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47話 キサキ・イン・ヒストリー

 


 気味が悪い。



 貴崎の言葉に味山が抱いた感想はそれだけだった。

 あー、こういう時、こんな感想しか出てこないからダメなんだろうな。


 味山は、貴崎の目を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。




「……なんでだ?」



 ぽつりと漏れ出たのは考えてから紡いだ言葉ではない。



 心底、ほんとうに何故かわからない。貴崎凛がここまで自分にとって都合の良い存在であろうとする理由がわからない




「ふふ、味山さん、ほんとこういう時疑り深いですよね。大丈夫です、悪いことなんて考えてませんよ」



 笑う女、真意が見えない。


「ただ、味山さんの事が気に入ってるから、お願いとかそういうの聞いてあげたいだけですよ」



「……お前が俺を気にいる理由がわかんねえ。俺は、お前に好かれるような事を何一つしたことないだろ」



 円満なチームの離れ方ではなかった。貴崎の幼なじみで同じチームのメンバー、坂田時宗。彼からの戦力外通告がきっかけで、味山はチームを離れた。



 貴崎と組んでいたのは、ほんの半年にも満たない間だ。なのに、なんでーー



「もしかして、半年しか組んでないのに、とか考えてます?」



「……うげ」



「うふ、ほんとに嫌な顔しますよね、味山さん。面白いなあ、私にそんな顔する男の人なんて味山さんくらいですよ?」



「……自分より年下で圧倒的に自分より優れている女に心の内を読まれたら誰だってこんな顔するだろ」



「そういうの、正直に言ってくれるから気になるんだけどなあ」



 湯船から湯をすくい、貴崎が首にお湯をかける。動作の一つ一つが艶めかしい。濡れた黒い髪が、白い肌に映える。



「見惚れてました?」



「目に毒。お前、思ったよりいい性格してるよな」



「味山さんは、こういう少し傲慢な女が好みなのかなって思って。業腹ですけど、アレタ・アシュフィールドみたいに振る舞ってみました」



「アシュフィールド? あー…… まあ、たしかに嵐みたいな奴ではあるけど」



 味山が湯に身体を深く沈め、空を見上げる。湯気が昇る青空はただ、ただ、呑気だ。じいっと見てると溶けそうな青の元へ、湯気が立ち昇っていく。




 そういえば、アシュフィールドの奴、今まだ病院か。また見舞いにでも行っとくか。



 味山が空を見上げて呑気にぼんやりした。




「味山さん」



 ざぷ。



 味山のすぐ隣、ともすれば肩が触れ合ってしまいそうな位置にまで貴崎が詰め寄っていた。




 湯気に混じり薫る花のような香りに頭がくらり。味山はいつものように頰の内側を噛み潰して理性を取り戻す。





「うわ、近い、近いよ、貴崎くん」



 おどけて視線を逸らしながら話す味山を無視して、貴崎が、身体を味山の方へ向ける。


「私に聞きたい事、聞いてください。貴方がいうんなら私、なんでも聞きますから」




 まっすぐ見つめられる。整った顔立ちが、まんまるの瞳が、特別な人間が、味山を見つめる。



 あ……。


 ……まあいいか、相手がいいって言ってんだし。



 お湯に入っていると、全てがどうでも良くなってきた。


 貴崎が自分に抱いている奇妙な好意を利用するような後ろめたさも、もうどうでもいい。





「……貴崎、お前この前、納屋の中にあった骸骨の話してくれたよな」



「あ…… はい! うふ、嬉しいなあ、覚えててくれたんですね!」



 にこりと目を歪ませる貴崎。



 味山はその返事をロクに聞かずに言葉を続ける。



「鬼裂……」




「え?」




  「その骸骨ってよ、鬼裂となんか関係ないか?」



「おに、さき……」



 貴崎が目を丸くして動きを止める。味山はその様子をじっと見つめた。




「頼む、何か知ってたら教えてくれ。鬼裂の力が必要なんだ」



 言った。言ってしまった。



 どっちだ? どんな反応が返ってくる?  


 何も心当たりがなく空回りするか? 誘った理由の自分勝手さに怒るか? それとも、貴崎にとって鬼裂が秘密で、秘密を知ったから的なーー



 味山の頭の中で、数々の予想が浮かぶ。



 貴崎は味山にとって、ある意味地雷のような存在だ。



 元仲間、関係は普通。しかし貴崎から向けられている好意はその関係以上のものだ。



 理由が分からない好意ほど、味山にとって恐ろしいものはない。


 それは無意味な期待を呼ぶ、そして無意味な期待の末に待っているものがロクなものでないことを味山はしっていた。




 そして、貴崎の反応はーー




「ーーふふっ、ふ」



「貴崎?」



 笑い。


 乳白色の湯の水面が揺れる。


 知らないでも、怒りでも、失望でもない。



 味山の問いに、貴崎は笑いをこぼした。




「ふ、ふふ、っふふふ、ふふふふふ。うそ、うそでしょ? ほんとに? そんな事ってあるの? あ、本当に喋れる…… 話せるようになってる…… フフフフフ、あ、まって、変な笑い出ちゃう、フフフフフ」



 ぱちゃぱちゃとお湯を叩きながら貴崎が笑う。その様子はらしくなく幼い。




「き、貴崎?」



「ふふふ、あ、ああ、ごめんなさい、味山さん。ちょっと、びっくりしたのと、面白いのと、少し怖くて…… ふふふふ、えー、どうなのかなー、ふふふ」



 目尻に溜まった涙を拭い、貴崎が応える。面白くて仕方ないと言わんばかりの様子だ。




 この反応は予想していなかった。湯の心地よさと貴崎の反応の奇妙さに味山が固まっているとーー




「ふふ、ふふふ、ねえ、味山さん。鬼裂……それ誰に聞いたんですか?」





 貴崎の問い。TIPSのことや、夢に出てくるガス男のことなど話せるわけがない。味山は一瞬目を閉じた後に、言葉を返す。




「物知りでお喋りなーー」



「物知りでお喋りな知り合いだ……ですよね?」




「は?」



 今度は、味山が固まる。



「え、サトリ?」


 心を読まれた? 読心術? やっぱ貴崎は剣道やってるから?



 味山の頭の中が?だらけに染まる。


「ふふ、マイナーな妖怪をご存知ですね。でも、残念。サトリでも、読心でもないです。ふふふ、これも当たっちゃった」




「当たっちゃったって、お前…… どう言うことだ? お前、何言ってんだ?」



「ふふ、味山さんって素直に驚いてくれますよね。見てて飽きませんよ。ついでにもう一つ当ててあげます。貴方は、"鬼裂の遺骨"を探しています。理由は、えっとなんだったかな? えーと、…… ああ、そうだ。()()()()()()のために、そして探索の全うのためにだったかな?」



「あーー」




「ふふ、当たり、みたいですね。ふ、ふふふ、今日ほど運命って言葉を信じる気になった日はありません。ああ、味山さん、やっぱり貴方、とてもとても面白いです。私の代で、遺言がほんとになるなんて」



 紅潮した頰、薄い桜色の肌に目を惹かれる。うっとりとトリップした瞳が湯気の中で揺らめく。




 その神秘的ともいえる光景の中、それでも味山はその言葉に反応しないわけにはいかなかった。




「待て、お前、今遺言って言った? 遺言って、なんだ?」



「ふふ、今日始めて味山さんが本気で私を見てくれた気がしますね。遺言です。貴崎の始まり、貴崎の祖。ええ、貴方が言う通りの"鬼裂"が遺した言葉です」



「鬼裂が、遺した?」



「……味山さんって幽霊とか信じます?」



「幽霊……?」



「幽霊じゃなくてもいいんです。UFOとか超能力とか、モンスター…… あ、これはもう怪物種がいましたね」



「あ、まあ、いたらいいなとか、そう言う話は好きな方だけどよ」



「ふふ、そうですか。私もです。味山さん、私ね、幽霊に会ったことがあるんです」



「マジ?」



「マジです。意外です、本気で聞いてくれるんですね」



「お前、無駄な話するタイプじゃないだろ。遺言、幽霊ときたら、まさか……」



 貴崎が父親を張り倒して、納屋の中の骸骨を見つけた話は入院中に聞いた。



 でも、入ったあとの話は聞いていない。



 貴崎の話、その空白が埋まっていく。



「納屋の中にあった首のない骸骨…… 当代最強の貴崎しか入ることの許されないその納屋の中で、私は話を聞きました」



「話……?」




「はい、味山さんは信じますか? その首のない骸骨がね、武者鎧の骸骨が喋ったんです」



「喋った……? 骸骨が?」



 味山が呆気に取られたような顔で呟く。貴崎は笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐだけ。



「ふふ、驚きました、ほんとに怖かったです。まさかしゃべるなんて思わなかったから。骸骨が喋ったら、それはもう幽霊でしょう?」



「……そいつは、何て言ったんだ?」



 ごく。味山は無意識に溜まった唾を飲み込み貴崎の言葉を待つ。


 貴崎の潤った唇が動いた。




「伝えよーー」




 貴崎の声、よく通る鈴のような声の裏に何かが混じる。



「伝えよ、世に怪物狩りが遍く時代、世に怪物どもの楽園が生まれし時代、今よりも更に後の時代、人が夜空の星々へ手を伸ばさんとする時代にかの者は現れる」



 すらすらと唄を歌うかのごとく貴崎が言葉を紡ぐ。



「伝えよ、当代最強の貴崎よ、その者が現れぬのなら次の貴崎へ、そしてその者が現れたのなら貴様こそが、貴崎の役目を果たす者なり」



 違えることはない。それは血に刻まれた呪いにも近い言葉。


 忘れることもない。その言葉は貴崎の人生を変えた日に起きた奇跡の記憶。



 味山は悠久の時を超えて継がれてきた言葉の前にただ、耳を傾ける。



「伝えよ、その者、後の時代の怪物狩り。名は意味を為さない、残るものではない故に。しかして必ずかの者はいつか現れる、鬼裂の力を求めて、貴崎の前へ現れる」



 首の裏側の皮膚が粟立つ感覚。



「伝えよ、その者。選ばれし者にあらず。強き者にあらず。特別な者にあらず。只の凡夫。世に遍く只の人間。只の人也、しかしてその者、鬼裂の力を振るうに値する、鬼裂の狩りに並ぶ者なり」



 その言葉、時を超えて紡がれる言葉、その全ては今、味山に向けて紡がれる。




「伝えよ、鬼裂の力を求めし凡夫へ。遍く人、何にも選ばれず、何にも救われず、しかし全てを求めた愚かで、恐るべき只の人間へ」



 続く言葉は歌のように。


「伝えよ、鬼裂の力を求めし怪物狩りへ。来るべきおおいくさ。そして探索の全うの為に我が力に辿り着きし人間へ」



 その歌は今、悠久の時を超え、血の営みを以って只の人へ。



「伝えよ、只の人へ」



「かつて聴きし者の暴虐を怒りと意地で躱し」



 それはあの夏の悪夢。恐ろしい怪物との出会い。



「かつて抱きし者の悪略を、殺意と誇りで貫き」



 それはあの夏の痛み。小賢しい怪物との殺し合い。



「かつて聴きし者の欠片を喰らい、忘れられた残り滓すらも貪り、灰の友人を見捨てず、遍く光の誘惑を跳ね除けた只の人よ」



 それは味山の選んだ選択。今日に至るまでの道。



「よくぞ、よくぞ、ここまでたどり着いた。貴様は貴様の望む道へ辿り着いた。その選択、その戦、その結果、まさしく人の偉業なり」



 味山は貴崎の向こうに何かを見た。



 貴崎を通して、貴崎ではない誰かの言葉を、 



「伝えよ、貴様は成功したのだ」




 きっと味山に向けられて時を超えてたどり着いた言葉を聴く。



「貴様は見事、全てを出し抜き、全てを踏み潰し、全てを犠牲にして成し遂げたのだ」




「誇れ、貴様の知らぬ貴様の偉業をただ、誇れ」





「伝えよ、我は待つ。あの場所で。清らかな水の流れるあの場所へ」






「鬼裂の狩りは再び始まる」




 ちゃぽん。



 岩棚から流れる湯の音が戻る。耳に聞こえる貴崎の言葉はもうなく、今はただ温泉に満ちる水の音だけが心地よい。




「……貴崎、今のは」



「遺言です。代々継がれてきた先祖の言葉。当代最強の貴崎がずうっと守ってきたどこかの誰かへ向けたメッセージです。不思議ですね、もし味山さんがこの言葉に心当たりがあるのなら、あなたへと向けた言葉なのかもしれませんね」



 怖気。


 貴崎の紡いだ言葉に心当たりがありまくる。どういうことだ?


 鬼裂を探していることを、鬼裂が知っていた? どうやって?



 味山が貴崎に鬼裂についてもっと詳しく聞こうとーー




「探索者になって、よかったなあ。ふふ、人生って面白いことこんなにあったんですね…… 」



 ばちゃ。



 は? 貴崎が岩棚に寄りかかるように力を抜いた。



 気付けば、白い肌が茹でダコのように赤くなっている。




「は? 貴崎? 貴崎さん?!」



「ふふ…… つい、楽しくて…… 私、熱いお湯苦手なんです……」


 真っ赤な顔で呼吸を荒くしながら貴崎が笑う。


 どう見てものぼせていた。



「のぼせたの?! 嘘だろ! お前、あんな重要な話を意味深にしながらのぼせかけてたの?! やべえ! えーと、とりあえず冷やさねえと! 貴崎、悪い! 触るぞ!」


 味山がすぐに貴崎を湯船から出そうと肩に触れる。柔らかな白い肌は湯によって確かに熱くなっていた。



「あんっ、味山さん…… ダイタンなんですね」



「やかましい! 今そういう場合じゃねえだろうが! 肩貸すから立て! うわ、ヤバ、身体柔らかっ!」



 密着した貴崎の身体の柔らかさ、女の身体になっているそれの魅力に唇を噛んで味山が耐える。


「ふふ、やったあ、味山さんが介抱してくれるんだあ…… 味山さんの(身体)は硬くてゴツゴツしてますね」



 味山に支えられ、貴崎が力なく立ち上がる。乳白色の湯から現れた水着の肢体はやはり、肉感的で、男を簡単に狂わせる造りをしていた。



「そういうのほんとやめてくれる?! やめろ! 背中を撫で回すな!! 沈めるぞ!」




「ふふっ」



「何笑ってんだよ! ほら、あがるぞ! あと下は見るなよ、俺丸裸なんだから!」



 なんとか味山が貴崎に肩を貸し、湯船から上がる。急いで涼しい場所に連れていかないとまずい。



「ふふ、おもしろくて…… あーあ、いいなあ。あの人は味山さんのこんな面をいつでも見れるんだろうなあ…… あ、ごめんなさい、ほんと無理…… 頭ぐらぐらする」




「貴崎?! おい、嘘だろ! やめろよ、お前大ごとになったら俺も社会的に死ぬよ?  店員さああん!! 氷! 氷と水お願いしまーす!」




 ペタペタと岩造りの浴場から2人が脱出する。後に残された湯船の水面はしばらくの間揺蕩っていた。




 ……

 …


 〜旅館の一室月の間にて〜



 畳張りの感触が落ち着く。高級旅館の一室、そこで味山は浴衣に着替えてあぐらをかいていた。



 膝がそろそろ痺れてきた。



 味山は自分の膝を枕に仰向けに寝転がる女へと声をかけた。



「あ、あのう…… 貴崎さん、そろそろ大丈夫ですか?」



「ふふ、まだ少し頭が痛いでーす。味山さんの為にお話思い出して頑張って喋ってたらのぼせちゃったからなー」



「はい、ありがとうございました。おくつろぎくださいませ」



 パタパタと味山はうちわで貴崎を仰ぐ。決してその頭は重たくないが、もう風呂場から上がって小一時間が経つ。ボチボチ限界が近い。


 結局のぼせた貴崎に大事はなかったが、介抱は続いていた。


「あの…… 貴崎さん、この周りの仰々しい黒スーツの似合うお方達は?」



 浴衣姿で無防備な味山が、部屋の周りに仁王立ちで並ぶ男達へと目を向けた。



 黒いスーツに身を包んでいても分かる肩幅の広さ、立ち姿から荒事を仕事にしていることだけは分かる。




「うん? ああ、家の者たちですね。ここはうちの旅館ですから。あなた達、もう私は大丈夫だから、通常の業務に戻ってくださいな」



 貴崎がめんどくさそうに、目線だけスーツの男達へと向ける。どうあっても味山の膝から離れる気はないらしい。



「……お嬢様、しかし、外部の、それも男性と2人きりというのは」



 ゴツいスーツの男が言葉を返す。



「私が、大丈夫と言っているんですけど、何か?」



 え、やだ、怖い。人の膝に頭乗せながら殺気出すのやめてくれない? 味山は決して口には出さない。



「で、ですが、お嬢様、そう言われましても。いくら元のお仲間とは言え一般人と貴女が何かあればご当主様がなんとおっしゃられるか……」



 狼狽しつつも、黒いスーツの男が貴崎に言い返した。



「当主……? その人は私よりも強いんでしたっけ? ねえ、五島さん」



 緩い浴衣に身を包み、寝転がりながら貴崎が谷底に吹く冷たい風のような声で静かに黒スーツの男へ言葉を向けた。




「っ!! 失礼いたしました。通常業務に戻ります、全員出るぞ」



「ふふ、お勤めご苦労様です」





 貴崎がひらひらと寝転がったまま、彼らに向けて手を振る。




 何この人たち。強いどうのこうのがそんなに重要って、戦闘民族?


 味山はそのおっかないやり取りをうちわを仰ぐことに集中することで見なかったことにした。



「っ……」


 去り際に黒いスーツの男のうち、若い男の何人かに殺意が込められた目で睨まれたのも気付かないことにした。



 音もなく彼らは全員部屋から退出する。後にはもう味山と貴崎の2人きりだ。



「ごめんなさい、味山さん、みんないい人達なんだけど少し心配性で。あまり怒らないであげてくださいね」



「いや、お前が怒らないであげて。感情の幅大きすぎて怖いんだけど」



「ふふ、怒ってないですよ。あ、安心してくださいね。去り際に味山さんを睨んでいた者達は本日付けで解雇しておきますので」



 にこりと花のように笑う貴崎。緩い浴衣、仰向け、それでも胸元が大きく突き出され、肌が見えそうだ。



「やめてあげてください。そりゃ自分の美人雇い主がどこの誰か分からん男に膝枕されてたらあんな顔にもなるだろ」



 貴崎の胸から目を逸らしつつ、味山が答える。



「そうですか? お優しいんですね、味山さん、あ、もうちょっと胸元仰いで頂けますか?」



 浴衣の胸元を貴崎がしなやかな指先でつまみ、少し広げる。見えてしまいそうだ。


 味山は反射的に


 ぴしっ。



「いたっ!」



 ぴっ。


「いたい、いたいです、味山さん、デコピンしないで」



「うるせえ。年頃の女がそういう事を軽々しくするな」



 空いた方の手で貴崎を嗜めるように味山がデコピンを優しくかます。一束にした髪の毛から覗く白いおでこをはねる。



「味山さんにしかしませんよ?」



「やめろ、そんなつぶらな瞳で見上げるな。てかそろそろ貴崎、足痺れてきた」



「あ、じゃあ私が代わりに膝枕しますよ、それでいいですよね」



「何もよくねえよ…… それより貴崎、さっきの話の続きなんだけどよ」


 味山が声を低くする。



「鬼裂ですよね。いいですよ、味山さんにならなんでも話しちゃいます。何を聞きたいですか?」



 貴崎が猫のように目を細め笑う。



 高級旅館の部屋の中、浴衣をだらしなく着た美少女とふたりきり。普段の味山ならやっほうと、はしゃぐシチュエーションだが、今はそれどころじゃない。



「……鬼裂ってのは貴崎の家の先祖って認識でいいんだよな?」



「はい、そうですね。家系図の1番上には確かに鬼裂と書かれていますよ? それと眉唾の伝説とかもたくさん残っています」



「眉唾の伝説?」



「はい、曰く平安最恐の怪物殺し。日の本に湧く魑魅魍魎の尽く、大江山の鬼の首魁、京の都に這い出た土蜘蛛。それら全てを狩り殺したと」



 味山はその話に息を呑む。



 同じ話を渓流の夢の中で聞いた。ガス男の言っていた鬼裂の情報と一致する。



「……源頼光?」



「わあ、味山さん詳しいんですね。ええその通り。貴崎の家で鬼裂の功績として残っているお話は世間では源頼光の伝説、および彼の四天王のお伽話として残っています。……鬼裂は歴史の記録はおろか、お伽話にも残っていません」



「……でも、骸骨が残っている? 平安時代って千年以上前の話だよな。それが残るもんなのか」



「ふふ、不思議ですよね。私も詳しくはありませんが普通なら残りませんよ。とっくに風化しているはずです。でも、骸骨はずっと、ずうっと昔からそこにある。……誰かを待っているように」



 貴崎の目。


 大きなアーモンド型の目が味山を見つめる。



「そりゃあ、ロマンだな……。にしても首がないってのもなかなか恐ろしいな」



「ああ、それ。そうですよね。実は少し怖い話があるんですけど…… 聞きたいですか?」



 味山は貴崎の髪の毛から登る甘い匂いに耐えつつ、うなずいた。


「ああ、聞かせてくれ」



「ふふ、はーい。鬼裂の伝説の終わりは、処刑されてしまうんですよ」



 もぞもぞと貴崎がポジションを変えるようにうごく。まるで自分の匂いを味山になすりつけているように。




「鬼裂と呼ばれるわたし達の先祖はもとは1人の武士だったそうです。源頼光と共に都の怪異を殺し続けた鬼裂は、しかしいつしか自分が鬼になってしまったと記されています」



「……鬼になった、何かの比喩か?」



「うーん…… そう考えるのが普通ですよね。でも私は鬼裂は本当に、お伽話にあるような鬼に変わったんじゃないかなと思ってます」



 貴崎の言葉に味山がわずかに目を開く。じっとこちらを見上げる貴崎と味山の目が合う。



 唄うように貴崎は言葉を続けた。


「平安の世には本当に、お伽話に在るような怪物が存在していて、それを狩る存在がいた。そして私達の先祖は怪物を狩るうちに、本当に怪物に変わり果ててしまった…… ふふ、怖い話ですよね」



「あー…… でもあながち眉唾でもないよな。ほら、実際あれだ。化け物は世の中に存在したわけだしよ」


 味山は自分の仕事を思い出しながら努めておどけた。



 貴崎がにんまりと唇を歪めて答える。



「怪物種、ですね。ふふ、因果なものですね、先祖が怪物狩りで、その子孫も怪物狩りになっている。血とは馬鹿に出来ないものですよね」



「優秀な血だな。羨ましいかぎりだ」



「……味山さんが望むなら、いつでも貴崎の中にウエルカムですけど」



「微妙に反応に困る言葉遣いはやめろ。にしても怪物狩りが、怪物に変わり果てた、か……」



「気になるんですか? 鬼裂の伝説については亡くなったおじーー  祖父から良く聞いてたんです。彼が本当に鬼になってしまったと信じていたのも祖父なんですけどね」



「貴崎のじいちゃんはなんでそう考えたんだ?」



「ふふ、これが少しまた面白くて不思議で、少し怖い話なんです」



「鬼裂の最期は処刑でした。でもその処刑、鬼裂の最期はいつだったと思いますか?」



「最期がいつ? ……そりゃ源頼光と同じように語られてんなら平安時代の中期…… 1000年前だろ?」



「ふふ、ふふふ。いいえ、違うんです。今より100年と少し前。鬼裂は大正時代に貴崎の一族によって処刑されてるんです」



「は?」



「大正15年、京都。貴崎家第18代目当主、貴崎景光は、逃亡中の殺人犯、岩淵熊次郎と共に、鬼裂を滅ぼす。一族の悲願、鬼に堕ちた祖の因業はここに終わる。残る役目は1つ。いずれ貴崎の前に現れる後の世の人に伝えよ」



 貴崎がつらつらと、記録を空読みする。全て覚えているのだろうか。



「家にある書に残されている記録です。これが正しいのであれば鬼裂は平安に生まれ、大正に死にました」



 貴崎の言葉に味山が眉を潜める。あまりにもでたらめな情報が淡々と事実として伝えられる違和感に首筋が、ざわざわとした。




「いや、待てよ貴崎。そりゃ計算が合わんだろ。それがマジとなるとその鬼裂ってのは何か? 1000年近く、生きてたってわけか?」



「ええ、その通りです。長い時間を鬼裂は生きながらえてました。そして遂に自分の子孫である貴崎によって滅ばされた…… 人間なら900年生きるのは無理でも、ホンモノの鬼ならば生きていてもおかしくないでしょう?」



「そりゃ…… それもそうか。にしても一族の悲願ってのは?」



「ああ、貴崎の家にはお役目が2つあったと祖父が言っていました。一族の始まりにして最も大きな汚点。鬼を殺すモノでありながら鬼に堕ちた祖の始末。これはもう大正で成し遂げられています。……そして、2つ目は今先ほど、この西暦2028年に遂げられました」



「2つ目ってやっぱり……」



「ええ、そうです。鬼裂の最期の言葉をいつかどこかで現れる誰かへと伝える事…… 味山さん、私はきっとその誰かは貴方だと確信してます」



「心当たりが全くないけどな」



味山は少し考えを巡らせる。そもそも話がどうにもうまくいきすぎている。


1000年前の人物が遺した言葉、それはでも、聞けば聞くほど、自分に向けられたような気がしてくる。


「ふふ、いいえ、きっとその誰かは味山さんですよ。私が貴方に鬼裂のことを話せるようになっているのが何よりの証拠です」



「あ? どういう意味だ?」



「ふふ、これもほんとオカルトなんですけど。私達、貴崎の血に連なる者には奇妙な呪いがかけられてるんです。凄く単純なものなんですけど」



「呪い? もうなんでもありだな」



「ふふ、怪物がいる世の中ですから、呪いだってあってもおかしくないですよ。……その呪いは口封じの呪い。貴崎の家の者以外に鬼裂の名は絶対に話せない。鬼裂の話は絶対に出来ない……」



「ほーん、でもお前、バリバリしてるよな」



「ふふ、だからです。味山さんに鬼裂の話が出来る、鬼裂の名を伝えられる。呪いは、遺言を伝える者の選定のためにあるそうです。呪いが作動しないんなら、そういう事でしょう?」



「……にしても不思議な話だな。人が鬼になったり、鬼が遺言を未来に残したり。現代ダンジョン以外にも世の中よくわからんことが多いわけだ」



味山は少し話題を逸らす。


「そうですね。でも、ロマンじゃないですか? 長い時を超え、血を連ね、呪いを重ね、そこまでして伝えたい言葉が鬼裂にはあった。そして今、その言葉は確かに伝わった」



「ああ、確かにそれはロマンだな」



「ふふ、でしょうとも。……案外、人と鬼、ううん、人間と怪物にそこまで大きな差はないのかもしれませんね。ともすれば簡単に人は鬼になってしまうのかも。鬼裂がそうだったように」



 貴崎が天井を見上げながら呟いた言葉に、味山は反射的に自分の耳、それから首元を撫でた。



 "耳"、"神秘の残り滓"の力に触れ、それを道具として役立てて来た味山にとってその言葉は、単なる呟きには聞こえない。




 人間と怪物にあまり大きな差はない。



 何かとても、核心を得ているかのようなーー





 貴崎の白い手指が、味山の膝を撫でた。味山がその指にデコピンして嗜める。



「ふふ、くすぐったいですか?」


 ちろりと、いたずらがバレた子どものように貴崎が赤い舌を見せる。



 顔の整っている女がするとどんな所作も形になるからずるい。味山は貴崎の手にもう一度デコピンして、目を背けた。



「いたっ。味山さんに怒られちゃった。ふふ、ふふふふふ、……あれ?」



 くすくすと笑っていた貴崎が突如黙る。ちらりと様子を薄目で確認すると



「貴崎…… お前、それ」



「え、あれ、あれれ? ふ、ふふ。どうしたんでしょう? えー、さすがにこれは我ながら気持ち悪いかも」



 貴崎の大きな瞳から、一筋の涙がすっと溢れた。1つ、2つ、大粒の涙が形の良い瞳から溢れて、頬を伝う。



「ご、ごめんなさい、すぐどきますっーー」



「いや、いいよ。貴崎」



 涙を流しながら慌てて味山の膝から離れようとする貴崎を味山は押し留めた。



「え、で、でも、汚れちゃう。なんで、なんでこのタイミングで? ヤダ、止まらない……」



 泣き笑いのような表情。貴崎も困惑しているようだ。感情と涙が連結していない。



 しかし味山は考えるよりも先に、貴崎を自分の膝に留めた。



 素直に貴崎が、味山の膝に頭を預けたまま涙を零し続ける。



「……泣いてる女のこが好きなんですか?」



「フェチ扱いすんなよ。……わかんね。でもなんかこうしないといけない気がした」



「ふ、ふふ、意味わかんない…… 味山さんも。私も。なんで、涙止まらないんでしょう……」



 そのまま2人は無言になる。味山はただ、貴崎を見下ろしうちわを仰ぎ続けるだけ。貴崎はただ、嗚咽もなく、涙だけを流し続ける。



 数分後、ゆっくりと貴崎が目を瞑る。




「すー、すー……」



「嘘だろ、こいつ。人の膝を枕にして、泣き始めたと思ったら眠りやがった」



 愕然とするも味山は貴崎を起こすことはしない。


 まだ鬼裂について聞きたいことはたくさんある。



「……熟睡じゃん」



 味山はため息をついてうちわを手に取った。


 パタパタとした呑気な音が、安らかな貴崎の寝息と重なり、部屋に響いていた。




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