23話 新たなる依頼
ごぽり。
水の音が聞こえる。震えて、波打って、うねって、轟く。
ごおお。
風の音が聞こえる。渡って、吹いて、鳴って、轟く。
ろおおん。
雷の音が聞こえる。顕れて、光って、広がって轟く。
嵐。
あたしは嵐の中にいる。
頰に針が刺す、雨があたしの頬を叩き続ける。
立っていられないような大風の中、ソレはあたしを見ていた。
ぼさぼさの金色の髪、荒れ狂った海を閉じ込めた瞳。紡いだ唇はわずかに震えていた。
あなたは誰。
あたしは聞く。
嵐の中心であたしを見つめるソレは、ふと表情を和らげた。
ーーみつけた。
嵐があたしを包み込む。
あたしは動けない。水が、風が、雷があたしの身体を砕いてゆく。
あたしが、砕けていく。
あたしが混じっていく。
それはとても怖く、でも抗い難い心地よさもある。
ああ、水の音が聞こえる。
嵐の音が、聞こえる。
ーーあともうすこし。
嵐の中心にあるソレがまた笑った。
………
……
「で、タダヒト。そのアメキリっていう女の子に注いで貰ったお酒は美味しかったのかしら?」
「はい…… 美味しかったです」
とある日のアメリカ街、美食クラブの静かな店内にて、味山只人はこれ以上ないほど小さく縮こまっていた。
目の前に座る女は、アレタ・アシュフィールド。
金色に光を弾く髪、隠された海を閉じ込めた瞳、冗談かと思うばかりの小さな顔に、張り付けた笑顔が続く。
「そ、よかったわ。タダヒトが楽しそうで。あたし達がいなかった1週間、さぞ遊び回ったみたいね」
「……はい。楽しかったです」
「なにしてたの?」
「……あめりやに行ったり、療養街の温泉行ったり、バベルビーチで釣りしたりしてました」
「ほかにもあるんじゃない?」
「ソロ探索にも行ってきました……」
味山が小さく呟く。
なんでだ、なんでアシュフィールドの野郎全部知ってやがる?
この1週間、たしかに調子に乗って遊び過ぎた。あめりやにもあのあと3回は行ったし、金もだいぶ使った。
だが、なんでアメリカにいたはずのコイツが全部俺の行動を把握してやがるんだ。
グレンか? 違う、んなことしたらあいつだってクラークに締め上げられる筈だ。それはない、はず。
味山は顔を伏せながら必死に、考えを巡らせる。
「ああ、グレンじゃないわよ、彼も今頃ソフィにお説教されてるはずだから」
「さようにございますか……」
アレタの指摘に味山が小さくなる。なんだそれ、俺たちに監視でもついてんのか?
味山は目の前で不機嫌そうに腕を組むアレタを眺めつつ、頭を回転する。
「はあ、まったく。あたしはつまんない調整で施設に閉じ込められてたのに…… タダヒトだけ遊びまわるなんてズルい」
アレタが頬杖をつきため息をついた。容姿の整った女は何をしても絵になる。
味山はアレタの仕草に目を奪われつつ、あれ、と1つ気になった事を問うた。
「調整? そういやアシュフィールド。前から気になってたんだが、クラークと同時に長い休み取る時ってよ、何してんだ?」
味山の問いに、一瞬アレタの目線が泳いだ。まるで言うか言うべきかを悩むように。
味山が首を傾げる。
アレタが
「……まあ、隠すことでもないか。ちょっとした調整よ、調整。タダヒト、あたしが斃した"嵐"の遺物は知ってるわよね」
味山は、無意識に喉を鳴らした。
アレタ・アシュフィールドの斃した嵐。
それは世界で一番有名な探索者の冒険譚だ。
3階層に現れた"嵐"。3年前には接触禁止指定怪物種2号と呼ばれたソレをアレタ・アシュフィールドは征した。
結果、手に入れた遺物により分かりやすく世界は変わった。
たった1人の人間が地球が生まれて以来繰り返されて来た摂理を覆した。
探索者のロマンだ。アレタ・アシュフィールドの英雄譚、それは誰もが知っている。
「……ストームルーラーだ。アシュフィールドが手に入れた世界最高の遺物」
「そ、よかったわ。タダヒトあまりあたしに興味なさそうだから知らないのかと思ってた」
アレタがいたずらに目を歪める。味山は勘弁してくれと言わんばかりに首を振った。
「タダヒトはまだ遺物を手に入れた事ないわよね?」
「あー、ないな。そういうの」
脳裏に知らせ石や、河童のミイラが浮かびあがる。まあ、あれはノーカウントか。今説明するとめんどくさくなりそうだし。
味山はそのまま首を振る。
「そ、なら簡単に説明してあげる。"遺物"はね、所持者と繋がってるの。その繋がりをたまに調整してあげないと遺物自体がヘソ曲げたりするのよ」
今のお前みたいにか? 味山は喉まで湧き出た言葉を閉じ込める。
「……ストームルーラーとの調整ってことか? もし、それしなかったらどうなんの?」
「うーん、そうね。上手く遺物が働かなくなるんじゃないかしら。実際、まだ遺物についてはよくわかっていない事の方が多いもの。暴走したりしちゃうかも」
「うげ、ストームルーラーの暴走なんて笑えねえな、それどうなるんだよ」
「ふふ、そうね。世界中が嵐に包まれちゃうかも。今までストームルーラーが抑えていた嵐が一斉に溢れたりとか?」
アレタが頬杖をついてにやりと笑う。
「勘弁してくれよ、パニック映画じゃねーんだからよ」
味山が食後のコーヒーをすする。うん、苦い。ふとアレタへと視線を向けた。
「……そうね、そうならないためにあたしがいるのよね」
アレタが目を伏せていた。長いまつげがはっきりと見える。下を向いているのに、アレタの顔ははるか遠く、味山が決して共有できない景色を見つめているような。
「アシュフィールド?」
「ふふ、ごめんなさい。こわがらせちゃった?」
ぺろりと小さく舌を出してアレタが笑う。陰のような雰囲気はさらりと消えていた。
味山は何か言葉を探した。アレタへと何かを言いたいのに、すぐに言葉が見つからなかった。ただ一つ、アレタがひどく寂しそうで、何かを伝えなければならないはずなのに何も言えなかった。
「……ああ、おそろしいな。調整ってどんなことやるんだ?」
だが話を変えたりはしない。味山はせめてその話をもっと詳しく聞こうとーー
ピロン
ピコン
「あら」
「ん?」
同時に味山とアレタの端末が光って、音を立てた。
「アシュフィールドもか? 確認してもいい?」
「ええ、もちろんよ。なんのメッセージかしら」
二人が端末を確認する。
そこには
【緊急招集、組合よりアレフチーム全員へ指名依頼が発行。至急探索者組合本部のミーティングルームへと集合されたし。なお、お前たちが全員休暇なのは把握している。このメールを確認後、一時間以内に集合してほしい。アリーシャ・ブルームーンより】
「うえ、アリーシャからだわ。お休みなのがばれてるし。もう誰がばらしたのかしら」
「ブルームーンさんからの招集、つーことは厄介ごとか?」
「少なくとも組合はそう判断したんじゃない? アリーシャを窓口にしないとあたしかソフィが渋る程度の依頼だと思うわ」
アレタが端末を机に置いて大きくため息をついた。
「まあ仕方ないわ。休暇は終わりかもね。タダヒト、これから本部へと向かいましょう。タテガミー、チェックお願ーい」
「了解、アシュフィールド。あの、ここは俺が払うぞ」
「ううん、大丈夫よ。タダヒトはお金を探索者道具とかにつかいなさい。それに」
「それに?」
味山が怪訝な顔で言葉を反芻する。
ニコニコしながら厨房から立神が現れて、アレタへと紙を渡しーー
「くくく、この度はご来店いただきありがとうございました…… お会計、今回は水ウニの海鮮丼と、ミズウミトラウトの一尾焼き、そして、クロアリコーラをそれぞれ二品づつ、そして店舗の貸し切り代を合わせて18万円となります…… くく、良き食べっぷりでした、アレタ・アシュフィールド、味山さま」
「え、じゅうはちまんえん?」
「ちょっと、タダヒトのお財布じゃ厳しい気がするわ。今度あたしを日本人街のお団子やさんに連れていってくれたらそれでいいわよ」
アレタが無造作にジャケットのポケットからマネークリップを取り出し、そのまま立神へと渡す。味山はあんぐりと口を開いて固まった。
「くくく、おや、これはいただきすぎですな。おつりを金庫からご用意してくるのでしばしお待ちを」
「あー、いいわ。タテガミ、今日もおいしかったから余った分はチップにしてちょうだい、あなたもまたダンジョンへもぐるのでしょう? おいしいものを食べるための先行投資ってやつね」
「ありがたきお言葉、52番目の星に敬意を。でしたら遠慮なく頂きます」
立神がうやうやしく分厚いマネークリップをふところにしまう。あれ、いくら挟んでんだろうか、ちょっとした文庫本くらいのクリップを味山はぼんやりと見つめた。
「……ごちそうさまでした」
「うん、くるしゅうないわ。次はタダヒトのおごりね。お団子屋さん楽しみにしてるから」
「はい、みたらしでも、あんこでもなんでもいってください」
アレタが背伸びしながらにこりと笑う。
どうやら、だいぶ遊び惚けていたことに対する怒りも薄れたようだ。内心、味山が安堵していると
「あ、そうだ。タダヒト」
店の出口へ向かおうとしたとき、ふとアレタが立ち止まりぐるりと味山のほうへ振り向いた。
「うん?」
「本部へいくまでの間、あめりやでどんな遊びをしたのか聞かせてちょうだい。だいじょうぶよ、ぜったいにおこったりしないから」
「ひえ」
固まる味山へと、アレタがきれいな笑顔を向ける。
そんな様子を眺めていた立神が深々とお辞儀をして
「ご武運を、特に味山様。またのお越しをお待ちしております」
早々に立神がいずこへと姿を消した。あのおっさん、あの図体でなんて素早さだ。味山が視界で立神を探すももう店内のどこにもいない。
小動物が嵐を前にして住処へと身をひそめるように、立神は消えた。
「さ、いきましょうか、タダヒト」
「……了解、アシュフィールド、ごちそうさまでした……」
嵐を撃った女のそれはそれはきれいな笑顔へ向けて、味山はとぼとぼと歩き出した。目的地は探索者本部、ここから歩いて15分ほど。
「いいえ、どういたしまして。で、タダヒト、あめりやではアメキリっていう女の子、一番人気の有名人らしいわね。なに? タダヒトってやっぱミーハ―なの?有名人好きよね? 周りからキャーキャー
言われる女の子が好みなの? 困ったわ、あたしも結構有名なのだけれど」
「……はい、いいえ、決してそんなことは…… はい、すんません、アシュフィールドも有名です、はい」
「ふーん、ねえアメキリってどんな女の子なの?どこが気に入ったの? タダヒトが選んだの?」
「いや、そういうわけじゃあ……」
「くくく、アレタ・アシュフィールド。あめりやでは男性が女性を指名するのではなく、その逆、女性が男性を指名するのです、つまり、味山様が雨霧を選んだのではなく、その逆、味山様が雨霧に選ばれたわけでございます」
「へえ、そうなの、そうなんだ、タダヒト」
「はい…… え、待ておい、おっさん、今どこから出てきた。なに余計なこと言ってっーー」
「タダヒト?」
「はい、すんません、アシュフィールドさん、とりあえず説明はお店からでて、ええ、嘘は、はい、すんません」
探索の前に、味山の戦いは始まっていた。
この後探索者組合につくまで、異様に平坦な声で話し続けるアレタとの問答はずっと続いていた。
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