46話 キサキ・イン・デート
何も教えられなくても、私は初めから全て知っていた。
どう握ればいいのか、どう運べばいいのか、どう振ればいいのか。
刀の扱い方、力の扱い方を、戦い方を初めから知っていた。
天才、血の成功、貴崎の誉。周りの大人は皆私を称賛する。
その度に私は首を傾げた。この人たちはなぜこんな当たり前のことで驚いたり、喜んだりするのだろう。
そのことが気持ち悪くて仕方なかった。でも、私は笑っていい子にした。
お父さんとお母さんはそれなりに好きだった。2人は私がいい子にしてるととても喜んだから、だから、そうなるようにしていた。
貴崎の家は古くから続く剣術の家だ。警察や自衛隊にも多くの門下生がいて、偉い人ととも繋がりが深い。
そんな人たちは私を見て、みんなお父さんとお母さんを褒めていた。
さすが貴崎。さすがは貴崎の血筋。
馬鹿みたい。でもいい。あなたたちがそうしていればお父さんとお母さんが喜ぶから。
剣の才能だけじゃない。自分の見目が美しいのは5歳くらいの頃には気付いていた。門下生の男の子や、師範代の子どもたち、みんないつも私を見ていた。
勉強も、運動も、容姿も、才能も、私は初めから持っていた。
でも、全部どこかくだらないものだと思っていた。だって、それら全部使い道がなかったから。せいぜい、それなりに好きな両親を喜ばせるための道具に過ぎなかったから。
退屈だった。
生きることが本当に退屈で、出来て当たり前の事が出来ないみんなが、大袈裟に受ける羨望や期待が気持ち悪くて仕方なかった。
自分の才能の無駄さが、ただ、ただ、虚しかった。
生きるってことがどうしようもなく、つまらなくて、寒くて、しょうもなかった。
人生が早く終わればいいと、本気で考えていた。
あの日までは。
私の人生が始まった日は、2つある。
1つ目は、あの日。お父さんを模造刀による試合で、病院送りにした日。怯えながら私を見るお母さんに納屋を開けさせたあの日だ。
私はあの日、自分に与えられた才の使い方を覚えた。私の才は私の願いを叶えるためにあるんだ。
そして、2つ目はあの日。
思い出せば、身体の芯が熱くなる。
無造作に、ヘタクソに振られる斧。
怪物の肉に刃が食い込む音。
飛び散る青い血の、甘い匂い。
今でも思い出す、青い血に濡れた、あの人のヘタクソな笑顔ーー
………
……
〜味山の退院から翌日、探索者街 ニホン地区、観光エリアにて〜
「おい、あのこ可愛くね?」
「誰かと待ち合わせしてるのか? 声かけてみようかな……」
「やめとけよ。相手にされるわけねえだろ」
待ち合わせの場所はニホン街の金次郎広場だ。広場の中心に銅像があるわかりやすい場所は、ニホン街の入り口に存在し、待ち合わせスポットとして利用されていた。
人の間を行くと、周囲がざわざわと騒いでいる。主に男性がみなソワソワしながら、声を潜めていた。
「さっき声かけた奴、30秒で振られてたけど、なんか満足そうな顔してたな……」
「やっぱ行ってみようか……」
なんか、モデルでもいんのか? 味山はヒソヒソと話す男たちの間をすり抜けるように歩き、銅像を目指す。
時間は10分前、まあ遅刻はないだろう。
人の波を抜け、待ち合わせ場所を確認すると、もう相手はそこにいた。
ハイウエストのスカートに、黒いタイツ、白いセーターに薄手のジャケットを羽織る姿は、ファッション誌の表紙に出てもおかしくない。
貴崎 凛。今日の待ち合わせの相手はただそこにいるだけで衆目を集めていた。
「やっべえ、マジでタイプ…… 」
「なんか、いいよな……」
どうやら、男たちの視線を集めているのは彼女だ。広場にいる男、よく見ると女もみんなちらちらと貴崎の様子を確認している。
少しでも貴崎を視界に焼き付けるかのように。しかし、当の貴崎の表情は、一定だ。時折り髪をいじったり、手鏡を見たりして周りの視線など介していない。
あー、なんか声かけづらい…… 電話で呼び出すか? 味山が貴崎に群がりつつある人々の中、端末を使用しようとしてーー
「あ! 味山さーん!! こっち、こっちでーす!」
OH……
ジロリ。貴崎に向いていた人々の好奇、好意、劣情の視線が一斉に味山へと向けられる。
は? コイツが? あの子と? 誰? 事案? 死ね?
目が口ほどにモノを言っていた。アシュフィールドと待ち合わせしてるときに感じる視線と同じものだ。
だからこそ味山は慣れていた。一度大きく息を吸い、それから満面の笑みでブンブンと大きく手を振る貴崎へと向けて、挨拶しながら近づく。
自然に、自然に、努めて自然に。それがコツだ。自分に言い聞かせながら。
「おお、悪い、待たせた。待ち合わせの時間には間に合ってるよな?」
「はい! 予定は11時でしたから! 今は10時50分、問題なしです」
「そりゃ良かった。貴崎はいつ到着した?」
「うーん、ついさっきですよ! 到着した瞬間、味山さんが来た、みたいな感じでーす」
「そっか、悪いな、忙しいのに時間とってもらってよ。大丈夫だった?」
「えへへ、ちょうどわたしもオフだったので問題ないです! 味山さんこそ、病み上がりで外出て大丈夫なんですかー? 腰とか膝とか無理してません?」
「年寄りみたいな心配すんなよ。ああ、おかげさまで身体は問題ねえよ。チームの全員が退院するまでは、自由だしな」
「へえ…… そうなんですね、はやくみんな退院できればいいですね!」
「そうだな、まあ、頑丈な連中だしすぐだろ」
「そんな顔で、笑うんですね」
「ん? 悪い、聞こえなかった。なんて?」
「いえいえ! お気になさらずに!! なあんでもありません! 人も多くなってきましたのでそろそろ行きませんか?」
「そうだな。とりあえずどっか座れるとこでも探すか。あ、そういやこの辺最近、わらび餅の専門店出来てたよな」
味山が出発前に五分くらいでググっていた店へ誘導しようとする。
今日の目的はシンプル。貴崎に、"鬼裂"について聞くことだ。早めに場所を確保した方がいいだろう。
味山の提案を受けた貴崎がしかし、もじもじしながら声を上げた。
「あ、あの!! 味山さん! そ、そのですね、じ、実は私行ってみたいところがございまして!!」
「え? おお、じゃあそこ行こうぜ。今日は俺が誘ったから、なるべく言うこと聞くぞ」
まあ、場所が決まってんならいいか。味山は安易に貴崎へと主導権を渡す。
「ありがとうございます! それじゃあ、こっちです! 実はもう家のものに伝えて予約もしてたり、えへへ」
「オッケー、了解。……ん? 予約?」
家のもの? 誰? おかあさん? 味山がなんとなく貴崎のセリフに違和感を覚えて。
「はい! 人も集まってきましたし! あそこなら人目も気にしなくてたくさんお話しできます、さ! いきましょう!」
「お、おう。人目を気にしなくていい? 貴崎? どこにいくつもりだ?」
あれ? なんだろ、この感覚、なんか普通じゃない気がしてきた。
「えへ、行ってみてのお楽しみです!」
桜が咲いたような笑顔。味山は周りからの殺意すら感じる視線を無視して、その笑顔にがぎこちなくうなずいた。
…
かっぽーん。
溢れ出る湯、湯気の上がるそれに身を浸しているともう全てがどうでもよくなる。
岩造りの露天風呂。そこに味山はいた。
「あー、もう友達とかいらねえ……」
乳白色のお湯に肩まで浸かり、岩造りの浴槽に頭を預ける。ゴツゴツした感覚が後頭部の頭皮を刺激する。気持ち良い。
味山は誰もいない広い浴槽で足を伸ばし、額の上に乗せた手拭いをいじる。
「すげえなあ…… まさか、温泉1つ貸し切るとは…… やっぱ人生、金とコネと太い実家かあ……」
ぽちゃん。
さらさらとした湯が肌に馴染む。身体の芯を温める熱が、疲れを溶かしていく。
場所はニホン街にある組合公営の旅館、たびかごやの名物、火山温泉。味山は1人で温泉を満喫していた。
貴崎の行きたいところ。つまり、ここだ。
実家のツテでわざわざ今日の3時間だけこの旅館の温泉を貸し切りにしたらしい。普段は多くの人が集まる温泉も、本当に味山以外人っ子1人いなかった。
「アシュフィールドみてえなことする奴だな……」
乳白色のな湯が空から降り注ぐ日光に照らされ輝く。
手のひらに掬ったお湯に小さなひだまりが溜まった。
「風流だねえ……」
かららら。
「味山さん、お湯加減はどうですかー?」
「おお、最高でーす。いやー、やっぱたまにはこうしてゆっくり温泉につかるのもももももももも。……は? 貴崎?」
扉が開く音と同時に、貴崎の間延びした声が聞こえた。
バスタオルに包まれた豊満な身体。出るところは出て、締まるところはしまっている健康的な肢体。
縛られた髪の毛が、白い肌に散らばる。長い脚、肌が見える面積が多すぎてーー
貴崎が、男湯に入ってきた。
「やばい条例違反っ!!」
「あ、味山さん?!」
反射的に味山が湯船へと潜る。コンプライアンス的にやばい! ていうかアイツ頭おかしいんじゃねえの? なんで、ここオトコユ?! キサキオンナ! ジュウハチサイ!
「もがぽぼべご、びばぶ! ぼばべばんぼぶぼりば!!」
「味山さん、何か言ってるのはわかりますが、何を言ってらのかわかりません。なので、失礼しますね!」
息が限界になった味山が湯から顔を上げる。
ざぱり。貴崎が桶に湯を溜めかけ、しゃがみ込む。やばい、湯気で見えにくいけど、なんか色々見えそう。
「まって! 待て貴崎!! お前、それバスタオル!! かけ湯したらそれ、透けてーー」
「あ、ほんとですね。たしかにバスタオル巻いたまま入るのはマナー違反ですよね」
「は? いや、違う、え、伝わってる? 俺の言葉」
ぽかんと口を開ける味山を尻目に、貴崎が肢体を包むバスタオルをはだけてーー
「ああああ!! 社会的地位! 風評被害! コンプライあ…んす?」
駆け巡る色々な社会のしがらみを叫びつつ、味山が言葉を止めた。
はらり、バスタオルが貴崎の身体から離れる。しかし、
「……水着?」
白い肌に純白のビキニが眩しい。陶芸家が整えたようなくびれに、その細い身体に見合わない豊かな胸、すっと伸びた脚。
才能とは、こういうものなのだろう。味山はぽかんと口を開いて貴崎の身体から目を離せなかった。
「えへ、そうです。きちんと履いてますよう。慌てすぎですよ、味山さん」
その女の才能の塊がしずしずと浴槽に近づく。少女、しかし余裕をたたえた女の笑み。
「味山さんのえっち」
少女が味山を嗤った。下腹部にくる笑い。自分の魅力を自分の武器として理解している。
男なら誰でも、その雰囲気に我を忘れ、貴崎を求めてしまうようなー
「えっちなのはお前じゃ!!!」
「きゃっ?!」
ぴたーん! 味山が放り投げた手拭いが貴崎の白いお腹に張り付く。
「肌隠せ!! 肌ァ! どいつもこいつもなんかエロいんだよ!! うなじとか鎖骨とか胸とか太ももとかぁ! 勘弁してよおお!! エロい店もいけねえのによお!!」
「……味山さん、そ、その……」
ざぱりと浴槽から立ち上がった味山が叫ぶ。貴崎が急に顔を真っ赤にして、手で顔を覆う。
なんだ? 味山が首を傾げる。
「あ、あの、あのあの…… 味山さん…… 前、見えちゃってます…… か、隠してくださいぃ」
指の隙間からこちらを見つめる貴崎の瞳が揺れた。
「まえ……?」
あ、やべ。
スッポンポンで水着の女子高生に叫ぶアラサーの男がそこにいた。
「すみませんでさばああ!!」
「ああ?! 味山さん!? 溺れちゃう! 溺れちゃうから!」
反射的に土下座した味山が、乳白色の湯に沈む。鼻に湯が入ってとても痛かったが、そんなことどうでも良かった。
……
…
かっぽぽーん。
「えへ。味山さんとこうして一緒のお風呂に入ってるなんて。なんか、信じられないなあ」
「うん、そうだね。ていうか普通に事案になるからそろそろ出ていい?」
結局、水着の貴崎には色々な意味で逆らえなかった。
なるべく貴崎の肌を見なくて済むように露天の空や、岩の陰影に目を向けながら会話する。
「ねえ、味山さん。もう少し近くにいってもいいですか?」
ちゃぷ。水音で貴崎が身をよじったことが伝わった。
「ダメだ!! いいか! その距離! 社会的距離たるソーシャルディスタンスを守れ! 2メートルの距離を要求する!」
味山は貴崎を見ずに手を挙げながら強く発言する。この距離はせめて死守しなければ……。
味山と貴崎は大体2メートルほどの距離をとる。広い浴槽だ。その距離をとっていてもまだスペースには余裕があった。
「もー、恥ずかしがらなくてもいいのに…… 」
「恥ずかしがるわ!! 俺は海パンないんだけど! 水着を着ているやつにむき出しの心細さがわかるか!?」
「……じゃあ、わたしもむき出しになりましょうか?」
「はい、コンプライアンス違反。味山くんは社会的制裁を受けること決定しました」
「ふふ、大丈夫ですよ。どうにもならなくなったらわたしが養ってあげますから」
「俺は食費かかるぞ」
「あら、じゃあ頑張ってお金稼がないとですね」
貴崎が湯気の中、笑う。だめだ、こいつ。何言っても強い。いっそ男の怖さを教えるためにちょっと驚かすか?
味山はじとりと貴崎を一瞥する。
「ん? どうしました、味山さん」
水着の黒髪女子高生が、怪しく笑う。
……だめだ、やめておこう。色々勝てる気がしない。
「んー! それにしても味山さん、いい湯ですねえ、疲れも吹き飛んじゃう」
ぐぐっと、貴崎が背伸びをする。白いビキニに包まれた年齢離れした胸が強調される。
「貴崎さん、あまり身体よじらないでもらえます? 刺激が強すぎまして……」
「! えへへ、気になりますか? 中学3年生の頃から胸当てがきつくなってきて…… 結構動きにくいんです」
「そりゃ、ご立派で。つーかマジでやめて。ほんと、そういうのは大事なときにとっとけ」
「……大事なときって?」
貴崎がキョトンと首を傾げる。いちいち動作がかわいい。味山は唇の裏側を噛んで、耐えていた。
「好きな男が出来た時とか。知り合いの男に簡単に見せるもんじゃねえ」
ぽちゃん。
お湯が揺れた。
「……ふふ、やっぱり、そういう考え方なんですね、味山さん」
貴崎が湯船の中立ち上がる。ほんと、肌色多くてやばい。てか、白すぎる。お日様浴びてる? 味山は数々の呑気なことを考えたが、どれも言葉には出来ない。
「き、きさき?」
「ねえ、味山さん。もしわたしが味山さんのこと好きって言ったらどうします?」
「ぐえ」
味山が大きく口を開ける。
「……こらこら、ぐえってなんですか、ぐえって。こー見えてもわたし、結構モテるし、中々良い物件だと思うんですけど」
貴崎が拗ねたように口を尖らせる、顔が良いと何しても可愛い。羨ましい。
「からかうなよ。男はお前が思うほど頭良くねえんだから。可愛い子にそういうの言われたら、かなり揺らぐ」
「……可愛いって思ってくれるんですね。ねえ、なんで味山さんはそんなのなんです? 多分他の男の人ならわたしとこんな事してたらもう、襲いかかってきてもおかしくないと思うんですけど」
「うげ」
「あ、またそんな反応する。ひどーい」
「そこまで冷静に男のツボついてくる女子高生に手出せるか。恐ろしい」
味山が肩までゆっくり湯に浸かる。貴崎の方はなるべく見ない。理性がもつとも限らなかった。
「……教えてください、味山さん。どうしたら、わたしに興味持ってくれるんですか? どうしたら、わたしを見てくれるんですか?」
「とりあえず座れよ、風邪ひくぞ」
ぽちゃん。貴崎が素直に湯に浸かる。水着姿の女子高生と全裸のアラサーが同じ浴槽に浸かっている。事案だ。
味山は考える。貴崎は奇妙なことに自分に対して興味を抱いている、それはおそらく恋とかそんな一言で済ませれるものではない。
どうして良いかは分からない。さて、どうやって"鬼裂"のことを聞き出すか。そんな雰囲気でもなくなってしまった。
もーなんかめんどくさくなってきたな。もういっそ本格的に温泉楽しむことにするか?
味山が生来のめんどくささに、問題を先送りにしようとしたその時。
貴崎が、静かに、湯気に混じるような一言を呟く。
「味山さん、今日誘ってくれてありがとうございました。1つ当ててもいいですか?」
「ん?」
味山が思わず貴崎を見る、そして、固まった。
その表情、頬が上気し、白い肌は薄い桜色に染まる。
とろんとした瞳、しかしその奥にある光はあまりにも妖しく、美しかった。女の貌、男を試し、捕らえる、そんな魅力を秘めた貌だ。
「味山さん、わたしに何か聞きたいことがあるんでしょ? もしくはわたしの持ってる何かが必要?」
「え」
「だって、貴方がわたしになんの用もなく会おうとするなんておかしいですもん。味山さん、気付いてないかもしれないけど、味山さんって自分で思ってるよりも実利的で、排他的で、冷たい人なんですよ」
「え、ひとでなしじゃん……」
「ふふ、そうですね。でも、わたしはそんなひとでなしさんの事が気になっているのでした。だから、いいですよ。なんでも話してあげます。何が聞きたいんですか?」
貴崎が薄く笑う。先ほど垣間見えた妖しい女の貌は影に潜む。
「ねえ、話して。味山さん、なんでもいいから、貴方の役に立ちたいんです」
乳白色の湯の中、貴崎が湯気に混じって、小さく笑った。
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