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33話 アレフチーム撤退戦

 



「ーー」



 耳だ。




 耳が地面から生えている。




 沈殿現象でドロドロになっているはずの地面から耳が生えている。



 味山の行動は早かった。


 即座にベルトから爆竹を取り出し着火、地面に放り投げる。




 ーーーーーーーー!!



 光、瞬く。


 火薬、香る。


 でも、音が鳴らない。それは消音にした動画を目の前で眺めているような奇妙な光景。



 世界が突然、ミュートされた。




 知っている、味山只人はこれを知っている。




 ドロドロの地面から這い出る、大きな、大きな一対の耳。


 短い手が、地面を掴み這い出てくる。



 ああ、間違いない。




「ーーーー!!」



 おまえか。味山の8月の悪夢のような現実、恐ろしき怪物。


 耳の、化け物。



 どぷり。まず目につくのはその大きな耳。ヒトの耳、両耳がいびつにつなぎ合わされたその異様。小便小僧がでっぷりと太った幼児のような体躯に身近な手足が備わる。



 ああ、そんなバランスでは立つことすら難しいであろうに、それは溶けた地面から這い出て、その地面に立った。




 皆がその化け物を知っていた。先月表向きにはアレタ・アシュフィールドによって発見、撃退された新種。出現してすでに指定探索者を含む多くの犠牲者を出している危険な怪物種。



「--------」



「------------」



 酔いにのまれていた混合部隊のメンバーもその異様に正気を取り戻す。しかし、ミュートされた世界にただおののくばかり。



 この場においての最高戦力、52番目の星は突如現れた大敵に対し、立ち上がろうとする。しかし、体がまるで動かないのか。よろめくばかり。



 もう一人の指定探索者は己の友の様子にろうばいする、だからこそ彼女の助手も動けない。ただ己の指定探索者をいつでもかばえる位置に移動するのみ。






 ゆえにこの瞬間、動けたのは只一人。




 何も与えられずにこの世に生まれた凡人だけだった。






 TIPS€ 耳の部位保持者は経験点50を消費することにより”耳の大力”を再現することができる、使用するか



「---!」


 イエスだ!



 無音の世界で、その声どこからともなく聞こえてくる誰の声かもわからない声に味山は答える。



 言葉とともに、降ろされるのは今まさに目の前に迫る”耳の化け物”の力の再現。ただ、ただ世界を傷つけるためだけの大きな力の具現。




「-!?」



「---」


 借りる。



 うずくまるアレタが無造作に地面に突き立てていた投槍を味山が引き抜く。



 みなぎるその力のままにそれを振りかぶり、



「------!」



 飛んでいけ!



 思い切り、化け物めがけて投げつけた。


 不細工なフォーム、洗練されていない動作、しかい今一瞬だけ味山に宿った力は十分な威力で空を切る。





「をw」



 投げ槍が地面を水平に走り、大きな耳に吸い込まれた。何かの音が世界に生まれて、耳に風穴を開けた化け物があおむけに、倒れた。





「ストライクだ!!バケモン! あ、声が戻ってんじゃん」



 渾身のガッツポーズを1人決める味山をこの場にいる誰もが口を開けて眺めた。


 味山は静かに周りを見回す。茫然とアレタを支えながらソフィが耳を見つめてぶつぶつと何かをつぶやいている。



「ばかな…… ここに今、あれが現れるわけが…… そんなの何も……ていないのに」



 ふむ、クラークも頼りにならんな、こりゃ。味山がアレタに視線を移動させる。



「タ、タダヒト?」


 アレタが信じられないものを見た、とばかりに味山を見上げていた。





 見るからに力のないその瞳を見て味山は判断した。




 すう、と息を吸う。



「総員!!!! 撤退!!!」



「え?」


「は?」


「マジっすか」




「はい! 決定! 撤退だ! 撤退! 混合部隊! すぐにベースキャンプの部隊と連携! アレタ・アシュフィールドを護送し、安全なところまで退避!」



 味山が地面を踏み鳴らし、喚き散らす。



「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。タダヒト…… あなた、何を言ってーー」



「邪魔だ、アシュフィールド。体調悪い奴はかえって寝てくれ」




「は? あ、あたしに、あたしに指図してるの? あなたが? あなっーー」



 パチン。



「---え」



 場の空気が静まり返る。誰しもがとんでもない光景を目の当たりにしたからだ。



「え、え……」


 頬を押さえてアレタが目を白黒させる、恐る恐る何かを確認すように頬を撫で続けた。



「俺のビンタも躱せない雑魚はいらねー。邪魔だっつたんだよ。体調悪いのに働こうとしてんじゃねえよ、社畜が」



 凡人が星の頬を頬を張っていた。



「……タダヒトがぶった」



 ばたり。小さな呟き、同時にぐらりとアレタの首がうなだれる。それを支えるソフィの手元、きれいなアレタのうなじには見慣れた探索用の無針注射器が押し付けられていた。



 さしもの星も不意打ちで、打ち込まれた鎮静剤には逆らえないようだ。



「ネムリ花蜜から作られた沈静睡眠剤だ。人体への影響は少ない、今はおやすみ、アレタ」


「すー、すー」



 おだやかな寝息を立てるアレタをソフィが慈愛に満ちた顔で、眺める。そして味山を見つめた時にはぞっとするほどにきれいな無表情に変わっていた。





「……アレタの顔を張ったのは万死に値する蛮行だ…… だが、それでも言わせておくれ、ありがとう、アジヤマ」



「お前が機転が利くほうで助かったよ、クラーク。女王ライオンが目を覚まさないうちに頼んだ」



「……ああ。チャールズ隊長! 聞こえていただろう! 撤退だ、接触禁止指定怪物種との戦闘は許可できない! 我々はアレタ・アシュフィールドを護送し、帰還する」



 ソフィの叫びに混合部隊が一斉に駆け寄る。皆がアレタの身を案じ、そのガスマスクづらで味山をにらみつけていた。



「チャールズ隊長、すぐに組合に連絡を。耳と遭遇、動員できるだけの戦力をかき集め、討伐隊を編成させるんだ」


「はっ、了解しました!」



「隊長! ベースキャンプの分隊と連絡が取れました! ハンヴィーをこちらに回させています!」



「よし、最優先で星を移送する! アレフチームを必ず帰還させるんだ!」



「ああ、頼む。グレン! アジヤマ! 撤退だ! 混合部隊とキャンプまで帰還、あとは組合の討伐隊にまかせるよ」




 ソフィがアレタを支えながら立つ、周りのガスマスクがそれを助ける様子を見て味山は笑った。



 ああ、よかった。これなら大丈夫だ。



「クラーク、お前いいやつだな」



「なに? なんの話だ?」



 ソフィがいぶかしげに味山を見た、その片方だけの赤い瞳は何かの予感に震えていた。



「撤退すんのは、お前らだ。アシュフィールドを送り届けるのはお前らだよ」



「は? 何を……」



 味山は答えずに、指をさす。



 自分が槍を投げた方角を。



 ぐじゅる、ぐじぃる、じゅりいり。



 失ったものはかえってこない、死んだものは帰らない、しかしそれは理の中の話だ。



「ば、かな…… あれだけの傷、もう再生しているのか……」



「俺の報告書は全部読んでんだろ? クラーク。アレはすぐに起き上がってくる、俺たちをぶち殺すまでどこまで追いかけてくるぞ」



「……ハンヴィーの機動で逃げ切れるはずだ…… 待て、アジヤマ、はやまるな」



「無理だな。少なくともこの前は無理だった。車で逃げてもそれが鉄の棺桶になるだけだ」



「待て、頼む、それを、キミがいうのはやめてくれ」



「らしくねえな、クラーク先生。……()()()()()()()殿()()。誰かがここに残ってアイツの相手をしなきゃならん」



「……死ぬぞ、アジヤマ……」



「お前は知っている、殿なしで無事に帰還できないことを。殿は俺が引き受ける」



「っ! クラーク特別少佐! ここは我々が殿に! 分隊の火力を集中させれば!」



 たまらず、といった様子でチャールズが会話に割り込む。ああ、この人もなんだかんだでいい奴じゃないか。味山は首を振った。



「ダメだ。あんたたちの仕事は無駄死にすることじゃない。この場での最優先はアシュフィールドとクラークを無事に帰還させることだ。俺がしくじった後、逃走戦のために混合部隊の戦力は一切失うわけにはいかない」



「な…… だが、それでは君が……」


「あんた、いいひとだな。チャールズ隊長。まあ、ぶっちゃけ酔いにのまれる銃手と一緒がこわいだけってのもあるけどな。行ってくれよ、アシュフィールドとクラークをたのんだ」




 味山の言葉に、チャールズはあとずさり、静かに敬礼をしてその場を去った。




「アジヤマ…… 君は、いいのか」



「いいわけねーよ、誰が好き好んでこんなことするかね。でも、今この場で残っていいのは俺だ。これが俺の、アレフチームでの役割だ」



 クラークが顔を下にほんの少しの間だけ伏せる。



 次に現れた顔には、もうなんの迷いもなかった。




「……アレフチーム、副リーダー、および指定探索者ソフィ・M・クラークとして、補佐探索者味山只人に命令する。現時刻を以てすべての武装、および探索者法の示す武器所持制限を解除。実力を以て、怪物種との遅滞戦闘を命じる」



 それは指定探索者がもつほかの探索者への命令権限、この場において、命を懸けろという命令。



 死刑宣告にも等しいそれに、味山はいつものように答えた。



「了解、アーー クラーク」


「……死ぬな、頼むから、しぬなよ」



「ああ」



 それだけ告げて、味山は踵を返してどかりと座る。視線の先、30メートルほど先の溶けた地面の上で怪物がゆっくりと体の面積を取り戻していく。



「いけ、それとアシュフィールドに、ビンタしてごめんって言っておいてくれよ」



「……それは必ず自分で言え、これも命令だ……」



「……了解」



 芝生をまきこみながら到着した戦闘機動車両にアレタが運ばれる、続いてソフィが車内に入り込み、可能な限りの人員を載せて足早に車両は離脱を始めた。



「アジヤマ!必ず援軍を送る! それまで死ぬな! 死ぬなよ!」



 窓から響くソフィの声、あいつあんな大きな声出せたんだな。味山は返事をせずに暢気なことを考えていた。



 ばたん。無造作にかたわらにアタッシュケースが投げられる。何事かと見上げるとそこにはガスマスクの男がいた。



「……仲間の死に敬意を払ってくれたことに感謝を。あんたのことは嫌いだが。それでもアンタを尊敬するよ、探索者」



 気づけば、車両に乗らずにいたガスマスク全員が遠くからこちらに向けて敬礼をしていた。味山は小さく笑って


「……どうも。俺もあんたたちの仕事に敬意を。お互いやるべきことをやりましょうや」



 ガスマスクの部隊の直立不動の敬礼に、味山は胡坐をかいたまま敬礼で答える。しばしの沈黙のあと、彼らは彼らの仕事を成すために去っていく。



 ああ、やべえ。怖くなってきた。なんでかっこつけたかなー…… いちかばちか俺も一緒に逃げりゃよかったなー、あー、くっそ、死にたくねえ……


 あめりやでもまだ遊びたかったし、リフレッシュエリアの温水プールとか温泉とかまたいきたかったなー。



 味山がびびりながら放り投げられたアタッシュケースを撫でていると、不意に軽薄な声が届いた。



「おお、一通りの銃器セットっすね。M116に、スマートランチャー2発分。ま、非常時ですしありがたく使うっすか」




「……お前なんでまだいるんだ、グレン」



 グレンがいた。いつも通りの声、いつも通りの表情でどかりと味山の隣



「え? そりゃ俺も足止めすからっすよ? スマートランチャー今、一発撃ちこんでもいいっすかね?」



「あー、うん。時間稼ぎにはなるだろ。あ、でももう遅いわ、来るぞ」



「マジっすか、ま、みんなもう逃げたしこっからが正念場っすね」



「グレン…… クラークのお守りはいいのか?」



「さっき残るっつたら一発殴られたっすけど、それでオッケー。センセもなんだかんだタダのこと気に入ってますからね。てか1人でかっこつけすぎっしょ」



「あー、やっぱそう見えた?」



「アレタさんにビンタして説教かましてた時が最高潮だったすけどね、今度あめりやでネタにしたろ」




「やめろ、ノリノリだったんだよ。そういうテンションになるときあるだろうが」



 あまりにも普段通りの会話、これでいい。





「そっすか」



「そうだよ」



 2人の探索者が小さく笑う。



「なら仕方ないっすね」



「ああ、仕方ないな」




 耳の化け物が形を取り戻した。


 でっぷりと太った幼児のような体躯に乗せた大きな耳を揺らし、糸につられるようにねろりと起き上がる。




 TIPS€ それは其の身体より腑分けされた部位の一つ、かつて彼女の声を聴いた其の耳



「HALLO HELLO 你好 Bonjour」



 TIPS€ それを打倒したものには300§?‘@$#!!の経験点をもたらす。それは*?*‘‘#$の力を持つ、それはお前の中の+‘*‘>と共鳴する



「作戦はあるんすか?」



「命大事に」



「ああ。そういう系っすね」



 TIPS€ それはお前たちの叫び、苦悶と慟哭を求めている。それはお前たちをむごたらしく殺す、それはお前たちの四肢を引きぬこうとしている




「あいつ、相当趣味悪いから。負けたらバッドエンドだ」



「鬱ゲーと同じぐらいのっすか」



「R21の奴ぐらいのな」


「うへえ、早まったかも」



 味山が立ち上がる、片手斧を掲げ、酔いに身を任せる。



 グレンが構える。科学の粋を集めて作られたグローブの中、こぶしを固める。




 2人の補佐探索者による遅滞戦闘、アレフチーム撤退戦が始まる。




 TIPS€ お前たちが虫だとすれば、耳は巨人だ。なすすべもなく殺されるだろう




 頭に響くヒント、うるせえ。なんの役にもたたねえ。



「マジ、ハードすぎるだろ」



 呟き、戦う。ぐるぐると酔いが頭の中を駆け巡っていた。





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