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72話 キサキ・イン・バトルwithユキシロ

 


 ピコン。



「んあ……」



 その日味山只人の目覚めは、端末の着信音から始まった。



 部屋の丸テーブルには積み重なった公文書館の本が広がる。あれから一晩、夜通し本を読んでしまった。




「……あー。眠い、もう朝か……」




 味山は小さな窓から差し込んでくる朝日をぼうっと見つめる。



「端末……」



 寝ぼけた頭で着信音のもと、スマホ型の探索者端末を拾い上げる、時刻は10時25分。会社員時代ならアウトな時間でも探索者なら恐れることはない。




 メールリストを開き、新規メッセージを確認する。寝ぼけ眼でそれを眺めた瞬間、




「お?」





 差し出し人

 貴崎 凛


 ・タイトル お仕事の依頼について



 朝早くにごめんなさい、味山さん。お元気ですか? いきなりで申し訳ないですが味山さんに是非ご紹介したい方がいます。

 私の友人で、会社を経営している方が是非味山さんとお会いしたいと仰っておりまして。

 急なお知らせで大変不躾であるとは存じますが、今週どこかお時間頂けるタイミングございませんか? 今日からでも大丈夫です。お返事お待ちしています。




「……どこの会社の誰さんだよ、貴崎の奴、こういうところ結構強引なんだよなあ。話の内容もよくわかんねえし、……寝るか」





 味山はメールに気づかなかったふりをする作戦を決め、再びベッドに寝転がりーー




 ピコン。




「……チッ」




 端末を、拾う。仰向けになりながらぼーっと、メールの文章を追って。





 タイトル 追伸




 ちなみに紹介したい方のお名前は雪代 長音。医薬品メーカー、ユキシロメディカルの社長さんです。なんでも、スポンサー契約をしてくれる探索者を探してるみたいで…… 誠に勝手ながら私が味山さんの話をしたら、興味を持たれたみたいです。お忙しい中ごめんなさい。




「行きまぁす!!」




 味山の今日一日の予定が、早くも決まった。






 ……

 …




「彼は来ると思う? 凛」



麗かな日差しの差す和室には、ほのかに畳の柔らかい匂いが満ちている。



「きっと、来ますよ。社長。あの人、割とお金とか権力とかに弱いから」



浴衣姿の貴崎凛が、問いかけに応える。


「社長はやめてよ。普段通り、長音でいいよ。でも意外。凛、そういう俗な男がタイプなのね」




黒い長髪、豊かな胸元を抑えるレディーススーツに身を包んだ美人がソファに腰掛けながら貴崎に向けて砕けた口調でつぶやく。




「俗…… 確かにそうかも知れませんね。でもね、長音さん。面白いんですよ。見てて面白いんです。俗だけど、なんて言うんだろ、たまに超越的っていうか。お金とか権力とかを凄く重要視しているのに、奥底の方ではそんなものまったく関係ないところにいる、そんな人なんです」




敬語を崩さない貴崎が、とある人間を想いながら言葉を紡ぐ。



スーツ姿の美人が目を細めながらその様を眺めて


「ふうん…… 凛、男の趣味悪いわね」



「……長音さんに言われたくありません。あのサラリーマンの人、結局まだモノに出来てないんでしょ? 継音に聞いたけど、自分の秘書に引き抜こうとして断られたって聞きましたよ」




トゲのある言葉をそのまま貴崎が叩きつける。部屋の温度がわずかに下がる。




「……継音にはおしおきがいるみたいね。おのれ、海原さんめ。可愛い妹分に痛いところ突かれちゃったじゃない」




黒スーツの美人がモゴモゴと口の中だけでつぶやく。ソファから身を乗り出して自分の髪を撫でるその仕草、それだけで絵になる。



「へえ、海原って言うんですね。雪代長音に言い寄られて断ることが出来る男の人なんているんだ。……どれだけモテても、意中の人を落とせないんですね」




「あはは、凛。怒ってるの? 噛みつかないで頂戴な。……踏み潰したくなるから」




「ごめんなさい、長音さん。怒らないでくださいよ、綺麗な顔が、台無しですよ」




互いに口調は穏やか。それでも何か重たいものが静かな和室に満ちていく。

 



黒スーツの美人がその怜悧な目を貴崎へと向ける。普通の人間ならばむけられただけで竦んでしまうような目つき。



貴崎はそれを流し目で受け止める。



沈黙が、しんしんと満ちていく。








「ふう、あなたは怯えないからつまらないわ。……でも、凛。あなたが私に、いいえ他人にお願いするなんてほんとに珍しいわね。連絡来た時はびっくりしたわ」




ため息とともにそれを破ったのは黒髪の女だった。


「……長音さんのことは頼りにしてますから。本当にありがとうございます、私の個人的なわがままを聞いてくれて」



素直に貴崎が頭を下げる。それに気をよくしたらしい黒スーツの美人がにこり、と笑った。


「ううん、ちょうど組合との打ち合わせもあったし、可愛い妹分の顔も久しぶりに見たかったから。問題ないわ。最近、継音も、唯もあまり甘えてくれないから、寂しくて」




目線を落とし、少し沈んだ美人が呟いた。



貴崎は言うか言わまいか、ほんの数秒悩んだ後に続けた。


「唯ちゃんの方は知りませんけど、継音は過保護すぎてうんざりしてるみたいですよ?」




びくり。



長い艶やかな黒髪が跳ねる。美人が整った目を大きく見開き叫んだ。



「えっ!? うそ! 継音がそんなことを?! ……少し、接し方考えてみようかしら」



「大丈夫ですよ、なんだかんだ、あの2人は長音さんのことが好きですから」




「そっ、そうよね? み、みんなお姉ちゃんのこと嫌いじゃないよね? さ、最近仕事が忙しくてあまり構ってあげてないけど大丈夫かな……  り、凛! やっぱり私今から本土に帰るわ! 継音! 唯! お姉ちゃん、これから帰るから!」




先程までのプレッシャーを放っていた雰囲気は消え失せる。バタバタとスーツの美人が動きはじめて、




「待て待て待て! シスコン姉さん待って下さい! 大丈夫ですから! むしろ継音からしばらくバベル島に引き止めておいてって言われてますから!」




「え、ええっ、それ、それって、お姉ちゃんと会いたくないってこと? つ、継音に、き、嫌われた……?」




 よよよと、美人がその場に崩れ落ちる。スーツ姿の凛とした美人に似合わないその所作に貴崎がため息をついた。




「違いますよ、継音は最近長音さんが仕事づめだから少し休んでほしいって言っていました。きちんと想われてますよ、長音さんは」



「ほ、ほんと? ほんとに? 良かったああ…… 」




鉄面皮のように張り付いていた整った目鼻がによによと情緒豊かに動く。



あの冷酷な雰囲気とこの柔和な顔、そのどちらもが本物であり、偽者であることを貴崎は知っていた。




「いちいち可愛いなこの人。……それに、私だって久しぶりに長音さんと会えたんですから。……そんなすぐに帰られたがると少し、傷つきます」




「り、凛……! もう! 何よ、勝手に探索者になって変わったかと思えば! ほら、お姉ちゃんの胸に飛び込んできなさい!」




「いえ、それはいいです」




 凛のにべもない態度に、美人が人目も憚らずおいおいと嘘泣きを始める。



 愉快な人だ。意中の海原某とやらにもこの姿を見せればきっと色々変わるだろうに。




 貴崎は決して認めないが、姉のように慕っている友人を眺めながらふかふかのソファに座り込んだ。




 ピコン。



 端末から鳴る音に、貴崎が身体を跳ねさせる。




「……あ」




 端末の画面に表示されるその名前を見ると、胸が高鳴る。



 メッセージを確認するだけのなんのこともない行為のはずなのに、その人からのものだと分かると、何かが違う。





 差し出し人 味山只人



 タイトル・行きまぁす!



 おはようございます! 行きまぁす! 今日とかでもオッケーです! どこに向かえばよろしいでしょうか?




「ふふ、現金なんだから」




 なんのことはないメッセージ、なのにどうしてこんなに頰が綻んでしまうんだろうか。貴崎はそのことには気づかない。




「……凛、あなたそんな顔もするのね」



「ひあ! あ、復活したんですね、長音さん」




「人を死人みたいに…… まあいいわ。味山只人さんは来るみたいね。……なら、予定通り始めていいわね」



深くソファに座り直した美人が髪をかきあげる。


「ええ、ごめんなさい。長音さんの力を借ります。あの人はこういうやり方じゃないと動いてはくれませんから」





貴崎は気付いていなかった。言葉の最後の辺り、自分のくちびるがどうしようもなく吊り上がっていたのを。




「あは、素敵ね、凛。悪い顔してるわ。キサキの名前に恥じない業の深い顔よ」




その様子をじっと眺めていた美人がそれを指摘する。




「長音さんに悪い顔って言われたら終わりですね。でも、あなたも同じ顔ですよ。人を試さずにはいられない悪い、悪い超越者の顔」




「お互い様ね、私もあなたも因果な家に生まれたものだわ」



長いため息、その感覚を共有出来る人間はきっと少ない。そのことを2人ともよく知っていた。



「言っても仕方ありませんよ。私たちはそれでも恵まれているんですから」




「そうね、ふふ、少し楽しみだわ。あの貴崎凛が興味を持つ人間。どんな人なんだろ」




「……気に入ってもあげませんからね」




「あら、可愛い。心配しなくてもいいわよ、凛」




 雪代がお茶碗に白湯を注ぎ、ゆっくりとそれを煽る。



 貴崎ですら見惚れるその所作、それは美しいものだった。





「雪代の女は、先祖代々一途の血だから」





 雪代がむふー、とドヤ顔で貴崎に言い放つ。



 貴崎は眉間をゆっくり揉みながら、何事も限度があるんだよなあ、と自分のことを棚上げしながらぼんやり考えていた。







 ……

 …



「お待ちしておりました。味山只人様。奥座敷でお嬢様方がお待ちです」




味山は速攻で朝の出発の準備を終え、スラックスとシャツにネクタイを揃え、革靴でニホン街を猛ダッシュし、すでに目的地に到着していた。




そこは見覚えがある場所、貴崎凛と出掛けた際に最後に立ち寄った貴崎家の経営する温泉旅館だ。





「あ、東條さん、お久しぶりです。ありがとうございます」



日本庭園のような敷地内を進み、旅館の入り口につくと見知った人間が深々と頭を下げていた。


見覚えのある、上品な着物を着た女性をみて味山を声を上げる。



あの大仰な会見の時に出会った貴崎家の使用人、東條が出迎えてくれていた。




「いえいえ、こちらこそ。ごめんなさい、またお嬢様がご無理申し上げたのでしょう? あの子はその、頭は良いのですがどうもわがままに育ってしまいまして……」



「貴崎が、いえ、貴崎さんが子どもの頃から?」



「はい、私もこれで貴崎のお家で働き始めてそろそろ20年になるところです。あの子の納も変えたりしておりました。当時は私もまだまだ新米で、時には失敗して酷い目にあったこともございます、どうぞ、こちらへ。ご案内致します」




東條に案内されるまま、味山は旅館内を進む。



温かみのある木造の廊下を進む。




「はは、新米の東條さんはあまり想像つきませんね。どうもです、普段バベル島では東條さんはこちらにお住まいなんですか?」




「ええ、わたしだけでなく貴崎の家に仕える者はそのほとんどがこの旅館の従業員という形を取っております。坂田などの門下扱いは別なのですが」




「あ、ああ、そうですか。そりゃ、良かった」




「味山様には本当にうちの家に関わるものがいつもご迷惑を。でもありがとうございます。やはりお嬢様は相当にあなた様を気に入っておいでのようで。味山様にとってはそれが吉であるかどうかはわかりかねますが」



靴下越しに感じる木の感触、たまに味山が一歩進めると、ギィと、木が軋む。



不思議なことに東條の足音は全く聞こえない。




「はは、意地悪ですね、東條さん。探索者にとって横のつながりは大事でして。あまり人付き合い得意な方じゃないんで、こうして声かけていただけるのはありがたいものですよ」




「あら、なるほど。お嬢様の周りにはあなたのような大人がいなかったものです。対等に彼女をみて、なおかつ怯えず、恐れず、みくびらず。普通に接していただきありがとうございます」




「そんなことないです。それに対等といえば東條さんもそうじゃないですか。少なくとも俺は貴崎は貴方のことがすきだと思えます。あいつが、他人の言うことをあんな素直に聞いてるのみたのは始めてだ」




渡り廊下、見事な枯山水の景色の中を2人が進む。



なるほど、バベル島でも有名なら観光地の一つに数えられるだけはある。



「ああ、あの会見の時の…… いえいえ、お恥ずかしいところを。お嬢様の両親はあまり、子どもを褒めることはできても叱ることが苦手なようでございまして。いつしかあの子を叱るのはわたしだけになっておりました。」




「子どもにとって、いや人間にとってきちんと叱ってくれる存在ってのは大きいですよ。貴崎にとっては東條さんはほんとに大きい存在だと」




「過分なお言葉です、味山様。……いつしか笑わなくなっていたあの子も、ここ最近は楽しそうで。きっと、貴方のおかげなのでしょうね」




「いえいえ、そんなことないでしょう。理由があるとしたらきちんと東條さんみたいに叱ってくれる存在がいて、貴崎が真っ直ぐ育っていただけですよ。笑わなくなるとかどうとかは、ほら、思春期なら結構あるじゃないですか」



東條が味山の言葉に静かに笑った。苦労を重ねて、年齢をきちんと経た人間特有の温かな表情。



振り返った東條が、味山に微笑む。





「味山様、ありがとうございます。お嬢様が気に入った男性が貴方で良かった。おっと、こちらですね。中は和室になっております、お嬢様、東條にございます。味山只人様をお連れ致しました」



そこが到着点だった。



廊下を渡り、庭園の奥にある離れの部屋。フスマの向こうから声が帰ってきた。




「ありがとう、東條さん。どうぞ」




貴崎の声ではなかった。味山は首を傾げるも、東條の手はすでにフスマにかかっており。




「味山様、ごゆっくり」




 開けられたフスマ、味山は頭を下げながら部屋に入る。



背中にかけられた東條の言葉、部屋に一歩踏み入っだ途端、音もなくフスマが閉じられた。






「ようこそ、味山只人さん。お初にお目にかかりますね」




 和室。



 上品な黄土色のソファに長机、丸机だけの簡素ない部屋。手入れが行き届いているのだろう、わずかに畳の匂いが部屋を包む。




 奥の開けっ放しになっているガラス張りの壁からは中庭の枯山水や池がちらほらと目に届く。




「どうぞ、楽にして、座って下さいな」




部屋の奥、その景色に溶け込むようにソファに腰掛ける人物に気付く。




わずかに息を飲む。その人物の顔立ちがあまりにも整っていたから。






「っ。……あ、どうも。あれ、えーと、貴崎、さんは?」




見知った顔がいることだと思い込んでいた味山はキョロキョロと部屋を見回す。無論、そんなことをしても探し人はどこにもいない。



「彼女は少し準備をしております。あら、これはご無礼を。名乗りもせずに話しかけてしまい申し訳ございません」



「あ、いえいえ、えっと、あなたは……」




 くすり。



 鈴が、そよ風に揺られたような。そんな声だった。



 貴崎凛にたまに見られる妙な美しさ、それがより大きく、洗練されたような。



 そんな美人だった。







「雪代長音。株式会社ユキシロメディカルで代表取締役をしております。お会い出来て光栄です、味山只人さん」




 スーツ姿のどえらい美人が、にこりと笑いかけてきた。





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