14話 恐怖を殺す者
「……味山です」
渋々と味山が端末へ応答する。もし次にホラーチックな返答が来れば本気で端末を壊す気でーー
[味山さん! 良かった、応答してくれてありがとうございます! サポートセンターの菊池です!]
味山は身体から僅かに緊張が抜ける。見知った声、ノイズのない回線。
良かった、今回は大丈夫そうだ。
「本当の本当に、菊池さん?」
[はい! そうです。味山さん、ご無事で何よりです。実は先程から回線が不安定で、味山さんの安否を気にしていたところでした]
「あー……どうも。えーと菊池さん、すぐ確認して欲しい事があるんですけど……」
かくかくしかじか。
味山は電話口で先程起きた事や、奇妙なサポートセンターからの連絡があった事を菊池に伝える。
もちろん、耳のささやきやジンチリュウという言葉については伏せたまま。
しばらくの絶句ののち、菊池から返事がある。
[……貴重な情報をありがとうございます。味山さん。現時点でお伝え出来る確実なことは、当サポートセンターは味山さんからのセーフハウス申請依頼をお受けしていないこと、そしてその2人の探索者からの救援依頼を受けていないことです]
「まじすか…… じゃあ俺が電話した相手や、さっきインターホン鳴らした連中は……」
肉人形、というワードや電波に干渉という情報を伝えるか? ダメだ、信じてもらえるわけがないし、今は疑われるわけにはいかない。
味山は自分の保身のために耳のささやきについての一切を伏せていた。
[とにかく現状、我々の知らぬ所で何かが起きていることは間違いありません…… 味山さん、その、個人としては貴方に自由探索からの即時帰還を勧めたいのですが……]
菊池が言葉を言い淀む。
嫌な予感、味山のこれまでの経験が何かの予兆に気付く。
[大変……恐縮ではあるのですが…… 味山さんに現在、探索者組合からの指定依頼が出ております]
ほらね、やっぱりね。
味山は思わず息を吐く。嫌な予感とは当たるから嫌な予感と言うのだろうきっと。
「通常の依頼じゃなしに、ぼく個人への指定ってことですか?」
[ええ、これは探索者組合ニホン支部より、探索者味山只人へ向けての指名依頼です]
指名依頼、指名依頼ね……
味山はその言葉を口の中で繰り返す。
探索者にとって依頼には2種類ある。
組合から発行されている依頼を自分の意思で選び受注する通常依頼、そして組合から指名されることでのみ受けれる指定依頼。
後者はその探索者にしか出来ないと判断されたことで発行されるより難易度と危険度の高い依頼だ。
おまけに強い拘束力すらある。
この依頼を跳ねた探索者は、分かりやすく組合から干されるのだ。信頼に値しない探索者として確実に上級探索者への道は閉ざされる。
「……あー、珍しいすね。自由探索中に指名依頼が発生すんのは」
[……申し訳ございません。組合が現在、緊急性のある案件を抱えておりまして、事態の解決に是非味山さんの力を借りたいと判断した次第です]
そら見たことか、十中八九厄介ごとだ。
味山はゆっくりベッドに腰掛ける。
「……ですよねえ…… ちなみに、内容の方をお伺いしても?」
[はい…… 内容は指定エリアの調査、及び連絡の途絶している探索者の捜索です]
「連絡が、途絶? 菊池さん、失礼ですけど探索者と連絡が取れなくなることがそんなに珍しいことですか?」
若干ネジの外れた事を言っている自覚はある。
しかし、この人知の届かぬ現代ダンジョンではそれはあまりにもありふれた事ーー
[19名です。つい5分前ほどから味山さんの付近のエリアにて探索をおこなっていた探索者19名、同時に連絡が途絶しています]
「は?」
思わず目をぱちくりとする。
菊池の言葉の異質さに背中に怖気が走った。
「いや、19人が、しかも同時って…… 一箇所に固まってたんですか?」
多人数の探索者が同時にロストするのに前例がないわけじゃない。
例えば指定怪物種のような危険な存在の討伐に多人数で挑み、敗れればそうなる。
しかし。
[いえ、共通しているのは第一階層、尖塔の荒地にいた探索者ということのみです。異なる場所にいた探索者が19名、同時にロスト致しました]
「……菊池さん、これどう考えても自衛軍や多国籍軍の巡回チーム案件な気がするんですけど」
僅かな沈黙、電話口の向こうで喉が鳴る音が聞こえた。
あー、また嫌な予感が。
[……実は自衛軍も同様です。尖塔の荒地にて巡回活動を行なっていた車両を含めた小隊との連絡が途絶しています]
ワオ、大変じゃん。
味山はもう若干笑えてきた。
これはヤバい。
最新鋭の装備に身を包み、酔いへの耐性がない代わりに交代が可能なほどの豊富な人員でダンジョン内の間引きを行う自衛軍すら同様の事態に巻き込まれているらしい。
「……最新鋭の武器、潤沢な装備や戦闘車両を備えた自衛軍のチームが消えるような異常事態の中、粗末な手斧と、探索者アイデアグッズだけの俺だけが動けると」
[心苦しい限りですが、現状連絡のついた探索者は貴方だけです。味山さん]
「……特例で今から銃火器の支給とかないですよね?」
[……申し訳ございません。味山さんは、その先月のダンジョン内銃所持免許試験に落ちてらっしゃるので…… また来月の受験をお待ちしております]
「ですよねー…… 筆記と実技はいけるんですけどね、酔い耐性テストがどうしてもダメなんですよー」
会話が途切れる。
沈黙の音鳴り、そして味山は腹を決めた。
「……他ならぬ菊池さんの頼みですからね。味山只人、指名依頼を受諾します。報酬はその分お願いしますよ」
[…っ。もちろんです! お約束いたします、この異常事態について、なんらかの情報、または行方不明探索者の1名以上の安否確認が依頼の達成項目です。これより組合が把握している行方不明探索者の情報、そして反応のロスト地点を端末に送信致します]
「了解です、情報を待ちます」
[ありがとうございます。依頼の達成報酬は70万円、またインセンティブ項目として自衛軍巡回部隊の痕跡や情報についても有益なものにつき追加で10万円をお支払い致します]
「さすが指名依頼。太っ腹ですね。お財布握りしめてお待ち下さい」
[ええ、喜んで! ……我々が言えた事ではありませんが、幸運を、味山さん。光の腕輪の加護が貴方にあらんことを]
「どうも、信心深い菊池さんにもその加護があらんことを」
[ありがとうございます。それでは、幸運を]
ぷつり、端末の連絡が途絶える。
「ふー……」
味山が息を整える。
指名依頼は発生した時点で、断る選択肢はない。
味山はどんな方法でも今より強くなる必要がある。
指名依頼を達成すれば組合からの評価も貰える。そうすれば上級探索者への道が開かれるはずだ。
上級探索者になれば、使用許可の降りる探索者道具も増える。この依頼はその道へ続いている。
心臓が苦しい。
先程の異常事態の記憶はまだ生々しく残る。
もし、あの時知らせ石を持っていなかったら?
もし、あの時耳がヒントを拾わなかったら?
行方不明者が1人増えていたのかも知れない。
自衛軍ですら対処できなかったであろう事態に、これから1人で挑まなければならない。
ここにはチームはいない。いるのは俺だけ。
「凡人の、俺だけ……」
なんで、俺だけ。
味山ば指先が震え始めていることに気付く。
ドアの先を見る。いるかも知れない、未だに同じ言葉を人形のように繰り返すあの2人が。
今こうしている間も、扉が開くのを待っているのかも知れない。
あの2人とこの複数の探索者の行方不明は無関係ではない。これも嫌な予感だ。
「ホラー映画……苦手なんだよなあ……」
ふらりと、味山が立ち上がる。
指先は震え、足元はおぼつかない。
それでも斧を拾う。
知らせ石を懐に収める。
ベルトを締め直す。
怖い、なんで俺がわざわざ危険なことをしなくちゃなんねーんだ。
「怖え、逃げてえ……」
それでも、一歩前へ。
ホラー映画の導入だ。訳のわかんねえ化け物に、わけのわからないまま殺される哀れな一般人役を思い出す。
俺はそれだ。
特別な主人公じゃない。誰かのために恐怖へ立ち向かうことのできる存在じゃない。
それでも、その足は出口へと向かう。
胸の中に、怖じける心臓がしかし、ふと鼓動を落ち着ける。
死を想像し続ける脳みそから、温かい汁が出る感覚。
「……怖え、マジコエーよ。なんで自衛軍まで消えてんだよ、銃もってんだろーがよー」
斧を握りしめ、肩にかつぐ。柄を握る手のひらの震えだけが止まる。
恐怖が心に吹雪のように吹き付ける中、ぽわりと味山の心の中に、灯るものが1つ。
「……なんで俺だけが、こんなビビらなきゃなんねーんだ? なんで俺だけがあぶねーことしてんだ?」
それはあまりにも卑小で、あまりにも傲慢で、あまりにも浅い理由。
あまりにも凡人的な……
「……むかつくなあ…… 組合の連中も、このわけわかんねー耳も、そしてあの幽霊もどきどもも」
火だ。
恐怖の吹雪の中、小さな小さな、火が灯る。それは星の光には及ぶべくもない小さな火。
「なんで俺が怖い思いしなくちゃなんねー? 誰のせいだ? 誰が俺にこんな面倒くさいことさせてんだ?」
しかし、その火は照らすだろう。
「決まってる、訳のわかんねー化け物、オカルト、ダンジョン。てめーらのせいだ」
例え星明かりのない暗闇の中でもちっぽけに闇に隠された道を、たしかに照らす。
「ああ、むかつく、マジでムカついてきた」
身勝手な怒りの火は酔いの呼び水となる。
現代ダンジョン、バベルの大穴は人を酔わせる。
倫理を、常識を、人格を歪めていく。
「殺してやる…… 俺をビビらせるものを、恐怖を…… 恐怖はここで殺す」
人を探索者へと変えていく。
味山にダンジョン酔いが回り始める。
あの時押さなかった開閉スイッチを気軽に叩く。
ぷしゅう。
扉が開く。
味山が、セーフハウスの外へ足を一歩ーー
「アハあ、やっト、出てキーー」
「うるせえんだよ」
ドアが開いた瞬間、目の前に現れた女の笑顔。
目の前一杯に、口が裂けるほど開かれた笑顔に、味山の拳が打ち込まれた。
「ぷえ」
「70万円、ゲーッツ」
もう、体のどこにも震えはなかった。
ダンジョン酔いについて
バベルの大穴内部にて確認されている人体への現象。
運動能力を下げない酩酊に似た状態を指す。
酔いの症状として、理性の低下、良心の呵責の消失、恐怖心の欠如、テストステロンの過剰分泌などの状態が確認されている。
バベルの大穴内部に侵入した時点で、人体への影響が始まる。侵入時間の経過により酔いは増していく性質がある。
探索者は先天的、もしくは後天的な要因によってこの酔いに対するある程度の耐性を持つものである。
自衛軍や多国籍軍など酔いの耐性を持たない人間が正常にダンジョン内で活動出来るのは3時間が限界である。
探索者法において一部の許可を持った者以外は銃火器の所有は固く禁じられている。これは銃火器などの重篤な殺傷力を比較的容易に扱う事のできる武器によるダンジョン酔い影響下での同士討ちを防ぐ目的がある。
また、ラ--M----による臨床実験--実験によって、酔いへの影響を強く受けた一部の探索者には、運動能力の向上、心肺機能の強化、脳神経配列の---及び、DNA塩基配列の---、血液内ヘモグロビン----への---ーーー
またその中でも更に一握りの実験対象においてはESP---
(クリアランスを受けていない者による情報閲覧を検知、全データを削除したのち、ID該当者を削除します)
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