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54話 バベル・イン・アクターⅢ

 


 最高級の調度品に囲まれた部屋、探索者組合において国賓級のVIPを迎えるために作られたその部屋には柔らかなアロマの匂いに満ちていた。




 その男は椅子に座り、机に肘をついて指を組む。



 子供の頃からの癖は、大人になり、そして世界最大級の権力を握った今も変わっていない。




「大統領、よろしかったのですか? アレフチームにあの東洋人が在籍していることをそのまま流して」



 男へ声を向ける人物。柔らかな金髪に白い肌。ボディガードの集団のなかで1番華奢な男が1人、大統領へ声を向ける。




「ああ、ラズウェル。ちょうどよかった、キミの意見が聞きたい。単刀直入に聞こう。アレをどう思った?」



 大統領は自らの秘書、そして腕の立つ護衛に向かい声を向ける。その護衛以外は今部屋にはいない。この空間には2人しか存在しなかった。



「安心しろ。監視カメラ、盗聴器の類いは全て処分している。この会話が漏れることはない」


「……感想のみでよろしいなら」



「構わんさ」


 音もなく、大統領が机に置かれたコーヒーカップへ手を伸ばした。



「……我々の読み通り、一山いくらの凡人でしょう。立ち振る舞い、身のこなしから特別腕が立つわけでもありません。大統領相手に受け答えをはっきり行っていたぶん、社会人としての分別はあるようですが、とてもアレフチームに在籍する資格がある人間とは……」



「キミもそう思うか、私も同意見だ。知性も外見もそして調査させた経歴も何一つ基準に満ちたものはない。アレは間違いなく我々が操作する民衆側の人間だ」



「それならば、あの場でアレフチームからの除隊を進言すれば良かったのでは? ちょうど良い機会でしょう」



「ラズウェル、キミは優秀だが人間の心の計算が下手過ぎるな。……アレタ・アシュフィールドの貌を見ていたか?」



「は、貌ですか?」



 大統領が深く椅子に座り直し、ため息を吐くようにぼやいた。



「……すくなくとも私は彼女のあのような貌を見たのは初めてだ。象徴として、個人の感情など存在しない女だと思っていたが…… 執着、愛玩、どうやら星はずいぶんとあの凡人を気に入っているらしい。理由は見当もつかないがね」



 つまらなさそうに大統領が呟く。その目には彼自身がアレタ・アシュフィールドに宿っていたと評したモノと同じものが灯る。



「つまり、星への配慮ということでよろしいでしょうか、合衆国への移送も行わずにバベル島に研究施設とチームを遣すことも含めて」



「その通りだ。深度Ⅲ、あのカビくさい連中、委員会の提言する"L計画"に今、合衆国は王手をかけている。星の協力なくして計画の進行はない。残念だがあの小娘の意思や機嫌は、非常に重い」




「L計画…… かのラドン・M・クラークの遺産…… いえ、課題と言うべきでしょうか」



 秘書の言葉に大統領が眉間に手をやる。ラドンという名前を聞いた途端にだ。




「アレが消えた事で私の寿命はすくなくとも10年伸びたが、人類の進歩はおそらく100年は遅れた。厄介な男だ。いても手に余るが、いなくなられてもダメージになるんだからね」



「天才と天災を掛け合わせて無理やり人間の形に押し留めたような人でしたからね。最期まで、あの人は自由でした」



 そう呟く秘書の声には親しみがにじむ。



「確かキミはラドン・M・クラークの監視チームに在籍していたんだったね。なるほど、キミに郷愁を抱かせる程度には面白い男だったようだ」




「ええ、仰るとおりです。それにしてもL計画の中で、1番現実的だったアプローチが実を結んだのは、なんとも。あの男の計画らしくないというか」



「ははは、面白い表現だ。現実的なアプローチね。ダンジョン、この世界にとっての異分子は我々の現実を知らずにゆがめていく。つい6年前の世界に誰が想像したろう。怪物と、それに立ち向かい戦う人間の存在などね」



「仰る通りです。しかしラドン、あの男だけは何かを知っていた。最早我々は彼の遺した計画でしか、あの男の真意を探る方法はありませんが」


 秘書が静かに机のそば、直立不動で言葉を交わす。


 大統領が椅子に深く座り直す。机に肘をつき手の甲に頭を傾ける。



「周到な計画だ。多角的、および複数のアプローチによる人類への"レベル概念"の付与、それによる種としての進化。天災のくせにそのプランは実に細やかだ。いくつもの予備アプローチを用意しているとはね」




 コーヒーカップが傾けられ、音もなく皿に戻される。大きく太い指から想像もできない繊細な動き。



「ええ、実際アプローチ1、"星雲の落とし物(スター・ギフト)"は、星雲の堕とし仔3個体、およびラドン・M・クラークの消失により凍結しました。しかし結果的にはアプローチ3が実現段階にまで到達していますからね」



「委員会の連中のゲームに付き合わされるのは気に入らないがね。他のアプローチはどうなっていたかな」




「はい、中国が最も力を入れて進めていたアプローチ2"伝承再生(リバイバル)"は具体的な再現方法が見つからず事実上の凍結、その他アプローチ4、アプローチ5は継続されるも、アレタ・アシュフィールドの深度Ⅲへの到達。アプローチ3の成功により、いずれ頓挫するでしょう」



 秘書の言葉に大統領がうなづく。



 多くの人を魅了し、世界に届ける声は今は潜め、それはまるで友人に向けるかのような。




「アプローチ3 "Level Up"、単純な名前だが、これ以上ふさわしいものもないな。ダンジョンでの怪物種との死闘、及び遺物の所持による異能の発現、そして遺物との結合による種としての進化、か」



「まるでビデオゲームですね。ニホンのドラゴン・ファンタジーの世界だ」



 ラズウェルが肩をすくめる。この大統領を前にしてこのような態度を取れるのは彼だけだ。


「モンスターを倒し、宝をてにいれ、魔法を得るか。だが事実だ。すでにそれは幻想と想像の産物の垣根を越えて、我々の現実となって姿を現した。秩序を壊しうる力とともにね」



「荒唐無稽な話ですが、アレタ・アシュフィールドの起こしている超科学現象を目の当たりにした後だと…… 人間には多くの可能性が眠っていると理解させられました」



「可能性ね。それは我々のような為政者からすれば扱いの難しい言葉だ。コントロール、統制しなければならないものだからね」



「そのためにもアレタ・アシュフィールドの懐柔は必要と?」



「ふむ、ラズウェル。人の中にはたまに輝きを持って生まれてくる存在がいる。進むべき道のわからぬ衆愚を導くため、そうあれかしと生まれたモノがね。彼女はそれだ。アレは呪いに近い生き方を己に課している。歪で脆く、それ故に美しい」



 深く椅子に座り直す大統領。その視線は部屋の天井へ向けられている。



 その目はまるで遠くに在る何かを焦がれているような。


「52番目の星、その名はあなたがつけたものでしたね。大統領」



「彼女も気に入ってくれたさ。彼女は星だ、星辰の彼方より地上に映える目印の輝き。人類は星の進歩を目の当たりにすることにより、進化する。合衆国の星をね」




「象徴としてはこの上ないですね。人格も経歴も人種も宗教も文句なし。合衆国の象徴が、他者に先駆けて進化する。しかし、そううまくいくでしょうか?」


 秘書が問いかける。それは個人としての興味ゆえに。



「心配はない。彼女は例え世界を滅ぼす力をえても、その力を振るうことはできない。何故なら彼女は比肩しうるもののない星でありながら、正義と神の教えを胸に持つ常識人だ。そこにあるスイッチを押せない人間だよ」



 大統領が机に置いてある小さなスーツケースを指さした。それは歴代の大統領だけが持つことを許される滅びのラッパだ。



「ああ、あなたがいうのならそうなのでしょうね。我らが怖ろしき大統領」



「ひどいことを言うものだ。……星は高潔であらねばならない。星は合衆国のものでなくてはならない。そう、決してあのような表情を個人へ向けてはならないんだ」



 暗い声。公の場ではこの男が絶対に出さないであろう声色が、水に溶け出した重油のように部屋に広がる。



「……何かお考えが?」



 ラズウェルが額から静かに一筋の汗を浮かべる。



「ああ、よくある話だ、貴種流離譚などにね。偉大な者ばかりと接しているとそれが当たり前に感じてくる。世間知らずの貴種がそこらにある薄汚い血を何か珍しいモノなのでないかと勘違いしてしまうのは」



その言葉は1人の男へと向けられている。比肩しうるもののいないはずの星、その星が選んだ1人の男へと。



「ああ、やはりあの東洋人に対処するおつもりだったのですね。ただ、委員会のデータによると彼にも深度Ⅲの兆候が見られたそうですが」


 秘書が脳内にしまってある情報を口にする。その言葉に大統領は静かに首を横に振った。


「もはや星が至った時点で他の候補はどうでもいいさ。星にはいい機会だ。そろそろ彼女の夢を覚ましてあげようじゃないか」



「夢……ですか」



「ああ、星は星。余人に手が届く存在であってはならない。凡人は所詮、凡人であることに気付いてもらうさ、星は凡人の正体に気付く。自然とチームから不必要なものは除かれるだろう」


 大統領の静かな口調、しかしその中に含まれている毒に秘書は気づいた。


「大統領、この会見は世界が見ているものですが」


 僅かな言葉は精一杯の諫。しかし、それが届く事がないことも知っている。



「心配ないさ。ラドンレポートの内容と例の壁画の予言は当たっている。バベルの酔いはすでに世界に満ちた。この世界、この惑星の知性体の中にもはやシラフの存在はいないさ。過激なイベントに対する耐性は6年前と比べるべくもない。人はね、見たいんだ。強き者が弱き者をいたぶるショウを」



その言葉にラズウェルはそれ以上なにも意見しない。代わりに、



「わたしはいかがいたしましょうか?」



「ああ、勤勉だな。ラズウェル、キミは観客席に紛れろ。わたしのショウを眺めて反応の悪い国の要人を記録しておいてくれ。仮想の敵が絞り込める」



「承知いたしました。大統領」



 ラズウェルが一礼し、音もなく部屋から去る。扉を開く音も、閉まる音もしなかった。



 大統領以外誰もいない部屋。時計の針が動く音しかしない。



 その男は、呟いた。



 机の上に置いてある写真立て、その中に映る星の笑顔を親指で撫でながら。



「キミにふさわしいのはより優れ、より強い雄だ。キミの目を覚ましてあげようアレタ、人には格というものが存在するんだ」



 優しげな声色、その中に潜むドス黒いモノは1人の凡人へと向けられている。



 この男の悪徳は己を世界最大国の指導者にまで登りつめさせた。



「狼は狼と番うべきだ。運が良いだけの羊にはここらで御退場願おうか」



 暗い欲望、しかしこの男にはそれを叶える力が備わっていた。






 ….……

 ……

 …








「なあ、さっきの話って全部マジ? 新発売のゲームとかじゃなくて」



「ああ、そういやタダは上級じゃなかったすね。アレ、実は上級探索者以上の人間はみんな知ってる話っすよ」



「マジ? 知らなかったの俺だけ?」



「あー、まあ箝口令じゃないけど、一応非公開情報っすからね。でも特に知らなくても探索に問題なかったっしょ」



「なかったっしょって、お前…… まあ、たしかになかったな」



「さて、それじゃあそろそろ準備しないとね。アタシとソフィ、それからグレンは制服に着替えましょ。タダヒトはジャケット着用でお願いね」



「あ、準備?」



「あら、まだ説明してなかったかしら? この後全世界同時生中継で、記者会見するのよ。さっきの大統領も参加するから顔合わせも兼ねてたの」



「え、記者会見? ……それまさか俺も出るの?」



「当然じゃないタダヒト。貴方はあたしの補佐探索者なんだから。世界中から指導者や政府関係者、セレブが集まってるわ。指定探索者もほとんど出席するそうよ?」



そうよ、じゃねえよ。アレタのなんのけなしに告げられる言葉に味山はため息をついた。



「アレタ、そろそろ時間がない。スタイリスト、メイクの人間から催促のメールが来ている。急ごう」



「ええ、アリーシャにどやされるのもつまらないわ、タダヒト。悪いのだけれど先に会場に向かっておいて貰えるかしら? ここの地下ホールが会場よ。あ! 向かう途中でインタビューとかされてもまだ答えちゃダメよ!」



「は、はあ。了解」



「じゃあ俺も向かうっす。タダ、迷うなよ」



「お、おお。どうも。え、何、話の速度についていけないの俺だけ?」



「じゃあタダヒト、また会場で会いましょう。1時間後には始まるから。これ会場の案内図ね」



「お、おお。了解」



「遅れるなよ、アジヤマ」



「あー、制服肩凝るから嫌いなんすよね」



「文句を言うな、助手」



 軍属の3人がわちゃわちゃしながら、部屋を出る。


 なんとなく仲間外れ感に近いものを感じつつ、味山は深く椅子に座り直し、渡された案内図を広げた。



「まあ、やることもないしさっさと移動しておくか」



 味山が部屋の電気を消して外に出る。



 関係者以外立ち入り禁止エリアの通路のためか人通りはまばら、ときたますれ違う人物たちはみな、例外なくドレスコードに従った出立をしている。




「地下二階のメインホールか。エレベーター使う方が早いな」



 案内図の紙を胸ポケットに仕舞い込み、味山は進む。


 エレベーターを使うには一度、メインホールに向かわなければならない。



 通路を進み、味山は立ち入り禁止エリアから出るーー






「誰か出てきたぞ!! 囲め!」



「名簿を確認しろ!! だれだ?!」



「お忙しい中すみません!! CNNのものですがあなた今関係者エリアから出てきましたよね?! お話をお伺いさせてください!!」




「ニホン人? 政府関係者か?」



「それにしてはスーツが安っぽいぞ…… 待て!! アレタ・アシュフィールドの補佐は確かニホン人だ!!




 メインホールへのドアを開いた途端浴びせられる声、そしてカメラのフラッシュ。



 わらわらと集う人、人、人。



 世界各国から52番目の星が緊急の記者会見を行うという話を事前に掴み、集まっていた彼らはすでに探索者組合のメインホールにまで進出していた。





「ニホン人の方ですよね!? お名前を!!」



「アレタ・アシュフィールドの発表についての見解は?!!」



「ニホン放送の柴崎です!同じニホン人としてどうかお答えください!!」



 さまざまな人種のインタビュアーが一斉に味山を囲みマイクやらなんやらを突き出す。




 気付けば360°全てを囲まれていた。すげえ、怪物種以上のプレッシャーじゃん。



 味山は咄嗟のことに頭が混乱して身動きが取れない。



「あ、えっとーー」




「なにか喋るぞ!!」



「一言! 一言お願いします!」



「国民の知る権利のために、一言!!」




 割と簡単に頭が真っ白になる味山。無遠慮に煌くカメラフラッシュ、頬に突きつけられるマイクの硬さ。



 それに圧倒されていた、その時。




「こっちです」



「うお!!?」



 急に後ろから腕を引っ張られた。すごい力だ。




「あ!! 逃げるぞ!」



「関係者エリアに戻すな!!」





 記者のおしくらまんじゅうから引き抜かれた味山はわけがわからないまま、腕を引っ張られる。



 その人物が誰か確認する前に、関係者エリアのとびらの中に引き摺り込まれていた。




 ばたん!!



 かちり。



 ドアが閉まったと同時にオートロックが閉まる。決められた端末を持つものしか入れない特殊な扉だ。




「ふう、間一髪。味山さん、突然引っ張ってごめんなさい」



「あ、ああ、え、お前、貴崎?!」



 マスコミの群れを抜け、関係者エリアの通路に逃げ込む。



 腕を引いた人物を見て味山は素っ頓狂に声を上げた。


 薄い桃のような香り、アップされた一房の髪は丁寧に結われている。



 上品な藍色の着物が異常なほど似合う。クリクリした目、白い肌、貴崎の持つ魅力を着物が気品に変えているような。




「お前…… 着物えぐいほど似合うな」



「え? あ、ありがとうございます! っ…… ふぅ…… ふふ、味山さんたら、会うなりそんな、わたし口説かれてますか?」



 ぼそりと呟いた味山に、貴崎が一瞬、目を白黒させる。しかし、波が引くように狼狽は消え去り、後にはいつもの含み笑いだけが残った。



「いや別に。つーか、まじで助かった。マスコミってホントにあんな感じなんだな」



「びっくりしましたよ、なんの警戒もなく関係者エリアから出て行った人が案の定マスコミの餌食になってるんですから。おまけにそれが味山さんなんですもん」



 口元を着物の袖で隠しながら貴崎が笑う。あめりやのお姉ちゃんたちの女の魅力あふれる着物姿とはまた違う、毛並みの良さ、血の高貴さがにじみでているような。




「あー…… インタビュー簡単に受けんなって言われてたの忘れてたわ。あれ、ていうか貴崎、なんでお前ここにいんの? それもそんな正装で」



「呼ばれたんです、貴崎の家の代表として。父のお供としてですけどね。今回の発表は二ホンにとっても大きな影響があることなので」



「はえー、すごい」



「古いだけですよ。古いのがずっと続いていただけです、というか味山さんこそ今すごい状況に身を置かれているの理解されていますか?」



「うーん、なーんか俺も呼び出し受けていろいろ話きいたけど実感わかなくてよお、チームも休業になるようだし、まあ後でかんがえるさ」



 先程の待合室での話を思い出す。どうにも実感がない。



「ふふ、そのくらいの感覚じゃないとあのアレタ・アシュフィールドの補佐は出来ないのかもしれませんね



「おお」



「どうしましたか?」



 思わず、漏れた呟きに貴崎が反応する。


「いや、ちょっと意外でな。貴崎はアシュフィールドのこと苦手だったと思ってた」



「ふふ、苦手じゃありません。嫌いです」



「おお……」



 ドストレートな言葉に思わずおののく。


「あの人はわたしが欲しくてほしくて仕方ないものをかすめ取っていた人ですから。いずれ追い越し地べたをはいつくばっていただくべき人です。でもそのことと彼女が偉大な存在であることは別です」



「偉大……ねえ」



 誰しもがアレタ・アシュフィールドをそう評する。それは貴崎も変わらないらしい。



「はい、世界中の誰もが探索者と言えば1番に思い浮かべるのがあの星です。その功績、実力は本物です」



「貴崎から見てもあいつはそんな奴なんだな」



「味山さん?」



 漏れた呟き、しかし味山は首を横に振る。


「いや、なんでもねえ。てか、貴崎の家の代表って言ったな。やっぱお前んちって相当いいとこなんだな」



 世界中から重要人物が集まっている。先程の待合室での会話を思い出す。



 貴崎の家は味山の想像以上に太いらしい。



「うーん、父が特別、総理と仲が良いのもあるかもしれません。今回の招待も総理名指しのものでしたし」



「へえ、総理」


 おうむ返し。そして一秒後に理解した。



「総理??! 総理ってあの総理大臣? 首相!?」


 味山が目を剥いて、貴崎から聞こえたとんでもないワードを確認する。



「はい、ニュースでいつも出ているあの首相です」


 キョトンと、貴崎が首を傾げる。


「あの国会中継でいつも脂汗流してハンカチ使いまくることで有名な!?  すげえ、貴崎」



「ふ、ふふふ、味山さん、面白いですね」



「いや、浮き足立つのは普通だろ。だって総理だぜ?」



「ふふ、普通の感覚だと、総理大臣よりもアレタ・アシュフィールドの方がよほど萎縮したり畏敬を抱いたりしますよ。きっと」



「ええ、そんなもんか?」



 味山があまりにも世界の違うことを口走る貴崎に怪訝な目を向ける。


 セレブだ、こいつ。


 庶民とは感覚が違う。味山が貴崎についての認識を改めているとーー





「おっと、こんな所にいらっしゃいましたか、貴崎のお嬢さん」



 柔和な男の声。



「あ! 総理! お疲れ様です。このたびはご招待ありがとうございます」



 貴崎がパァと笑顔になる。よそ行きの笑顔だ。昔、チームを組んでいたときによくしてものと似ている。


 そして味山はその声の持ち主を見る。



 顔を見たらすぐに誰かよくわかった。





「う、あ、ほ、ほんものだ……」



 噂をすれば影。


 あまりテレビを見ない味山でもその顔くらいは知っている。



 自分の国の総理の顔は意外とわかるものだ。




「おや、こちらの方は……」



「総理、例の…… アレフチームのーー」



 小男の隣に侍る背の高い男が屈んで耳打ちをする。


「ああ、あの星の……  ごほん、貴崎のお嬢さん、失礼ですがそちらのお方は――」



 小男が柔らかな笑みを持って貴崎に問う。にこりと深く笑う貴崎が答えた。




「ええ、味山さんです。味山只人さん、私の元チームメイトなんです」



 貴崎の表現にわずかに引っ掛かりを覚えつつ、味山は目の前の小男に頭をさげた。




「は、はじめまして。味山と申します。あの失礼ですが、多賀首相……ですよね」



 味山がおずおずと腰を低くする。やべえ、ワイドショーの国会映像と同じだ。



 見た目は60代、染められた黒髪の所々によくみると白髪が混じる。


 ふさふさした眉毛とまぶたが瞳を隠す。なんかこういう犬種がいたような。



 仕立ての良いスーツなのにこの男が着ているとよれてくたびれたようにも見える。


 多賀真二、2022年より就任したニホンの内閣総理大臣がそこにいた。



「はい、おっしゃる通りです。これはご丁寧に。ご挨拶が遅れて申し訳ない。味山さんとは一度お話して見たかったんです」



 頭を下げる総理に、それよりも低く味山がペコリと頭を下げる。



 大統領よりもよほど現実味がある総理大臣、その肩書の前に味山の小市民さが発揮される。



「いえ、とんでもない。お話、ですか。恐縮です」



「いえいえ、そんなご丁寧に。味山さん、異例中の異例、アレタ・アシュフィールドの補佐探索者就任という国家案件の事態に対し、ロクな支援も対応もできずに大変申し訳ありませんでした」



 総理との第一コンタクトは互いに頭を下げてだった。



 そして簡単、あまりにも呆気なく伝えられた国のトップからの謝罪。


「総理っ!」


 諫めるように隣に侍る長身の男が小さく、そして短く叫んだ。



「上村くん、静かに。これはケジメだ。彼はニホンの国民なんだぞ」



「い、いえいえ。そんな総理が頭を下げなくても。俺…… じゃない、私も仕事ですので、特別なことしてるわけじゃないです」



 味山の言葉に、首相とその傍らにつきそう秘書が動きを止めた。



 何か変なことを言ったか? 味山が自分の失言を疑う。



「ありがとうございます、味山さん。ニホンとしても今回の会見には注目しています。貴方の立場は非常に特殊なものですが何かお手伝いできることがあれば」



「いえいえ、そんな総理大臣に何かしてもらうなんて…… 声掛けて頂いただけでも嬉しいっす」



「総理、そろそろアラン大統領とのお約束の時間が」



「おお、もうそんな時間かい? いやはや年を取ると時間の感覚もないね。味山さん、お話出来て良かったです。会見、大変でしょうがどうぞよろしくお願いします」



「ああ、いえいえ、そんな、とんでもないです」



「貴崎のお嬢さんも、見るたびにお美しくなられていく。貴女の探索者としての活躍もわたしの誇りです。どうかご自愛ください」




「ふふ、総理も。またぜひ道場にもお越しくださいね」



「ははは、これは光栄なお誘いですね。防衛大臣を連れてまたお伺いいたします」



ではこれで、と猫背の小男とパリっとした長身の男がその場を去る。



貴崎が静かに微笑みながら礼を返す横で、味山はまた頭を下げて2人を見送った。






「すげえ、俺、総理と話しちまった」



ワクワクしたような、なんとも言えない気持ちで味山は貴崎に言葉を向ける。


「ふふ」



その味山に貴崎が、笑う。素の笑い。


「いや、貴崎さん、あんた。ふふ、じゃねえよ。総理だぞ、総理。あのニュースとかでよく見るやつだぞ」



なに余裕こいてんだ、この高校生。味山は貴崎の態度が不思議でならない。


「味山さんの中ではアレタ・アシュフィールドよりも多賀総理の方が畏敬を抱く存在なんですね。うーん、不思議だなあ」



「いや、俺の方が不思議だわ。お前がそのテンション維持してる理由がわかんねえもん」



「はいはい、分かりました。味山さん、宜しければ会場までご案内しますよ。関係者エリアから出なくとも地下にいく道はありますから」



はしゃぎそうな味山を流して貴崎が、前に歩む、振り返り笑うその様子、気品と年相応の無邪気さが同居したような笑顔に、味山が一瞬、目を奪われた。




「おおう、……ごほん、まじ? 助かるわ。お願いしてもいいか?」



「ええ、お願いされました。では」



 すっ、差し出された白い手のひら。味山は首を傾げる。



「ん? なに?」



「エスコートしてください、味山さん。これからいく場所は人が沢山いますから」



 にへら、笑う貴崎。この前のデートの時よりもどこか距離が近い。



 味山が眉を傾けて、それでもその手を取った。



 柔らかな感触。味山の手と貴崎の手が触れ合ってーー











 ぐわん。



 ーー鬼殿…… 貴方をお慕いーー



 ーー一族の使命、ここに果たす



 ーー腹ぁ、貰ったぞぉう。鬼野郎




 ーー怪物あらば、呼べ。俺の名を




「ぇ……?」



「あ?」



 ぱっと、互いに手を離す。



 貴崎の手と触れ合った瞬間、頭に走る衝撃のような違和感、同時に聞こえた声。


 誰かが、誰かへと向けた言葉。



「今…… 味山さん、何か……」



 貴崎が味山に差し出した手を見つめ、それから目を開いて味山を見つめる。



「おお、貴崎もか…… なんか、聞こえたよな」



「はい…… でも、嫌じゃない。何かとても懐かしいものだったような」



 貴崎が何かを確かめるように手を伸ばす。おそるおそる伸びる指の先、味山も無意識にそれを迎えようと手を伸ばした。



 触れ合う指と指の先。味山の節くれたゴツゴツした指先と貴崎の細く、しなやかでいて少し固まっている指が触れ合う。




 なにも起きない。



 皮膚と皮膚が触れ合う感触があるだけ。



 奇妙だ。あれはたしかに誰かの声だった。誰かの記憶だった。




 貴崎がいつのまにか味山の手を握っていた。確認するように、にぎにぎと力を込める。




「味山さんの手って、大きいですね」



「……普通だろ、つーか、なんも起きねえな。あー、貴崎そろそろいいか? 案内してくれよ」



「あ……」



 味山が手を引っ込める。貴崎が名残惜しそうな声をあげるが、すぐにそれを閉じ込め笑った。



「そ、そうですね。わかりました。では、案内しますね」



 貴崎と並んで歩き出す。すれ違うのは会見の関係者だろうか。中には雑誌で見たことのある探索者も混じっている。



 味山を見る者、貴崎に目を引かれる者、様々だ。



「そーいえばよ、今日有名人とめっちゃあったぞ」


 突きつけられる視線を無視して味山が貴崎に話しかける。



「へえ、どんな人ですか?」



「大統領とアイドル」



「味山さんって、変ですよね、あ、でも私も学校の友達にアイドルいるんですよ。とても可愛い子でーー」



 貴崎とダラダラ話しつつ、味山は進んでいく。


 2人の手は離れ、特に味山がエスコートすることはなかった。



 すれ違う探索者たちのうち、数人の上級探索者は目を疑う。あのリン・キサキが笑顔で男と歩いている。



 史上最速で上級へと駆け上がった化け物が。



 貴崎の放つ殺気により味山に絡んでくるものはいない、もちろん味山はそんなことに気づかず呑気に貴崎に案内され、目的地へと辿り着いていた。




 ……

 …



「上村くん、彼のことをどう思うかい?」



 広い廊下を2人の男が歩く。



 紳士服で固めた長身の美丈夫、となりには仕立ての良い、しかしくたびれたように見える紳士服に着られた小男。



「味山氏のことでしょうか? どう、とは?」



 ニホンの国の指導者、そして指導者の側近が先程垣間見たとある男について口にした。



「君の率直な意見が聞きたい。味山只人、民間出身の探索者でありながら、かの星の興を買った男。実際に会って君はどう感じた?」



 小男が歩きながら隣の長身の美丈夫を見上げる。



「は、恐れながら申し上げると、そのなんと申しますか、少々肩透かしを食らったというか…… 正直、平凡な人物にしか見えません」




「ふふ、肩透かしかね。良い表現だ、彼を平凡と評するのも間違いではないね。ああ、彼は間違いなく世界に遍く存在する常識を持った人間の1人だろうね」


 ぽつぽつと漏れるぼやきのような声。




「総理もそのように感じたのですか?」



 そのぼやきに上村が問いかけを投げる。



「おや、含みのある言い方をするね、上村くん。うん、実は僕はね、君とは違う感想を彼に抱いたよ」



「違う感想…… どのような?」



 こつ、こつ。2人の足音が交差する。淀みなく続く足取りは目的地を違うことなく進む。






「恐ろしい」




 短く小さな言葉、しかしその声ははっきりと上村のもとへ届いた。



「恐ろしい……?」




「どこが、と言いたい顔だね。だが上村くん、よく考えてみたまえ。そうすれば異常に気づくはずだ」



 諭すような声、人から侮られるように計算されつくしたたたずまいは今は、ない。



「異常、ですか?」



 秘書は知っている。この小男の真の姿はこちらだと。



 マスコミや野党向けのなよなよした困り眉の似合う小男ではない。


「ああ、アレタ・アシュフィールド、あれは歴史上でごく稀に現れる特異個体だ。個人でありながら歴史を変えてしまう、いわゆる英雄というやつだね」



 冷たく、静かに、霜が降るように言葉を紡ぐこの姿こそ、本来の多賀真二だ。


「ええ、それはもちろん。かの星がいなければここまで世界はダンジョンに注目しなかったかもしれません」



 上村の脳裏に、星がこの3年でなし得た数々の偉業が次々に浮かぶ。



「その通りだね。彼女の持つ輝きに人や時代が追従する、選ばれた側の人間だろう。ここまでは良いんだ。選ばれた特別な人間が偉大なことを行う。これはね、ある意味当然の事なんだ。なにも異常はなく受け入れるべきことなんだよ」



 規則正しく響く足音の狭間、多賀の言葉が伝わる。



「は、はあ……」



「だが、彼は違う。経歴、そして今日会った印象。どれを取ってもどこにでもいる当たり前の人間だ。何も成すことなく、当たり前に生きて、死ぬ只の人間だろう」



 味山をそう評するその言葉には温度はない。



「国民の大多数はそのような存在です」


 秘書も同じく淡々と言葉を返した。




「その通り。そこに僕は恐ろしさを感じてならないよ」



「とおっしゃいますと?」



 僅かに多賀の言葉に、湿り気が混じる。敏感に上村はそれに気付いた。




「簡単だ。異常の中に普通のままで存在している。当たり前の凡人が歴史に残る星と共に在る。違和感だ。まるで釣り合っていない」



 多賀が言葉を続ける。歩きながら首が僅かに揺れ始める。



 この男の癖だ。幼少期からの癖。



「特別というのはね、狂気に似ている。多数に為せないことを為し、見えないものを見る。特異な存在とはそうでないものから見れば気狂いとそう変わらないものだ」



 あの星は良い例だろう。静かに多賀が英雄を語る。



「だが、報告によれば彼はうまく溶け込んでいるようだね、星ほどでないにしろ、特別な人間だけで構成されている集団の中に、たった1ヶ月で溶け込んでいるんだ」



「……前回の探索では、接触禁止指定怪物種"耳"との偶発的接触、および殿を果たし、生還したとあります。報告が上がっているその時の通信記録から察するに、味山氏が残ると決めた時は、星も、そして女史も大きく取り乱していますね」




 秘書は頭の中に仕舞い込んだ情報を語る。人の形をした情報端末、これくらいは朝飯前だ。



「はは、狼を率いる羊か。お伽話だね」



 愉快げに多賀が、笑う。



「貴崎嬢への態度もそうだ。異常なほど、慣れている。星ほどでないにしろ彼女もまた普通から離れた特異。あの年齢で、名家、貴崎家の実質的な支配権を握っているのだから」




「元チームメイト、たしか貴崎凛ともチームを組んでいた経歴がありますね。しかし先程のやり取りを見る限り、関係が悪そうにも見えない。むしろ貴崎氏の穏やかな表情はまるで……」




「ああ、それがおかしいんだ。狼と羊は共に暮らせない、そう決まっているんだ、なのに、彼は違う」



「……公安へ味山氏の監視を強化するよう伝えますか?」


 人通りがないことを確信して、秘書が問う。これは本来なら有り得ない言葉だ。内閣が、個人への監視を公安へ命令出来る権限などない、あってはならない。



 本来ならば。







「いいや、米国や中華をイタズラに刺激するべきでない。今はまだ我々は気付いていないフリを続けるべきだ。味山くんへの監視は他国へ任せておこう、ただし彼らが実力行使で味山くんへ害を及ぼそうものなら話は別だ」



 多賀が当たり前に首を横に振る。



「よろしいのですか?」



「当たり前さ。彼は僕の国の国民だ。そして彼のここ最近の選挙の投票は僕らへの票だったはずだ。彼を守る理由はこれで充分だろう」




「総理が、個人の話をここまで長くするのは初めてですね」



 ぽつりと上村が言葉を投げかけた。



 長い付き合いだ。この昼行灯を模した男が、ここまで政治家でもない個人について話すことは珍しい。



既にニホンという国に、この小男の手の及ばぬ場所はない、静かに、そして既に、ニホンの権力、権威はこの小男の手に収められている。




そう、只1人の人間がどこの誰に投票したかどうかも把握できるほどに。




「そうかい? 上村くんも大概僕のことをよく見ているものだね。……さて、味山只人くん。何者だろうね、彼は。いやあ、まったく恐ろしい、……ひっくり返されるわけだよ、忌々しいものだ」





 おそろしい、おそろしい、小男が小さく湿った口の中でぼやく。







「その羊の皮の裏側にはなにがあるかね、味山只人くん」




 まぶたの奥に隠された光。決して、表には出さない、湿った意思、そして隠されたモノが奇妙な羊の違和感を口にする。




「……総理、あまりよろしくないお顔をされています」



「ははは、安心したまえ。ここに小うるさいマスコミの連中はいない。いるのは」



 足音が止まる。



 2人の目的地。呼び出されていたのは、ニホンにとっての最大の同盟国。



 星条旗の国の指導者が待つ部屋が目の前にある。


「それよりも厄介な存在だけだろうよ」



 ニヤリと笑う多賀、上村がドアをノックする瞬間にはその表情は消え失せ、いつもの自信のない猫背の小男に戻っていた。




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