49話 鬼裂 渓流 再会
……
…
〜21時ごろ、貴崎とのデート後、味山宅(築3年、探索者用アパートにて〜
「47.48.49.ごおおおじゅううう!!」
腕が引きつる。腕の後ろの肉が膨れ上がるような感覚。肩が重たく、疲労が全身へと広がる。
ダンベルを両手で握り、持ち上げ、ゆっくり振り下ろす。
日課の筋トレを終えた味山は、ダンベルを収納スペースへと置き、大きく息を吐いた。
「筋トレ! ヨシ!」
ーー探してるそうです。
味山の頭の中には別れ際の貴崎の言葉が張り付いて離れない。
「まあ! ビビってねえけどこれでヨシ!!」
味山は自室にて、パンツ一丁で仁王立ちし、強く叫んだ。必要以上のテンションですでに身は清めた。47度の熱目のシャワーを浴び、塩で身体を絞めた。
「ヨシ!」
部屋の四隅、大皿に乗せられた盛りに盛った塩へ指差し確認。
「ヨシ!」
玄関の内窓や、部屋中の窓をうめつくさんばかりに貼られたお札に指差し確認。お札は帰りしに、日本人街の神社で大量に購入していた。
[仏説・摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罜礙、無罜礙故、無有恐怖、遠離・一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経]
「ヨシ!」
端末で永遠にループされている電子購入した般若心経の音声を指差し確認。
「ふふふ、ビビってねえ、ビビってねえが、アレだ。備えあれば憂い無し。鬼裂だか生首だが知らねえが俺のこの霊的防御が為された部屋! いや、要塞に入り込める隙間はねえ!」
腰に手を当て仁王立ちする味山が笑う。どこかその様子にはから元気さが目立っていた。
「手斧! ヨシ! 知らせ石! ヨシ!」
ベッドの枕元にはホルダーに入れた手斧、パンツのゴム部分に知らせ石を紐で縛り括り付ける。
かつてここまでダンジョンから手に入れたアイテムをアホな事に使う人間はいなかったことだろう。
「猿の腕! ヨシ! 頼む、なんかあったらあの時みたいにマジお願いします!」
テーブルにはろうそくと達磨で飾り付けたあの猿の腕が置かれている。包帯にグルグル巻きにされているソレは、よく見なくても何かの呪いの儀式に見える。
「電気、ピッカピカ!! ヨシ! はい、もう今日は寝ます。はいおつかれっしたー、あざっしたー」
ざぶん、ベッドに味山は潜りこみ目を瞑る。ご丁寧に布団を頭まで被りこみ、隙間という隙間を布団を丸め込んでロックする。
「寝ます、オレマジ寝てるんで、ほんとにきても意味ないから」
誰に言っているか分からない言葉を1人で喋りながら味山は照明をつけたままの明るい室内で眠る。
数秒もしないうちに、味山の意識は布団の中に溶けた。
………
…
河の音は聞こえない。
自分が浮かんでいるような、沈んでいるような奇妙な感覚。
くらやみ。
眠りと覚醒の狭間。
TIPS€ 条件たっセい
Tぃp S€ きサき リんとおンセん二はィる。鬼裂ノ遺言をキく。
t IぷS € えNでィNグ LすTO かIhおU
€ーーさん……
腕に抱いた身体はつめたい。命を失ってからもうだいぶ時間が経つ。
か細く、己の名前を呼ぶ声はかすれ、空気に阻まれ消えてしまいそうだ。
少女の身体からはもう、血は流れない。哀れな肉人形。死してなお、休むことすら許されぬ肉人形の体に赤い血は必要なかった。
「aじーヤーさん」
声。彼女が声を絞り出すたびに、仮初の命すらその骸から消えていく。
少女を殺した腕で、少女の骸を抱きながら、少女が終わっていくのをただ見ている。
アじYaまにはそれしか出来ることがない。
€ねえ、ーーyaまさん。もし…… 次がーー
€私の家、りょカん、温泉ーー
€一緒ニ、モっと、おシゃべりーー
€もし、もしね、叶うのなら
€ ツぎが、あルならーー
聞こえない。
腕に抱いた肉人形の言葉は聞こえない。
誰だ。これは、俺は誰を、誰の言葉を聞いている?
これは、なんだ?
TIPS€ E NでィNぐなんBER 28 肉人形の願い
「ふがっ……!」
意識が戻る。いつのまにか、眠っていたらしい。
何か、何か、夢みたいなものを見ていたような。
おぼろげな記憶、それを思い返そうとした途端、ひどく喉が乾いていることに気づいた。
「喉、乾いた……」
寝ぼけ眼でベッドから起き上がる。1つ動作を行うたびに、微睡の中にみた夢の記憶は嘘のように消えていく。
水を飲みに、暗闇の中を手探りで味山が進む。
たしか机に端末を置いていたはずだ。ライトで照らしながら冷蔵庫まで進もうとしてーー
ぞわり。全身に怖気が立つ。
くらやみ?
何故?
味山は寝る前に電気をけしていなかったのにーー
異変に気づき、歩みを止めた。その時だ。
ぱ、チ、ん。
電気が唐突に点いて部屋が明るく。
闇に慣れた瞳に光景が戻る。
「う、わっ」
悲鳴。それも途中で搔き消える。
何故か。
閃くのは、一筋の光。それが剣閃だと理解したのは味山の右腕、ひじから先が宙を舞った後の話だった。
「は」
漏れる声、悲鳴にすらならない。脳の理解が追いつかない。
右腕、何かか触れる、熱い、熱い、無い。
赤。
ぼた。跳ねた右肘の先、手のひらが音をたてて床に落ちる。
血飛沫が、築3年の部屋の壁、天井を濡らす。
くらり、意識が遠のく。身体の中から一気に血がなくなり、脳への酸素供給が滞りーー
「う、があ!!!」
足を踏み締める。腹に力を入れる。
味山は倒れない。身体を捻り、まだ残っている左腕、拳を握りしめ、突き出した。
「あああ!!」
確かな感触。
ようやくここで味山は視覚情報を、本格的に認識出来た。
左の拳、拳骨の皮がめくれる。
硬い感触。自分の拳が命中した相手を見て、味山は息を漏らした。
「ほ、ね……?」
窪んだ眼窩に、景色を写す瞳はない、その者には皮すら故に。
顔の中心、突き出るはずの鼻はなく、窪んだ穴が覗く。鼻なぞ、とうに腐り落ちている故に。
むき出しの歯がずらりと並ぶ。それらを隠す唇もなく。
骸骨。がいこつ。骨。
やつれ、擦れた骸骨がそこにいた。
頭蓋骨は黄ばみ、それ以外の身体の部分は赤黒く染まっている。まるで、血が固まっているかのように。
味山の腕を斬り飛ばした刀を、肉のない指で握りしめたその姿。
「驚いた。腕を斬り飛ばした直後に殴られるとは。熊次郎以来か」
骸骨が口を開かずに喋った。
その声はしわがれ、かすれ、だがそれでいて腹の底に響く胆のあるものだ。
「っ!!」
味山が瞬時に後退、ベッドに背中から倒れ込み、枕元の手斧を手に取る。
スプリングの跳ね返りそのままに、カバーも取らず手斧を思い切り上段に振りかぶる。
考えはない。反射による反撃。
やらなければ殺される。それだけは分かっていた。
「型もなし、才もなし、柔もなし。筋はそこそこ、しかし天賦のものでなく練によるもの。弱い、弱すぎる。だがーー」
「死ね、がいこーー」
剣閃。骸骨の持っていた刀が味山の視界から消えて。
「だが、瞬時に殺しにかかる、その胆やよし、惜しむらしくは」
閃き。音もなく、部屋の電灯の明かりを刃が受け、光が走った。
「っぁゑ」
ぽんっ。
反転、反転、回転。
視界がめちゃくちゃにくるくると廻る。どちゃっとした水音が呑気に耳に届く。
なんの感覚もない。腕を振り上げる感覚も、斧を握る感覚も、全てが消えて、離れた。
あれ、おかしいな。
あれ?
味山の視界に最後に映る光景は、首のない身体。パンツ一丁で、右肘から先のない胴体が膝をつき崩れる光景。
首の断面図から冗談ではないかと言うほどに血が噴き出し、部屋を血の海に変えた。
あれ、おれ、首、どこいってーー
「惜しむらしくは、弱過ぎる、その才の無さだ」
ぶじ。
首だけになった味山のこめかみに、刀の先が突き刺さった。
くら、くららららららららーー
………
……
…
「首イイイイイイイ!!! ……い?」
サアア、ざああ。
水音。膨れて弾けて、流れて染み込む。
河の音が聞こえる涼やかな渓流の側で、味山はがばりと起き上がった。
「はあ、はあ!! あ? ここは……いつものか。首…… ある。右手……ある」
起き上がり、何度も何度も首をさする。頭を掴んでぐらぐら揺らしても外れることはなさそうだ。
「生きてる…… 首、ある…… あー、マジか、なんだあの夢……」
味山は力が一気に抜けた身体そのままに、その場に座り込む。
流れる岩清水、河の流れを彩る大岩、時折跳ねる魚。
いつもの、渓流の夢だ。
「やあ、人間。こんばんは。いや、この場ではおはようの方が正しいのかな。どうあれ、再び会えてよかったよ」
「おーう、ガス男、お疲れ。あー、なんかお前の声聞いたら無性に安心してきたわ。あ、ちなみにおれ、首繋がってるよな」
いつものモヤで象られた顔の見えないガス男がふっと現れる。こいつに関してはもはやいつものメンバーすぎて、安心感さえ覚えてきていた。
「よっと、おや、どうしたんだい? ひどく疲れている様子に見えるが。あちらで何かあったのかな?」
「あー、あった、あったよ。ひでえ夢……。部屋の中に突然よ、なんか日本刀持った骸骨が現れて、見事に斬り殺された。いやあ、見事だったな。本当に斬られても大して痛くねえんだわ、いやー、あっぱれな骸骨だったぜ」
味山はケラケラとから元気で笑った。
笑ってないとやっていられない。あまりにもリアル過ぎる死の感覚。少し思い出そうとすると、吐き気すらこみ上げる。
宙を舞う首から見た視界。自分の首のない胴体がおもちゃのように崩れ落ちる景色。
「うえ」
思わずえづく。吐きはしなかったものの、気持ち悪さが込み上げてきた。
「おっと、大丈夫かい? ほら、水でも飲むんだ」
ガス男が竹筒を差し出す。受け取るとチャパリと水音がした。
「水筒か? 悪い、貰う」
中身を煽ると、冷たい水が喉に流れ込んでくる。美味い、ただ美味い水だった。
「っぶはー!! 生き返る、すまん、マジで美味い」
「ふふ、お気に召して何よりだ。ここでの時間は穏やかだからね。私も何かを作ることなんてしたことがなかったから得難い経験だったよ。水もここからさらに上流から汲んでいるんだ」
「ほーん、なんかスローライフって感じでいいなー。俺も、探索者引退したら、そんな生活がしてえよ」
「できるさ、きっとね。そうだ、人間。キミを斬り刻んだ骸骨…… もしかして、あそこでキュウセンボウと遊んでいる彼の事かい?」
「できたらいいなー、ああ、そうそう、あそこでキュウセンボウと遊んでるアイツツツツツツツツツツ、ハァ?! キュウセンボウと遊んでる?!」
ガス男の指差す先、ここより下流の岸部の木陰のもとで小さなカッパがキュッキュッと楽しそうに鳴いていた。
着物のような服を纏った骸骨にあやされながら。
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