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56話 バベル・イン・アクターⅤ

 






「………」



 1つ空席を隔てて隣、クラークが音もなくため息をついたことに味山は気付いた。




 割れんばかりの歓声、人がこんな音を出せるものかとおののくレベルの大音響。




 時代に輝く星が魅せた奇跡と、そのあまりにも献身的な言葉に誰もが万雷の賞賛で応える。



 全世界同時配信、世界中の多くの人々がネットを介して今の姿を見ているのだろう。その誰もがアレタに未来を見出すのだ。








「気持ち悪」



 味山が呟いた言葉は身体の芯からの本音。



 何様のつもりだと聞きたくなるアレタのスピーチも、それを歓声を持って受け入れる人々も全て気味が悪かった。



 出来の悪い芝居を見ているような心地の悪さ。



 それでも味山はここで眺めてることしか出来ない。何故なら彼は凡人だ。この場に意見する権力も、資格もない。



 なににも選ばれず、与えられていない。この場にそぐわない己の身、味山はそれを無意識に受け止めていた。




 会見は滞りなく進んでいく。瞬くカメラフラッシュの隙間を縫うように質疑応答が始まる。




「アレタ・アシュフィールド氏が活動を休止することについて合衆国はどのようにお考えなのでしょうか?」



 マイクで拡声された記者の質問、アレタの隣に立つ大統領が小さく挙手し、答える。



「偉大なる決断だと感じています。己に起きた進歩を我が国だけでなく世界へ還元するべく一歩退くその姿勢を、我々は誇りに感じています」



「今回の判断はアシュフィールド氏の希望を汲んでのものなのでしょうか?」




 記者の質問に、アレタがマイクを使う。



「はい、あたしの意思を合衆国、そして探索者組合が受け入れてくれた形です。仲間たちに伝えるのが遅くなって、少し叱られたことだけが、失敗かな?」




 おどけたアレタの言葉に、会場が爽やかな笑いに包まれた。



 穏やかに進む記者会見。大統領、アレタ、両者がすらすらと、時にジョークを交えつつ記者たちの質問に答えていく。



 和やかさすら感じる空気、そこである1人の男が挙手をした。




「そこのニホン人の方、どうぞ」



 大統領がにこやかに手を刺し、ニホン人の記者を当てた。




「ニホン、チュウゴク新聞の上野です。質問の許可ありがとうございます。先程、アシュフィールド氏が見せてくださった現象、あれについての詳しい説明はして頂けるのでしょうか?」




「もちろんです。この記者会見後、正式に合衆国と組合より発表があります。バベルの大穴、現代ダンジョンの発表と同規模の新たなる世界を知らせるものとなるでしょう」



 会場がどよめく。



 アレタ・アシュフィールドが見せた超科学現象の詳細を合衆国が正式に発表することを認めたことに誰もが驚きを隠せない。




「ありがとうございます、大統領。もう一つ質問よろしいでしょうか?」



 どことなくくたびれた様子のニホン人記者、よく見るとスーツはよれて目にはクマが浮かんでいる。



 それでもその半開きの目は大統領を捉えて放さない。




「もちろんです。どうぞ、続けて」



 にこやかに、余裕を持って大統領が応える。




「ありがとうございます。……巷ではこんな噂が流れています。曰く、バベルの大穴で日々行われるダンジョンからの取得物の収集、これらは実は国家による代理戦争の意味を持つ、と」




 記者の言葉に、それまで和気藹々としていた会場の温度が1度ほど下がった。




「組合によって公式に発表されている、超自然現象を引き起こす特別な取得物、"遺物"。これらの収集はいずれ来る世界大戦の前哨戦だという噂です。今回のアシュフィールド氏が発表し、合衆国と組合が正式に認める力は世界を混乱させるものになるのではないかと個人的に危惧しておりますが、大統領の考えをお聞かせ願いたいです」




 淡々と告げられる言葉に、会場が一瞬シン、と静まりかえりーー






「星に失礼だ!!」




「なんてことを言うんだ!!」



「星の献身を侮辱するのか!」





 怒号。


 アレタを賞賛していた人々が眉を吊り上げ、唇を引きつらせながら叫ぶ。



 バベルの大穴が、その罵声を共通の言葉に変換していく。1つの意見に対し、過剰なほどの反応。



 静かに、しかし、確実に彼らは星に酔っている。



 他の記者団より浴びせられる罵声をニホン人の記者は無視し、ただ大統領をまっすぐ見つめる。



 そして、にこりと笑う。




「ミスターウエノ。貴方はどうやらゴシップ誌を読みすぎたようだね。だが、勇気ある質問に敬意を表して、その問いに答えます。確かに貴方の言う通り、我らが星の力は人類に備わっていない特別なものです。特別とは得てして争いの種になるものだ。それは歴史が証明している」




 大統領が手ぶりを交えながら静かに応える。騒いでいた他の記者はその言葉に押し黙る。



「だがそれはあり得ない。何故なら合衆国は、そして我らが52番目の星はその"特別"を秘匿しないからだ。この場で、この世界が注目する場にて、その特別を諸君に見せたのがその最大の証拠だ」



 静かな口調、静かな口調なのにその言葉の一つ一つは罵声などと比べものにならないほど、耳に染み込む。



 耳を通して、脳を揺らされるような言葉。



 その言葉を大統領は操る。




「星は言った。これは人類の進歩なのだと。星は言った、これは人類の可能性なのだと。そこに人種も、国境も関係ない。我々は敵ではないのです。星の進歩は皆に対等に、進歩をもたらす。我々は隠さない、我々は独占しない、そこにあるのは戦いではなく、人類の善き進歩、そして幸福しか存在しないのです」



 大統領の言葉はその記者だけに向けられたものでなかった。




 会場に備えられたテレビカメラ、インターネットへの生中継用カメラ、媒体を通じ、全世界へとその言葉を届ける。



「今、この場にあるのは自らの利益だけを求める卑しい心ではない。他者のために捧げる利他の心、それこそ人類の善性、その輝きしかないのです」




 大統領の言葉、惜しみない拍手が降り注ぎ会場を埋め尽くす。



 ニホン人記者は、しばらく立っていたが小さく頭を下げて席に着く。




 いや、答えになってねえだろ。味山は大統領の言葉を聞くたびに冷めていく。



 大仰な言葉と、それらしい理屈を並べて誤魔化しているだけだ。ただ、アレタの奇跡を目の当たりにして浮かれている連中にはそれで充分らしい。



 ニホン人記者の挙手はそれ以降無視され、当てられることはなかった。



 質疑応答が続く。



「アレタ・アシュフィールド氏が休止することにより、バベルの大穴の探索、及び解明は著しく遅れることになります。その辺りの補填はお考えでしょうか?」




 白人の記者が言葉を選びながら質問、アレタが問いに応える。




「いいえ、それはあり得ません。あたし1人が休んだところで、もうダンジョンの探索が遅れることはないです」



「と、おっしゃいますと?」




「あたしの他にも素晴らしい探索者は数多く存在します。ルイズ・ヴェーバー、スカイ・ルーン、アナスタシア・ホーレン。数えきれないほどの綺羅星のような探索者は他にもたくさん」



 会場が黙ってアレタの言葉に耳を傾ける。




「そして、彼らがいる。今、この舞台であたしの背中を見守ってくれている、あたしの仲間。アレフチームが残っています。指定探索者、ソフィ・M・クラーク、バベルの大穴の名付け親でもある彼女を知らない人は少ないでしょう?」



 アレタが語るのは己の仲間、その口振りはどこか誇らしく。




「グレン・ウォーカー上級探索者。ソフィのボディガードにして、確かな実力と成果を誇る人物。知ってる? 彼、怪物種と殴り合いが出来る人なのよ」



 思い出を言葉に。



 形の良い瞳が閉じられ、少しの間を置いて再び、蒼色の瞳がまっすぐ会場を見た。





「そして、あたしの補佐探索者。味山只人。彼のことを誤解している人が多いみたい。でも安心して。彼はあたしが選んだ探索者よ」




 アレタの言葉に会場が少し、騒ぐ。




 大統領がわずかにみじろぎをした。




「良い機会だから、みんなに教えてあげる。彼は、ここにいる誰よりも才能には恵まれていない。何かに選ばれる運命も、為すべき宿命も、何もない。何も与えられず、何にも選ばれなかった男よ」




 アレタの言葉に少し会場が笑う。星のジョークだと解釈したのだろう。



 そして次の言葉を聞いて皆が押し黙った。




「でも、彼は強いわ。多分、ここにいるどの人間よりも、どの探索者よりも彼は強い。ええ、味山只人はあたしの知るどの探索者よりも強い探索者よ」




 ざわつく会場、アレタの言葉の意味をどのように受け止めるべきか迷っている。




「アレタ、その辺で……」



 大統領が静かにアレタを諭すように呟く。その言葉にアレタは首を振り、言葉を続けた。





「"耳"という怪物種を知っているかしら。知らないなら後で調べて頂戴。出現からたった1ヶ月で多くの探索者、そして指定探索者すら手にかけている本物の化け物よ。あたしの知る中で、あれより恐ろしく、そして化け物らしい化け物はいないわ」




 耳を知る者はその言葉に息を飲む。




「でも安心して。"耳"は必ず狩られるわ。ここにいる味山只人の手によってね。あたしがいなくてもーー」



 その目は、きっと誰もが感じて、そして誰も認めないものだろう。








「彼はきっと殺すわ。あの恐ろしい化け物を」



 多くの人が星に向ける眼差しで、星が凡人のことを語っていたなんて。



 アレタは言葉を締める。歓声はなく、沈黙が会場を満たした。



 記者が礼を言いつつ席に座る。記者団の中で、一斉にパッド端末を触る動きが見られた。



 星の話に出てきたニホン人の情報を今更に調べようとしているのだろう。




 誰もがすぐには動かない、その中で最も初めに動き出したのはこの男だった。




「す、素晴らしい話でした。星が仲間を思うその心に敬意を表したいと思います。彼女の言葉の通り、組合には数々の素晴らしい探索者が多数存在します。今後も探索者は素晴らしい成果をこの世界へ持ち帰り続けることでしょう」



 持ち直すように、口直しがごとく大統領が言葉を締める。




「さて、そろそろ時間のようです。予定されていた記者会見の日程を完了しました。後ほど、米国と探索者組合による発表もございますので、どうかご来賓の皆様におかれましては、引き続きご臨席賜りますようお願い致します」




 味山は大統領とアレタの並ぶ姿を見つめる。これで妙な会見も終わりか。



 息を吐いたその時、なにかの違和感を覚えた。




 粘着質な何かに触れられたような感覚ーー







「し、か、し。ここで1つ、皆様へアレフチームからの贈り物がございます。どうかお時間をいただければ」



 その言葉が聞こえた。



 アレフチームから?



 味山はソフィを見る。ソフィも味山を見て首を傾げていた。




「大統領、何をーー」



 アレタまでもが初めて聞いたような反応。



 その全てを無視して、世界最大の国、その国の指導者が大きく手を振り上げ、言葉を向けた。



「本日最大のイベント。アレタ・アシュフィールドが誇る我々の希望、アレフチームによるデモンストレーションへと移りましょう!!」



 わあああああ!! ワァアアア!



 歓声、万雷の拍手。



 身なりの整った人間がみな目を輝かせ、若い指導者の声に色めき立つ。



 両手を広げ、その歓声をどこかうっとりとした様子で受け止める大統領。



 へー、デモンストレーション。誰がやるんだ?


 味山は隣に控えているグレン、そしてソフィへと目線を向ける。



「……?」


「……何も聞いていないぞ、ワタシは」



 キョトンと脳みその少ない鳩のような顔をしたグレンと、赤い目を細めて呟くソフィ。



 どうやらこの2人ではないらしい。じゃあアシュフィールドか。



 味山は歓声響く会場正面へと視線を戻す。




「ちょ、ちょっと、大統領? それなんの話かしら? デモンストレーション…… そんな話聞いてないけれども」



 大統領の傍らで珍しくアレタが狼狽した様子を見せる。



 アシュフィールドを無視して、その男。世界最強の国家を司る合衆国大統領は語る。



「本日ご来賓の皆々様にお見せするのは!! 極東の神秘の島国、そしてダンジョン始まりの国であり、我が合衆国の隣人たる、ニホン!!」





 大統領の言葉、所作、その1つ1つが全て大衆の心を掴む。



 目も眩む閃光のごときカメラフラッシュ、会場に所狭しと詰められた人々は今にも立ち上がりそうだ。



「そう!! アレフチーム唯一の東洋人!! あの我らが星に選ばれた最後のサムライ!! 52番目の星の補佐! タダヒト・アジヤマによるサムライショーだ!!」





「はい?」



 ばつん! ばつん!


 目が眩む。スポットライトの全てが味山に向けられる。その光量はまるで攻撃かの如く。



 大統領が振り返り、味山を見た。



 粘着質な感覚が、ぞわり。その強さを増した。


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