきものに手が届かない」
「あ、あはは。社長、何をおっしゃられて……」
「あなたの話ですよ、味山さん」
「っ……」
愛想笑いが凍りつく。なんだ、これ。目の前にいる華奢な女、それから感じる圧力がどんどん増している。
息苦しさ、それに似た不快感が喉をかゆくさせた。
「あなたには果たしてそんな余裕があるのでしょうか? いま、あなたを取り巻く環境は激変している。あなたを守っていたかの星の立場は弱くなり、アレフチームとしての形すらおぼろげになっているのでは?」
「……痛い所を、ご存知で」
だめだ、うまい言葉が見当たらない。なぜ社長は急にこんなこと言い出した?
味山は予想外の事態にうろたえる。言葉数は少なくなり、視線が泳ぐ。
「今、あなたに必要なのは意思ですよ、味山さん。確かに私はアレフチーム所属の味山只人に資産価値を感じています。しかし今回のお話で大事なのはあなたの意思です。大丈夫、本当の仲間ならあなたの利益になるスポンサー契約のお話を止めることなどあろうはずがありません」
諭すような声、冷たさだけだった言葉にわずかな温かみが現れた。
頭にぼんやりとした温もりが灯る。身体がポカポカしてくる。
「味山さん、わたしはあなたの味方です。自分に正直になって下さいな」
この人の言うことは、正しい。
確かにそうだ、チームの奴らにいちいち確認なんか取らなくても事後報告でも問題ない。
補佐探索者になる時の契約書にもそんなことは書いていなかった筈だ。
それに今、チームは実質休業中、いちいちそこまで義理立てる必要あるか?
味山の思考が楽な方に流されていく。
「あなたの欲しいものを言って下さい。わたしはそれを叶えるお手伝いがしたいのです。アレフチームのことは関係ありませんよね?」
良い毒は、それが毒とさえ気付くことは出来ない。雪代長音の操る毒、その生来の性質に味山只人という男はまんまと、引っかかった。
役者が違った。
若くして、社員数6000人を超える大企業の長となった女と、ほんの少し営業職をかじって小賢しい真似が出来る気になっていた凡人とでは、勝負にならなかった。
雪代長音が、長い脚を組み直す。黒いタイツに包まれたしなやかな女の肉が予想され、味山の心の暗い部分を刺激したーー
TIPS€ 警告、状態異常"隷属" "雪代の女"、"上位生物"、"魔性"による精神干渉を確認。対抗手段…… 精神値対抗…… 失敗。
「っ……?」
ずきり。頭が痛んだ。耳に届いたTIPSの内容は警告。
この女……。味山はこちらを見つめる美しい女を見つめる。ようやく、味山は気付いた。
攻撃だ。既に攻撃されている。
これは、
「味山さん、わたしにあなたの意思を見せてくださいな」
この言葉は攻撃だ。それは理解した、なのにどうしようもなく魅力を感じてしまう。この女が言っていることは全て正しいと思ってしまう。
TIPS€ 対抗手段、……精神対抗ロール、成功。
ふざけんな。また訳のわかんないことしてきやがって、どいつもこいつも腹に一物抱えた化け物ばかりだ。
味山は、ゆだり、馬鹿になりそうな脳みそを必死で抑える。
「……社長、大変申し訳ありませんが、この場での、即決は致しかねます……」
「……へえ」
絞り出すように紡いだ言葉、雪代社長がわずかに目を見開き小さく呟いた。
味山は考えるのをやめた。ヒントを聞く限りに目の前にいるこの人間は普通の人間じゃない。
いつも通りだ。怪物とかアシュフィールドとか貴崎とかと接する時と同じ。
小細工なしでぶつかるしか、ない。
腹の底に力を入れ、味山は前を向いた。
「社長、あなたの言葉には無理があります。自由意志と、自分勝手は似ているようで全然違う」
「へえ…… 続けてもらえますか? 味山さん」
「あなたの言葉は毒だ。耳触りの良い言葉を聞いてるとアンタが全部正しいなんて思ってきちまう。でも、俺はそんなもんに振り回されるのはごめんだ」
「……酷い言い方ですね。誰に何を言っているかご理解しておいでですか?」
それははっきりとした脅しの言葉だ。
雪代長音が身を乗り出し、小さな顔を両手の上に乗せて味山を見つめる。
より一層、部屋の温度が下がった。もう錯覚じゃない。寒い、本当に寒い。
会社員時代の味山ならここで諦めていただろう。他人と表立って対立することを避けて、全てをなあなあで済ます。
それが味山の処世術だった。
でも、今は少し違った。
味山只人は、
「分かってますよ。こっちにも通すべき義理と仲間への敬意がある。アンタの言葉はその全てにツバを吐けって俺に言ってるようなもんだ」
酔いで日々茹っていた味山の脳の構造は少しづつ変わっていた。例え酔いが覚めていたとしても、構造自体が変化する脳はもう元には戻らない。
「アンタの言葉には敬意がない。それはどんな立場だろうが決して忘れてはならないもののはずだ。あまり、探索者を舐めるなよ、企業屋」
味山只人は、探索者だった。
どんなに俗で、金と権力に弱くても、譲れないラインが存在した。
得難い仲間への敬意。
雪代長音はそれを越えたのだ。
「……ふ、ふふふ。勇敢ですね、味山さん」
「それはどうも。普段からこの世のものとは思えない化け物を殺して飯食ってるんで、少し頭がおかしいんですよ、我々は」
「我々、その中でもあなたは別格ですよ。こんな事を言われたのはそう多くありません」
雪代が笑う。嗤う。
口元を隠す扇子が揺れるたびに、温度が下がっていく。
やべえええええええ。調子に乗りすぎたぁあああ。あー、もうこれ絶対スポンサーとかどころじゃねえよ、逆にチームに迷惑かかるよ、ていうか貴崎の顔も潰したよ、はい、やらかしましたー! ごめんねー、貴崎!!
割とノリノリになってタンカを切ったことを内心でめちゃくちゃに後悔しながら味山は無表情で、雪代を見つめる。
冷たい瞳だ。綺麗な形をしている分、余計に恐ろしい。細いまつ毛に、アーモンド型の眼。
黒い瞳は、真冬の真夜中の湖のように暗い、その中にあるものを覗こうとすれば、一瞬で引きずり込まれてしまうような。
味山は、相手の反応を待つ。
ぱっと、扇子が閉じられる。あらわになった口元に浮かぶのは、小さな笑み。
雪代が動いた。
動い、動、
「え?」
あんぐり、味山の口がぽかりと、開いた。
驚いた、からだ。
「味山様、ご無礼を、大変申し訳ございませんでした」
土下座。
どげざ。
DOGEZA。
「DOGEっ……!? いや、ち、ちょっと、社長何を!!?」
「土下座、にございます。味山様、重ね重ねあなたを試すような不快な言動を続けたこと誠に申し訳ございません」
たたみのうえに、雪代長音の豊かな黒髪がばらりと広がる。
濡れた烏の羽のような艶やかさを持ったそれが床に無造作に広がるその光景は妙に、扇情的で。
「あ、わわわわ。しゃ、社長、こちらこそ、すみません! そんな、そんなことやめてくださいほんと! いやまじで!」
味山の小市民スイッチが入る。ソファから飛び降りて、雪代と同じぐらい地面に平伏しながら土下座を止めさせようとする。
「……土下座だけでは足りませんか。承知致しました、ではケジメ、として指の1つでも」
「何も承知出来てねえよ!! ほんと、最近人の話聞かねえ奴多すぎ!! あ、いや、すみません、あのほんとやめてください。こちらこそ生意気な口聞いて申し訳ございませんでした、土下座はもう結構ですので! ほんと、もうなんでもするから土下座だけは勘弁してください!」
ぴくり。
味山のまくし立てる言葉、そのどれかに雪代が瞬いだ。
「……いま、なんでもすると仰られましたよね?」
「へ、あ、いや、なんでもって言っても、その限度はーー」
「味山さんに対しての土下座だけでは足りないということですね!! 承知致しました!! こうなってはご紹介頂きました貴崎凛へのお詫びも兼ねて彼女の前でも土下座させて頂きます!!」
ぴーん!! と再び見事な土下座をかます雪代長音。美人にここまで土下座させていると何かヤバイ趣味に目覚めそうになる、味山はもう叫ぶしかなかった。
「なんでもです!! たいていの事だったらご意向に沿わせていただきまぁす!!」
「あら、さようでございますか。ありがとうございます。あは、さすがに友人に土下座をするのは、少し照れてしまうところでした」
けろりと立ち上がった雪代が、ソファに座り直す。
こ、この女、やばい。
味山は一気に疲れた。よろめきながら立ち上がり、対面のソファに座る。
もう、帰りたい。サウナ行って、焼き鳥とコーラで締めたい。
「味山さん、あなたはやはり得難い資産です。貴崎凛が評価するのに値する人物とお見受けしました」
「あ、はい。ありがとうございます……」
キリッと、表情を固めた雪代が再び話し始める。
なんだ、この人。なんか変だ。1人の人間の中に何人も別人がいるかのように振る舞いや雰囲気が変わっていく。
「つきましては味山さんとのスポンサー契約の折に契約金として1億をご用意させて頂ければと存じます。もちろん、チームの方との話し合いを経た上で条件交渉にも応じさせて頂きます」
「ああ、どうも、1億を………… はい?」
「あら、やはり1億では少なすぎましたか? アレタ・アシュフィールドがGAFA4社連合のスポンサー契約の契約金が3000万$とお聞きしておりましたので、やはり味山さんもそれと同じぐらいではないと……」
「え、いやいやいやいや、え? 1億? 1億って、なんですか?」
1億、1億、1億。
味山の中で聞き覚えのある言葉が飛び交う。
ケイヤクキン、イチオクエン?
くれるの? え、まじでもらえちゃうの?
「契約金でございます。条件面は後ほど正式に書面でお渡しいたしますが、今のところ他の企業との契約も許可させていただき、その上で弊社がスポンサーとして味山さんの探索者活動を支援させて頂ければ。この条件でよろしければ1億円を2営業日以内にはご指定の口座にお振込みさせて頂きます」
「……まじすか」
「マジです。先ほどは味山さんを試すような真似をしたのはやはり、私のこの決断には弊社6000人の社員、そしてその家族の命運がかかっている為にございます。義理もルールも守れない私利私欲にまみれた人間とはとても結べる契約ではありませんので」
ぞくり。
味山は背筋を通る冷たさに身体を震わせた。
最初からいままで手のひらの上だ。
もし、あの時雪代長音のプレッシャーに負けてチームへの相談なしに話を決めようとしていたらどうなっていたことか。
「ただ、だからといって味山さんを騙すような真似をした言い訳にはなりません。やはり、ここはもう一度土下座をーー」
「社長! ストップで! ほんとお願いします! まじで!」
そうですか? 雪代が何故か残念そうにソファから立ち上がるのを止める。
なんだこの土下座に対する熱い信頼は。
味山は目の前の女性からそこはかとない闇を感じつつ、頭の中で再びパレードが始まっていた。
イチオクエンだよ! イチオクエン!
つまり、それは国家予算にすら値する!!
手に入れたことのない大金の名前を聞いて味山は早くも頭が湧いてきていた。稼いでも手斧の修理や買い替え、薬品類や保険の支払いであまり貯金ができていない味山にとって、イチオクエンというのはなんか、もうすごいものだった。
「雪代社長、本当に良い話しをありがとうございます。早速持ち帰って上司であるアレタ・アシュフィールドや、ソフィ・M・クラークと相談させて頂きますので……」
ボロが出る前にこの場を去ろう。小市民特有の小狡さを発揮しつつ味山が発言する。
あとはあの2人、アレフチームのボス共を説得できれば……
味山がどうやって泣き落とすか考え始める、その時だった。
「ただ、最後に1つだけ、味山さんにお願いがあるのです」
「え? は、はい。お願いですか?」
「ええ、先程心強いお言葉を頂きました。なんでも、する、と」
「……えっと、それは、その」
「ああ、ご安心ください。何も法的に、そしてあなたのルールに反することをお願いするつもりなど毛頭もございません。簡単なこと、簡単なことなのですよ、味山さん」
「とおっしゃると?」
雲行きが怪しい。味山はまた様変わりした空気に若干うんざりしながら話しを聞く。
「テストです。1つ我々がご用意させて頂きましたテストをお受け頂きたい。先程の問答であなたの人格は信頼に値することがわかりました。あとはね、実力が知りたいのです。味山さん、探索者の方とのスポンサー契約で我々の最大のリスクは何かご存知ですか?」
「……探索者の死亡率の高さ、ですか?」
「やはりあなたは良い。会話をしていて、ストレスが少ない方というのは得難いものです。ええ、普通のスポーツ選手や芸能人、アーティストとの最大の差はそこです。多額の契約金を払って契約を結んだはいいが、翌日にはその探索者は帰らぬ人に。現代ではよくある話ですよ。しかし、わたしの仕事はそれをよくある話で済ますことは許されない」
「……」
「確信が欲しいのですよ、この人には我が社の社員が文字通り人生の時間を消費して生み出した利潤を投資しても、安心できるかどうかの確信が。探索者への安心、それはつまり実力です。本当に強いのか、本当に死なないのか、本当に帰ってこれるのか? その確信が欲しい」
「どこかへ探索へ行けということですか?」
「それが出来たら良いのですが、黎明期に同じような事例が多発し、背伸びした探索者が実力以上の怪物種に挑んで多く死にましたからね。今は組合と企業の取り決めでそれは禁止されているのですよ。貴方がた探索者は現代における貴重な資源なのですから」
この顔だ。
酷薄な経営者としての顔、探索者を資源と言い切るその合理。
雪代長音という人物の真の顔が一瞬垣間見えた、そんな気がした。
「だがそんなリスク、死亡によるロストというリスクを孕んでもあなた達の存在は惜しい。現代の誰しもがあなた達探索者の一挙一動に興味を持っている。企業にとっては旨味が多すぎるのです、あなた達は」
「……社長のご意向はわかりました。テスト、受けさせて頂きます」
「おや、内容をお聞きにならないので?」
「ここまで話が進んでテストの内容次第でイモひくのは慎重じゃなくて臆病ですよ。それに、なんでもするって言ってしまいましたから」
味山の言葉、雪代が何かに打たれたようにはっと、目を見開いた。
そして俯き、小さく笑う。ばらりと落ちた黒髪がその表情を隠す。
「……ふふ。似てないと思えば、なるほど、少し、あの人にも似てるかもしれませんね」
「社長?」
「いえ、失礼しました。ではもう善は急げということで始めてしまいましょうか」
「え、今から、ここで?」
「はい、正確に言えばこの旅館、その地下室にある"貴崎家バベル島鍛錬場"で、です」
「たん、れんしょ?」
「はい、すでに凛の準備は終わっております。あとは味山さんの準備が終わればテストの用意は完了です」
「え、貴崎? なんで、そこで貴崎の名前が?」
味山は馴染みのある名前がここで唐突に出てきたことに反応する。
鍛えられた嫌な予感センサーがビンビンになってきた。
「はい! テストの内容はシンプル! 上級探索者、貴崎凛との時間無制限の合成竹刀による死合い…… 模擬戦闘試合でございます」
「はい?」
酷く頭の悪い台詞が聞こえた。
まさかこの現代に御前試合の真似事なんて、そんな。
「ふふ、探索者同士のプライドを賭けた模擬戦、私、楽しみです! 実力を図るにはやはり戦いを見るのが1番ですものね!」
気のせいじゃなかった。戦国だった。
雪代長音の弾けそうな無邪気な笑顔が、和室にキラキラと広がっていた。
ご覧頂きありがとうございます!
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