38話 飛び出せ! あじやまのゆめ
…….…
……
「きゅっきゅきゅきゅー!!」
「どぉあ?!!」
目の前に突如現れた影、小さなカッパが突然顔面目掛けて飛びかかってきた。
「きゅっきゅっき!!」
「うわ、この、獣!! 顔にまとわりつくな! うわ、やだ、しっとりしてる」
水かきのペタペタした感覚や、ひんやりとしたお腹の感触が顔面にまとわりつく。
うおお、と叫び味山が思わずしりもちをつく。
きゅっきゅっと鳴く未確認生物、キュウセンボウが面白がるようにさらに味山の顔に腹を押さえつけてきた。
気付けば、味山はまた渓流の夢の中にいた。
川の流れる音、こぽこぽと湧く岩清水の音、木々の合間から響く鳥の声、全てが心地よい。
「きゅっきゅっ!!」
「ははは、キュウセンボウ、彼に会えて嬉しいのは分かるがその辺にしておきなさい。キミは見た目よりも体重があるのだから」
「きゅっ!」
びたん! 腹を顔面に押しつけてくるキュウセンボウが素直に離れる。
味山はその男や女、老若男女が混じり合った声の持ち主を見上げた。
「ぶへえ…… うわ、なんか肌がしっとりしてんだけど…… おお、またお前らか、ガス男、キュウセンボウ」
「ああ、私たちだとも、人間」
「きゅっ!!」
切り株に腰掛けたガス男の膝にキュウセンボウが戯れるようにまとわりつく。
黒いもや出来た人影に、ちっこい丸々としたフォルムのカッパが戯れる姿、どんな夢だよ、味山は突っ込みつつもその場にあぐらをかいた。
「きゅっきゅ、きゅきゅー!」
丸々したちっこいカッパ、キュウセンボウが味山に向かって鳴きながら、小さな手を振り回す。
「いや、なんて言ってんのかまるで分からん」
「ふむ、何々…… よくぞ戻った、我が眷属よ。我が力を扱う貴様の姿は我に在りし日の高揚を思い起こさせた、褒めてつかわす…… と言っているね」
「嘘つけ!! こんなデフォルメされたチビ河童がそんな事言うかよ?!」
味山が身体をよろめかしながら、声を上げる。キュウセンボウのつぶらな瞳が、輝きながらこちらを見ていた。
「見た目で判断してはならないよ、人間。彼はこう見えても古き世界、まだ神秘が世界に当たり前に存在していた頃の存在だ。彼は、彼以上の恐ろしき存在がうようよといる海を、一族誰一人欠ける事なく導いた偉大なる族長なのだから」
「きゅっきゅっきゅ!!」
ばあああん、と効果音でもつきそうなくらいキュウセンボウが腰に手を当てて得意げに小さなクチバシから鳴いた。
ええ…… 良くて愛玩動物、悪くてUFOキャッチャーの景品にしか見えなのに……?
味山は訝しげな目で、自分の夢の中に住み着く奇妙な連中を見つめ、そしてため息をついた。
まあ、でもキュウセンボウに助けられたのは事実だ。あの溶けた地面の中見た光景を味山は思い出していた。
おもむろに味山が、足を正し、正座をする。
腰を折って、深く頭を下げた。
「ありがとう、キュウセンボウ。お前のお陰で俺は探索を全うできた。これからもまた頼む」
「きゅ」
「ふむふむ、気にするな、我が眷属よ。貴様の道にはこの我、九千坊の加護ぞある。冷たき水が貴様の道を阻む時、我の名前を呼ぶといい…… らしいよ」
「嘘だ! あの"きゅ"の一鳴きにそんな意味が込められるワケがねえ!」
味山の叫びが、渓流に響いた。
……
…
「きゅきゅきゅー♪」
「よし、そこだ! キュウセンボウ! 追い詰めろ!」
「人間!! たもあみだ! キュウセンボウがやるぞ!」
夢はまだ覚めない。
恒例の魚釣りを始めたところ、キュウセンボウがものすごいアピールを始め、ガス男が話を聞くと、魚を獲るのに協力したいとの事だった。
見た目からは想像つかないくらい、水の中に入ったキュウセンボウは速かった。
魚影を見つけると、瞬時に水中に潜航、魚よりも早く、機敏に追い詰める。
ガス男と味山はたもあみを河岸に構え、キュウセンボウの追い込み漁を手伝う。
「きゅきゅ!!」
「でかい!!」
「構えろ! 人間! 失敗は許されないぞ!」
キュウセンボウに追い詰められた魚が、網に近づく。ガス男と味山が叫びながら二つのたもあみで囲んで、魚を捉えた。
「うお!!」
「むむ!」
「きゅー!!」
網の中に魚が飛び込む。逃げようとする魚を2つのたもあみが閉じ込めーー
ばしゃり! 水面から網がすくわれ、大きな魚が網の中で踊る。
「フイーッシュ!! いや、キャッチャか!」
「良くやった! 人間、早く地面に!!」
「きゅきゅー!」
1人の人間と、1つの黒い人影、そして1匹の河童によりこの日、4匹もの魚を得る事が出来た。
ぼおっ……。
いつのまにかガス男が場所を移動し、火を熾していた。
味山が気づくと、魚が1匹、串刺しにされ、遠火で炙られている。
「かけたまえ、人間、戦いの後に火を囲み、魚を喰らうくらいの余裕はあるだろう」
「あ、ああ。サンキュ。あの急に瞬間移動するのやめてくれる? 割とびびるから」
「きゅっきゅっ」
味山が呆れながら、焚き火の近くにある椅子にちょうどいい切り株に腰をかける。
火を挟んで対面に座るガス男の傍ら、キュウセンボウが生で魚を頭から丸かじりにしていた。
わあ、歯鋭い。そうだよね、魚が主食なら骨までいくためにそうなるよね。
味山はキュウセンボウの食べっぷりに目を奪われる。
パチ、火が弾ける。
「さて、今回はお疲れだったようだね、人間。予想よりも早い"耳"との再戦、まずはキミの生還を讃えよう」
「そりゃどーも。ガス男、 てめえいったいどこまで知ってる? あのクソ耳とお前、どういう関係があるんだ?」
揺らぐ火が、味山の茶色の瞳に灯る。対面のガス男の顔には何も映らない。ただ黒い、どこまでも続くような黒いもやが溜まるだけ。
「どこまで知っている、か。少なくともキミより色々な事を知っていると思うよ、例えば、そうだね、"箱庭"、"彼女"、"腑分けされた部位"特にこの辺りの事情には、おそらくそうだね、私以上に詳しい者はいないだろう」
「腑分けされた部位…… "耳"の事か。なあ、あれはいったいなんなんだ? どう考えてもあれは他の怪物種とはちがう、異質な存在だ。あれはどこから来て、何を目的としている?」
きゅー、キュウセンボウが2匹目の魚にとりかかる。今度は尻尾から食べるらしい。
「ふうむ、そうだね。キミはまがりなりにも、2度、"耳"を退けた。それは偉業と言ってもいいだろう。キュウセンボウの大海渡りに匹敵するほどのね」
「きゅきゅ?」
キュウセンボウが自分の名前を呼ばれたので、首を傾げてこちらを見つめる。しかし、魚の方が気になるらしい。また尻尾にかじりつき始めた。
「ならよ、その偉業に対する報酬があってもいいんじゃないか?」
「ああ、キミの言う通りだ。試練には報酬が必要だ…… だが、キミはまだ全てを知るには足りないモノが多すぎる。戦い、奪い、集めて、貯めて、喰らう。人間の業を重ねていけば、自ずとキミは知ることになるだろう、この世界の底に潜むモノに」
「抽象的なポエムで誤魔化すなよ、俺の質問はシンプルだ。"耳"あれは、なんだ?」
味山の質問に、ガス男が観念したように、背をのけぞらせた。
「はあ…… 分かった。今回は特別だ。"耳"を二回撃退した報酬として、少しだけ教えよう…… "耳"は元より1人の人間より分かたれた部位の1つだ」
「1人の人間?」
「ああ、そうだ。1人の人間、"其れ"。そのバラバラになった亡骸のうちの一つ。"彼女"の力と、"其れ"の歩んだ道が生み出した恐ろしい化け物だ」
「また余計に分からなくなるな。"其れ"ってのは誰だ?」
「……きっと、其れはキミとよく似ていたんだろうな」
「あ? なんだそりゃ」
ぱちり、遠火で炙られる魚、脂が弾けた。
「キミの黒い髪に、栗色の瞳…… ああ、よく似ていたんだろう。だから、キミは"部位保持者"の資格を持っているんだろうね」
部位保持者、どこかでTIPSがささやいた言葉だ。
「……他にもいるのか? 俺みたいに、"耳"とか、他のを宿す人間が」
「くく、それはどうだろうね。今言える事は、1つ。"部位"は絶望の中に現れる。絶望に身を置くモノの前に"部位"は姿を見せる物だ。……箱庭には絶望が有り触れているからね。キミ以外にいてもおかしくはないだろう」
また答えになっているような、いないような。味山は焚き火を見つめて、ため息をついた。
分からない事が多すぎる。
「……今回はヤバかった。下手したら仲間を死なせていたかも知れない。俺はどうやったら強くなれる?」
味山は漏らすように呟く。今回の探索、それまでの探索でも感じでいた事だ。
弱い。
決定的に俺は弱い。アレフチームの誰と比べても味山はその全てに劣る事を自覚していた。
「キミには"耳"が宿っている。正確には耳糞だがね。それをよく使う事だ。"耳糞"に使われるのではない、キミが、道具として使うんだ。強い意志と充分な体力があれば、"耳"に呑まれることもないだろう」
「耳……ね。こいつらについても、そのうち全部が、わかるのか?」
「ふふ、キミが箱庭を下ればね。存分に戦い、奪い、喰らい、貯め、強くなりたまえ。それが人間の業だ」
「きゅー…… ゅーー、すー、すー」
ガス男が、仰向けに寝ているキュウセンボウを撫でる。どんだけ魚を食ったんだよ、その腹は山のように膨らんでいた。
「人間、キュウセンボウ、彼と同じモノを集めたまえ。神秘の残りカス、箱庭の生命とはルーツが異なる、滅びた者達の力を借りるのだ。"彼女"も、彼らに干渉することは出来まい。"耳"に呑まれることもなくなるだろう」
夢が、軋み始める。味山は焚き火を見つめていると、眠くなって来ていることに気づいた。
あ、やべ。また肝心な時に……。夢の終わり、目覚めの予感を味山は自覚した。
「おや、目覚めが近いようだ。ああ、人間、キミは早く目覚めるべきだ。"彼女"が、彼女を飲み込もうとしている。キミはそれを止めるべきだ」
「あ? なんの話だ?」
「キミの話だよ。これは……そうだな。言っても構わないだろう。目覚めたら真っ先に、メモ帳を読むといい。ああ、塩だ。塩を忘れないように持っていくべきだ。詳しくは、TIPSが教えてくれる」
「おい…… あのヒント、もしかしてお前が?」
「正確に言えば、私も、だ。TIPSはキミの味方だ。それを疑う必要はない。だが、TIPSに必ずしもキミは従う必要もない。決めるのはキミだ、人間」
揺れる火が、大きくなる。綺麗だ、複雑に変化し続ける火の波が、揺らぎつづける。
「それでは、次の夢でまた会おう。集めるといい。戦う為の力を。それが人間の業だよ」
「きゅ、きゅ」
ガス男と、キュウセンボウが小さく手を振る。眠たい、まぶたの重さに逆らえなくなる。
味山はそのまま、目を瞑った。水が湧く音、ぴちゃん、魚が水面を跳ねる音が最後に聞こえた。
……
…
〜9月18日、PM 17時半頃……
「……ふご」
カァー、カァー。
窓の外から海ガラスの呑気ない声が聞こえる。
黄昏、目を開くと、白い壁、白い床、白い天井が、皆一様にオレンジ色に染まっている。
病室だ。
多分、あの探索の後、病室に運び込まれて、そのまま眠っていたのだろう。
どれほど寝ていたのだろうか、探索が終わってからどれくらいの時間がたったのか?
「う…… 身体、痛…… あれ、ガス男に、キュウセンボウは……?」
味山はさっきまで見ていた夢の住人の名前を呼ぶ。今回は不思議と、夢を覚えていた。おぼろげに、まだあの囲んでいた焚き火の暖かさが手のひらに残っているような……
「う…… えっと、何しなきゃなんねーんだっけ」
味山が気怠い身体を起こしながら呟く。なんか、見ろってガス男が言っていたよな。
味山は部屋を見つめる。ぼやけた視界が徐々に夕焼けの光をもとにはっきりしてきた。
見ればベッドのすぐ脇には点滴が用意されている。だが、今は味山には刺されていない。味山はそのまま動き始めた。
「あ、なんだ? あのダンボール……」
簡素な病室の隅、ダンボール箱が置いてある。宛名書きのような紙が貼られている、宅配物だろうか。
「よ、っと…… うわ、身体重っ」
簡素な病衣を纏い、スリッパを履いて味山がベッドから出る。歩くたびに関節からバキボキと音が鳴った。
「あー…… じいちゃんじゃん。仕送り……か」
宛名には味山只人、送り主には味山豊彦と記入されている。両親のいない味山の親代わりの父方の祖父の名前でダンボールは送られていた。
べり、べりり、
包装を無視して、味山が力づくでダンボールを開く。
中には日持ちのする缶詰や、乾物、それに食塩などの調味料や、ペットボトルの清涼飲料水が入っていた。
「じいちゃんの仕送りが、なんで病室に……? まあ、いいや、とりあえず飲み物のみてえ」
味山がダンボールからペットボトルを取り出し、中身を飲み干す。
美味い、スポーツ飲料の甘い香りが身体に染み込んでいく。
数日ぶりに飲み物を飲んだような感覚さえ、あった。
喉を潤す液体が、味山の頭に残っていた夢の残滓を洗い流す。
あれ、何か俺しなきゃいけなかったよな。なんだったけ? 味山が虚な記憶を探していると。
きいん、いつもの耳鳴り。突如として現れる。
TIPS€ アレタ・アシュフィールドの病室へと向かえ
「ん? アシュフィールド……?」
あれ、誰かがそんな事言っていたような。味山が首を傾げた。
「ん、なんだありゃ」
ふと、ベッドの近くの丸机、その上にメモ帳が置かれているのを見つける。
「メモ帳…… 誰のだ?」
適当に、味山が開いていくと白紙のページが続く。パラパラと適当にめくり続けると、それは見つかった。
「902号室がアシュフィールドの部屋だ…… 誰が書いたんだ、こんなん……?」
下手くそな字、赤いボールペンで殴り書きされたメッセージがそこにあった。
902号室…… とりあえず行ってみるか。てか、あのこと、早く謝らねえといけない。
味山はそのメモ帳を拾い上げ、部屋を出ようとして。
ふと、またダンボールが目に入った。
「……うーん、なんか頭がボーっとするな…… えーと、塩……持ってきゃいいんだっけ」
祖父からの仕送り、何故か病室に置いてあっだそれを味山は覗き込み、その中から袋詰めの食塩を拾う。
TIPS€ 推奨装備、ハカタソルトを手に入れた
「大げさなんだよ、探索にいくわけじゃあるまいし」
味山は、夕焼けに染まる部屋を出る。
端末も何もない部屋の中、味山は今の状況を知る由もなかったし、雑にダンボール箱を開いたせいで、宛名状も破いてしまっていた。
だから、知らなかった。
味山が病室に運び込まれて、既に5日が経っていることに。
プシッ、自動ドアが開く。
味山が、アシュフィールドの病室を探す。
「はあ…… ビンタしたこと早く謝らねえと…… やべえ、ノリノリでやっちまったよー」
ため息をつきながら、味山はペタペタと、スリッパの音を鳴らしながら病院の広い廊下を進み始めた。
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